45 / 48
第45話
「もう、傷はすっかり治ったのかな? 虚空お兄さん!」
そう言って、賑やかに登場した遥斗王子に、茉希の心は緊張した。
(王子は、虚空さまの亡くなった弟さんに、そっくりなんだ)
彼と出会って、大切な試合前だというのに、虚空はひどく取り乱したのだ。
(あの時の虚空さまは、まるで僕を置いて、遥斗さまの元へ走ってしまいそうだった)
虚空は心の奥底で、兄弟の壁を越えた愛情を、弟に抱いていたのだ。
本当に、彼は遥斗を選ぶかもしれない、と茉希は覚悟した。
もう、決めたのだ。
腹をくくっていたのだ、茉希は。
(たとえ虚空さまが僕を捨てても、僕はずっと虚空さまを愛し続けるんだ)
『茉希が私を捨てても、私は君をずっと愛し続けるよ』
こんなにも熱く、激しい言葉を。
優しくささやいてくれた、虚空さま。
(虚空さまがいなくなっても、僕の恋は永遠なんだ……)
密かに覚悟を決める茉希の横を、遥斗は素通りして行った。
「凄い魔術戦だったね! 僕、感動しちゃった!」
「ありがとうございます」
不躾に会話を始める遥斗に、国王は声を掛けた。
「司波・レンリ・遥斗」
「はい、父上」
遥斗は肩をすくめ、いたずらっぽい眼差しで虚空を見た。
父がこのように声掛けをした後は、必ず叱られるのだ。
「まずは、我々を守るために負傷した虚空に、ねぎらいの言葉を掛けることが礼儀だ」
「ごめんなさい!」
ちっとも悪びれたところのない、遥斗の返事だ。
そして虚空は、そんな彼を微笑みながら見ている。
茉希の胸は、キリキリと痛んだ。
(虚空さまが幸せになれるなら、いいんだ。いいんだ、だけど……)
だけど、この胸の痛みは何だろう。
苦しい。
怖い。
(虚空さまが僕から離れてしまうことが、こんなに辛いなんて!)
茉希は小さなこぶしを、ぎゅっと握った。
虚空と遥斗は、楽しそうに語らっている。
それを見ながら、茉希は気が遠くなりそうだった。
近くにいながら、虚空がどんどん遠ざかって行くような心地だ。
「茉希、大丈夫?」
そんな茉希に、亜貴が小声で話しかけてきた。
「顔色、すごく悪いよ。ここから、出ようか?」
「ありがとう。でも、もう少し頑張ってみるよ」
虚空が、本当に遥斗の元へと去ってしまうのか。
それを見届けるまで、茉希は耐えるつもりだった。
(平気。これまで、どんな辛いことでも耐えられたから……)
だが、今この時は。
過去の、どんなに辛いことより苦しかった。
永遠に続くような、苦しみだった。
「解った。でも、我慢できなくなったら、ちゃんと教えて」
「うん。ありがとう、亜貴」
亜貴が声を掛けてくれたおかげで、茉希は虚空と遥斗の会話が、ちゃんと耳に入るようになった。
「僕たち、みんな魔術が使えなくなったわけだけど。虚空お兄さんも、そうなのかな?」
「はい。私の内なる魔力も、全くありません」
「だったら、再就職しない? 僕の近衛兵に!」
確かに、魔術の訓練など、もう無用の世の中だ。
虚空は事実上、職を失うことになる。
「殿下の近衛兵、ですか?」
「うん! 僕、大歓迎だよ!」
遥斗の瞳は、期待に輝いている。
その姿に、茉希は悟った。
(遥斗殿下も、虚空さまが好きなんだ……!)
茉希はもう、髪をかきむしって、しゃがみ込みたくなっていた。
「嬉しいお誘いですが、辞退させていただきます」
虚空の静かな返事に、遥斗と茉希は、同時に声を上げていた。
「なぜ!?」
「どうして!?」
突然に、違う色の声が会話に混ざったものだから、ひどく目立つ。
茉希は、とっさに手で口を覆っていた。
だが、そんな仕草は逆に目立つというものだ。
遥斗は、茉希に興味を持った。
「君は? 虚空お兄さんを、見舞いに来た人?」
「……」
真っ赤になって声が出せない茉希に代わって、虚空が彼を紹介した。
「彼の名は、由比・ジュドウ・茉希。大神官である由比・ジュドウ・将臣の子息です」
「あぁ、なるほど。だから、お兄さんを見舞いに来たんだね」
遥斗は何も知らないまま、無邪気に虚空を『お兄さん』と呼ぶ。
そのたびに、茉希は胸を痛めていた。
(虚空さま、辛い思いをしているんじゃないかな……)
どんなに似ているといっても、遥斗は虚空の弟本人ではないのだ。
茉希の心は、再び虚空を思いやる気持ちで満たされた。
ただ、ひたすらに。
ひたむきに、虚空を案じ、その幸せを願う。
その広く深い愛情で、満たされていた。
「そして彼は、私の婚約者です」
さらりと、虚空は茉希をそう紹介した。
「ホント!?」
「えぇっ!?」
再び、声がシンクロしてしまった、遥斗と茉希だ。
そんな二人を交互に見て、虚空は怪訝な顔をした。
「殿下はともかく、なぜ茉希が驚くんだ?」
「え!? あ、それは、その!?」
(どうしよう。捨てられるかもしれない、と思ってたなんて言えないよ!)
赤い顔のまま、やはり返事ができない茉希に、虚空が優しく声を掛けた。
「心配かけたな、茉希。私は、もう大丈夫だ」
「は、はい……」
知らない者には、ケガの具合を言っているように聞こえる会話だ。
しかしこれは、虚空と茉希の二人だけに通じる裏を含んでいた。
(茉希。私はもう、迷わない。遥斗殿下より、君を選ぶ)
(虚空さま。僕も、ずっとあなたの傍にいます)
そして、何も知らない遥斗は、やはり朗らかだった。
はぁ、と息を吐いて、肩を落としたが。
「そっかぁ、残念! 僕、虚空お兄さんのこと、気に入ったんだけどな」
「司波・レンリ・遥斗。いいかげんにしなさい」
「はい、父上。ごめんなさーい!」
国王と遥斗、そして彼らの護衛らが去り、亜貴もまた先に帰った。
あれだけ賑やかだった病室が、やけに静かだ。
しかし、二人きりで抱き合う虚空と茉希の鼓動が、響いていた。
しっかりと肌を合わせて聴く互いの鼓動は、力強い愛を奏でていた。
ともだちにシェアしよう!

