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⑫成長

 3 on 3の対人練習が終わった直後。ニコは体育館の隅に転がされたボールを拾い、軽いドリブルでゴールの方へ向かっていった。ゴールの正面ではなく、外側を目指す。目には見えないプレイヤーたちを想像する。味方が攻めている。パスが回る。ここが空いている。ニコは立ち止まり、ボールに強く逆回転をかけて床に投げた。バウンドしたボールが自分の方へ返ってくる。自分へのパスのつもりでそれを掴み、即座にシュート体勢に入った。さっきは上手くいった。今が打つ時だという判断が迷いなくできた。そして、ちゃんと入った。軌道をイメージし、ここだ、と焦点を合わせてボールを押し出す。リングを抜ける。ネットが揺れる。 「いいじゃん、最近外からのシュート上手くなったよね」  コートの脇からママ先輩が近づいてきてそう言った。腕の包帯は取れて、最近は前と同じように練習に参加している。ママ先輩のポジションはポイントガードだ。PGはチーム全員を見ながら試合運びを考える頭脳的な役割で、面倒見のいいママ先輩の性格にとても合っている。ニコは、ども、と礼を言う。 「ちょっと慣れてきた感じッす。まだ、練習でしかできてないけど」 「練習しとく以上に大事なことなんてないでしょ」 「ですよね。て言うか、前は良いパス回すことばっか考えてたから、正直シュートのこと後回しにしてたって言うか」  ああ、とママ先輩が相槌を打った直後、斜め後ろから声がした。 「単細胞生物かよ」  お、とニコは振り返る。ミスター塩対応は今日も絶好調らしい。 「あ、先輩いいところに」 「……あ?」 「先輩って、ドライブいくかと思ったらシュート打つとかフツーにやるじゃないですか。あれ、どこ見て決めてんすか」 「…………」  ふ、とママ先輩が笑う。  ミスター塩対応はじとっとした目でこちらを睨んでいるが、ニコは構わず続けた。 「まあ、その時の状況見てってのは分かってますけど。けどやっぱ、結局自分で決めた方が早ぇってことですか?」 「……バカのひとつ覚え」  本日の格言、とニコは心で呟く。そして、その意味を考える。 「……シュートだけ打っててもダメってことか」 「…………」 「パスだけでもダメってことだよな」 「…………」 「テキトーに混ぜてんですか? ランダム?」  ミスター塩対応は眉間に皺を寄せ、呆れたように溜息を吐いて、スタスタと歩いていってしまった。  あはは、とママ先輩が笑う。 「あいつ冗談通じなくてやんなるよね」 「分かんねえかなぁ。あの人がテキトーなわけないじゃないですか」 「うん。でも、ランダムっていうのは、あながち間違ってないかな」 「と、言うと」 「例えば、今、谷越がやってたみたいに、外側にいる時にパスもらったとするでしょ。で、次の行動を、ドライブ多めにやっとくとする。もちろん状況次第、ではあるんだけど」  ふむ、とニコは頷く。 「で、それを相手が学習するのを待つわけ。そうするとさ、谷越にボール渡った時点で……」 「相手がドライブに備えるからスペースができる。シュート打てる」 「そういうこと」  だったらそう言えよ、とニコはミスター塩対応の遠ざかった背中を見る。 「初めからいろいろ織り交ぜるのもいいしね。次どれに行くか、相手は判断に迷うから」 「相手の判断に任せてこっちが動くのもありってことっすね」 「そう。谷越がシュートっていう武器を身に着けつつあるのは本当にいいことだよ。パスもドライブもシュートも使いこなせるって分かれば、Aにちゃんと定着する可能性が高まるってことだし」 「おう。ちゃんとやろう」  近頃調子がいい。体がよく動くようになってきたと感じている。課題のひとつだった外側からのシュートが安定してきたのがその筆頭だ。出来るようになれ、と監督には前から言われていたが、どの場面で使うのが適切なのかをようやく少し理解できるようになった。それに、ゲーム中の瞬発力も付きつつある。情報処理や判断といった脳内作業の精度はまだまだ磨きをかけなければならないが、少しずつ、前進しているのは間違いない。経験値をひとつずつ積み上げ、大学バスケという環境に慣れてきている実感があった。  慣れてきている、と言えば、ミスター塩対応だ。彼は相変わらずニコのヘタクソぶりを「ヘタクソ」と無感情に罵るが、ニコはこれにも慣れてきている自分に気付いた。基本的に彼は言葉が足りないので、額面通り受け取るとただの悪口にしか思えない。だが、その意図をママ先輩に訳してもらううち、かなり意味のあることを言っている場合が殆どだと分かった。だから、ミスター塩対応がぬるっと嫌味を言った時、ニコは『本日の格言』と頭の中で唱えるようになり、真摯に考えた。分からない時は素直に質問した。無視されても構わずにそれを繰り返していた。そのうち、彼の方が嫌そうな顔をすることが増えて、ニコはこれをよしとしている。嫌な顔だろうが何だろうが、彼がニコに反応を示したという事実が、何となくいいことのように思えたからだ。だから、彼は今もミスター塩対応に違いはないのだけれど、ニコはちょっと、面白く感じ始めている。  もちろん、ただ面白がっているだけではない。秋の関東リーグで試したように、ニコは彼のプレイを大いに参考にし続けていた。彼なら今どう動くか。ここでどう判断するか。それを意識しながら練習に臨んだ。体格もほぼ同じだから、姿勢や足の運びなど細かいところも真似してみた。有効だと思うこともあり、難しさを感じることもあった。だが、役に立つと分かった。これは今も継続中だ。 「ちゃんとやるってさ、普段からちゃんとやってる人間にとっては簡単だけど、結構重要なことなんだよな」  壁際で水分補給をするニコに、ママ先輩が言う。 「そっすか?」 「谷越がちゃんとやってるの、周りに影響与えてるって考えたことある?」 「え? 周りって?」 「特に同期の連中かな。1年生の殆どがBから積み上げてってる中で、谷越はAとの境界くらいにいるじゃん。これってさ、高校時代にある程度積み上げができてて、スポ薦通るくらいの実力はあるってことだろ」  まあ、とニコは曖昧に頷いた。高校までの実力では通用しない現実を思い知った身としては、得意げな顔などできるわけもない。 「他の1年たちの反応見たり聞いたりしてると、どうせ谷越は特別だし、っていうやっかみも多少あったんだよね。それはまあ、分かるでしょ」 「そうすね」 「でも、最近はちょっと変わってきてるかな。多分、今はそういう気持ちで谷越を見てるやつ、ほぼいないかもね」 「……なんで」 「ちゃんとやってるからだよ」  コートでは、次の 3 on 3 が始まっていた。六人が走るたび、シューズの音が床を鳴らす。 「谷越は自分の課題に最初からちゃんと取り組んでて、苦労もしてるじゃん。Aに混ぜてもらえても、自分だけ足りてないってことも痛感してさ。先輩たちにキツイこと言われて、それでもちゃんと頑張り続けてるんだよな、お前って」 「そりゃ……頑張んないと追いつけないし……」 「そうやって、一見特別枠のエリートみたいに見えるのに、努力を惜しまないってところがね、周りを変えたんだと思う」  へえ、とニコは他人事のように思った。  コートからボールが飛んでくる。ママ先輩が片手で受け止め、コートへ投げ返す。 「特に、あの鉄面皮にフツーに絡んでる谷越は、多分尊敬されてると思うよ」 「鉄面皮って……ミスター塩対応のことすか?」  すると、ママ先輩は弾けるように笑った。 「なに。谷越、あいつのことミスター塩対応って呼んでるの?」 「……あー、すみません。絶対内緒でお願いします」 「俺も今度呼んでみよ」 「俺が言ったって言わないでくださいよ、マジで」  ママ先輩は可笑しそうに笑っていて、言わないと約束してくれない。些か不安になるが、信用することにする。 「あいつさぁ、後輩を潰せるか試してみるっていう悪癖があるからね」 「え」 「2年生の中にもその被害にあったヤツいて……ソイツは辞めちゃった」 「マジで?!」 「ひどいよね。パワハラだよ。……でも、あいつの悪口という名の指摘はさ、間違ってないんだよね」 「それは、そうすね」 「で、やり方はアレだけど、そういうプレッシャーとかストレスに耐性がない弱メンタルなヤツは、チームには要らない、っていうのがあいつの考え方なわけ。全面的に賛成はできないけど、全面的に反対もできないんだよね。俺も」  言わんとすることは分かる。これも関東リーグを経たからこそ、分かるのだと思う。敵も味方も本気で戦っている。一歩でも尻込みしたら吞み込まれてしまう。足を止める暇はなく、ボールは常に動かさなくてはならず、ここぞという時にシュートを打たなければならない。精神力が必要なのは、確かだ。 「だから、谷越は今年の標的に選ばれちゃったわけだけど……」 「俺、辞めませんけど」 「そうそう、そういうとこがさ、あいつ多分、気に入ってると思う」 「それは嘘じゃん」  ニコは笑ってそう返した。反応を示してくれるとは言っても、だ。気に入っている相手にツンデレな態度を取るのは多少理解できるが、ミスター塩対応に『デレ』の要素は皆無だ。 「なんで嫌われてんのか分かんないし、嫌味しか言わないのもワケ分かんないし……でも」  別の場所で他のチームメイトと喋っている彼をちらりと見る。 「……出鱈目は言わないんすよね」 「うん」 「本気で俺を潰して追い出したいなら、もっと陰湿に間違ったこと教えたり、逆に分かりやすく辞めちまえって言うとか。そういうんじゃないんだよな」  いくつかの掛け声に、コートへと目を戻す。ボールが回る。速い。ディフェンスの隙間を巧みに縫って、シュート。いいよ、とママ先輩が歓声を飛ばした。 「あいつなりの育成方法だと思うんだよね」 「育成」 「歪んでるけどね。動機はいろいろだけど、気が弱そうなヤツは叩いてみる、大雑把すぎるヤツは理屈でねじ伏せる、慎重すぎるヤツにはラフプレイ仕掛ける、とか、あいつはいろいろやる。要は、そこお前の弱点だぞって教えてるんだよね。あ、本人にそんな親切心はないよ、もちろん」 「え……俺は?」 「谷越は、まあ言っちゃえば、誤解されたんだと思う」  ハテナマークが頭に浮かぶ。 「多分みんなが最初は同じこと思ったよ。スポ薦で入ってきたイケメン陽キャ、っていう第一印象でさ、コイツ調子乗ってんなって。あいつにしてみたら、自分と同じPFに転向しますって意気揚々としてる感じも鼻についたのかも」 「え……調子乗んなよって言われてるってことすか?」 「でも、実際谷越は調子乗ってなかったし、真面目にちゃんとやるヤツじゃん。だから、今のあいつの動機は、PFなめんな、だと思う。簡単にできるつもりになるんじゃねえぞって、執拗にいじめてくるんだよ」  やっぱりいじめじゃねえか。  変な先輩に出会ったな、とニコはつくづく思う。半分は嫌なやつだと思うが、もう半分は尊敬している。嫌なやつなのはどうしようもない気がして、尊敬の方だけに重きを置くことにした。お陰で少し面白くなっている。 「て言うか、先輩ってあの人のことめっちゃ解ってますよね」 「あー。高校の時から一緒だからね」 「え、マジで。そりゃ解るか。え……高校の時からあぁなんすか?」 「まあその辺は本人のプライバシーとプライドに関わる問題でもあるから、俺から詳細は言わないでおくけど。でも、豹変したわけじゃないよ。前から歪んでる」 「……そすか」  高校からのつきあい。いい響きだなとニコは思った。きっと、ふたりは高校の3年間でも一緒にバスケをやって来た仲なのだろう。お互いのプレイも性格もよく分かっていて、信頼もある。ママ先輩はミスター塩対応を特別擁護するわけでもなく、かと言って、否定的でもない。その匙加減がとても快かった。 「お、次、俺の番」  ママ先輩はぐるりと両肩を回してコートの方へ進んでいく。  優しい人だが、コートの中では鋭くて俊敏な動きをする。同じコートでママ先輩の指示を受ける時の安心感は絶大だ。ちゃんと応えなくては、という気持ちになる。  なめんな、か。ニコは心の中で繰り返してみた。なめてねえ、と言葉で伝えても無意味だ。結局、やるしかない。何かを変える必要すらない。ずっと地道にやってきて、少しずつ覚えている真っ最中だ。これ以外に、なめてねえ、と伝える手段があるとは思えなかった。  6人の間をボールが飛び交う様を見つめながら、ニコは自分も動きたい衝動に駆られる。先輩と同じように肩を回す。今ならもう少し何かができるようになる。そんな気がした。 続く

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