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第三章 第5話

 メニューを持った亜笠が戻ってきたので、そこから3人でランチをした。  芙美子は明るく屈託がなく、人見知りの明日葉も初対面にも関わらず楽しく会話することができた。  食後のお茶を終えてから、芙美子は席を立った。 「ごめんなさいね、明日葉さん。ドンちゃんが今日定期健診なの」  一度家に帰ってドンちゃんを病院へ連れて行くらしい。明日葉は両手を振った。 「いいえ、気を付けて行ってきてください」  明日葉の言葉に芙美子が微笑んだ。 「ありがとう」  絶対またお茶しましょうね、と言って、芙美子はその場を後にした。  ドンちゃん、写真を見せてもらったが爆毛ハムスターだった。つぶらな瞳がかわいかった。今度機会があれば触らせてほしいとまで思った。亜笠が喜んで実家に案内しそうなので、言わなかったけど。  カフェの前で芙美子を見送る。その背が見えなくなったところで、明日葉は息を吐いた。 「はー……びっくりした。いきなり会わせるから心臓に悪いって」 「事前に言ったら逃げるじゃないですか」  亜笠がしれっと言った。いやたしかにそれはそうなんだけども。 「……とにかく、おれもう帰るよ。疲れた」  ぐったりする明日葉の手を、亜笠がとった。 「え、何」 「あとちょっとだけ、付き合ってください」  あとちょっとだけ、のニュアンスに明日葉は買い物か何かか?と首を傾げた。 「どこ行くの?」 「行けばわかります」  亜笠が手を引っ張ってスタスタと歩き始めたので、明日葉はその手を振り払った。仕方なく後に続く。  亜笠がちょっと恨みがましい目で見てきたのは、無視した。  空には暗い、厚い雲が流れていた。  てっきり百貨店にでも連れ込まれるのかと思っていた明日葉の予想は、大きく外れた。明日葉は塀に囲まれた邸宅の前に、亜笠と2人で立っていた。  明日葉は青くなった。電車を乗り継ぎ田園調布で降りた時点で気が付くべきだった。  広い庭付きの邸宅――――しかも、めちゃくちゃでかい門が、目の前にあった。高い塀が広い庭を覆い隠すように囲んでいて、ここからは邸宅そのものが全く見えない。明日葉の背に嫌な汗が流れた。  亜笠が門の横にあるインターフォンを押しながら、淡々と言った。 「母方の祖父母宅です」 「あああああ!」  明日葉は思わず亜笠の胸倉を掴んだ。 「ねぇ! だから! 言って! 事前に!」 「事前に言ったら逃げるじゃないですか」  ガクガクと揺さぶられながら、亜笠が冷静に言った。いや、本当にその通りなんだけども。っていうかおれも同じ手に3回も引っかかるなよ……。明日葉は自分で自分に呆れた。  亜笠がインターフォン越しにいくつか言葉を交わすと、門が自動的に開き始めた。 (自動……!? 金持ちの家じゃん……!)  当たり前のことに明日葉は無駄に戦慄した。  まず入ってすぐに、明日葉は思った。  玄関までが、遠い。門を入ってから建物までの距離が長い。庭というより、公園だった。青々とした木々が広がっており、松だの石だの灯籠だのが当たり前のように並んでいた。どこを見ても庭師がいます、という雰囲気しかしない。 (いや、これ、家……だよな……!?)  旅館とかに連れ込まれているわけではないよな? と明日葉は辺りをキョロキョロと見回した。  生垣を曲がるとようやく邸宅が現れた。和風建築らしい、落ち着いた品のある佇まいだった。亜笠が当然のように玄関を開けると、目の前には水墨画が描かれた屏風が置かれていた。 (…………本当に金持ちの家って、こんな感じなんだ)  明日葉の目が細くなった。ドラマや漫画で見た通り過ぎて、却って想像通りだった。 「お邪魔します」  明日葉が邸宅に言葉を失っている間に、亜笠が廊下の奥へ声をかけた。 「あらあら、いらっしゃい」  廊下の奥から現れた女性に、明日葉は思わず背筋を伸ばした。  白髪をきれいに結い上げたその人は、深い紺色のワンピースに淡いグレーのカーディガンを羽織っていた。装いはごくシンプルなのに、立ち姿ひとつで育ちの良さが伝わってくる。  柔らかく微笑む顔立ちは、芙美子によく似ていた。芙美子がそのまま年齢を重ねたら、きっとこんな女性になるのだろう。 (なるほど、母方の祖父母ってことは――――芙美子さんの実家でもあるのか)  明日葉がそんなことを考えていると、亜笠が現れた女性に頭を下げた。明日葉も慌てて後に続く。 「志津加さん、ご無沙汰してます。元気そうで何よりです」 「誠一郎も、今日は来てくれてありがとう。元気そうで良かったわ」 「こちら、明日葉護さんです。僕の恋人です」  さらりと言う亜笠にギョッとするが、祖母と呼ばれた女性は別段気にすることもなく、にこやかに言った。 「初めまして、亜笠の祖母の芦屋志津加です。今日は遠いところわざわざ来てくれて、ありがとうね」 「あっ、こちらこそ、初めまして――――明日葉です。亜笠……さんには、いつもお世話になってます。同僚として」  忘れずに付け加えると、亜笠が横で舌打ちをした。お前、こんな上品な祖母の前で何て態度を取るんだ。 「どうぞ、上がっていってください」  亜笠の祖母、志津加がそう言うのと同時に、廊下の奥からドドドドドッとお金持ちの邸宅に似合わない足音が聞こえてきた。 「誠一郎ぉ――――っ!」  紋付き袴を着た老人が、廊下の角から飛び出してきた。綺麗に磨かれた木目の廊下に擦れて、白い足袋キュキュッと鳴った。 「よく来た、誠一郎! 久しぶりだな!」 「薫さん、ご無沙汰してます。元気いっぱいで何よりです」  息を切らせて現れた初老の男性を前にして、亜笠が冷静に言った。 「明日葉さん、こちらが祖父の芦屋薫さんです」 「あ、亜笠のお祖父さん、こんにちは。明日葉――――」  です、という挨拶を、亜笠祖父が遮った。 「お前かぁ!」 「えっ」  いきなり指を差されて明日葉はビクッとした。 「お前が誠一郎を誑かした悪魔か!」 「…………はい?」  亜笠祖父の一喝に、明日葉の作り笑いが凍った。

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