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⑧ブレイク

「この前久々に塾行ったらさ、生徒に、センセーまだいたんですね、とか言われて。勝手にヒトをクビにすんなよな」  ニコの前の席で、直江がケラケラと笑う。 「忘れられてないだけいいじゃん。初めまして、って言われたら傷つくでしょ」 「2ヵ月かそこらでヒトの顔忘れるヤツに勉強教える自信ねえぞ、俺」  夏に再会したのと同じカフェだった。今日もお互いバイトの前に、偶然同じタイミングで店を訪れた。2人掛けの席に先に座っていた直江を見つけて、ニコは声を掛けるのと同時に空いている椅子を引いていた。待ち合わせしてたみたいに座るね、と言いながらも、直江はニコのトレイの分のスペースをテーブルの上に作ってくれた。 「まあ、谷越くんはインパクトあるし、忘れられちゃうことはないよね」 「お前が言うと誉め言葉に聞こえねえ」 「え、ボク、褒めてるって言った?」 「お前このクソ野郎」 「そんな汚い言葉遣ったらホントにクビになるよ」  うるせえなぁ、と言いながらも、つい笑ってしまう。大きいサイズのカフェラテを飲む。直江の前にはホットコーヒーが置かれているが、彼はいつでもレギュラーサイズだ。 「谷越くんがどういう先生やってるのか分かんないけど、でも、きっとそのままでしょ」 「俺はコレしかいねえからな」 「想像だけど、好きか嫌いかはともかく、印象に残る先生ではあると思うよ。どこにいても目立ちそうだしね、谷越くんって」 「まあ、華があるからな」 「……それは冗談なの。真面目に言ってる?」 「どういう意味だよオマエ」 「ただのツッコミ待ちなのか、事実を言ってるだけなのか、それによってこっちのリアクションも変わるって話」  何を言っているのかよく分からなかった。冗談に決まっている。  自分が目立ちやすいということは何となく知っている。それが都合の良い時もあれば、悪い時もある。目立ちたい時に目立たなければ意味がないし、日頃から注目を浴びていたいわけでもない。それに、目立つかどうかは自分の意思とはあまり関係がないようにも思う。 「ウチの塾にもいるよ。明るくて体育会系のみんなのお兄ちゃんみたいな先生。多分、あの人をもう少し粗雑にした感じが谷越先生だと思うんだよね」 「……お前さぁ」 「先生っぽい感じは薄いけど、生徒からは懐かれてるんじゃない? 真面目な先生みたいな堅苦しさがなくて、話しやすそうだもん。それ、結構得してると思うよ」 「それは褒めてるよな」 「多分ね」  言い方はいちいち気に障るが、得をしてる、と言うならそれでいいことにする。今でもニコは、特に「先生」の仮面を着けることなく、素の自分で生徒たちと接している。今のところ、スケジュールの都合以外で、生徒から担当を変えてくれと言われたことはない。塾側がニコをつけるのは何故か男子生徒ばかりだが、それに不満があるわけでもない。生徒たちとはまあまあうまくやっていると思っている。  ニコは、ふと思い出して言った。 「俺さ、塾で講師してるって言ったら、嘘だと思われたんだよな、ダンに」  声を出さずに笑っている直江を軽くにらむ。 「え、俺ってそんな違和感あんの、塾講師」 「逆に自分は講師に向いてるって思ってるの?」 「向いてるから選んだんじゃねえよ、週1でも是非って言ってくれるバイト他にねえだろ」  向いてないのだろうか、とニコはそこで初めて疑問を持つ。が。 「て言うか、団野くんとドライブ行ったの?」 「え。……ああ。行った。よく覚えてんな」 「どうだった」 「んー、まあ……楽しかったかも。割と」  ふうん、と直江は頷き、少しの後に、 「じゃあ、楽しかったんだね」 「そう言ってんだろ」 「団野くんも、ってことだよ」 「……なんで」  無意識に、僅かに上半身が前に出る。直江は微笑んで言う。 「谷越くんってさ、その場にいるみんなが楽しくないと納得しないタイプの人じゃん。だから、ドライブで団野くんも楽しんでたから、楽しかったっていう総評になるんだろうなって思ったの」 「……そんなの当たり前じゃね?」 「そうでもないよ。ボクは自分が楽しければそれでいいから」  まあ、とニコは心の内に思う。あの日、ダンのいい笑顔を見られたことは事実だ。ダンの気持ちが上向きだったその瞬間をニコは確かに見た。 「やっぱり、団野くんは変だった?」  いつかの電車での会話を、直江はちゃんと記憶しているらしい。ニコの意識は少し内側を向く。 「あぁ……変って言うか、少し、分かったっつうか……」 「なにが。変な理由が?」 「……まあ」 「片思いだった?」  刹那、胸が詰まる。直江を見た。深刻ではないが、揶揄うでもない表情がそこにある。つい、視線を逸らしてしまう。 「……聞かない方がいいやつだった?」 「……いや、答え方がムズいだけ」  他人に話す必要は感じていない。けれど、直江にダンのことを話したのは自分だ。今さらお前に関係ないとは言えない。 「……言質が取れた、とかじゃねえよ」 「うん」 「俺が、そうだなって、思っただけ」 「そっか。よかったね」 「は?」  もう一度直江の顔を見る。表情の質は同じだった。 「何がよかったんだよ」 「だって、この前までは団野くんの反応すべてが意味わからん、だったわけでしょ。全部が紐解けたわけじゃなくても、恋愛感情由来だったって前提が分かったんだから、相当な前進じゃないの?」 「それは……そう」 「ね。よかったじゃん」  自分たちが得意な数学や理科のように扱えるなら、確かに事態は簡単になってよかっただろうと思う。でも、実際はそんなにシンプルでもない。かと言って、直江の言うことをまるっきり否定したいわけでもなかった。よかったのも本当だと思う。嫌われているのではない、と分かったことは確実によかった。 「……つうか、普通に受け止めんのな、お前」 「普通って?」 「……や、別に」 「高校の時にも何人かいたからね」 「……え」 「周りにいたよ。つき合ってる人たち」  衝撃だった。自分たちは男子校出身だ。共学で男女のカップルが周りにいた、というのとは少々毛色が違う。こればかりは直江の言うことを俄かには信じられなかった。 「……マジでか」 「マジで」 「え、それって俺の知ってるヤツも……」 「他人のことはどうでもいいから、自分のこと考えなよ」  そうだ。他人のことはどうでもいい。ニコは小さく吐息を漏らす。 「谷越くんは普通に受け止めてないってことなの?」 「いや、自分でも思ったより普通、だと思う」 「でも、同性に興味ないよね」 「男には興味ねえよ」  でも。 「団野くんには興味あるってこと?」 「興味あるっつうか……」  どういう言い方をしていいか、ニコは分からずにいる。  ダンの気持ちがおそらく解った。仮定が確定へと変わった、と言っていいと思う。近すぎる距離に緊張したり、触れると逃げたりするのはそれゆえだと、ひとつ筋道を通すことができた。去年の文化祭の『全部お前のせいだバカヤロウ』についても、あの場でダンが感情を暴発させたのは、ニコへの気持ちがあるからだと、そう回答することは出来そうだった。全部、とは一体どこまで全部なのか、どういう過程を経て暴発に至ったのか、途中式は何となく曖昧なままだが。しかし、最初の根本的なところは、まだ解けていない。 「そこで引けねえだろ、とは思う」 「どうして」 「どうしてって……好きなら好きでいいけど、避けたり無視したりすることなくね?」 『もう二度と俺に向かってしゃべりかけんな』、まで言われる理由が、ニコにはどうしても解らなかった。今のダンは会話を持ってくれるから、あの時と同じ気持ちでないとは思う。だが、何かの引き金を引けば、同じ反応を示しそうな危うさも孕んでいた。 「谷越くんにバレたくなかったんじゃないの」 「だとしてもさ……」 「フツーの人ならいいけど、谷越くんって距離感バカじゃん。どうせ団野くんにも四六時中ベタベタ触ってたんでしょ。そんなの、片思いしてる方からしたら心臓に悪いし、谷越くんの悪意のなさに腹も立つだろうし、こっち来んなってなるんじゃない?」 「……お前超絶腹立つけど、言ってることは分かるよ、腹立つけどな」  隣に立つ距離を少し空ける、くらいのことなら分かるのだ。だが、ダンの逃げ方は徹底し過ぎていた。 「けど、あいつのは、そんな単純なかわいい片思いとは違うんだよ」 「どう違うの」 「それが分かんねえからモヤってんだっつうの」  ただ、いつまでもそこに立ち止まっている場合ではなかった。ニコは考えなくてはならない。ダンから受け取った気持ちを、どうするのかを。 「少なくとも、谷越くんは、団野くんが同性だからって理由で退ける気はないってことだね」 「多分」 「ボクから見ればさ」  直江はコーヒーをひと口飲み、にこりと笑った。 「どっちもお互いに執着してて、なのに全然気持ちが噛み合ってなくて、見ててめんどくさい」  その頭をひっぱたいてやりたかった。 「直江は、俺が鈍いって言いてえわけ?」 「一概にそうとは思わないけど」 「…………」 「団野くんの長年の片思いに気付かなかったのには、それなりに理由があるでしょ。男に興味ないんだしさ」 「……まあ」 「団野くんだって、谷越くんのことよく分かってないんじゃないの? 団野くんが避けてたのと同じだけの期間、谷越くんが復縁を全然諦めてないっていうの、多分、団野くんには想定外だと思うよ。普通、友達の態度が急に冷たくなって距離取ってきたってなったら、なんだよアイツって思って、だったらいいやって離れていきそうじゃない?」 「だから、だったらいいやって思える関係じゃなかったんだって」 「っていう谷越くんの性格を、団野くんは分かってないってことじゃないかな」  性格の問題なのだろうか。特別な友達だった、などと、直江の前で口にはしないが、そういう相手を安易に切れないのは、誰でも同じではないのだろうか。しかも、距離を取られた理由が自分にある可能性が否定できないのに、それを放って断絶に甘んじるなど、ニコにはできなかった。  直江は小さく溜息を吐いて、 「で。結局どうなの。谷越くんは団野くんとどうしたいの」  簡単に聞いてくれる。ニコは黙ったまま笑いを漏らし、カップに残り少なくなっていたカフェラテを飲み干す。そろそろ時間だ。 「未知数が多すぎて、まだ解んねえよ」 「そっか。まあ、団野くんと恋愛できるかどうかなんて、考えたこともなかっただろうしね」  カップをソーサーに置く音が、鳴った。  ニコはスマホを見て時刻を確認し、席を立つ。 「……考えても解んねえよな、それも」  こちらを見上げる直江に、ニコは微かに笑って見せる。 「またな」 「あ、谷越くん」  トレイを持ち上げながら、ん、と直江を見る。 「向いてるよ」 「え」 「講師。谷越くん、向いてると思う」  どうして、と理由を聞く時間は残っていない。一言だけ返事をする。 「お前もな」  笑って手を振る直江に見送られて、ニコは店を出た。 続く

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