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第37話 朝市で朝ごはん
朝の鐘が鳴るより少し前、アデマールは目を覚ました。
窓の外はまだ薄青い。
川の方から鳥の声が聞こえ、遠くで荷車の車輪が石畳を転がっている。
隣を見る。
オルヴァンはまだ眠っていた。
横向きになり、毛布を胸元まで引き上げている。
白い髪が少しだけ頬へかかっていた。
アデマールはその髪を指で払った。
オルヴァンの目がゆっくり開く。
「……おはようございます」
「おはよう」
「早いですね」
「腹減った」
「それで起きたんですか?」
「たぶん」
オルヴァンが笑った。
「朝市、もう始まっていますかね」
「行ってみる?」
「はい」
二人とも、もう一度眠ろうとはしなかった。
****
宿を出ると、町はちょうど朝を始めたところだった。
大河へ向かって下る通りの両側に、次々と露店の覆いが開かれている。
籠いっぱいの果物。
まだ土のついた野菜。
大きな丸パン。
焼いた肉。
卵を並べる店。
乳を壺で量り売りする店。
川魚を運んできた人々もいたが、アデマールはそちらを一度見て、そのままパン屋へ向かった。
オルヴァンが追いつく。
「今、魚を避けました?」
「朝から骨はいい」
「焼いただけなら取ってあげますよ」
「じゃああとで」
立ち止まったパン屋から、焼きたての香りがしていた。
表面を香ばしく焼いた小さな丸パンと、胡桃を練り込んだ細長いパンが籠へ山積みになっている。
アデマールが指を差す。
「これ四つ」
「二つで十分です」
「じゃあ三つ」
「なぜ一つしか減らないんです?」
「譲歩した」
「僕も譲歩します。二つ」
「間を取って三つ」
「最初と同じですよ」
店の女が笑いながら三つ紙へ包んだ。
「仲いいねえ」
「夫なので」
「夫夫です」
二人がほとんど同時に答える。
女はさらに笑い、端の小さなパンを一つ足した。
「これはおまけ」
アデマールが受け取る。
「ありがとう」
店を離れてから、オルヴァンが包みを見る。
「結局四つになりましたね」
「俺の勝ち」
「何と戦っていたんですか?」
アデマールは答えず、嬉しそうに包みを抱え直した。
少し先では、赤や黄色の果物が並んでいた。
オルヴァンが一つ手に取る。
「これ、甘そうです」
「買おう」
「三つくらいで」
「六つ」
「アデ」
「明日の分」
「さっきのパンも明日の分が入っていますよね?」
「パンと果物は別」
「では四つ」
「五つ」
「四つ」
「……四つ」
アデマールは少し不満そうだったが、四つ買った。
その隣の店で干した肉を買う。
さらに卵料理を焼いている屋台で足が止まる。
さらにその隣で蜂蜜をかけた乳菓子を見る。
オルヴァンがアデマールの袖を掴んだ。
「アデ」
「何?」
「一度、持っているものを見ましょう」
アデマールは両腕を見る。
パン。
果物。
干し肉。
焼いた卵を挟んだ薄焼きパン。
小さな乳菓子。
「朝飯」
「二人分ですよ?」
「昼も入ってる」
「こちらは?」
「乳菓子は朝」
「果物は?」
「朝と昼」
「干し肉は?」
「昼」
「パンは?」
「朝と昼と明日」
「では、これ以上は買いません」
「飲み物は?」
「……飲み物は買いましょう」
アデマールが満足そうに笑った。
****
朝市の終わりには、大河沿いの広い道があった。
川面には朝の光が伸びている。
小さな船着場では、人々が荷を下ろしていた。
木箱や籠が次々に岸へ運ばれ、町の店へ散っていく。
二人は川沿いの長椅子を見つけて座った。
オルヴァンが紙包みを開く。
「まず何から食べます?」
「卵」
「僕もです」
薄焼きパンの中には、柔らかく焼いた卵と刻んだ香草が入っている。
アデマールが大きく一口食べる。
「うまい」
「おいしいですね」
オルヴァンは半分ほど食べたところで、隣を見る。
アデマールはもう食べ終わっていた。
「早いですね」
「オルのも一口もらっていい?」
「自分のを食べたでしょう」
「同じ味か確認」
「同じ店です」
そう言いながら、オルヴァンは端を少し差し出した。
アデマールがそのまま食べる。
「同じだ」
「でしょうね」
今度はアデマールが丸パンをちぎった。
まだ温かい。
半分をオルヴァンへ渡す。
「これも」
「ありがとうございます」
二人で食べる。
蜂蜜入りの飲み物を交互に口へ運び、果物を一つ切り分ける。
アデマールが赤い果肉を一切れ摘まんだ。
「オル」
「はい?」
そのまま口元へ差し出す。
オルヴァンは少しだけ笑い、素直に食べた。
「甘いです」
「だろ?」
オルヴァンも一切れ取る。
今度はアデマールへ。
アデマールは嬉しそうに口を開けた。
「どうです?」
「うまい」
「果物が?」
「オルがくれたから」
「同じ果物ですよ」
「違う」
「何がです?」
「気分」
オルヴァンが小さく笑った。
「では、もう一つ」
また一切れ差し出す。
アデマールが食べる。
「やっぱ違う」
「はいはい」
川を渡る風が吹いた。
オルヴァンの髪が頬へかかる。
アデマールが指で払う。
そのまま頬へ触れた。
オルヴァンが少し顔を寄せる。
アデマールは短く口づけた。
「蜂蜜の味します」
「オルも」
「同じものを飲みましたからね」
もう一度、今度はオルヴァンから軽く唇を重ねた。
それから何事もなかったように残りのパンを食べる。
少し離れたところでは、船から大きな籠が降ろされていた。
子どもが父親らしい男の後ろを走っている。
犬が川辺で寝ている。
朝市へ向かう人と、買い物を終えて帰る人がすれ違う。
アデマールは長椅子の背へ寄りかかった。
「いいな、ここ」
「何がです?」
「朝」
オルヴァンも川を見る。
「賑やかですけど、急いでいる感じはしませんね」
「うん」
しばらく二人で眺めていた。
アデマールが紙包みへ手を伸ばす。
オルヴァンがすぐ見る。
「それは明日の分では?」
「一個だけ」
「三つ買って、おまけが一つ。もう二つ食べました」
「まだ二つある」
「一つ食べたら、明日は一つです」
「明日また買えばいい」
「なるほど」
オルヴァンは少し考えた。
「では僕も食べます」
「結局食うんじゃん」
「見ていたらお腹が空きました」
二人で三つ目のパンを分けた。
****
朝市を離れたあとも、すぐ宿へは戻らなかった。
大河に沿って歩く。
道沿いには低い石壁が続き、その向こうに水面が見える。
ところどころに木陰の長椅子があり、朝の散歩をしている老人や、籠を抱えた人たちが休んでいた。
アデマールは買った荷物をほとんど持っている。
オルヴァンが一つ取ろうとすると、ひょいと避けた。
「持ちますよ」
「いいよ」
「重くないですか?」
「全然」
「では果物だけ」
「オルは俺と手つなぐ係」
「そんな係があるんですか?」
「今できた」
アデマールが空いている手を差し出す。
オルヴァンは笑って、その手を取った。
指を絡める。
「では、ちゃんと働きます」
「よろしく」
ゆっくり歩く。
朝市の喧騒が少しずつ遠くなる。
代わりに水の音と鳥の声が近くなった。
途中、小さな石段が川辺へ降りていた。
二人はそこへ座る。
アデマールが靴先を水へ近づける。
「冷たそう」
「入ります?」
「今はいい」
「珍しいですね」
「朝飯食いすぎた」
「だから言ったでしょう」
オルヴァンが肩を寄せる。
アデマールも自然に寄り返した。
「でもうまかった」
「はい」
「明日も行く?」
「行きたいです」
アデマールが嬉しそうに頷く。
「じゃあもっと早く起きる」
「今日も十分早かったですよ」
「一番最初のパン食いたい」
「焼き上がる時間を聞けばよかったですね」
「戻って聞く?」
「明日でいいでしょう」
水面を小さな鳥が横切った。
二人はしばらく黙って見送った。
やがてオルヴァンが言う。
「アデ」
「ん?」
「こういう朝、好きです」
アデマールは川を見たまま笑った。
「俺も」
絡めていた手を軽く握る。
オルヴァンも握り返した。
それ以上は何も言わなかった。
朝はまだ長い。
二人はもう少しだけ川辺に座ってから、また手をつないで歩き出した。
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