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第三章 第4話

「この後はカフェを予約しているので、行きましょう」  そう言われ、多磨駅から帰ろうとしていた明日葉はズルズルと国分寺まで引きずられていった。 「格式高いとこじゃないよね」 「Tシャツにジーパンの明日葉さんでも余裕で入れるところです」  亜笠の足は迷いなく目的地まで動いた。ガラス張りの解放感のあるカフェの前でその足が止まった。 「ここ?」  問いかけると亜笠が頷く。  予約はテラス席だった。店内奥のテラスに二人揃って案内される。中庭には花や緑が溢れるように植えられていた。  テラス席は犬を連れた老夫婦や、子連れの奥様方で賑わっていた。サングラスに帽子を目深に被ったマダムも一人優雅にお茶している。 (芸能人……?)  思わずじっと見つめてしまい、明日葉は慌てて視線を外した。  そうこうしている間に亜笠は店員に注文を終えていた。 「明日葉さん」  亜笠は明日葉に向き直った。 「今日は来てくれてありがとうございます」 「え、なに急に改まって」  亜笠の表情が少し和らぐ。 「父を紹介できて、嬉しかったです」 「……別に、おれは」  そんなつもりで来た訳ではなかった。ただ単に言われてきただけ。それだけだ。 「なんで内緒にしてたの?」 「明日葉さんに余計な気遣いをしてほしくなかったんです。それに――――正直に話したらそれはそれで重いとか言われて来てくれなそうだったので」  ジトッとした目で言われて、明日葉は思わず顔を反らした。  確かに事前に聞いていたらすっぽかしていた。恋人でもない後輩の親に会うなんて――――重い。重すぎる。  アイスラテが2つ運ばれてくる。明日葉はストローを差して渇いた喉を潤した。 「だから、明日葉さん」  呼ばれて顔を上げる。 「いきなりになってすみません」  首を傾げると、亜笠は一切表情を変えずに隣の席のサングラスのご婦人を手のひらで示して、言った。 「こちら――――母です」  明日葉はアイスラテを噴き出した。 「はぁ~い、明日葉さん! こんにちは~!」  途端にサングラスと帽子を外して、ご婦人が明日葉たちの席に乱入してきた。 「初めまして、誠一郎の母ですぅ。よろしくねっ!」  母!? 母って、これが例の絶叫系大好きお母さんか!? 明日葉は先月のデート時の亜笠との会話を思い出した。  ご婦人――――亜笠母は呆然とする明日葉の両手を取ってぶんぶんと振った。 「きゃーっ! なんてかわいいのっ、素敵! ドンちゃんそっくり!」 「いやドンちゃんて誰!?」 「母が飼ってる長毛ハムスターです」  ゼロ距離のご婦人にパニックになる明日葉に、亜笠が冷静に言った。 「母さん、明日葉さんが怯えているのでその辺にしてあげて下さい」 「あらやだ、ごめんなさい! かわいくって、つい……最初は放置が基本だものね」 「あの、人をハムスター扱いするのやめてくれません?」  呟く明日葉をよそに、亜笠母はいそいそと自分のテーブルからグラスを持って移動してきた。明日葉と亜笠の間に着席する。 「改めて、亜笠芙美子と言います。よろしくお願いします」 「あ、明日葉護です……よろしくお願いします」  頭を下げる芙美子につられ、明日葉も頭を下げる。目が合うと、芙美子は長いストレートの髪を後ろへ流しながら、にこっと微笑んだ。  芙美子はその髪の色と言い目鼻立ちと言い、亜笠によく似ていた。まるで亜笠をそのまま女性にしたような――――そんな容姿だった。黒いワンピースに白いカーディガン、モノトーンのファッションが、余計にその容貌を引き立てていた。  美女の微笑みに、思わず明日葉の顔が赤くなった。 「あ、お、お母さん……じゃなくて! 亜笠のお母さん――――亜笠にそっくりですね」 「ふふっ、よく言われます」  生き写しでしょ? その言葉に明日葉は首を縦に振った。 「明日葉さんって本当に僕の顔が好きですよね……」  芙美子の笑顔に顔を赤らめる明日葉に、亜笠は眉を寄せながら言った。明日葉の顔が引き攣った。 「誰が誰の顔が好きだって……?」 「明日葉さんが、僕の顔が好きですよね。初対面の時も見とれてたし」  仕事中もよく僕の顔見てるの知ってますよ、と言われて明日葉は半眼になった。 「違う! それはお前の仕事がどこまで進んでるのか確認してるだけ!」  一応、おれ、教育係! 叫ぶと、芙美子がうふふと笑った。 「ラブラブなのね。羨ましいわぁ」 「いや亜笠のお母さん! 話を聞いて!」  と、ツッコんだところで、明日葉はようやく我に返った。 「っていうかおれは何で恋人でもない後輩の両親を紹介されているわけ!?」 「今頃気付いたんですか……」  亜笠に呆れられてしまった。明日葉の言葉に、芙美子は目を丸くした。 「あらぁ、まだ付き合ってないの?」 「はい、これからなんです」 「いやこれからもないです!」  当然のように言う亜笠に、明日葉は叫んだ。  っていうかさっきまで墓前でしんみりしていた空気はどこへ行ったのか。落差が激しすぎて情緒が追いつかない。明日葉は額に汗を浮かべた。  芙美子はアイスティーのストローを回しながら口を開いた。 「ラブラブな二人に割り込んじゃって、ごめんなさいね」  中の氷がカラカラと音を立てて回る。一口飲んでから、芙美子は続けた。 「今日は誠一郎が明日葉さんを連れて誠さんのお墓参りに行くって言うから、どうしても会いたいって私がわがまま言ったのよ」  芙美子の謝罪に、明日葉は首を振った。亜笠が横から小さく「誠さんは僕の父です」と囁いてきた。なるほど、と明日葉は相槌を打った。 「ずっと前から会いたかったの。この子ったら一年以上前からずっとそわそわしてたのよ」 「はあ……」  一年前、そう言えば確か亜笠も一度会っていると言っていたな、と今更ながら思い出す。 「駅の改札でぶつかったのがきっかけなんて、ロマンチックじゃない! 少女漫画みたいだわ」  母の言葉に、アイスラテを飲もうとした亜笠の手が止まった。明日葉は首を傾げた。 「改札?」 「母さん、その話は」  亜笠が珍しく会話を遮ってきた。芙美子が慌てて口を押さえる。 「あら、言っちゃダメだったかしら」 「ダメってことはないんですけど――――まだ、明日葉さんには言ってなかったので」  亜笠の言葉に、明日葉は思い切って口を開いた。 「一年前って……おれたち、どこで会ったの?」  亜笠は手にしていたアイスラテをゆっくりとテーブルに置いた。少しだけ目を伏せ、それから明日葉を見つめ返す。 「――――一年ちょっと前、三鷹の改札口で僕とぶつかったの、覚えてますか」 「え」  言われて、記憶を遡る。  一年前の三鷹。三鷹ということは河和の本社がある駅だ。 「いつ頃?」 「去年の3月頃です」 「あ――――」  3月。決算時期に薬が不足して、急遽本社の在庫から借りることになったことがあった。棚卸時期とあって目が回るほど忙しく、しかも急配してほしいとの要望だったので、自分が本社まで取りに行ったのだ。  その時確か改札を逆走してしまい――――人にぶつかった記憶が、ある。 「あの時ぶつかったの、もしかしてお前だったの……?」  亜笠が頬を少し赤らめて、頷いた。亜笠の照れた表情に、芙美子が穏やかに微笑んだ。 「ごめん、あの時めちゃくちゃ急いでて、全然顔見てなかった」  そう言えばICカード改札に通すの忘れて出る時大変だったんだよなぁ、と明日葉は思わず遠い目になった。 「覚えてはいないだろうなと思ってましたけど、そこまできれいに忘れられてると結構ショックです」  拗ねたように言われ、明日葉は言葉に詰まった。 「悪かったよ……っていうか、なんでおれがこの会社にいるってわかったの? それとも偶然?」 「そんなわけないじゃないですか。明日葉さんが自分で名刺渡してくれたんですよ、何かあったらここに連絡くださいって」  さらりと言う亜笠に、明日葉は頭を抱えた。  あの時のおれ! なんてことをしてくれたんだ! お前のせいでとんでもないやつが一年後入社してきたぞ! 明日葉は過去の自分を叱責した。 「それから一年後にちょうど河和の求人が出て――――迷わず応募しました。でもさすがの僕も、同じ営業所の同じ部署で、明日葉さんが教育係になるとは思ってませんでしたよ」 「っていうか前職MRでしょ? なんで在庫管理なんかに応募したんだよ」 「当初は本社の営業になる予定でした。募集もそれで出てましたし。でも急に青梅営業所の在庫管理部で欠員が出たと言われて、給与面で問題ないならそっちに行って欲しいと、社長から言われたんです」  バカ社長ぉおおおお! お前の采配のせいで! 明日葉は芙美子もいる手前、心の中だけで叫んだ。  ちょうど愛染が退職を申し出たあたりで亜笠の採用が決まったのか、と明日葉は一人納得した。  本社も営業は慢性的に人手不足だったが、青梅営業所の倉庫番――――しかも長年現場を支えてきたベテランである愛染が抜けた穴は、あまりにも大きかった。  新人が優先的に采配されるのも当然だろう。 「運命的ね……」  芙美子が瞳をキラキラさせて言った。 「僕も完全に運命だと思いましたよ。入社した時は舞い上がる思いでした」 「全然顔に出てなかったけどね……」  明日葉は亜笠の言葉に、入社時のことを思い出していた。  あんなに無表情だったのに舞い上がってたのかよ……。あ、だからもしかして童貞だの処女だの言ってたのか!?  明日葉の視線に亜笠が気が付いた。まるで図星と言うように、彼は頬を染めて顔を背ける。 (いやそんな乙女な反応をされても……!)  言ってることはセクハラオヤジと大差ないからな、と心の中だけで思った。 「顔に出ないのは誠さん似ね。この子昔っからそうなの」 「へぇ、そうなんですか」  てっきり母似かと思っていた。人との距離感とか、距離感とか。 「不器用なわたしと違って、器用で大抵のことは何でもできちゃうし。思ったことがあんまり顔に出ないし――――だから、珍しいわ。誠一郎がこんなに顔赤くしてるの」 「やめてください、母さん」 「あらぁ、いいじゃない」  頬杖をついて、芙美子はにっこりと笑った。亜笠は困ったようにため息をついていたが、明日葉にはそれすら微笑ましく見えた。  この鉄面皮にもこんな一面があったとは、意外だった。  仲がいいんだな。そう思って明日葉は少し切なくなった。自分は親とこんな風に会話したことがなかった。  空になったグラスを見て、亜笠が立ち上がった。 「ちょっとお手洗いに行ってきます。母さんは何か飲みますか?」 「あ、じゃあメニューもらってきてちょうだい。せっかくだからみんなでランチしましょうよ」  芙美子の提案に、亜笠が頷いて立ち去った。  芙美子と二人テーブルに残された明日葉は、さて何を話そうか、と頭の中で話題を探した。明日葉が脳内でぐるぐる悩んでいる間に、芙美子が先に口を開いた。 「明日葉さん、今日は来てくれてありがとうね」  まさかサプライズで会わせられたとも言いづらい。いえ、と少し口ごもった。  そんな明日葉の様子も気にせず、芙美子は穏やかに微笑んだ。 「あの子、真面目で真っ直ぐでしょ」 「……はい」 「すぐに行動に移しちゃうところは私そっくり。思い込んだら一直線なのよ」  明日葉は出会ってから今日までの亜笠を振り返った。  たしかに、その通りだ。とにかく行動力が凄まじい。何せ入社3日目で告白、手錠を持参してのデート、一年前から予約していたスイートルーム。一直線というか、重機だった。すべてをなぎ倒してくる感じがそっくりだ。  ブルドーザーみたいですね、と喉まで出かかったが、どう考えても褒め言葉ではないので飲み込んだ。 「でもね、明日葉さん」  テーブルに置いていた明日葉の手を、芙美子が取った。目が合う。  彼女は切実な眼差しをしていた。いつか見た亜笠の瞳によく似ていた。 「あなたが嫌な時は嫌だって突っぱねていいんだからね」  きっぱりと、芙美子が言った。  意外だった。てっきり息子を応援しているとばかり思っていた。 「亜笠のお母さん……」 「芙美子でいいわ」 「……芙美子さん、あの、おれ、亜笠とは……」  何でもないんです、とは、言えなかった。言いよどむ自分に、芙美子は優しく笑いかけた。 「あの子のこと、傷つけないでやってね。優しい子なの」  ――――できることなら、そうしたい。  明日葉は黙って頷くことしか出来なかった。

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