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③違和感

 バイク屋の建物の脇。壁際のちょうど日陰になっているところで、アユミさんは1台のバイクを拭き上げている。咥えている煙草から紫煙が漂い、宙へと散っていく。  盆休みが始まり、バスケの練習も数日間休みとなったニコは、再びアユミさんの店へとやって来た。自転車屋もバイク屋もシャッターが閉まっている。ここも休暇中なのだろう。しかし、アユミさんは表にいて、今日も暑い中バイクに触っていた。作業着ではなく、Tシャツとハーフカーゴパンツという格好だ。 「もしかして、これ、アユミさんの?」  私服で商品の手入れをしているのは不自然な気がして、ニコはそう尋ねた。アユミさんは、ああ、と頷き、煙草を指先に移して答えた。 「俺の一張羅だな」  先日見た特撮バイクとは趣が違う。アユミさんはあれを現代工業製品と言っていたが、これは昔ながらの『バイクっぽいバイク』だとニコは感じた。特撮バイクからはシャープな印象を受けたけれど、アユミさんの一張羅にはそれがない。タンクは丸みを帯びているし、ライトもメーターもまん丸で、柔らかな感じだ。それでも機械感がしっかりあるのは、エンジン回りの構造がよく見えているせいかもしれない。それに、金属のピカピカ光っている感じも一役買っていそうだ。 「重いの好きって言ってましたよね。これ、重いンすか」 「ああ、重い」 「けど、安定する」 「そう。真っすぐ走るからな、コイツは」  建物の壁に背を凭れて、ニコは暫くアユミさんの拭き上げを眺めていた。  今夏も気温は容赦なく高く、駅からここまで10分歩いただけで汗みずくだ。タオルと飲み物は手放せない。ボディバッグに入れてきたミネラルウォーターを取り出し、喉に流し込む。  アユミさんは傍らに置いていた缶の灰皿に煙草を放り込み、しゃがんだままの姿勢でニコを見上げた。 「お前、なんか疲れてる?」 「……え」 「何となくだけど」  壁から背を離して、いや、とニコは口籠る。 「……え。俺、疲れた顔してます?」 「顔はいつも通りハンサムだけどさ」 「あざす」  アユミさんは腰を上げ、ニコの隣に立った。端の方に避難させていたらしい缶コーヒーを拾って、飲む。日陰に置いていたとは言え、おそらく温くなっているに違いない。ニコももうひと口、水を飲んだ。駅前のコンビニで買った時は冷たかったはずなのに、もうさほど冷えていない。 「疲れてるっつうか……、まあ、疲れてんのかなぁ」 「なんでだよ。夏休みだろ」 「バスケの方で、ちょっと」 「キツイのか」 「体がキツイのは別にいいンすけど。人間関係がちょっと」 「あぁー」  ビール飲みてえな、とアユミさんは呟く。未成年の身では賛同もできなくて、ニコは黙って笑って見せた。  アユミさんは言った。 「どこにいたっているよな。合わねえヤツとかさ」 「合わない……のかどうかもよく分かんなくて。先輩からの当たりが強いンすよね、なんか」 「そりゃお前、僻まれてんじゃないの」 「いやいや」  ニコは真面目に首を横に振った。 「僻まれる要素ないっすよ、俺。チームの中じゃ、ただのヘタクソだし。ヘタクソで憐れまれんのもムカつくけど、僻む理由はないじゃん」 「ヘタクソなのか」 「……や。ヘタクソで終わるつもりはねえけど」  横移動。外からのシュート。戦術の理解。課題は山積みだ。だが、それにへこたれる気はない。 「んじゃ、やっぱ顔じゃねえの」 「顔?」 「先輩の気持ちになって考えてみろよ。1年坊主にノゾミみたいなハンサムくんが入ってきてさ、どうせ女子マネージャーとも仲良くやってんだろ? そりゃ面白くねえって」 「……顔でバスケはできねえんですけど」  アユミさんは明るく笑う。  自分に向く言葉が少しきついぐらいなら気にはしなかった。親身になってくれなくてもいい。面倒臭そうな顔をされても構いはしない。ただ、ミニゲームでパスが回ってこない不自然さは見過ごせなかった。相手にされないのは堪える。 「ま、嫌なヤツとは関わんないのがいちばんいいけどな」  アユミさんののんびりとした言葉に、ニコは首を傾げ、 「けど、関わんないのも癪だから、関わりますけどね」 「へえ。鋼のハートだな」 「その先輩たちはうまいンすよ、実際。そこどうやってんだよ、とか聞きたいこと結構あるから。俺、別になんもしてねえし、こっちから遠慮する必要ないと思うんで」 「うん。……そんでも、嫌な気持ちにはなるわな」 「そっすね」  ビール飲むか、とアユミさんが言う。飲まないっす、とニコは答えた。気持ちは有難い。差し出された煙草も丁重に断った。  汗は立っているだけでも滲んでくるが、流れ落ちるほどではなくなった。ニコはボディバッグからスマホを取り出し、時刻を見る。ちょうどいい頃合いだった。ダンにメッセージを送る。それから、アユミさんの一張羅をもう一度見た。 「これは何かあるンすか。他のと違う特徴とか」  来たな、という顔でアユミさんはニコを見た。 「いちばんは空冷ってとこだろうな。フィンって分かるか。そこのさ、金属の板が何枚も重なってるみたいなとこ」 「ああ、アレなんだろうって思ってました」 「走ってるとエンジンが熱くなるだろ。それを冷やすのに、コイツは空気を使うわけ。フィンは放熱板なんだよ」 「へえ。……なるほどね、重ねて凹凸つけた方が空気との接触面積増えるからか」 「そういうこと」  背後から階段を下りてくる足音が小さく聞こえてくる。 「今のバイクは大体水冷なんだよ。ラジエーターがついてて、見た目もこう、スッキリしてるっつうかさ。そっちのが燃費はいいんだけどな」 「燃費で選んでないってことっすね」 「そうね。空冷の音ってさ、ちょっと違うんだよな。機械が熱持ってきた時の感覚っつうか」 「へえ、なんか、乗ってると一体感ありそう」 「そう。相棒って感じするんだよ。こいつは速さにこだわってない分、落ち着いて一緒に走れるんだよな」  肩越しに振り向くと、少し離れたところにダンが立っていた。その微妙な距離にニコは笑い、 「おう」  そう声をかけると、ダンは僅かに頷いて応えた。  アユミさんもダンを見て言う。 「メグミ。中、入れといたぞ」 「……え」 「外じゃ暑ちぃだろ」 「……中?」 「シャッター開くから」  そして、アユミさんはニコの腰を軽く叩き、 「コイツの未来の相棒も見てやってよ。悪くねえから」  一張羅のバイクをその場に残し、灰皿と缶コーヒーを手に、アユミさんは階段に向かって歩いていった。  ニコは、ダンを見た。ダンは瞬きを数度繰り返し、おそるおそるニコの顔へと視線を上げた。 「……見んの?」 「見る」  小さな溜息と共にダンは頷いて、歩き始めた。建物の表に回る。ニコは後ろをついていく。ダンはエントランスに下ろされていたシャッターの前に立ち、その取っ手に指先を掛けて、押し上げた。ガラスの自動ドアの向こうの店内は暗い。施錠されていないドアを手で開いて、ダンは中に入っていった。ニコも黙って続く。冷房をかけておいてくれたのだろう、涼しい空気にほっとする。  入口のほど近い場所に停めてある黒いボディのバイクの前に、ダンは立った。ニコはダンの隣から、それを見た。灯りはなくても、入口から差し込む陽光のお陰で、フォルムも細部も意外とよく分かる。 「これ、乗ンの?」 「……今、金貯めてるとこ」 「免許は」 「取った」  なんだかワクワクする。大型バイク。全身黒。シートだけが茶色だ。特撮バイクほど尖っていない。アユミさんの一張羅に似た雰囲気があるが、新しさも感じる。何よりひと目見て思ったのは、ダンが乗っていそうなバイクだ、ということだった。 「いいじゃん」 「……うん」 「ダンが走ってるとこ見てえわ」 「…………」 「これ、どこが気に入ってんの」  聞くと、ダンはそのままバイクを見つめ、曖昧に首を捻った。 「……どこが、って言われると……」  アユミさんのように、構造的な特徴を挙げるのを想像していたニコは、ちょっと拍子抜けする。 「見た目は」 「……いいと思う」 「けど、見た目だけじゃねえってこと?」  ダンは少し考え、 「これ……そんな攻めてる見た目じゃないけど、まあまあ速ぇの」 「へえ」 「あんま、派手なの乗る気なくて。で、これは、なんつうか、落ち着いてるじゃん」  ニコは黙って肯いた。 「派手じゃなくても性能高いのが、まあ、いいとこかな。音も、そんなデカくないらしくて」  分かるのは、ダンは自己主張のためにバイクに乗ろうとしているわけではない、ということだった。ダン自身、どこか人目を惹く雰囲気がある。でも、それは纏う雰囲気の濃さであって、本人が派手な振る舞いをしているのとは違っていた。静かに言った一言が、周囲の人間に波紋を広げていくような、不思議な影響力がダンにはあった。派手ではないのに性能が高い、というこのバイクがダンに似合うのは当然のことのように思えてくる。自分の性質に近いものをダンが選んだ。ニコはそう思った。 「あれだな。フィーリングってやつか」 「……かもな」 「あれだろ。どうせ他のと迷ったりしてねえんだろ」 「……なんで」 「お前、そういうヤツじゃん」  視線が重なる。が、スイと斜め下にダンの目は逃げていった。ついでに顔も俯いてしまう。返事はないが、構わない。ダンがあれこれ目移りしない性格なのはとうに知っている。それに、自分がこれと決めたバイクについて語るダンの言葉には、淀みがなかった。それだけで充分だった。 「あぁ……速いんだったら、それこそダンっぽいよな。陸部で走ってた感じ思い出すわ」 「…………」  黙っているダンの腕に肘をぶつける。ダンが一歩外に離れていく。それを追うように空いた距離を詰め、ニコはダンの肩に触れて尋ねた。 「なぁ、あれタンデムシートだろ。あの後ろってあんな……」 「……なんだよッ」 「え」 「…………」  肩の手を振り払われた。何を厭われたのか、ニコには分からない。  お前近けぇよ、と他人に文句を言われたことは何度かある。何度も、かもしれない。思い当たるのはそれくらいだが、ダンの気に障ったとは解釈しづらかった。かつては、こういう距離感で毎日接していたから。  ダンの表情を窺う。しかし、ダンは顔も体もニコから背けていて、ただ、その首元が今日も熱を帯びているように見えただけだった。  遠ざけられた理由を、ずっと知りたいと思っていた。知ることができないまま、自分たちは高校を卒業してしまった。だが、この前急にダンを訪ねる気になったのは、それを問い質したいという思いからではなかった。大学に通い、バスケに熱を注ぎ、時々バイトをする新しい生活の中で、ふとダンのことを思い出したのがきっかけだ。顔を見たい。自然にそういう気持ちが湧いてきた。だから、会いに来た。それだけだった。  震える微かな呼気が、静かな空間のせいでやけにはっきり聞こえる。  このままダンが逃げ去ってしまう前に、言っておかなければならないことがある。 「俺さ、車の免許取ったから」 「…………」 「今度、車で来るわ。どっか行こうぜ」 「…………」  嫌だ、とダンは言わない。言わないのならそれでいい。  一度、確かめたことがある。去年のダンの誕生日。あの頃もダンにはひどく拒絶され続けていたが、ニコはあの日、ここに来た。押しかけ、やや強引にダンの部屋に上がり、会話を試みた。ダンは何も応えてくれなかった。ただ強い緊張感だけがそこにあって、しかし、ニコは喋ることをやめられなかった。自分に非があるのなら言え、と何度も迫った。イエスかノーの答えだけでも構わなかった。それでも、ダンは黙っていた。だから、いちばん聞きたくないことを聞くしかなかった。俺のことが嫌いなのだろう、と。ところが、その時、ダンは言った。 違う、と。  今も違うならそれでよかった。寧ろ、それがあるからニコはまたここに来られた。 「ダン」  静寂に耳を澄ます。どんな小さな音でも聞き逃したくはない。  だが、静寂は静寂だった。 「……また来るわ」   続く

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