41 / 51
第41話 手紙がいっぱい
宿へ戻ったアデマールは、帳場の横を見て足を止めた。
腰ほどの高さまである木箱が置かれている。
その隣には旅塵のついた外套姿の男が立ち、腕を組んで二人を待っていた。
男は二人を見るなり言った。
「ようやく捕まえた」
アデマールがオルヴァンを見る。
「誰?」
「ユスタシュです」
「知ってる。冗談」
男――ユスタシュは王国の行政官で、アデマールたちへの公的な連絡や書類を扱っている。
「冗談を言う前に住所を持て」
オルヴァンが木箱を見る。
「まさか、それ全部ですか?」
「全部だ。王都へ届いた分、領地管理局へ届いた分、軍を経由した分、宿へ転送したらもう出たと言われた分まで入っている」
アデマールが蓋を開けた。
封筒。紐で束ねられた紙。小包。小さな木箱。
「いっぱいだな」
「お前たちが歩き回るからだ」
「旅してるし」
「知っている。だから困っている」
オルヴァンが笑う。
「ご苦労をおかけしました」
「そう思うなら、まず受領の署名をくれ」
「はい」
アデマールは食堂の方へ目をやった。
「飯は?」
「まだだ」
「じゃあ先に食おう」
「先に署名だ」
「腹減った」
「三枚だ」
オルヴァンがアデマールの袖を引く。
「すぐ終わりますよ」
「オルもそっち側?」
「終わったら一緒に食べます」
「じゃあやる」
ユスタシュが書類を取り出した。
「……相変わらずだな」
「何が?」
「いや、署名しろ」
****
三枚の署名を終える頃には、食堂の卓へ煮込みとパンが運ばれていた。
アデマールは席につくなり食べ始めた。
ユスタシュが向かいへ座る。
「さっきまで黙って書類を読んでいた男とは思えんな」
「終わったから」
「切り替えが早すぎる」
オルヴァンがユスタシュへパンを渡す。
「どうぞ」
「ありがとう」
三人で食べる。
腹が落ち着いたところで、アデマールは木箱へ手を伸ばした。
「開けるぞ」
「お前たち宛てだから好きにしろ」
最初の封筒には、見慣れた筆跡があった。
「ヨリスだ」
オルヴァンが隣から覗く。
「元気でしょうか」
「読む」
紙を広げる。
『今度会ったら見せたい布がある。お前たちなら買うと思う。特に白い方』
オルヴァンが笑った。
「僕ですね」
「黒い方にも売れよ」
続きを読む。
『店は順調。荷車をもう一台増やす。値引きはしない』
アデマールが笑う。
「偉い」
「すっかり商人ですね」
最後に小さく一行。
『どこにいるか分からん。そろそろ住所を作れ』
ユスタシュが無言でアデマールを見る。
「何だよ」
「同感だ」
「二人してうるさい」
次の封筒をオルヴァンが取った。
「リュシアンからです」
手紙には、また商隊護衛を終えたことが書かれていた。
道中で荷車の車輪が壊れ、護衛たちと一緒に交換したこと。町では迷子の子どもを家まで送り、母親から焼き菓子を大量にもらったこと。
最後に、
『大きな仕事じゃなくても、最近はちゃんと面白いです』
とある。
アデマールが笑った。
「いいじゃん」
「はい」
「返事書こう」
「もちろんです」
次は小さな包み。
乾かした香草と手紙が入っていた。
オルヴァンが香りを嗅ぐ。
「果樹園からですね」
今年もよく実ったこと。
若い管理人がほとんどの仕事を任されるようになったこと。
滑走索が一本増えたこと。
『また来たら、今度は上の区画まで案内する』
アデマールがすぐ言う。
「行きたい」
「僕もです」
ユスタシュが煮込みを食べながら聞く。
「全部また行く気か?」
「行けるなら」
「いつ行く」
「そのうち」
ユスタシュがパンをちぎった。
「だから連絡先が要るんだ」
「今日はそればっかりだな」
「今日の仕事だからな」
****
箱の中身は、なかなか減らなかった。
酒造都市からは、新酒ができたという知らせが来ていた。
追伸には大きな字で、
『今度は夫を酔わせすぎるな』
とある。
オルヴァンが紙を伏せた。
「これは返事をしなくてもいい気がします」
「するだろ」
「何を書くんです?」
「また飲みに行くって」
「そこですか」
アデマールは楽しそうに笑った。
別の封筒には、城壁の爪痕を模した焼き菓子の絵。
パン職人からだった。
『爪痕パンが売れすぎて、型を増やした』
アデマールが絵を見る。
「食いたい」
「また行った時ですね」
昔泊まった宿からも届いていた。
屋根の修理が終わったこと。
新しい椅子を入れたこと。
最後に、
『今度は壊すな』
とある。
アデマールが眉を寄せた。
「一回だぞ」
「一回で十分でしょう」
花畑の農家からは押し花。
湖の町からは干した香草。
北の港からは、今年も夜空に光が出たという短い便り。
数行しかない手紙も多かった。
『元気か』
『今年も豊作です』
『また遊びに来い』
『今度は長く泊まれ』
アデマールとオルヴァンは、一通ずつ開けていった。
「この人、元気だって」
「よかったですね」
「また店広げたらしい」
「次に行く時が楽しみです」
旅を終えて別れたあとも、それぞれの町では毎日が続いている。
その続きが、紙一枚になって二人のところまで届いていた。
****
最も短い手紙は、ベルトランからだった。
アデマールが開く。
読む。
裏返す。
もう一度表を見る。
オルヴァンが尋ねる。
「何と?」
「『元気か。王都へ戻る予定が決まったら知らせろ』」
オルヴァンが待つ。
「以上?」
「以上」
アデマールが手紙を眺める。
「オル狙ってる?」
「どこを読んだらそうなるんです?」
「王都へ戻ったら知らせろって」
「僕の名前がありませんよ」
「書かなくても会えると思ってるとか」
「アデにも会いたいんですよ」
ユスタシュが横から口を挟む。
「剣聖殿は、お前たちが王都へ来るたび日程を調整している」
「俺にも?」
「二人ともだ」
アデマールは少し嬉しそうにしたあと、ベルトランの手紙を畳んだ。
「でもオルは渡さない」
「誰も取らん」
返事が速かった。
オルヴァンが吹き出す。
「ユスタシュ、ずいぶん慣れましたね」
「慣れたくて慣れたわけじゃない」
そこで話は終わった。
****
昼を過ぎる頃には、開封した手紙が送り主ごとに卓の上へ並んでいた。
オルヴァンが紙とインクを用意する。
「返事を書きましょう」
「全部?」
「全部です」
「今日終わるかな」
「短くても、届けば喜んでくれるでしょう」
アデマールがペンを取る。
「じゃあヨリス」
「僕はリュシアンへ書きます」
ユスタシュが立ち上がる。
「俺は一度役所へ――」
「夕飯までいる?」
「なぜそうなる」
「せっかく来たし」
ユスタシュは時計を見る。
「夕方まではいる」
「じゃあ食えるな」
「仕事が終わればな」
アデマールはすでに手紙へ向かっていた。
ヨリスへの返事は短い。
『元気。布見たい。また行く。荷車増えたのすごい。値引きはいらない』
オルヴァンが横から読む。
「最後はヨリスが喜びそうですね」
「商人だし」
オルヴァンはリュシアンへ返事を書く。
『焼き菓子は食べ切れましたか。商隊の皆さんも元気そうで安心しました。また会った時に旅の話を聞かせてください』
アデマールが覗く。
「馬の話も」
「自分で書きます?」
「書く」
紙の端に追記する。
『馬にも乗った? 今度聞かせろ』
「これでいい」
「いいと思います」
それからも二人は書いた。
『新酒、楽しみにしています』
『押し花をありがとうございました』
『パンを食べに行きます』
『また泊めてください』
一通ずつ返していくうち、卓の上には新しい手紙の束ができた。
ユスタシュが戻ってくる。
「増えてるな」
「返事だから」
「分かっている。俺が持ち帰る量が増えたと言っている」
アデマールが笑う。
「よろしく」
「本当に住所が欲しくなってきた」
****
最後の返事を書き終えた頃、窓の外は橙色になっていた。
オルヴァンがペンを置く。
「終わりました」
「疲れた」
アデマールが椅子へ深くもたれる。
ユスタシュは返事の束を整え、紐を掛けた。
「次からは送り先を一つにしてくれ」
「でも、今の送り先って王都だろ?」
「王都へ集めて、俺たちが追いかけている」
オルヴァンが空になった木箱を見る。
「確かに、住所があったら楽ですね」
「そうだ」
アデマールが聞く。
「誰の?」
「何がです?」
オルヴァンが振り返る。
「住所です」
「僕たちのです」
アデマールの動きが止まった。
「俺たちの?」
「はい。手紙に同じ場所を書けたら、送る人もユスタシュも楽でしょう」
アデマールはしばらくオルヴァンを見つめた。
「アデ?」
「うん」
椅子を離れる。
オルヴァンのそばまで行く。
腰へ腕を回し、そのまま立たせた。
オルヴァンが何か言うより早く、唇が重なった。
一度離れ、すぐにもう一度。
今度は長い。
オルヴァンの腕がアデマールの背中へ回る。
身体を寄せ、自分から次の口づけを返した。
ユスタシュが静かに窓の外を見る。
「俺はまだいるぞ」
「知ってる」
アデマールはオルヴァンの腰を抱いたまま答えた。
「知ってて続けるのか」
「ちょっとだけ」
「俺へ許可を取るな」
オルヴァンが肩を揺らす。
アデマールがようやく唇を離した。
「笑ってる?」
「少し」
「何で?」
「住所の話でこんなに嬉しそうにするとは思わなくて」
アデマールはオルヴァンの額へ自分の額を寄せた。
「同じ住所って、すげえいいな」
オルヴァンの目元が柔らかくなる。
「僕もいいと思います」
「俺とオルの名前が、同じところに書いてあるんだろ」
「はい」
アデマールが頬へ口づける。
オルヴァンも嬉しそうに受けて、今度は自分からアデマールの唇へ触れた。
「アデと同じなら、僕も嬉しいです」
アデマールの腕が強くなる。
返事より先に抱きしめた。
オルヴァンもすぐ背中へ腕を回した。
ユスタシュが立ち上がる。
「夕食を頼んでくる」
「もう?」
「戻るまでに少し落ち着け」
アデマールがオルヴァンを抱いたまま言う。
「努力する」
「期待していない」
ユスタシュは食堂の奥へ消えていった。
****
夕食は三人で食べた。
ユスタシュは次に二人がどの道を通る予定かを聞いた。
「次は?」
「まだ決めてない」
「明日は?」
「朝決める」
ユスタシュがアデマールを見る。
「三日くらい先まで決められないのか」
「天気とか、途中で見つけた道とかあるし」
「せめて大まかな方向だけ教えろ」
オルヴァンが笑う。
「努力します」
「その言葉は信じていいか?」
「アデよりは」
「オル?」
「冗談です」
食事の間、仕事の話は少しだけだった。
王都に新しい菓子屋ができたこと。
シビラが執務室へ書類を積みすぎて、とうとう別の机を要求したこと。
ベルトランが最近また休みを取っていないこと。
どうでもいい話も混ざった。
食後、ユスタシュは返事の束を抱える。
「明日の朝には王都へ戻る」
「もう帰るの?」
「俺は仕事で来たんだ」
アデマールが言う。
「今度は遊びに来いよ」
ユスタシュが即座に返した。
「どこへ?」
アデマールが黙る。
オルヴァンが吹き出した。
「そこからですね」
「そういうことだ」
ユスタシュも少し笑った。
****
夜。
二人は部屋で届いた手紙を整理した。
押し花は本へ挟む。
香草は食料袋へ。
小さな贈り物は旅行鞄へ。
アデマールはベルトランの短い手紙をもう一度見た。
「やっぱ短い」
「返事はもっと短かったですよ」
「何て書いたっけ」
「『元気。王都へ行く時は知らせる。オルは渡さない』です」
「完璧」
オルヴァンがため息交じりに笑う。
「最後の一文、消せばよかったです」
「もう遅い」
アデマールは手紙を重ねた。
少しして、隣へ座るオルヴァンの手を取る。
「オル」
「はい?」
「同じ住所、いいな」
オルヴァンが指を絡める。
「さっきも言いましたよ」
「もう一回言いたかった」
「では僕も、もう一回言います」
オルヴァンが肩へ寄る。
「僕も、アデと同じ住所がいいです」
アデマールは笑って、その髪へ口づけた。
卓の上には、世界のあちこちから届いた手紙が積まれている。
今夜、その返事へ書いた送り元は、まだ旅籠の名前だった。
二人は指を絡めたまま、次に届く手紙のことを話していた。
ともだちにシェアしよう!

