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⑬正体
塾のバイト帰り。ホームで電車の到着を待っていたニコは、不意にふくらはぎに何かが当たる感触を覚えて、背後を振り返った。
「…………」
「…………」
「お前か」
じ、とこちらを見上げている直江の顔を認め、それから足元を見やる。多分、蹴られた。
「お前さ」
「なに」
「俺、今は列の3番目に立ってるじゃん」
「そうだね」
「先頭に立ってても蹴飛ばすのかよ、お前」
「え」
「あぶねえだろ。ホームでヒト蹴飛ばすのは」
直江はきょとんとした顔でニコを見つめ、ふうん、と首を捻った。
「気にするのそこなんだ」
「あ?」
そこでようやく笑顔を見せた直江は、ニコの脚を指さして言う。
「先頭でも平気そうだったけど。ビクともしなかったじゃん」
「平気そうとかじゃねえんだよ。周りにヒトもいるんだから場所は選べよって話」
ハハ、と直江は笑い、
「変な人。周りのことなんて気にかける余裕もないほど、ボクが本気で谷越くんを突き落としたかったって可能性は考えないの?」
「あんなピヨピヨしたキックで落ちるわけねえだろ。ふくらはぎのツボでも押されたのかと思ったわ」
「そっちの頑丈さだって異常だからね?」
「大体、こっからホームの端まで何メートルあんのか見てみ? 全力で脚振り抜く勢いで蹴り飛ばさなきゃ落とせねえだろうが」
「……変な人」
電車到着のアナウンスが流れる。まもなくホームに電車が滑り込んできた。開いたドアから降りる人を待ち、車両に乗り込む。空いていた向かいのドアの脇にふたりは立った。
「もうすぐ冬休みだね。夏休みの時はバスケが忙しそうだったけど、冬はどうなの?」
「あー、大会は終わってるから、そこまで切羽詰まった感じじゃねえかな。お前、また冬期講習とか頑張ンの」
「そりゃあね」
「パソコンは?」
「もう買える。それこそ冬休み入ったくらいに買って、時間ある時にじっくりセットアップしたい」
目標達成を間近に控えているらしい直江の目は、心なしか嬉々として見える。
欲しいものをじっくり選んで買い物をする。最近してないな、とニコは思った。今は特別買わなければいけないものもないが、年度明けにバスケ用のシューズを一足増やすのもいいかもしれない。それか、2年生でAチーム入りが正式に決まったら、でもいい。
「団野くんはバイク買ったの?」
「え。あぁ……まだっぽい。春頃って言ってた」
「まだ会ってるの」
「お前、その未練がましい元カレ設定いい加減やめねえ?」
最初に直江と会った頃に比べたら、ダンのことを思う時の気持ちの種類はだいぶ変化している。分からない、と思うことはほぼなくなった。今はだいぶ穏やかな気持ちだ。
「会ってるんだ」
「まあ」
「それで。進展はしてるの?」
「ん? まあ、割と、いいんじゃねえかな」
直江はニコの顔を見上げて、またじっと見つめてくる。
「いいっていうのはなに。両思いにでもなったの?」
「え」
何か、大切な忘れ物をしているような気分になった。
一度眼鏡の位置を整えて、直江は言った。
「この前会った時の谷越くんは、団野くんの片思いは確信したけど、どうしたいかは解んないって言ってたじゃん。そこは解るようになったの?」
「…………」
そう。考えていても解らないから、実際にダンに会いに行って、隠していたものを見せてもらい、体験した。それで解ったのはなんだ、とニコは自らに問う。ダンが同性愛者なのが解った。ニコを深く思っていることが解った。それで?
「……話したんだよ。いろいろ」
「うん」
「で……いい感じになって……」
「そのいい感じってなに」
話しただけではない。寧ろ、話す以外のことの方が多くの情報を持っていたと思う。が、さすがにそれは口に出しにくい。
「だからさ。こう……通じ合ったよな、っていう感覚だよ」
「友達として?」
いや、とニコは首を傾げる。
「じゃあ、恋人として?」
「……えぇ?」
どういうことだろう、と疑問が湧き、つい直江を見つめ返してしまう。直江は鼻で笑った。
「そんな顔されてもボクにはわかんないんだけど」
「いや待って。ちょっと待って」
「なんでそこ曖昧なの?」
なんでだ。ひとつ解るのは、もうダンとの関係を友達というカテゴリーだけで括るのは難しいということだった。友達とはしないことをしている。これを無理矢理に友達の延長線上だとこじつけることは、さすがにできない。ただ、これは行為を基準にした話であって、感情の中にダンへの友情がないのとは別問題だ。元は大切な友達という気持ちから始まっている。それがなくなったようには思えない。身体的な接触は友達の延長線上ではないが、それとこれは、同時に存在しているような気がした。
「じゃあ、谷越くんは、団野くんに何にも返事してないってことだね」
「……返事」
「片思いされてるって解って、気持ちも通じ合ってる気がしてるけど、自分は何にも言ってないってことでしょ」
「…………」
言ってない。今気づいた。
ガタン、と電車が揺れた。直江が手すりに手を伸ばす。
「まあ、団野くんがそれでいいならいいんだろうけど。曖昧でも何でも、好きな人が時々会ってくれてさ、それなりに楽しい時間を過ごせるなら、別に谷越くんの気持ちがどうでも構わないって。団野くんがそう思ってるなら、いいんだろうね」
「いや、それは……」
「団野くんが寛容な人ならそういうのもありかもよ。マイノリティーであることを思えば、別に自分に谷越くんを縛りつけるつもりはなくて、仮に谷越くんに彼女が出来ても、それはそれでしょうがないよね、みたいに思うかもしれないじゃん」
「…………」
「団野くんがそういう人ならね。いいんじゃない?」
そういう人、とは思えなかった。
それよりも、彼女、というワードにニコは引っ掛かる。大学に入れば新しい出会いがあるかも、と夢見ていた頃が確かにあった。バスケの鍛錬がハード過ぎてそれどころではないのが現実だった。だが、今は。大会が終わり、時間に少し余裕ができ、出会いを求めて視野を広げるなら、正に今がチャンスだ。それなのに、ニコは思う。特にいらない、と。
ねえ、と直江が言う。
「今の谷越くんって、客観的に見ると結構クズだよ?」
「はぁ?!」
「だって団野くんの気持ち解ってるのに、自分は肝心なこと言わないで、都合の良い時だけ会ってるわけでしょ。思わせぶりな態度でテキトーに喜ばせて、実際はキープしてるだけ。そう見られても仕方なくない?」
「そういうんじゃねえよ」
「じゃあ、どういうの?」
「ダンは……」
「本命なの?」
ちょっと待て、とニコはもう一度言った。息を吐く。
「一回さ、退けたんだよ。恋愛とか、同性とか、そういうの」
「うん」
「ンで、あいつのことだけ見て、考えたわけ」
「それで」
「それで……そもそもの話すると、あいつは俺の一番の親友。友達は他にもいるけど、あいつは常にそのトップで……大事なやつなんだよ」
直江が頷く。
「で……いろいろ解って、それでも、大事なのは変わんなかったから……」
「じゃ、退けたものを戻してみたらどうなるの」
恋愛と同性。以前は茫洋としてよくわからないものだった。でも、今は少し違う。
「ダンがどういうこと望んでるかってのは理解できたし、俺もそれは、大丈夫って思った」
「大丈夫かどうかが問題じゃないよね。もちろん、手前側のハードルとして存在はするだろうけど」
「…………」
「キミがどうしたいのか、って話だよ」
はぁ、と溜息が漏れる。
「え、俺ってそんな勝手なことしてる感じに見える、今?」
「今って言うか……谷越くんが勝手なのは今に始まったことじゃないじゃん」
「マジかよ」
電車が停止し、立っている傍のドアが開いた。乗客の乗り降りをやり過ごす。
再び電車が動き出すのを待って、直江は言った。
「谷越くんは基本的に自分が心地良いと思える世界を叶えようとするじゃん。人が集まるならみんなが楽しくないと嫌。大事な人との自然消滅も嫌。団野くんが距離を取ったのも理由がわからないから嫌。挙句その人に何度も会いにいってさ。そういうのって、勝手って言うんじゃないの」
「……言う、のかな」
ふふ、と直江が笑う。
「他人を巻き込みながら重機で爆走してる感じだよね、谷越くんって。ただ、『俺はこういうの嫌だから、そっちにしようぜ』って場を動かすのは利己的だとしても、本当に自分だけ良ければいいわけじゃなくて、『そっちの方がみんないいだろ』っていう……良かれと思って決めつける身勝手、なんだと思う」
決めつける。そうだろうか。そうかもしれない。
「例えば、高3の体育祭の時」
「体育祭?」
「そう。騎馬戦やったよね」
「あぁ。懐かし」
当時の風景が俄かに思い出された。4人1組で騎馬を組み、ニコは土台の中心に。騎馬の中には直江もいて、彼は土台の右サイドにいた。
「ボクにとってはあれが最たる例だよ。ボクは体育祭自体に乗り気じゃなくて、騎馬戦だって出たいわけじゃ全然なかったのに、谷越くんに強引に参加させられてさ。なんだよコイツって思ってた。楽しそうに作戦会議とか始めてさ」
まだ去年のことなのに、随分前のことのように思える。当時の直江が逃げ腰だったことも、ちゃんと思い出せた。
「でも結局さ……」
「そうだよ。ボクの消極的な態度に呆れたのか何なのか知らないけど、あからさまにボクを作戦会議からハブき出して、それにもなんだよコイツって思って……で、結局ボクは言わざるを得なくなったんだよ。がんばるって」
「実際お前、がんばっただろ」
「がんばったよ。4人ともみんながんばったよね。谷越くんが『そっちにしようぜ』って動かしたから」
そんなつもりじゃなかった、とは言えない。直江の言う通り、手を抜かず、作戦を立て、全力で立ち向かった方がいいと思ったからだ。その方が絶対に楽しいという自信もあった。だから、そうした。
「谷越くんはさ、『そっちにしようぜ』って決めたことに、無責任ではないんだよね。周りを顎で使って高みの見物を決め込むわけじゃなくて、谷越くん自身もそこにちゃんと参加するし、他責的ってわけでもない。これは多分……推進力って呼ばれるやつ。相手も周りも自分も、ちゃんとよりよいところに着地させようとするんだよ。だから、結果が伴えば、谷越くんの勝手は悪いとも言い切れないかもね」
「…………」
「だから、結果をまだ出してない団野くんの一件については、その勝手が良いか悪いか、判断できない状態ってこと」
あぁー、と声を漏らして、ニコは電車の天井を仰ぎ、目を閉じる。
「違うんだって……別にテキトーにしてるわけじゃなくてさ……」
「それボクに説明しなくていいから」
「けど、俺がテキトーだってダンが思ってるかもしれないってことだろ?」
「それもボクに訊いても意味ないやつだから」
「あぁー……」
ははは、と直江は無責任に笑った。
「答えがないわけじゃないんだろうね」
「えぇ?」
「ついでに言うとさ、谷越くんって、他人が自分をどう見てるかってそんなに気にしてないでしょ、普段」
「あぁ……そう?」
「他人からのマイナス評価にいちいち傷ついたりしない人だよね」
マイナス評価には耐性があるからだ。デカいとかうるさいとか、距離が近いなどのクレーム。体格が良いせいで周りよりも高い身体能力を持っていることへの僻み。外見や性格から軽薄だと思われがちな誤解。去年の文化祭では根も葉もない陰口の対象となった。今は自分の人生の一部であるバスケで、ひたすらヘタクソと罵られ続けている。これらすべてを繊細に受け止めていたら身が持たない。受け止める必要すら感じていなかった。
「でも、団野くんにテキトーって思われるのは嫌なんだよね?」
「そりゃ……」
それなのに、心の中がきつく抓られる。
「そりゃ嫌に決まってんだろ」
ダンに誤解されるのは嫌だ。不誠実だと思われるのはもっと嫌だ。
直江の降りる駅までもう少し。直江は肩のトートバッグを持ち直し、
「大事な友達から始まって、避けられても『もういいや』って思えなくて、高校卒業してからも会いに行って。だいぶ往生際が悪いんだから、そろそろ諦めた方がいいんじゃない?」
「諦めるって……」
「団野くんもそう。密かに谷越くんのこと好きになって、がんばって避けて、でも高校卒業しても同じ気持ちなんでしょ。あっちも相当往生際悪いんだよ」
そうだ。自分も同じことを思った。
「だから、キミたち、そこだけ似てるよね」
似ているところ。見た目も性格も全然違う。それでも。
「その異常な諦めの悪さを、潔く認めてもいいと思うけど」
「分かってるよ……」
「そうだね。じゃ、後は解答用紙に答えを書いて、さっさと提出しなよ」
「…………」
電車が速度を落としていく。
ニコは直江を見る。そこに答えを探しそうになる。けれど、違う。直江は答えを持っていない。
窓外にホームの景色が見え始めた。直江はにこりと笑い、
「ほんと、キミたちってめんどくさいね」
電車が止まる。ドアが開く。
「またね」
「……ああ。また」
続く
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