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⑭入会手続き

「ダン」  ダンの部屋に入るなり、ニコは身を翻した。部屋のドアを閉めてこちらを向くダンの手首を掴む。驚いたようなその顔を見つめて、ニコは言った。 「俺……ホントごめん」  去年のダンの誕生日。謝りに来たことを思い出した。わけは解っていなかった。ただ、ダンに何か悪いことをしたのだろうと思って、せめて謝罪だけはしなくてはという思いで、ここに来た。  そして、今年のダンの誕生日である今日も、ニコは謝っている。去年と違うのは、謝る理由が明確だということだ。  しかし、ダンの表情が蒼白になるのを見て、 「あぁ……ごめん……そうじゃなくて……」  誤解があるならそれを解きたいと思って来ているのに、新たな誤解を生んでいる場合ではない。ダンが今、ニコの謝罪を「やっぱり無理だったごめん」という意味で受け取りかけたのを察して、ニコはそれをきっぱりと否定する。 「そうじゃなくて」 「…………」  手首を掴む手に力が籠ってしまう。手を離す気になれなかった。もし、今ダンに触れるなと手を振り払われても、ニコは諦めずに何度でも捕まえると思う。  ダンの手を引き寄せて、部屋の中へ進む。促し、並んでベッドに腰を下ろす。もちろん、手は離さないまま。 「悪いことしてた、かも」 「……なにが」 「……不安だった?」 「……え」 「俺……いい加減に見えるようなこと、してた?」  ダンの目が揺れる。いや、と呟いて俯いてしまう。頻りに瞬きをする様子は何度も見てきたから、今、ダンが動揺しているのが分かる。何を思っているのか。ニコの胸がぎゅっと苦しくなる。 「お前さ……言ったじゃん。男同士で、普通じゃなくて、気持ち悪いだろって。でも、それって、同意を求めてたわけじゃなくて、俺がそう思ったら嫌だってことだろ」 「……だって……」 「だよな。それ、ちょっと……気持ちは分かった気がする」  少し顔を持ち上げて、ダンはニコの顔へ視線をくれた。 「俺、お前の思いは分かったって言ったのに……分かっただけで、なんか……満足した気になってたって言うか」  自分で言葉にすると情けなくなる。嘘ではないから尚更。ダンから自分に流れ込んでくる気持ちの深さに心を動かされ、欲しいと望み、満たされていた。 「けど、それじゃ……全然ちゃんとしてねえだろ」 「…………」 「コイツ割といい加減なんだって、お前が思ったかもって思って……」  ダンの手を握る。 「お前にそう思われてたら、すげえ嫌なんだよ」  手の中で、ダンの指が小さく動いた。  12月25日。クリスマスの夜だった。街はどこも煌びやかなイルミネーションに彩られ、この家の最寄り駅も例外ではなかった。既に閉店した後の自転車屋も。バイク屋も。けれど、クリスマスなどどうでもいい。 「もう、体験とか要らねえから」  19歳になったダンの横顔を、ニコは見つめる。 「高校で最初に会った時からずっと特別なんだよ。……や、会う前から、かもな」 「……え」 「入学式で名前呼ばれんの聞いた時からだから」 「…………」 「俺が『タニコシ ノゾミ』って呼ばれて、んで、後ろのやつが『ダンノ メグミ』。そんなことあんのかよって思った」  自分がノゾミで、次のやつがメグミ。これはやはり、同族意識だ。 「仲良くなってからはホントにずっと特別だった」 「…………」 「話し方も、雰囲気も、なんか全部……好きで」  高校1年生の時のダンの姿が思い浮かぶ。いつも話していた。一緒に歩いた。笑い合うことも沢山あった。 「いつからか分かんないけど、ずっと大事だと思ってたよ」 「…………」 「で、ずっと変わんなかった」  往生際が悪いから。 「変わんなかったから、避けられて辛かったし、けど、それでも変わんなくて。だから……卒業前にさ、お前が全部終わりにしようとしてても、それも分かんないくらい、……ホント、分かってなくて……」  ダンが手を握り返してくる。  波打つ心を落ち着かせなければならなかった。答えは出してきた。だが、自分がこんなに感情的になることは想定していなかった。一度、息を吐く。 「……また、会えて、お前がどう思ってたか知ってからも、全然変わんなかったんだよ。逆に……お前のことが分かってくたびに、もっと大事になったかもしれなくて……」 「…………」 「いつだって会いたいんだよ。ダンに」 「…………」 「一緒にいたいって思う」  次に息を吐いたのは、ダンの方だった。前を向いて、どこかを見つめて、それから深く息を吸い込んだ。その口許が動く。微笑んでいるようにも見える。瞬きはまだ多かった。 「……ニコ」 「ん」 「普通じゃ、ないんだよ」  ニコは頷いた。  ニコを見ないまま、ダンは言った。 「お前……それ、家族に言える?」 「…………」 「周りの友達に言える?」  ダンの小さく静かな声がニコの耳に響く。 「知らない他人も、どう思うか、分かる?」 「……でも」 「ニコはせっかく普通の生き方ができるのに、こっちを選ぶ必要、ある?」  その声が微かに震え始めている。それでもダンは、やめなかった。 「普通に女の子とつき合えるし、普通に結婚もできる。そういう普通の幸せを犠牲にしてまで、選ばなくていいんだよ」 「…………」 「他人に普通に祝福される方が、いいだろ?」 「なあ」  握っている手を強く引き寄せていた。  ダンが背を向けようとしている気がした。今にもこの手を離してどこかに行ってしまいそうな気がした。 「お前じゃなきゃ嫌なんだよ」  震える自分の声に驚くのと同時に、涙がこぼれた。  少しだけこちらを向いたダンのこめかみに咄嗟に顔を寄せる。ぐ、と息を呑み込んで耐える。 「……なんで、俺が無理してる前提なんだよ……別に、なにも諦めてねえよ」 「……ニコ、でも……」 「一緒にいたいって言ってんだから……もう独りでどっか行こうとすんなよ」  逸らされる視線も、遠ざかる背中も、もう見たくない。もう一度ダンを失う、そう思うだけで胸が張り裂けそうだ。 「……でも、もしかしたら……」  ダンのか細い声が言う。 「……やっぱり女の方がいいって、思うかもしれないじゃん」 「分かんねえよ、そんなの」  ダンの手を固く握る。 「そんな先のこと考えても全然分かんねえよ。誰とつき合ってたってそんなの同じだろ。いつまで続くとか、ずっと好きかどうかとか、誰にも……分かんねえんだからさ……」 「…………」 「でも今はお前が一緒にいないと嫌なんだよ、俺は」  涙がもうひと粒こぼれ落ちる。  触れ合っているダンの呼吸の音が聞こえる。小さく肩が上下している。ニコの握っているその手が動いて、ゆっくり、握り返してくるのがわかった。微かな吐息がまたひとつ。 「……ニコ……」  自分を呼ぶ声に、頬をすり寄せて応えた。 「……ずっと、もう終わりって、何度も思ったのに」 「…………」 「……お前が、全然終わらせてくれないから……」  募る思いは罪悪感に似ていた。ニコは目を閉じる。 「……ごめん」 「…………」 「……ずっと、分かんなくて、ごめん」  苦しい。でも、自分がダンを苦しめた。その苦しみのせいで自分が酷いやつだと思われて、本当に嫌われてしまう可能性だってあった。そう思うと苦しい。 「……謝んなくていいよ」 「…………」 「俺が、言わなかったんだから」  だけど、とニコは言いかける。  「ニコ」 「…………」 「……思ってない」 「……え」 「いい加減だなんて、思ってない」 「…………」 「……夢見てるみたい……今」  もう抑えることはできなかった。涙があふれる。ダンに顔を押し付けたまま、ニコは静かに泣いた。 「……ニコ?」  戸惑うその声さえ愛おしかった。笑みが浮かぶ。ダンの頬に唇を押し当てて、ここにいることを確かめる。  すると、ダンは静かに身じろいでニコの方に体の向きを変えた。濡れた頬を指先で撫でられ、それから、そっと唇にキスをくれた。通い合う。この瞬間にも、ニコはそう思った。  しばらく、ふたりは黙っていた。  部屋の中には静寂だけがある。ダンの部屋のこの空気を、ニコは知っていた。何も言わずに、自分たちは部屋のあちらとこちらにいて、特別なことは何もしないで過ごしていたあの時間。たまに聞こえるのは微かな衣擦れの音や、雑誌をめくる紙の音。それから、表を通り過ぎていく車の音。あの頃と同じものと、違うものが同時に存在しているのを、ニコは感じ取っていた。   それから、さっきダンが言ったことをもう一度頭の中で思い返した。また並んでベッドに腰掛けて、ニコは口を開いた。 「……家族に言いづらいってのは、まあ、何となく想像できるわ」 「……うん」 「でもまぁ、言わなくてもいいしな」 「結婚しないのかって言われる時が来るかも」 「今時オヒトリサマでも珍しくねえんだろ?」  呆れたようにダンが笑う。  笑ってくれる。それだけのことが、嬉しかった。  それに、ダンが遠い将来のことを想像していることも。  ダンがこちらを見上げる。 「でも……」 「まだなんかあんのかよ」 「…………」 「なに」  ダンはしっかりとニコを見つめていた。 「もう、体験要らないって言ったけどさ……全部は、見てないだろ」 「全部?」 「……まだ、してないよ。全部」 「……あぁ」  全然考えていないわけでもなかった。ダンの言う『普通』の恋愛を参考に考えてみれば、自分たちはまだ、道半ばなのだろう。素肌に触れ、快楽を共有し合った。でも、まだ続きがある。 「そこも……俺にとっては不安材料なんだけど」 「なんで」  不安だ、とダンが素直に口にするのが嬉しい。 「それ見て……やっぱ無理ってなる可能性も絶対あるから」  試しに少し想像する。だが、これも未知なことに変わりはない。 「やってみねえと何とも」 「……できそうに思うの」 「できんじゃねえの。分かんないけど。とりあえず、勃つんだし」 「俺が挿れたいって言ったら?」 「…………」 「嘘。ごめん。違う」  ダンはニコの腕に額を寄せて、顔を隠した。ニコは慌てて言う。 「や、無理とかじゃなくて、マジで分かんねえし……」  だが、それも『できんじゃねえの』とは即座に思えなかった。未知の扉の奥の、さらに未知な領域な気がして、尻込みする。正直に言うべきか、と言葉を選びかけるニコに、ダンは言った。 「逆でいいから」 「……え」 「挿れるの、そっちでいいから」 「けど、お前……」 「その方がいいんだよ、俺は」  覚悟のほどを試されたのだろうか。未知の手前の方まで引き戻されて、じゃあ、『できんじゃねえの』と思い直す。 「とりあえず、手解きはダンがしろよ」 「え……、あぁ、うん」 「だから、体験レッスンは終わり」 「正式に入会するってこと?」 「はんこいる?」  ダンと一緒に笑った。ニコは言う。 「なんか新鮮」 「なにが」 「何となく」  顔を上げて、ダンは言った。 「でも、ホントに引くかもしれ……」 「かもしれないはもういいから。やってみたら分かんだろ」 「でも……」 「挿れるとイイの?」 「お前言い方」 「ダンがイイなら、俺もイイんじゃね?」 「言い方」  新鮮だ。悪くない。  気持ちのまま、ダンの唇に軽くキスをする。 「あ、そうそう」  ニコは愛用のボディバッグの肩ひもを回し、背から前へと収納部分を移動させる。ファスナーを開いて、中に手を差し込んだ。小さな包みを取り出す。黒いラッピング袋に、金のリボン。 「誕生日おめでと」  いつもの店で買った、シルバーアクセサリー。  ダンはそれを丁寧に受け取って、ニコを見る。 「……ありがと」  ニコは微笑む。去年は礼を聞けなかった。受け取る手さえも伸びてこなかった。それが、今年は違う。  ダンの表情は慎ましかった。喜んでくれているとは思うが、破顔するほどではない。受け取っていいのか、受け止めていいのかを、まだ迷っているようでもあった。ただその手に、プレゼントの包みを大事にそうに乗せて。 続く

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