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②友達
ダンノ メグミ。
彼と初めて会ったのは、高校1年生の入学式だった。
体育館で新入生の名前が順に呼ばれていった。担任教師がマイクを通して自分の名を呼ぶ。谷越望。そして、次が、団野恵、だった。
式の最中に背後を振り返るのは憚られた。しかし、心にそっと筆で色を塗られるように、ひとすじ、残るものがあった。自分がノゾミで、後ろのヤツはメグミ。あれはちょっとした同族意識のようなものだ、と今のニコは思う。中性的で、どちらかと言えば異性が使うことの方が多い名前。自分の後ろにいるメグミとやらも、これまでの人生で何度か、名前に纏わる小さな面倒を経験してきたかもしれない。そんな気持ちがあったからか、教室に移動した後、ニコが後ろの席を振り向いてダンノ メグミに話しかけるのに、時間はかからなかった。そして、彼にも同族意識があったかは定かでないが、お互いをニックネームで呼ぶようになった。ダン、ニコ、と。
「あれ。谷越くんだ」
ふいに名前を呼ばれて、ニコは我に返る。声のした方を向くと、小柄でノンフレームの眼鏡をかけた同年代の男が、アイスコーヒーの乗ったトレイを持って立っていた。
「……おぉ。直江じゃん」
思わず大きめの声が出る。直江湊。高校の同級生だ。1年生、2年生と同じクラスだった。正に、その頃の追憶にぼんやりと耽っていたことを思い、不思議な気持ちになる。
「……なんか、前より大きくない?」
「逞しくなったって言えよ」
「ヒトの筋肉ってそんなに育つんだね」
華奢な直江の言葉にニコは笑い、カウンターテーブルに置いていた自分のトレイを少し避ける。直江は微笑んでトレイを置き、ニコの隣のスツールに座った。
「谷越くん、学校この辺なの?」
「いや。今日はバイト」
「へえ。何やってるの」
「塾だよ」
「え?」
直江が瞬きを数度繰り返すのが分かった。
「なんだよ」
「講師ってこと?」
「なんか文句あんのかよ」
「文句はないよ。意外だなと思っただけで」
直江のこういう率直なところが好きだった。理系脳なのはニコと同じだが、見た目は正反対、喋り方もだいぶ違う。客観的に見れば直江の方がきちんとしている印象なのは、ニコも分かっていた。そんな彼は、いつでも遠慮のない球を自分に向けて放ってくる。その無遠慮さを、ニコは面白いと思っていた。
「週に1回だけだけどな」
「ボクは週2」
「あ? お前も講師やってんのかよ」
「忙しくても効率よく働けて丁度いいでしょ」
「それはそう」
ニコの大学生活は忙しい。朝早くからキャンパスに向かい、授業を受け、夕方近くからバスケチームの練習に参加する。練習場所は日によって異なる。キャンパス内の体育館の日はラッキーだが、電車で時間をかけて移動することも多くあった。だから、バイトはしたいが、週に何度も出勤を求められるような仕事は条件が合わず、週に1度でも歓迎だという塾の講師に落ち着いた。
「理数系ってちょっと時給いいからホント助かるよね。谷越くん、何教えてるの」
「俺、数学」
ふふふ、と直江が笑う。
「谷越くんってどういう教え方するんだろ。授業見てみたい。個別? まさか、授業形式……じゃないよね?」
「じゃないよね、ってどういう意味だよ」
「えー、谷越くんがホワイトボードの前に立ってるの想像できないよ」
想像できないと言いながら想像しているのだろう。直江はひとりで可笑しそうに笑っている。
「個別だよ。お前こそグループじゃねえだろ」
「どうしてそう思うの」
「お前は個別で生徒をひとりずつ確実に刺してくタイプ」
「よく分かるね」
否定しない直江にニコも笑う。穏やかな話し方にも関わらず、直江の言葉には時折棘と毒が混ざる。余計に面白いところだ。その調子で生徒の弱点を容赦なく突いている様子が目に浮かぶ。
「直江の場合、大学ボーナスも付くんじゃねえの」
「うん。それもホント助かる」
誰もが知る有名大学に直江が合格したのは、ニコも知っていた。高校時代、首席を張るくらい勉強ができることは分かっていたが、まさかそこまで、と驚いたのを覚えている。有名大ボーナスと、理系ボーナス。直江は自分よりも稼いでいるらしい。
「お前、高校ン時の友達と会ってんの」
「いやぁ、会うのはなかなか。勉強忙しいしさぁ。時々連絡するくらい」
「まぁ、そうだよな。みんなやってることバラバラだし。近所にいるわけでもねえし」
「よく偶然会えたよね」
ニコは直江を見る。小さな口許にストローを咥え、アイスコーヒーを飲んでいる。
「お前もこの後塾なの?」
「そうだよ」
「この辺?」
「そう」
「競合相手かよ。けど……曜日決まってんなら、また会うかもな」
「そうだね」
卒業の時から、直江の印象はそう変わらない。190センチに手が届きそうな自分に比べるとだいぶ小柄で線も細い。色が白くて顔立ちも雄々しい感じではなかった。頭脳明晰なのは本当だが、眼鏡をかけているからといって変にインテリ臭いのとも違う。おそらく、可愛い、と呼ばれる部類の男なのだと思う。
「谷越くんは誰かと会ってる?」
「あぁ……」
先ほどまでの追憶がまた頭をもたげる。それを隠したりごまかしたりする必要もないので、ニコは正直に話した。
「この前、ダンと会った」
「……え」
「……なに」
「あ、いや」
直江はグラスのアイスコーヒーを一度ストローでくるりと掻き混ぜた。小さく溶けた氷が底に沈む。
「仲良かったのは知ってるけど。でも、途中から……あんまり喋ってなかったでしょ」
「……あぁ」
「だから、まだ続いてたんだなぁって思って」
周りからはそう見えていたのかと思い、そして、それもそうかと納得する。
高校に入学して、同じクラスになって、出席簿順で前後の席になったダンとはすぐに仲良くなった。1年生の頃はずっと一緒にいた。それを直江は知っている。2年生になって、ダンは違うクラスになり、物理的に距離が離れた。が、離れたのは距離だけではなかった。
「続いてるっつうか……、俺は切れた覚えねえから」
ダンに避けられている。初めてそんな気がしたのは2年生に進級して割とすぐのことだ。廊下ですれ違う時に目を逸らされる。声を掛けても殆ど無視される。挙句、ニコが近づいただけでダンはその場から逃げるようになった。わけが分からなかった。理由を問い質そうにも、ダンに話を聞いてくれる気がないため会話すら成立しなかった。そして、そのわけは今も分からない。
ニコは、直江よりも大きなグラスからアイスティーをひと口飲む。
「嫌いなんだよな、自然消滅とか」
ぽつりと口からこぼれた。
「縁切りてぇなら相手に説明するべきだと思わねえ?」
「んー。相手との関係にもよるよね。谷越くんはさ、それまで団野くんとめっちゃ仲良かったのに、それが急に変わっちゃったから、説明しろって思ったんだよね」
「だな」
「団野くんから説明がないから、切れたと思えなかったってことだね」
往生際が悪いのだろうか、と考えたこともある。ダンの態度を見ていれば、意図的に遠ざけられていることは明らかで、それをおとなしく受け取って、自分も諦めればいいのだろうかと思わないでもなかった。だが、それは嫌だったのだ。直江の言う通り、『めっちゃ仲が良かった』から。黙って離れていくのは不誠実だ。ニコはそう思い続けてきた。
「でも、また会えてるんでしょ」
「あぁ、まぁ……押しかけてみたっつうか」
「……未練を断ち切れない元カレみたいだね」
「バカなこと言ってんじゃねえよ、お前」
肘で直江の腕を小突く。痛いよぉ、と情けない声が上がった。小突かれた腕を押さえて、直江は言う。
「だって、さっきからそれっぽいこと言ってるじゃん。自然消滅とか、続いてるだの切れてないだの」
「……お前、大学行って色気づいてんのかよ。頭がソッチ方面に働くっつうのはよ」
「どうなんだろ。女の子が新鮮なのは確かにそうだけどね。仲良くなった子もいるし」
「直江ってオンナに警戒されなそうだもんな」
「良いこととして受け取っていいのか、判断に迷うね、それ」
自分たちは男子校出身だ。これまでの日常生活に異性の存在は希薄だった。
「谷越くんこそどうなの。念願のハーレム生活が始まったんじゃないの」
「それほどでもねえよ。あんま女子の多い学科でもねえし。サークルとか入りゃ別かもだけど、俺はバスケだし」
「結局オトコに囲まれてるんだ」
「塾の講師仲間には可愛い女子大生もいるけどな」
「それはいいけど……ダメだよ、生徒の女子高生に手ェ出したりしちゃ」
「そういうめんどくせぇことはしねえよ」
可愛い女子高生も確かに見かけるが、生徒と恋愛などしたら後が厄介だとニコは思っている。塾にも同僚にも、相手の家族にも何らかの迷惑がかかる予感しかしない。そういう面倒が心底嫌だった。特別道徳心が強いタイプだという自覚はないが、余計な手間や心労に割く時間がもったいないのだ。合理的でない。
「正直、今は自分からオンナ漁ってる余裕ねえよ」
「そうなんだ。いつも余裕そうなのに」
「大学のバスケはそうもいかねえんだって。下から上に上がってかなきゃいけねえからさ」
「それでそんなに筋肉つけてるんだ」
「そういうこと」
「バスケが恋人ってやつだね」
「だからお前、その浮ついた発言やめろよ」
ふたりで小さく笑う。
だが、あながち間違ってもいない気がした。大学にはバスケのスポーツ推薦で入学した。高校時代はエースとして活躍していたニコだったが、大学でいきなり同じ立ち位置からスタートできるわけもなく、フィジカルも技術も磨き直さなければならなかった。おまけに、高校ではセンターだったポジションを、大学ではパワーフォワードへと転向した。これは大学チームの監督からの勧めだった。センターは高身長の選手が務めることが多く、高校では申し分のない活躍ができていた。が、大学に入ると自分の身長が特別大きくはないことをニコは実感する。既に部のスタメンであるセンターの先輩は、ニコよりも10センチ以上背が高かった。人を見上げることの少ないニコにとって、これは驚きの経験だった。だから、パワーフォワードへの転向の勧めは、自分がより活きるポジションの提案なのだとニコは前向きに受け取っている。当たり負けしない、体を支える筋肉をつけ、練習では慣れない動きの習得に必死に取り組んでいた。思いだけではだめだ。それを本当に自分のものにして、ゲームで示すことができなければ、コートに立つ権利は与えられない。バスケに一途に、真剣に心と体を傾けるそれは、確かに恋と呼んでも言い過ぎではないのかもと、ニコは密かに思う。
「じゃあ直江は勉強が恋人かよ。随分長ぇ付き合いだな」
「それは谷越くんもじゃん。いいんだよ。お互い、自分に合う相手が見つかってるんだから。ボクはスポーツ自体向いてないし、谷越くんだってレポートや研究だけに追われる生活は向いてないでしょ」
直江の言うことは尤もだが、それでも、高校時代は大学受験のために多くの時間を費やし、入学してからも尚その手を緩めていないらしい直江の様子にニコは感心する。大学では興味のある分野の学科を選んだから、それほど苦痛は感じないものの、バスケで体を動かし、塾で人と関わって発散している部分も大きい。直江の生き方は真似できないとつくづく思う。
「団野くんは、陸上やめちゃったんだっけ」
「あぁ。アイツは仕事してっから。……でも、バイク。好きっぽい」
「うん。乗ってそう」
だよな、とニコは笑って頷いた。
「まだあんまり詳しく聞けてねえけど。……アイツが好きだっつうんだから、多分、かなり本気で好きだぜ」
「へえ」
「好きなモンに一点集中型だからな、アイツ」
「へえ」
陸上部もそうだった。ダンは走ることが好きで、速く走るための努力を惜しんでいなかった。スプリンターとして、多くの大会で結果を残していた。家業である自転車屋に就職すると決めていたダンは、三年生の引退までを期限に、全力を尽くしていたと思う。
「また会うの?」
「そのつもり」
「しつこい元カレだって嫌われないようにね」
「うるせえよ、お前」
トレイに置いていたスマホを見る。そろそろ時間だ。スツールから下り、足元に置いていたリュックを持ち上げる。
「先行くわ」
「うん。またね」
「あんまり高校生に意地悪言って泣かすなよ」
「谷越くんもパワハラやセクハラで訴えられないように気を付けなよ」
「はぁ? 意味わかんねえよ」
またな、と言い、背後を通り過ぎざま、直江の背中を引っぱたいた。
「もうッ……そういうとこだよ?!」
振り向かずに手だけを振る。
ただの挨拶だ。文句を言われる筋合いはない。
続く
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