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第4話 拓斗と秋也、やらかした!

  一本木 拓斗は、やや前かがみになって、ぞろりぞろりと歩いていた。  そんな仕草を見せる時、彼の機嫌は悪いと決まっている。  触らぬ神に祟りなし、と社内中の人間が、大回りで拓斗を避けて道を譲った。   『一本木さん、機嫌悪いね。どうしたのかな?』 『仕事でミスするような人じゃないし……」 『じゃあ、プライベートで何かあったとか!』  皆、拓斗が不機嫌なわけを、あれこれ言い合った。  しかし、実は当の本人にも解らずにいたのだ。  一体どうして、自分はここまで不機嫌になってしまったのか、と。 「何が、いけなかったンかなぁ」  もともと、合理的な拓斗だ。  原因さえ解っていれば、対策を立てて、解決に向け全力を尽くす。  そんな男だ。 「思い出せ、俺。一体全体、何でここまで機嫌が悪くなったのか……」  拓斗は、記憶を遡って考え始めた。 『今夜の飯は、リゾットだぜ』  拓斗は上機嫌で、秋也にそう言った。  活きのいいアサリが、手に入ったのだ。  もちろん、玲も交えて、三人でテーブルを囲むつもりでいた。  前に作った時、とても美味しいと好評だった料理が、リゾットだ。 『玲は猫舌だから、少し冷めるまでに、ワインでも飲もう。白がいいかな……』    そんな考えを巡らせていた時、秋也から意外な返事が投げられてきた。 『パエリアの方が、いいんじゃないか?』  まさか、口ごたえしてこようとは!  拓斗が驚いている間に、秋也は畳みかけてきた。 『シーフードなら、リゾットよりパエリアの方が美味いぞ』 『作るのは、俺なんだぜ。文句言うな!』 『食べるのは、俺なんだ。意見くらい聞け!』 『秋也、てめえ! スペインが好きだから、パエリアとか言ってるだけだろ!』 『拓斗こそ、イタリアが大好きだからと、リゾットを押し付けるのはやめろ!』  次第にエスカレートしていく二人の会話だったが、秋也の一言が拓斗にはグサリと来たのだ。 『リゾットを押し付けるのはやめろ』  この秋也の一言が、拓斗の心を深くえぐっていた。 『お、押し付け……押し付け!?』 (こいつ、いつもそんな気持ちで、俺の料理を食ってやがったのか!?)  あとは怒りの赴くまま、暁斗に嚙みつくようにまくし立てた。 『玲が、リゾットの方が好きなんだよ。はい、決まり!』 『訊ねたことは、あるのか? 勝手に決めるな!』 『こないだ、美味いうまいって、食ってたじゃねえか!』 『お世辞かもしれんだろう。勝手に決めるな!』  ぎりり、と歯ぎしりをして、拓斗はアサリの入ったステンレスボウルを、秋也にぐいと押し付けた。  そして、大きな足音を立てながら、彼の部屋を去ったのだ。  正直、アサリを投げつけてやりたい気持ちだったが、食材を粗末にすることは、さすがにできなかった。 「……そうだ。元をたどれば、リゾットとパエリアだったんだ」  そしてあの時は、アサリをぶちまけない程度の理性は、働いたのだ。 「だけどよぅ! 俺の料理が『押し付け』ってのは、ムカつくぜ!」  不機嫌の原因が解っても、気分は晴れない。  逆に、火に油を注いだだけだ。 「こういう時は、あいつの顔でも拝みに行くか」  拓斗は、玲に会いに行くことにした。 「玲をからかって遊ぶと、楽しいからな~」  彼に絡むと、大抵の不機嫌はいつのまにか治まるのだ。  玲のデスクに、彼はいなかった。  周りに訊ねると、会社の敷地内にある花壇に行った、という。 「何だって、そんなところに。園地の手入れは、業者に頼んであるはずだぜ?」  不思議に思いながらも、拓斗は花壇に向かった。  そして見えてきたものは、予想に反してたった一人で作業をしている玲の姿だった。 「てっきり、チームでやってると思ってたけどな」  近いうちに、地域を巻き込んで行われる、大きなイベントが控えている。  玲の所属する課は、主にイベントの外観に関する立案や実行だ。  花壇のコーディネートも、それに含まれる。  だのに、そこには玲だけがいた。    せっせと花壇の手入れをしているのは、玲ひとり。  拓斗は彼に、近づいた。  一人でいるのは不思議だが、他に人目がない方が、からかいやすい。  ニンマリと笑いながら、近づいていった。 「よぅ、頑張ってるな!」 「あっ、拓斗」  玲は手を休めると顔を上げ、にっこりと笑った。  いい笑顔だ。  だが今は、笑顔だけではものたりない。  ちょっぴり、いじめてやりたいのだ。 「何だ、すっかり枯れてるじゃねえか。さっさと全部、引っこ抜いちまえ 」 「ダメだよ。種を採ってからじゃないと」 「よせよ、貧乏くせえ。種なんか、買ってくれば済む話だろ?」 「損得で、言ってるんじゃないから!」  口を尖らせ、むきになる玲だ。 (これこれ。この顔が見たかったんだよな!)  思えば、ここで止めておけば良かったのだ。  拓斗は調子に乗ってしまった。  この時はまだ、深く後悔することになると、気付いていなかった。 「種からまた育てる、ってか? 苗、買った方が手っ取り早いぜ」 「手間暇かけるから、花が咲いた時に時嬉しいんだよ!?」 「でもよ、もうすぐイベントだろ。明日、新しい苗と植え替えがあるぞ」 「嘘! まだいっぱい、種が残ってるのに!」  次第に、むきになって拓斗に言い返してくる玲の本気に、彼は気付かずに続けた。 「イベントは、いわばお祭り騒ぎだぜ? ハレの祭りに、しおれた苗なんか残してられっかよ」 「でも。まだ全部、種を採ってないよ……」 「人間だって、高齢者より若い子の方が、ウケがいいだろ? それと同じさ」 「そんな……」  勢いのあった玲の声が、どんどん小さく弱くなっていく。  拓斗が、ヤバい、と勘付いた時には、もう遅かった。  愛嬌のあるふくれっ面だった玲の顔は、しぼんでしまった。  拓斗は、彼を本当に傷つけてしまったのだ。 「ま、まぁ。種を採るのも、良いことかもな?」 「うん……」 「蒔いとけば、また花が咲くかもな?」 「うん……」  あとはもう、何を言っても曇った声しか返ってこなくなったので、拓斗は仕方なく玲のもとを離れた。  拓斗は、思わず舌打ちをしていた。  新たな不機嫌に襲われてしまったのだ。 「玲のヤツ。ガキの頃から、何かあったらすぐ、しょんぼりしやがって!」  怒って言い返してみろ、と思う拓斗だ。  全く、何もかもに腹が立って、機嫌が悪くなる! 「新しい機嫌の悪さは、玲のせいだろ? しかも、あいつを傷つけた俺自身にも腹が立つ!」  さらに、玲の元へ行くよう仕向けた、秋也も腹立たしい。 「秋也のヤツが『押し付けるな』なんて言わなければ、こうはならなかったんだ!」  三つ巴の不機嫌に、拓斗はムシャクシャして頭を荒っぽく掻いた。  バッチリ整えたヘアスタイルが乱れたが、今はどうでも良かった。  そして、そんなヤケクソな行動が収まった時、こんな考えが自然と浮かんでいた。 「……とりあえず、一番手っ取り早い方から片付けるか」  合理的な性格の拓斗らしく、気持ちが急に切り替わったのだ。  髪を滅茶苦茶にするほど、自分自身に八つ当たりしたのが良い方に転んでいた。 「まずは、玲だな。あいつに謝っとこう」  くるりと180度方向転換し、花壇へと急いだ。  まだ玲は、あそこにいるだろう。 「さっきは悪かったな、とか言って、種採りを手伝えばいい」  それが終わるころには、また笑顔を取り戻すだろう。 「全く、世話の焼けるヤツだぜ!」  原因である自分は棚に上げ、拓斗はどんどん早足になっていた。  拓斗が思った通り、まだ花壇に玲の姿はあった。 「玲……じゃなくって、かぁ!?」  拓斗は反射的に、木陰に身を隠した。 「何で秋也が、玲の傍に居やがる!?」  なぜか秋也が、増えている。  玲の傍に、彼が寄り添っているのだ。 「邪魔なんだよ、バカ野郎。さっさと、どっか行きやがれ!」  小声で毒づく拓斗に気付くことなく、二人は話し込んでいるようだった。 「こうして見ると、いろんな花があるんだな」 「気づいた? わりと、凝ってるんだ」  植物が好きな玲は、こんな時には饒舌になる。  秋也が訊ねなくても、花々について嬉しそうに語った。 「僕はこの花がね、特に好きなんだ」 「花が咲いていないぞ?」 「もう、花は終わり。だから、種を採ってたんだ」 「何という名の植物なんだ?」 「知ってるかなぁ? 忘れな草、っていうんだけど」 「ワスレナグサ、か。聞いたことがあるな」  秋也はしゃがんで、すっかり花の終わった苗を見た。 (ワスレナグサの青い花なら、知っている)  花言葉と、見事にシンクロした名を持つ植物だ。  グリーンには疎い秋也でも、記憶にとどめることは難しくなかった。 「花言葉はたしか『私を忘れないでください』だったな」 「あ! 知ってるんだね」  玲は、思わず微笑んだ。 「秋也の口から、花言葉がでてくるなんて」 「うん。だが、それしか知らないぞ」  それでも今の玲には、心を癒す優しい出来事だった。  楽しそうだった玲が、ふと瞼を伏せた。  そして、哀しい言葉を紡ぎ出したのだ。 「秋也は、僕がいなくなっても、忘れないでいてくれるかな?」 「何を突然。どうかしたのか?」 「秋也はきっと、可愛くって気立ての良い女の子と、一緒になるよね」  秋也の問いには答えず、玲はただ淡々と、自分の思いだけを吐いた。 「子どもは……そうだなぁ。男の子と女の子が、ひとりずつ。男の子は、きっと厳しく育てるよね。でも、女の子にはすごく甘いんだ」 「玲?」 「そして、ね。その女の子が恋人を連れてきても『お前のような男に、娘は渡せん!』なんて言いそう!」 「玲……何かあったのか?」  秋也は、そっと玲の肩を抱いた。  腕の中の玲は、くたんとして妙に弱弱しい。  そして。 「僕は、独りで年をとるんだ」 「どうして、そんなことを言うんだ」 「僕は今、若いから。だから、みんな構ってくれる。でもね、年を取ったら。きっと、誰も見なくなる」  玲の心には、拓斗の言葉が強く残っていたのだ。 『人間だって、高齢者より若い子の方が、ウケがいいだろ? それと同じさ』  拓斗は、悪気があって言ったわけじゃない。  それは玲にも解っていた。  だが、何気なく口にしたからこそ、傷ついた。  拓斗の本心が、常日頃考えている本音が、そこにあるように思えたのだ。 「そして、ね。この忘れな草とは違って、好きな人の種を残すこともできないんだ」  玲は、絶望に近いまで打ちのめされていた。  拓斗と秋也は、同性しか愛せない玲とは違って、バイセクシャルだ。  女性とも気軽に付き合い、恋人同士になる、拓斗。  先だって、秋也がディナーを一緒に楽しんだ植村も、女性だ。 (今は、三人で楽しく過ごしてるけど。そのうち拓斗と秋也は、女の子と家庭を作るんだ……!)  そう考えて、打ちのめされたのだ。  しかし、うつむく玲に、秋也は優しかった。 「俺は、たとえ玲が老いても、今と変わらない。だから、安心しろ」 「ほ、本当? 僕が、おじいちゃんになっても?」 「ああ。ずっと一緒だ」  玲の表情は、ぱぁっと晴れた。 「秋也は、やっぱり優しいね」  玲の肩に置いた手を腰に回し、秋也はそっと口づけた。  遠くから、小鳥の鳴き声が聞こえてくる。  草がそよぐ。  木立がざわめく。  そして、ざわめく木立の陰には、ざわめく心の拓斗がいた。  二人の様子を、会話を、一部始終見聞きしてしまった、拓斗。 「秋也はやっぱり優しいね、だと!?」  一瞬にして、頭に血が昇った。  いや、もともとカッカしていたのだから、昇りきった。 「そうですね! 秋也クンは優しいですね! 俺とは違いますからね!」  後はもう、ヤケ酒を喰らうしか方法が見つからない。  拓斗はそのまま有給休暇を取って、マンションへと帰ってしまった。  秋也は玲に口づけながら、その体を優しくさすった。  さすりながら、手は彼の胸元へと伸びていく。  そして、シャツのボタンを一つひとつ外していった。 「んぁ。あ、秋也?」 「静かに」  秋也は、玲の肌に触れようと、手を滑らせる。  腹立たしい気分を持て余していたのは、秋也も同じだったのだ。  そのはけ口、といってはあんまりだが、玲の体を抱いていると、心が安らぐ。  秋也の心には、熱い火が灯ってしまった。  手を、玲のシャツから深く胸元へと忍び込ませ、指先で小さな粒をくるりと転がす。 「秋也、ダメだよ!」  とたんに玲は身をよじらせ、秋也から離れた。  そうだった。  玲は、決して屋外で体を許さない。  秘めごとは必ず、誰かに見られる心配のない室内と決まっている。  それも、ソファかベッドの上。  屋外の、しかも草の上で、その身を任せはしないだろう。  だが、秋也の昂ぶりは、このまま収まりそうになかった。  秋也の声は少し上ずり、早口だった。 「今夜、玲の部屋に行ってもいいか?」 「ごめん。明日、早朝出勤なんだ。だから、今夜は早く休まないと」 「そうか……それでは駄目だな……」  ごめん、と繰り返すと、玲はすばやく秋也の頬にキスをして、走り去って行った。 「残念だ……心の底から残念だ!」  だが、無理強いはできない。  ついさっき、優しい、と言ってもらったばかりじゃないか。  ここはひとつ、その優しさでもって、我慢しなければ。  大きく息をつくと、秋也は立ち上がった。  早朝出勤ではないが、自分も明日は玲と同じく、室内で事務仕事だ。  業務に支障をきたすような真似は、できない。 「しかし……」  指先の可愛い感触が、なかなか消えない。  秋也は、もやもやした気持ちを持て余しつつ、そのまま勤務に戻った。  いつものように仕事をし、定時になると退社し、マンションへ戻って夜を迎えた。  夜の玲は、少し忙しかった。  いつもより早めに夕食を済ませ、いつもより早めに入浴を済ませた。  そして、いつもより早めに寝ようと、急いでいた。 「明日は、早朝出勤だからね」  香を炊き、アラームをセットし、パジャマに着替えたところで、気付いた。 「念のため、ドアガードもロックしとこうかな」  近所で、強盗事件があったばかりだ。  玲はダブルロックで防犯しようと、パジャマのままドアへ向かった。  ドアバーに、手が触れた瞬間のことだ。  突然、ドアのすぐ外から、大きな物音がしたのだ。  ドアに体当たりをしているような、荒々しい物音だ。 「ど、どうしよう。まさか、ホントに強盗!?」  だが、次には聞き慣れた声が。 「開けろ! 玲、いるんだろぉ!?」  声が、というより大声、いや、怒鳴り声だ。 「拓斗!?」  慌てて玲がロックを解除すると、ドアは表側から大きく開け放たれた。  そして拓斗が、のそりと入り込んできた。 「拓斗……?」  玲が見た今夜の拓斗は、いつもと違う。  体中から、きついアルコール臭を発散させている。  赤く血走った目は、不吉な色をたたえている。  ひるんだ玲は思わず一歩退がったが、それ以上退がることを、拓斗は許さなかった。  腕をつかみ思いきり引き寄せ、無理やり唇を奪ってきたのだ。 「んッ! ぅんんッ!?」  まるで噛みつくような、荒々しいキス。  こんなことは、初めてだ。  その前に、酔った勢いで、ということ自体、おかしい。  玲の早朝出勤シフトは、拓斗も知っているはずだ。  知った上で夜這いに来る、という無神経さも彼らしくない。  玲は唇を閉じて、拓斗から逃れようともがいた。  しかし、腕力では彼に到底かなわない。 「う、ぐぅ、くッ!」  苦しさから薄く開いた玲の唇をこじ開け、拓斗の舌がねじ込まれてきた。  そうしながら、拓斗は器用に後ろ手でドアを閉め、そのまま玲を床に引き倒した。  荒っぽい動きに、唇がふと離れた。 「拓斗! やめッ……あぁッ!」  呼びかけは、すぐに悲鳴に変わった。  拓斗の唇が強く首筋を吸い、耳を食んでくる。  そして、引き裂いても構わないくらいの勢いで、パジャマを剥いでくる。 「イヤだ! やめてよ!!」 「うるせえ! 大人しく、ヤらせろ!」 「イヤだ、ったらぁ!」 (本気で、ヤだ! レイプみたいに、拓斗と寝るなんて!」  玲は怖くて悲しくて、必死で叫んだ。 「やめてよ! ひどい、ひどいよ! こんなの、拓斗らしくない!」 「これが俺なんだよ! 非道いんだよ、意地悪なんだよ! 優しくなんて、ないんだよ!」 「うぁあ! ヤだああぁ!」  小さい頃から仲良しだったはずの、拓斗と玲。  大人になった今でも、そうだと信じていた玲だった。  それが今、引き裂かれる思いだ。  暴力的に無理強いする拓也など、見たくなかった。 (あ、秋也……助けて……)  もう一人の幼馴染に、玲はすがった。  ここに現れて欲しいと、願った。  しかし、その秋也は、今の二人がどんな状況かまるで知らない。  明日の資料を整理しながら、数枚の書類を手にして考えていた。 「これは朝一番で、玲に目を通してもらおうかな」  そして、俺が業務に入って、すぐに話し合った方が早く済む。  秋也は、遅くまで残業などしたくなかった。  明日の夜こそ、二人でゆっくり過ごしたいのだ。  書類を手に、秋也は同じマンションの玲の階へとエレベーターを昇らせていった。  拓斗と玲に、今何が起きているか。  何も知らずに、秋也はエレベーターで階を昇った。 「玲、昼間は様子がおかしかったな」  話を聞いてあげようか。  何か辛いことがあったというなら、慰めてやろう。  そんなことを、考えていた。 『秋也はやっぱり優しいね』  玲の言葉が、秋也の頭をよぎった。 「俺は玲に、優しいと思われているんだな」  ことさら優しくしているつもりはない、秋也だ。 「荒っぽい拓斗に比べると、柔らかい印象を受けるんだろう」  拓斗。 「嫌なことを、思い出してしまった」  秋也は、思わず唸った。  拓斗といえば、昨日の態度は全く腹立たしい。 「大体あいつは、いつも自分勝手なんだ!」  思わず口がへの字になったことに気づき、秋也は慌てて顔を戻した。  今から、玲に会いに行くのだ。  不機嫌な顔などしていては、ダメだ。  優しいと言われて、嫌な気はしないんだから。 「それなら、うんと優しくしてあげよう」  そんな風に考えながらエレベーターを降り、玲の部屋の前までやってきた。  秋也と玲、そして拓斗の三人は、暗証番号も合鍵も共有する仲だ。  しかし、そのどちらも必要なかった。  ドアは、ロックされていない。  それどころか、わずかに開いていたのだ。   「不用心だな。玲……」  言いかけて、秋也は口を閉じ、耳を澄ました。 「ん、あぁっ。拓斗ぉッ……!」  部屋の奥から響いて来る、この声は。  玲のこの声は、まさしく情事の真っ只中のものだ。 「しかも相手は、拓斗だと!?」  秋也の頭は、一瞬にして沸騰した。 「なぜだ。俺には断っておきながら、どうして拓斗と一緒にいるんだ!?」  憤慨する秋也だったが、さらなる打撃が彼を襲った。  「あっ、あッ、こんな……床で、だなんて……あぁッ!」  短い切れ切れの喘ぎに加えて、肌と肌とがぶつかり合う音も聞こえる。  玄関のすぐ向こうに広がるリビングで、今まさに二人は交わっているのだ。  しかも、ソファの上でもベッドでもない、冷たく硬い床の上でだ。  秋也は奥歯を噛みしめて唸り、こぶしを強く握りしめた。 「殴りこみたい……!」  だが、あと一歩のところで、ぐっとこらえた。  おそらく、拓斗が無理やり抱きにかかったに違いない。  流されやすい玲は、それに応じてしまったのだ。 「優しい、なんて言われて、得意になっていた自分が情けない」  とんだ優男もあったもんだ。  無理を通せば道理が引っ込む。  押しの強い拓斗が、今回は勝ちをもぎ取ったのだ。 「遠慮なんかしたおかげで、全くひどい馬鹿を見た!」  玲の甘い悲鳴から逃れるように、秋也は走ってエレベーターに飛び乗った。  冷たい床に熱い頬を当て、玲は肩で息をしていた。  達した拓斗が、体内から引き抜く気配を感じる。  ようやく終わったのだ。 「イヤだって言いながら、ずいぶん気持ち悦さそうだったじゃねえか。あぁ?」  揶揄の響きを持つ拓斗の言葉に、玲の耳が、かっと熱くなった。  拓斗の言うとおりだ。 (恥ずかしい……!)  床の上で無理やり犯されて、それでも感じて悦がっていた自分を恥じた。  だが、拓斗は情け容赦ない。 「来いよ」 「え? えぇっ、ちょっと待って!」  引きずられるように寝室へ押し込まれ、ベッドにねじ伏せられた。 「やめてよ、拓斗! 明日早いから。もう、休まないといけないから……」 「俺の知ったことか!」  拓斗は玲の顎に手を掛け、無理に口を開けさせた。  彼の太い指が咥内にねじ込まれ、喉奥をくすぐる。 (どうしちゃったんだろう、拓斗。今日に限って、どうしてこんなに意地悪なんだろう!)  拓斗の暴力に、苦しさと悲しい気持ちとがグチャグチャに混ざる。  涙が、あふれてきた。  拓斗は胸元に舌を這わせ、音を立てて乳首を吸い始めた。  そうかと思うと、細かく歯を立てながら、ちろちろと舌先で舐める。  扱いは乱暴なのに、愛撫はいつも以上に細やかで執拗だ。 (うぅ……もう、もうダメぇ!)  玲の頭は、どんどんのぼせて蕩けてきた。  息が、甘くなる。  喘ぎが、漏れる。  シーツを硬くつかんでいた手が、緩む。  柔らかな快感に、心と体がほだされかけてきたその時、鋭い刺激が突然玲を襲った。 「ああッ! ぃヤだぁ!」  拓斗が、玲のペニスを弄り始めたのだ。  唾液で濡れた指先で先端を撫でまわし、絶妙の刺激を与えてくる。 「ヤだ、イヤ、だ! やめてよォ!」 「いい加減、観念しろ!」  拓斗は手のひらで強くしごき、精を絞り取った。  蜜が溢れるたびに、玲は悲鳴を上げ悶えた。  そして、がくがくと震える体に、拓斗は猛ったものを刺し貫いた。 「ッう! く、ふぅ、うぅ!」 「さぁ、二回戦だぜ」  大きく仰け反る玲を組み敷き、拓斗は激しく動き始めた。  押し倒され、組み敷かれ、玲は拓斗を見上げていた。  彼はシニカルな笑みを顔に張り付けたまま、激しく動いている。  そんなニヤけた拓斗を見る玲の目は、滲んできた。  揺さぶられ、体が波打つたびに、涙がぽろぽろとこぼれた。  それでも拓斗は、責めをやめない。  逆に、強く深く腰を打ち込んできた。 「泣けよ! 叫んでみろよ!」 「んッ、く。うぅ、ヤだぁあ……」 「イイ、って言えよ! 気持ち悦いです、ってよ!」  拓斗に突かれる合間に、玲は何度も果てた。  溢れ出る精が後膣に流れ落ち、たっぷりと潤った秘所が、ぐちゅぐちゅと淫靡な音をたてる。  玲の涙が枯れ、悲鳴もかすれてきた頃、ようやく拓斗が体内に熱い昂ぶりを吐き出した。  空気が緩み、荒い息を吐く二人の視線が、ふと合った。  だが拓斗の目は、まだ意地悪な色をたたえていた。 「これで終わり、とか思ってるんじゃねぇだろうな!」  ぐいいっ、とさらに奥まで突かれ、玲は跳ね上がった。 「んぁあ! あああぁ!」 「悦い声だぜ。体は正直だな!」  玲の内壁は拓斗のものに絡みつき、締めあげてくる。  悶えは艶めき、誘いにかかる。  もくもくと腰を打ちこむ拓斗を、玲は喘ぎながら眺めた。  その時、玲の熱く火照った心に、冷たい一粒のしずくが落ちた。  拓斗はもう、意地悪な目をしていなかったのだ。  なぜか、ひどく痛々しく見えるその姿。  思えば、酒に飲まれるように酔ってみたり、襲うようにセックスを求めてきたりと、今日の拓斗は絶対に変だ。 (何か辛いことが、悲しいことがあったんだね。拓斗……)  そう感じた時、玲の胸に拓斗への愛しさが戻ってきた。  逞しい肩に手を伸ばし、そっと撫でた。 (僕を抱いて気が晴れるなら、いくらでも、いいよ)  この体で慰めてあげられるのは、今の短いこの時だけ。 (老いて朽ちてしまえば、そうすることはできないんだ)  後はただ、拓斗の激情を受け止め、その身を捧げた。  翌朝、秋也は怒りの治まらないまま出勤した。  オフィスに入った彼の目に、まず映ったのは玲の姿だ。  背筋を伸ばしてデスクに着き、パソコンを覗いていた彼は、秋也を見ると笑顔で声をかけてきた。 「おはよう、秋也」 「……ああ、おはよう」  秋也の視界に入った玲のカップには、コーヒーが入れてある。  彼はいつも、ノンカフェインのハーブティーを飲むはずだ。  それが今朝は、いかにも目の覚めそうなエスプレッソ。 (眠気覚ましが必要なくらい、昨夜は遅くまで起きていたのか。 拓斗と一緒に!)  秋也の怒りは増す一方だが、さすがにこの場で荒れ狂うわけにはいかない。  黙って、自分のデスクへ向かった。  しかし席につくと、嫌でも斜め向かいの玲が目に入る。 (うぅ……玲……玲!)  思いが募り、仕事は全く手につかない。  それどころか昨晩の、玲の甘い喘ぎが耳に甦って来てしまうのだ。 (まずい。勃ってきた!)  業務に集中しなくては、と秋也は姿勢を正した。  何かに没頭すれば、この昂ぶりも収まるだろうと考えたのだ。  密かに興奮していた秋也が、何とか仕事に集中し始めた矢先に、玲の声が耳に入ってしまった。 「堀さん、ちょっといいかな?」 「なに? 守岡」  拓斗の次は、堀か?  浅ましい妄想が止まらない、秋也だ。  玲の呼ぶ声に、堀が立ち上がりオフィス内を移動する。  それを、思わず目で追ってしまう。 (玲。堀といったい何を話すんだ?)  耳をそばだてて聞いていた秋也だったが、二言三言でその内容はうかがえた。  どうやら、イベントのタイムスケジュールで、時間の合わない部分があるらしい。 「祝辞が10分、合唱で15分だろ。これでいいじゃん」 「移動時間も考えようよ。ハーモニーズは50人以上いるんだから、結構手間取るんじゃないかな?」 「あ、そうか!」  まったく、と髪をかき上げる玲の仕草に、秋也はドキリとした。  首筋に、赤いキスマークが生々しく残っているのだ。  玲と堀は、今度のイベントについて話しているが、秋也にはその内容がもう耳に入らなくなってきた。 「堀さん、サマーフェスティバルで、担当だったよね? しっかりして」 「サマーフェスぅ? 去年じゃん。もう、忘れちゃったよ」 「オープニングセレモニーの進行表とか、残ってない?」 「俺、たぶん削除した」  どこまでも、使えない態度の堀だ。  もう~、と玲は両腕を上げ、こぶしを振っている。  秋也はその様子をうかがっていたが、玲の短い袖口の、柔らかそうな脇が見えてしまった。 (もう、駄目だ。我慢できない!)  がたん、と大きな音と共に立ち上がった秋也に、堀と玲は驚いて目をやった。  騒いでいたので注意されるかな、と思った二人だったが、秋也の声は冷静だった。 「その進行表、書庫にあるんじゃないか? 紙に印刷してファイリングしたものが、一年ごとに保管してあるはずだ」 「さすが神原、冴えてるなぁ! 俺の代わりに、イベント担当やってくれない?」  堀が何か言っていたが、秋也の耳にはもう入らない。 「探しに行くぞ、玲」 「え? う、うん」  探しに行くなら堀さんと僕とで、という間もなく、秋也はすでにオフィスを出てしまっている。  玲は急いで、秋也の後を追った。  その先に、何が待っているかも知らずに。  本事務所の1階奥に、書庫は設けられていた。  分野別に整理された書類は、一定期間ここで保管されることになっている。  秋也と玲は、イベント関係の書棚のある方へと進んだ。 「半分ずつ、手分けして探したらどうかな。その方が、早く終わると思うよ。ねぇ、秋也……秋也?」  玲は、視線を秋也に向けた途端、ドキリとした。  秋也は書棚の方ではなく、らんらんと光る目を、こちらに向けているのだ。  そして突然、長い腕と大きな手で玲を抱きすくめ、熱い口づけを求めてきたのだ。 「ん、んんッ!」  もちろん玲はそれに応えず、しっかりと唇を閉じたまま、逃れようともがいた。 (あ、秋也!? ちょっと、ダメだよ!)  信じられない。  勤務中である。  しかも、人の出入りがある書庫内で、だ。  玲を抱き締める秋也の力は、もがけばもがくほど強くなる。  さらに強く締めあげられ、玲はたまらず口を開いた。  その開いた唇から、秋也の舌が荒々しく入り込んできた。  咥内を舐めまわしながら、秋也の手は玲の服を解きにかかっている。 「んぅ、うう!」  玲は、力を振りしぼって抗った。  秋也の唇はようやく離れたが、そのまま首筋を強く吸ってきた。  昨夜、玲が拓斗に付けられた、赤いキスマーク。  それを上書きするように、何度も吸った。  口は自由になった玲は、秋也に必死で訴えた。 「秋也! 秋也、やめてよ! 今、勤務中だよ!?」  玲の訴えを無視して、秋也は彼のシャツをぐいと引き下げた。  白い肩があらわになり、玲は震えた。 (秋也、本気だ! 本気で、今ここで僕を……!) 「やめてよ、秋也。こんなところで! だ、誰かに見られたら!」 「見たいやつには、見せつけてやればいい!」  荒々しい秋也の返事は、意外を越えて異常だった。 (秋也、一体どうしちゃったんだろう。昨日は、やめてくれたのに! いつもは優しい人なのに!) 「秋也、どうして? 何かあった!?」  玲は、昨夜の拓斗を思い出していた。  彼も、強引に求めてきたのだ。  そして、辛そうな目をしていた。  だから玲は、秋也に手を差し伸べようとしたのだ。  だが、秋也はそれを突っぱねた。 「どうもしない。ただな、俺は優しくなんかないぞ。欲しい時は奪う。それだけだ!」  玲の白い肩にも、うっすらと紅い痕を見つけ、秋也の頭に血が上った。  拓斗のやつ!  その痕を打ち消してしまう勢いで、秋也は激しく玲の肩に歯を立てた。 「痛い! 痛いよ、秋也! やめてぇ!」  書庫の冷たい空気が、どんどん熱くなっていく。  しんとした紙の香りが、牡の匂いに浸食されていく。  玲は、とうとう埃っぽい書庫の床に、押し倒されてしまった。  秋也は、気付いていた。  組み敷かれながらも、玲が書庫の出入り口をちらちらと伺っていることに。  誰かが入ってきたら、どうしよう。  誰かに見られたら、恥ずかしい。  ただひたすら、それを恐れる玲なのだ。  そんな彼の態度も、今の秋也には不快だった。 (昨夜は玄関口で、はしたない声をあげていたじゃないか!)  乳首を夢中でしゃぶりながら、秋也は玲のスラックスを下ろした。  思った通りだ。  玲のペニスは、勃ちあがりかけている。 「何だ、ちゃんと感じてるじゃないか」 「そ、そんなッ」  秋也は、そのまま玲のものを手で掴んだ。 「こういうシチュエーションも悦い、と思っているんだろう!」 「ああッ!」  その時、玲はびくりと身をすくめた。  秋也の動きも、止まった。  ドアが動き、滑る音がする。  次いで、複数の足音が聞こえる。  誰かが、この書庫内に入ってきたのだ。 (あぁ、助かった……)  玲は、安堵の息をついた。  さすがに人のいる部屋で、秋也もこんな意地悪はしないだろう。 (秋也。悪ふざけは、もうおしまいだよ?)  だが秋也は静かに手を動かし、玲の性器を擦り始めたのだ。 (う、嘘ッ!?)  思わず上がりかけた声を、玲は必死に抑えた。 「ふぅッ! んんッ!」 「静かにしないと、聞こえるぞ」  人がいるのに。  見られちゃうかもしれないのに!  それでも秋也は肌を吸い、ペニスを擦る手を止めない。 「は、んんッ! ふぅ、うぅ!」 (ダメッ! 聞こえちゃうよ!)  玲は、自分の指を強く噛んだ。  こうすれば、少しは抑えられるかもしれない。 「どうした。そんなに悦いのか?」 「んんッ! ふ、んんんッ!」 (あ、秋也の意地悪ぅう!)  ついに玲は、その昂ぶりを秋也の手のひらに吐き出してしまった。    はぁはぁと口で呼吸しながらも、玲はホッとしていた。 (こ、これで、お終い……)  しかし、その予想は裏切られた。  秋也は手の中の精を、玲の後膣に塗り込んだ。  それだけでなく、太い指を入れてきたのだ。 「ッん! ぅう!?」  まさか。 (まさか秋也、最後まで!?)  玲は逃れようと暴れたが、しっかりと押さえつけられた体は動かない。  秋也の指が体内で蠢くたびに、淫靡な音が漏れる。 「はぁ、あ。んあぁ、んんッ!」  耐えても耐えても、漏れ出てしまう喘ぎ。 (い、イヤ、だ。もう、イヤ……)  玲の頬に、涙が一筋流れた。  その涙に、秋也の胸に罪悪感が生まれた。 (本当なら……仕事が終わってから、ゆっくりと二人の時間を過ごしたかったんだ)  素直な甘い声を聞きながら、幸福なひとときを過ごしたかったのに。  それを振り切るように、秋也はわざと皮肉めいた声で囁いた。 「昨夜は、悦かったのか?」  は、と玲の目が大きく見開かれた。  知っているのだ、秋也は。 (昨夜、僕が拓斗に抱かれたこと、知ってるんだ!)  のぼせかけた心が、一気に冷えた思いがした。  なぜかは解らないが、秋也は知っている。 (僕が、拓斗と一緒だったってこと、秋也は知ってる!)  無理やりだった、との言い訳はきかない。  しまいには、身も心も開いて乱れたのだ。 (怒ってるんだ、秋也は……)  玲は、秋也との会話を思い出した。 『今夜、玲の部屋に行ってもいいか?』 『ごめん。明日、早朝出勤なんだ。だから、今夜は早く休まないと』 『そうか……それでは駄目だな……』  秋也は拒んだのに、拓斗には許したのだ。 (僕……僕、秋也を傷つけちゃったんだ……)  秋也は、玲に軽く見られた、と思っているに違いない。  玲の心は、悲しみに冷えた。  だが、体は熱くなる一方だ。  さらに秋也の指先が、内壁の敏感な部分を押さえた。 「んんッ!」 「気持ち悦かったら、声を出したらどうだ」 「ぅん、んんッ!」  秋也の指先が弱点を押しこするたびに、玲は体をひきつらせた。  人のいる室内で、隠れて行為に及ぶ。  これは玲の嫌うことだが、逆に激しい興奮をもたらしていた。  さらに、人の話し声が、足音が大きくなった。  こちらに、近づいているのだ。  体は、どんどん昂ぶっていく。  だが、物音をたてることは許されない。 (これは、罰だ。秋也を傷つけた、罰!)  涙が再び、玲の頬を伝う。  そしてついに、秋也の猛々しいものが、ゆっくりと後膣から侵入してきた。 「ぅう、ふぅ、う! んんッ!」  粘っこい水音を立てながら、秋也が体内に埋め込まれてくる。 (こんな恥ずかしい音を、人に聞かれたら。こんな恥ずかしいところを、人に見られたら!)  そんな玲の思いとは逆に、秋也は激しく腰を突き動かしてきた。  粘液質の音が、耳に響く。  自らの喘ぎが、耳に響く。 (あぁ、ダメなのに! こんなの、イヤなのにぃ!)  玲は熱い、それでいて甘い息を吐いた。  熱く熱く、火照っていく体。  そしてそれは、同時に心も蝕んでくる。 (僕、今すごくエッチな気分になってる。恥ずかしいのに、メチャクチャ感じちゃってる!)  玲は、異常な状況での、倒錯した快感に襲われていた。 「はぁッ。んん、んッ。ぅん、んんんッ」 「玲、静かにしろ。人が来る」  それでも、どうしようもなく体が、心が熱くなる。  耐えがたい悦楽に、玲は秋也の背中に腕をまわし、爪を立てた。  秋也の動きに合わせて、腰を波打たせる。  そんなことをすれば、もっといやらしい水音が漏れるのに。  もっと喘ぎが高まってしまうのに! 「ッや。秋也、ぃや。もぅイヤぁ……」  人の話し声が聞こえる。  足音と、紙を繰る音が近づいて来る。 「んくッ、んっ、んッ、ぅんんッ!」  甘い苦しみに身悶える玲の中に、勢いよく秋也が吐き出された。 「んぅあ! ッく、ぁあ!」  玲の目の前に、まぶしい光がチカチカと瞬いた。  甲高い耳鳴りと共に、耳が遠くなった。  ひきつった体の力が抜け、ぐったりとなった玲だ。  しばらくすると、彼の耳に音が返ってきた。  聞こえるのは、遠ざかる声と足音だ。  さらに、ドアの閉まる音。  そして後には、秋也の吐く荒い息の音だけが残った。  放心したように動かない玲の乱れた衣服を、秋也はすばやく整えた。  そしてすぐに立ち上がり書棚に目を走らせると、一冊のファイルを手に取った。 「これだ」  前回の、サマーフェスティバルについて記録してある、ファイルだ。  確認して閉じると、秋也の耳に小さな声が聞こえてきた。  玲だ。  座り込んだまま、涙に濡れた瞳で秋也を見ている。  埃まみれになってしまった、柔らかな髪は、乱れたままだ。 「ごめん。ごめんね、秋也……」  今まで、バレないようにと必死で噛み殺していた、声。  それが自由になって初めて口にした言葉は、秋也への非難ではなく、謝罪だった。 (ごめんね、って。謝るのは、むしろ俺の方なんじゃ……?)  非常識なシチュエーションで、無理やり交わったのだ。  いつもの玲なら、ギャンギャン怒っているところだ。  だが彼は、ただ細い声で秋也に繰り返した。 「ごめん。ホントに、ごめん……」  秋也には、すぐに思い当たることがあった。 (昨夜のことを、言っているんだ)  自分とは逢瀬を断り、拓斗と一緒に過ごしたこと。  玲も、それに気付いて謝っているのだ。 (なぜだ? 胸が痛む)  胸に刺さった刺を無視するために、秋也はわざと素っ気なく振舞った。 「先に行くぞ」  そう声をかけ、玲を書庫に置いたまま、秋也はオフィスへと戻った。  オフィスに戻った秋也は、ようやく憑き物が落ちたような心地になった。  そこにはいつもの日常があり、堀がパソコンのモニターを覗き込みながら、コーヒーを飲んでいた。  近づいて来た秋也に気付いた堀は、顔を上げて声を掛けてきた。 「おかえり。あれっ? 守岡は一緒じゃないのか?」 「あ、うん……先に戻るように言われた」  嘘をごまかすように堀にファイルを渡すと、秋也はデスクに戻った。  しかし、残してきた玲のことが気になる。 (子どもじゃないんだから、大丈夫……のはずだ)  仕事に没頭し、なるべく考えないようにしたが、玲はなかなか戻ってこない。  さすがに遅いと心配し始めたその時、オフィスのドアが細く開かれた。  真っ先に気付いたのは、堀だ。  彼の声で、秋也は玲の異変に気が付いた。 「どうしたの、守岡。遅かったじゃん」 「ごめんね。あの、それでさ……ちょっと気分が悪いんだ。早退しても、いいかな?」 「マジで顔色ヤバいよ! 上長には俺から言っとくからさ、すぐに帰りなよ!」  医療所で見て貰って、少し休んでから帰ると良いよ、などと喋る堀の陰に隠れて、秋也には玲の姿が見えない。  彼を一目見ようと、秋也が立ち上がると同時に、ドアは閉じられた。  玲の代わりに、堀の心配そうな顔が残っている。 「守岡、具合が悪いから帰るってさ」 「……そうか」  そう仕向けたのは、自分なのだ。  後悔の波が、ひたひたと秋也の胸を浸し始めた。  拓斗は、やや後ろ反りになって、のろりのろりと歩いていた。  そんな仕草を見せる時、彼の気分は落ち込んでいると決まっている。  そこへ現れた秋也は、道を塞いで行く手を遮った。  彼をちらりと見て、拓斗は暗い声を吐いた。 「俺は、最低野郎だ……」  今頃気づいたか、という秋也の返事を、拓斗は予想していた。  昨日から不仲であるし、皮肉の一つも返って来るだろう。  だが秋也は、意外な言葉をこぼした。 「奇遇だな。俺もなんだ……」  秋也の返事に少しだけ表情を動かした拓斗は、ため息をついて傍らのベンチにしゃがみこんだ。  肩を落とし、さらに暗く話した。 「玲に、酷いことをした……」 「奇遇だな。俺もなんだ……」  同じ言葉を繰り返し、秋也もまた、拓斗の隣にしゃがみこんだ。  うつむいて、首を垂れたまま告白した。 「昨夜な、無理やり体を求めたんだ。嫌がる玲を、無理やり……!」  拓斗は苦し気にそう言うと、髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。  秋也もまた、下を向いたまま告白した。 「俺はさっき、無理やり求めた。玲は嫌がったのに、無理に……!」  拓斗と同じように髪を搔き回しながら、秋也は自分の行為を悔やんでいると言った。 「玲は午前で早退し、産業医のいる社内診療所へ行ったんだ。そこまで、俺が彼を追い詰めた……!」  玲が心配でたまらないので、秋也も半休を取ったのだ。  そしてこれから、その診療所へ玲の様子を見に行くのだ、と吐いた。 「一体どうして、俺たちは。揃いも揃って、こんな酷いことをやったんだ?」  拓斗は自分を振り返り、玲と秋也のやりとりを聞いて、つい頭に血が昇った、と打ち明けた。 「だけど、その前からイラついてたんだ。リゾットとパエリアのせいで」 「お前もか?」  秋也も、拓斗にならって打ち明けた。  玲を誘ったが断わられ、夜に訪ねてみたところ、彼は拓斗と寝ていたので、つい頭に血が昇った、と。 「そして、俺もやっぱりイラついていた。リゾットとパエリアのせいで」  あぁ、と男二人は頭を抱えた。  何てバカなことをしてしまったんだ、俺たちは!  果てしなく後悔する気持ちは同じだったので、拓斗と秋也は揃って診療所を訪ねた。  玲に、謝りたいと思ったのだ。  だがしかし。 「守岡 玲なら、面会謝絶だよ!」  ドアの前に、産業医の福田が仁王立ちしているのだ。  拓斗と秋也は、青ざめた。 「玲は、そんなに重篤なのか?」 「入院ですか? どのくらい?」  外傷があるわけじゃないんだけどね、と福田は言う。 「しばらく、静かなところで過ごさせたいよ」  身長191cm、体重95kgの福田は、男勝りの猛女だ。  それに加えて、外科専門医の資格を持つ才女でもある。  そんな彼女が、ギロリと二人を睨みつけた。  会社と契約している産業医とはいえ、その影響力は絶大な福田女史だ。  そんな彼女に睨まれて、拓斗と秋也は怯んだ。  自分らがやらかした大罪を、見抜かれている気がしたのだ。  福田は、事務的な響きのある声で、二人に問いかけてきた。 「一本木 拓斗と、神原 秋也、だね?」 「お、おう……」 「はい……」 「守岡 玲と、同期。そして、幼馴染の親友」 「お、おう……」 「はい……」  そこで福田は腕を組み、息を吐いた。  眉根を寄せ、やや近づいて、声をひそめた。 「玲の親友である、あんたたちだから言うけど……どうやらあの子は、レイプされたみたいなんだよ」  拓斗と秋也は、血の気が引いた。  振り返ってみると、確かに自分のやったことは、レイプだ。  玲は幼馴染で親友ではあるが、越えてはいけない一線を越えてしまったのだ。  だんだんと落ち着きを無くしていく二人に向かって、福田は続けた。 「目は虚ろで、ふらふらしながら現れてね。あたしゃ、すぐにピンときたね」  そこで福田は腰に手を当て、憤慨した声を上げた。 「止めないよ。あんたたち、犯人を見つけ出してお仕置きしてやんな!」  拓斗と秋也は、肩をすくめた。  まさにその犯人が、ここに雁首そろえて立っているのだ。  犯人を警察に突き出す前に、私刑を与えてやれ、と福田の鼻息は荒い。 「体中に、歯型まで残ってるんだよ。どんだけ、ケダモノなのかね!?」 「そっ、そうか。そいつぁ酷いな」 「目が真っ赤なんだ。散々、泣いたみたいだね。行為の最中も『やめてくれ』って泣いただろうね」 「そっ、そうか。それは可哀想に」  まさか、俺たちがやりました、とは福田に言えず、ありきたりの言葉で二人は逃げようとした。  それを聞いた福田は、手にしたファイルで思いっきり二人の頭を殴りつけた。 「しらばっくれるんじゃないよ! このクソガキども!」 「痛ってぇ!」 「突然、何を!?」  鬼の形相の福田に、拓斗と秋也は反論しようとしたが、今度はファイルの角で殴られた。 「あたしが知らないとでも思ってるのかい!? 空より広く、海より深く反省しな! 地に頭を擦りつけ、玲に許しを請いな!」  福田は、何もかもお見通しだったのだ。  拓斗と秋也は飛び上がると、ばたばたと駆けだした。 「まったく、世話の焼けるガキどもだよ!」  彼女は、玲のことを良く知っていた。  彼の性格までも、理解していた。  拓斗と秋也になら、泣き叫びながらでも許す玲なのだ。  そして今回も、やはりあの馬鹿どもの罪を許すのだろう。  大きな溜息をひとつ吐き、福田は勤務に戻った。  福田の言葉通り、拓斗と秋也は土下座していた。  玲が休んでいる病室の冷たく固い床に、頭を擦り付け小さく丸くなっていた。 「ごめん。玲、マジでごめん! 俺、どうかしてた!」 「玲、すまない。許してくれ! 俺は、正気ではなかった!」  突然病室へ駆け込んできて、この態度。  玲は、二人が福田に何か言われたに違いない、と悟った。 「もういいから、顔をあげてよ」 「許してくれるか?」 「これまでどおり、接してもいいのか?」 「うん……まぁ、反省はしてるみたいだから。福田先生に、怒られた?」 「めっちゃ、ガラれた!」 「俺たちの罪を、知らされた!」  うんうん、と玲はうなずいた。 (福田先生は、警察沙汰にしろ、って言ったけど。やっぱり、拓斗と秋也だもんね)  土下座までしたのだ。  二人の罪は、水に流そう。  そう、玲は決めた。 「解った。じゃあ、この件はお終い。でも、どうして拓斗と秋也はイライラしてたのかな」 「イライラ?」 「してたか?」  イラついてたよ、と玲は言う。 「元はと言えば、このイライラが原因だよね。一体、何があったのかな?」 「あ、あ~。それは……」 「うん、そうだなぁ……」  真に言いにくそうに告げられた答えに、玲の顔はみるみる情けない表情になった。 「な……何て、くだらない原因で……ケンカを……」 「悪かった! ごめん! 反省してます!」 「すまない! 二度としない! 約束する!」  料理をリゾットにするか、パエリアにするか。  そんな些細なことが発端で、こんなに酷い目に遭うことになった、玲なのだ。  呆れて、顔を両手で覆ってしまった玲だが、ちゃんと考えてはいた。 (さすがに、ここで簡単に許しちゃったら、後が怖い!)  今は反省している二人だが、また同じようなことを繰り返しそうだ。 (ちょっと、懲らしめてやらなきゃね!)  玲は、瞼を閉じた。  静かだ。  病室付近には、全く人の気配が無い。  そこで玲は、瞼を開けた。 「許してあげるよ。でも、条件があるんだ」 「条件?」 「何でも言ってくれ」  じゃあ、と玲は真顔で続けた。 「これから5分間、一言も喋ったらダメ。僕に触れてもダメ。もし破ったら、もう一生口きいてやんない。いい?」 「えぇ……?」 「そんなことで、いいのか?」  そんな、簡単なことを。  しかし、奇妙な条件だ。 (一体、何考えてるんだぁ?) (玲はなぜ、こんなことを?)  二人の疑問をよそに、玲は体を起こし、ベッドの背もたれに身を任せた。  そしてこちらをを向くと、突然スイッチが入ったように、妖艶な流し目をくれたのだ。  拓斗と秋也の見守る中、玲の仕返しが始まった。  実に、彼らしい方法で。 「ぅん、っふ。あ、あぁ~ん」  なんと、玲は一人で身悶え始めたのだ!  驚いて声を上げそうになった口を、拓斗と秋也は慌てて手で押さえた。 「んッ、んん。あッ、あぁん」  しどけなく衣服をはだけ、その下の滑らかな肌を手のひらがすべる。  切ない声を上げ、両脚がゆっくりと擦り合わせられる。  白い肌が、ほんのり桜色に染まり始めた。 (こっ、これは! これはヤバい! ヤバすぎる!) (声も出さず手も出さず、ただ黙って見ていろと言うのか!?)  目を逸らせばいいものを、つい見入ってしまう、拓斗と秋也だ。  そして、玲の悩ましい姿は、さらに過激になっていった。 「んッ、ぅん。ふぅっ、んんぅ」  彼は体を撫でさすりながら、片手の中指を口に含んだ。  濡れた音を立てながら、抜き差しされる指を見ていると、いやでも口淫が連想される。  生唾を飲み込み、二人はすっかり玲から目が離せなくなってしまった。 「はッ、あぁ、ふぅ、ん。あぁッ、ああッ」  ひたすら、乱れ続ける玲の肢体。  それを見て、拓斗が喉で唸るかすかな音を、秋也は聞いていた。  だが、拓斗もまた、同じように秋也の唸りを聞いていた。 (これは、喋ったことにはならないよな) (唸らずには、いられないぞ!)  二人は息を飲んで、あられもない痴態に夢中になった。  自らの乳首を弄りながら、玲の片手はついに体の中心へと伸びていった。  ためらうような可愛い仕草を見せた後、ゆっくりと擦り始める。  それは、ゆるやかに勃ちあがりかけていた。  そして手で擦り上げるたびに、玲は腰を淫らに動かすのだ。 「んあ、あぁっ。はぁっ、はあっ、ああぁん」  拓斗と秋也は、玲の見せる痴態は拷問なのだと気づいた。 (な、何てコトしやがる!) (いかん、我慢できん!)  雄叫びを上げ、玲に飛びかかりたい。  その体を、滅茶苦茶に愛したい。  だが、声を上げれば、その体に触れれば、玲は許してはくれないのだ。  一生、口をきいてくれないのだ。  二人は顔を真っ赤にして歯を食いしばり、こぶしを固く握りしめ、震えながら耐えた。  そんな彼らをチラリと見た後、玲は高らかに甘い悲鳴を上げた。 「いやぁん。だめぇ。もうイく。イッちゃうぅ~」  途端に拓斗と秋也は、手で前を押さえた。 (ヤバい、漏れる!) (発射してしまう!)  しかし、思春期の少年ではないのだ。  他ならぬ玲の前で、そんな恥ずかしい真似などできやしない!  二人のカッコ悪い姿をふふっと笑い、玲はいたずらっぽくウィンクした。 「もう、とっくに5分過ぎてるんだけど?」  そして、我に返った拓斗と秋也に、甘えた声をかけてきた。 「僕、リゾットとパエリアの両方、食べたいな。作ってくれる? 拓斗ぉ」 「喜んで作らせていただきます!」 「僕、食後にはプレミアムアイスが食べたいな。買ってくれる? 秋也ぁ」 「100個でも200個でも買ってきます!」  よろしくね、と微笑んだ後、玲は腕を二人の方へと伸ばし、指先を妖しくくねらせた。 「じゃあ、その前に僕を食べてくれるかな?」 「いただきます!」 「感謝感激です!」  叫び声を上げ、拓斗と秋也は玲に躍りかかった。  はぁはぁと息を荒げ、むさぼるように体中にキスの雨を降らせる。  そんな二人を受け止め、受け入れながら、玲はクスクス笑い声を立てた。 「二人とも、まだ子どもだねぇ」  そして優しく、その頭を撫でた。 「あぁん! もぅ、ちゃんとお行儀よく食べてよぉ」  玲の甘い嬌声は、薄いドアを挟んだ廊下に漏れている。  それを聞きながら、福田はファイルで自分の頭を軽く叩いた。 「どうやら、玲の方が一枚も二枚も上手だね」  彼らは、まだ若い。  だからこそ、こんな失敗を繰り返しながら成長していくのだろう。 「だけど、この三人なら。年を取っても、こんな調子じゃないのかね!?」  今回は、玲に免じて許してあげよう。  病室を後に廊下を歩きながら、福田は豪快に笑った。  

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