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⑰思い出のアルバム その2

 バイク屋の前の、前回と同じスペースに停めた車に乗り込み、助手席のドアが閉まるのを待って、ニコは言った。 「行きたいとこあったら言えよ。どこでも」  すると、ダンは笑って、 「またそれかよ」  そう言って、フロントガラスの向こうを見る。  そうじゃなくて、とニコは弁解した。 「この前のは完全ノープラン。けど、今日のは違う」 「どう違うんだよ」 「ダンが行きたいとこに行く、ってプランだよ」  ダンはまた少し笑った。  今日のニコは1日フリーだ。自転車屋の定休日に合わせて休講にしてくれた教授たちに感謝しなければならない。おまけにバスケ部も休みだから、心置きなくダンを誘うことができた。いつもより少しだけ遅く起きて、朝食を摂り、身支度を整え、車でここまで来た。午前中から遊びに出かけるのはいつぶりのことだろう。  ダンがニコに言う。 「俺が言ってるのはこの前のことじゃないよ」 「え」 「お前、いつもそうだったじゃん。どっか行こうぜってなると、どこにする? って絶対俺に聞いてきてさ」 「あぁ……」 「何でいつも丸投げなんだろって不思議に思ってたわ」  高校の時のことを言っているのだと分かった。ダンとふたりでも、もっと人数がいる時でも、放課後に駅前の繁華街に繰り出す道中、今日はどこに行こうという話題になると、ニコはいつもダンに決定を委ねていた。 「丸投げっつうか……、まあ、そう言われると、そうか……」 「別にそれが不満ってわけじゃなかったけど」 「けど丸投げとは思ってたんだろ」 「それで俺が決めたことに文句言われたことないから」  文句など言うわけがない。ニコはちょっと笑って、 「ダンが決めたとこ行って楽しくなかったことねえんだもん。だから、お前に任せときゃ間違いねえよなって、俺はそう思ってたんだけど」 「……へえ」 「けど……やっぱ丸投げだよな」  面倒だからダンに決めてもらっていたわけではない。だが、ダンが嫌な顔をしないのをいいことに、頼り切っていたのだなとニコは初めて自覚する。 「でもさ」  運転席から、ニコはダンの横顔を見た。 「今日は、ダンが行きたいとこ、行きたいんだけど」 「んー……」  ダンは前を見たまま小首を傾げ、困ったように瞬きを繰り返している。 「……ニコは」 「ん」 「ニコは行きたいとこ、ないの」  特別行きたいところが思いつかないのだろうか。今日の約束をした時に、考えておくよう伝えるべきだったかもしれない。 「じゃあさ。いつも行ってた辺り、行ってみる?」  ニコがそう言うと、ダンはこちらを向いた。 「あの駅前ってこと」 「そう。俺、卒業以来行ってないし」 「あぁ……それは俺も」 「だろ。また、一緒に行ってみようぜ」 「……うん」  ニコはシートベルトを締め、ハンドルに手をかける。  と、ダンがいる方の窓に、人の気配があった。アユミさんだ。アユミさんは近くまで寄ってきて、窓をコンコンとノックする。ニコはそちらの窓を開けてやった。 「悪いな」 「なんだよ」  応じるダンに、アユミさんは大きな封筒を1通差し出した。 「メグミ、これどっかで投函頼めるか」 「ポストあるか分かんねえよ」  ニコは、目的地の風景を思い浮かべた。 「あんだろ、ポスト。バスロータリーの近くで見た気がする」 「あー……」  アユミさんは片手でダンを拝み、 「ついでに頼むわ」 「分かったよ」 「メグミはいい子だな」 「キモいよ」  封筒をひったくって、ダンは自分で窓を閉めた。アユミさんは手を振って店に戻っていく。  ダンが膝に乗せた封筒を一瞥し、ニコは言った。 「んじゃ、いつもの駅前決定ってことで」 「ん。いいよ」 「メグミ、シートベルト」 「……おい」  おっと、とニコは前を向いて目を逸らす。 「……やめろって言ったろ」 「今のは半分無意識」 「半分意識あんじゃねえかよ」 「アユミさんのが伝染ったんだって」  ったく、とダンが溜息を漏らす。  メグミ。やっぱいい名前だよな、とニコは思うだけにとどめ、改めて前方や周囲に目を配った。アクセルに足を置き、ゆっくりと走り出す。  高校時代、ダンや仲間たちと遊んでいた駅前の繁華街に、車で行くのは当然ながら初めてだった。だが、どの道を行けばいいかは分かるし、大通りを行けば一方通行にぶつかることもない。デパートやショッピングモール、地下街に駐車場があることも分かる。車を停める場所に困ることはなさそうだった。 「飲食店、いろいろ行ったじゃん。ファミレスとか、ファストフードとか」  ニコが言うと、ダンは肯いた。 「ダンがいちばん好きだったのどこ」 「え、どこだろ。その日の気分で違う」 「今日の気分は」 「…………」  ダンは暫く黙っていたが、やがて、 「ファストフードかな」 「いいね」 「お前、いつもLサイズのポテト食ってたじゃん。爆速で」 「今も食うよ。爆速で」 「それまた見たい」 「…………」  それは、ダンの行きたい店なのだろうか。ダンの気分はそこに向いているのだろうか。自分のために選ばれた店のような気がして、ニコは少々戸惑う。でも、ダンがそうしたいと言うのなら、応えるのにやぶさかではない。  前に港湾エリアへドライブしたのとは違う道を行く。駅に向かう道路のため、車やバスの数が多く、大型トラックや運搬車両も意外と目につく。駅の向こう側は埋立地で工業地帯になっているから、そこへ向かう車両なのだろう。 「あのさ」  ダンが口を開いた。 「親父が前に言ってた、工場夜景クルーズ。ちょっと、調べてみたんだけど」 「うん」 「そのクルーズで見えるのって、この先の工場群っぽい」 「へえ! じゃあホントに車ですぐ行けんじゃん」 「多分、ニコが観たいのって、そっちの方だと思う。港湾の方じゃなくて」  配管だの建物の構造だのと言ったことを、ダンは覚えていたらしい。石油・化学プラントや発電所、物流施設が立ち並ぶのは、この先の埋立地であることをダンは教えてくれた。周りを走る車両を見て、お互いに同じような連想をしたのだと思い、ニコはひとり口元を緩めた。 「言われてみれば、工場行きっぽいバス、結構あるもんな」 「そっち、行ってみてもいいよ」 「え」 「夕方とか。……あ、夕方まで、いるなら、だけど」  どう捉えていいものか、ニコは少し考えた。ファストフードのポテトの件も、この工場夜景の件も、ダンが提案してくれるのは、ニコが喜ぶ場所だ。ダンが行きたいところ、と聞いているにも関わらず、ダンはニコが行きたそうなところをピックアップしている。だが、ダンが自分に気を遣ってこれらの提案をしているようには感じられなかった。高校時代の『どこに遊びに行くか』と同じような、自然な空気でそれを口にしている。悪気がない、という表現は違うし、良かれと思って、というのも少しズレている。習慣、癖、みたいなものだろうか。 「ダンは、それ見たいのかよ」  二コはそう尋ねてみた。ダンはほんの少しの間の後、 「見たいよ」  そう言った。嘘だとは思わなかった。でも、何を見たいのかは、よく分からなかった。  ニコは言う。 「けど……もう少し先に取っといてもいいよな」 「え」 「行きたいとこ、いろいろ貯めとくのよくね? で、どこから攻略するか決めてさ」 「……うん」 「埋立地って、また海だろ。まだ寒みぃし」  一緒に行ってみたいところを、一緒に探したい。その中に、ダンが本当に行きたいところを見つけたかった。大層な場所でなくていい。本当にファストフードが好きなら、それでもいいのだ。 「あったかくなったら、行こうぜ。工場夜景」 「……うん」  やがて、目的の駅前に到着した。どこの駐車場が安いのか、そこまでリサーチはできていない。使い勝手も、実際に停めてみなければ分からないから、これは今後のための勉強だと割り切って、地下街が併設している駐車場へと向かうことにした。地上から地下へと潜るトンネルのような入口に入っていく。  数台分空いているスペースを見つけ、SUVを停める。車を降りて、駐車場から地下街へ上がり、目的のファストフードに近い出口から地上へ出た。まもなく1月が終わるが、冬の真っ只中だ。今日も風は冷たい。  正午よりほんの少し早い時間のためか、店はまだそれほど混雑していなかった。店の2階に上がり、ゆったりしたボックス席に荷物を置いて、再び1階へ降りた。ファストフード自体は久しぶりではなかったけれど、ニコは、高校当時は何を注文していたかを思い出してみた。バーガーとポテトとドリンクのセット。ポテトとドリンクはサイズアップする。それに単品で他のバーガーを一つ。途中で足りないと思ったら、サイドメニューを買い足すこともあった。この注文の仕方は今も変わっていない。バーガーの選び方は、できるだけボリュームがある方がよく、期間限定で美味そうなものが出ていればそれも試した。 「決まった?」  注文カウンターから少し離れたところでメニューボードを並んで眺めている。ダンに尋ねると、 「うん」  と、即答だった。そうだ。ダンは悩まない。この店に来た時はこれ、と決まっているからだ。 「お前、新しいモンにチャレンジすることあんの」 「基本ないかも」 「例外もあるってこと」 「いつものが売り切れてたりしたら、他の選ぶしかないし」 「確かに」  ダンをいつまでも待たせるのは悪いので、心を決めてカウンターに並ぶことにする。いつものように注文を済ませ、出てきたトレイを受け取って、席に戻った。  トレイいっぱいに食べ物が乗っているのを見て、ダンが笑う。 「久しぶりに見た、それ」 「いいだろ」 「それで足りんの」 「わかんね」  ダンは楽しそうに笑っていた。何がダンを喜ばせているのかピンとは来ないが、笑っていてくれるなら、それでいい。Lサイズのポテトを束で口に放り込む。 「ダンって卒業してから何して遊んでんの」  高校時代のことは分かる。自分たちが一緒にいた頃はもちろん、疎遠である間も、おそらくは友人たちとこの辺りにいただろう。ニコ自身もそうだった。だが、卒業してからのことは、想像がつかない。  ダンは自分のポテトをつまみながら、 「定休日はバイクの練習してるかな」 「アユミさんとな」 「そう。あとは、本屋行ったり、とか」 「本屋」 「バイク雑誌見て、面白そうな記事があったら買ってる」  バイクの事しか考えてねえな。ダンらしい答えについ微笑んでしまう。 「誰かと出かけたりしねえの」 「たまに」 「友達?」 「友達って言うか……」  ダンは曖昧に首を傾げた。正直、誰かと会っているダンがうまく想像できなかったので、その答えをニコは意外に感じていた。 「バイク屋のお客さん」 「客?」 「まあ、親父の客ってことだけど。俺がバイク買ったら一緒に出かけようぜーって言ってくれてて、それで、時々バイクの後ろに乗せて遊びに連れてってくれる」  また、知らないダンの顔が現れた。ニコはそう思った。  アユミさんと親子の時間を過ごしている、というのとはまた違う世界だ。ニコが全く知らない他人との時間が、ダンにはある。それがダンから見ても同じことだというのは分かる。ダンはニコの大学バスケの仲間を知らないし、ニコのバイト先にどんな講師や生徒がいるのかも知らない。同じだ、ということは分かっているのに、何となく、もやりとする自分がいた。 「どんなとこ行くの」 「いろいろだよ。他のバイク仲間と集まって軽く遠出することもあるし、まあ……道広いとこが多いかな。都心は走りにくいしさ」 「アユミさんぐらいの年の人なの」 「いや、もっと若いよ。30代じゃないかな。やっぱり自営業らしくて」  ふうん、とニコは相槌を打ちながら、どんな男だ、と想像を巡らせる。バーガーを手に取り、ラップを捲った。世界は広がっているのだ。ダンも、自分も。高校にいた時には出会わなかった人たちと出会い、様々な世界が見えるようになった。これはいいことだ。おそらく。 「そっちは何して遊んでんの」  聞き返されて、ニコは自分の大学生活を思い浮かべた。 「……あんま遊んでねえのかも。俺」 「忙しいから?」 「練習の後にこういう店寄ることもあるけど……そのくらいかも」 「そんなことある? 大学生って遊ぶ時間いっぱいあんじゃないの」  そういうイメージを持っていた頃が自分にもある。けれど、講義以外の時間に何をしているかと考えた時、ニコの頭にはやはりバスケをしている自分しか見当たらなかった。練習がない日は塾でバイトだ。それもなければパーソナルジムに行くことも多い。 「……もっと遊べばいいのにな」  他人事のように呟くニコに、ダンは小さく笑い、 「誘われはするだろ。周りに女子も現れたんだし」 「言うほどいねえよ」 「いい子……いなかった?」  その言葉に、ニコはちょっとムッとする。 「まだ疑ってんの」 「いや、そうじゃなくて……」 「誰もいねえよ」 「そうじゃなくて」  怒られていると思うのか、ダンの眉が下がる。だが、目はちゃんとニコを見ている。 「今とか先の話じゃなくて。いいと思ってた人が、もしいたなら……何て言うか……」  ダンの声が小さくなる。 「……邪魔したかも、しれないから」  なんでそんなことを言うのだろう。ダンはいろいろなことを気にしすぎだ、とニコは思う。今や先のことを言う方がまだ分かる。過去にどうだったかを心配したところで、仕方がないのに。でも、一通り心配しないと気が済まない性分なのだろう、と呑み込むことにする。 「誰もいねえんだって。ホントに」 「……お前が気付いてないだけじゃなくて?」 「俺が気付いてねえ誰かのこと気にしてもしょうがねえだろ。そんなこと言ったら、俺が夏に会いに行くより前、ダンは誰か気になってた相手でもいんのかよ」 「は? ……いるわけねえだろ」 「その30代の自営業は」 「……バカじゃねえの」 「だったらお前もバカだよ」  罵りながら、安堵する。実は、などと言われたらどうするつもりだったのだ、自分は。 「時間ある時はお前に会いに来てんだよ。ちゃんと遊んでるっつうの」 「あぁ……」  ダンはニコを見、 「俺もお前と遊んでる」  そう言って微笑んだ。釣られてニコも口角を上げる。我ながらチョロいと思う。  トレイの上のものを腹に収めながら、会話は続いていった。 「なんなら高校ン時のが遊んでる説あるわ。大学のヤツと土日も会って遊ぼうってなんねえし」 「そういうもんか」 「ダンとは休みの日にも時々会ってたもんな」 「……うん」  ダンとは休日にも会うことがあった。普段着ている制服とは違うダンの私服姿を見た時、素直におしゃれだと思った。着飾っているわけではないが、ダンは自分に似合う色やデザインをよく分かっているように感じた。シルバーアクセサリーが好きだと知ったのも、当時のことだ。そういう服装の趣味は、どうやら今も変わっていないらしい。  そして、ニコはそこで気付いてしまう。自分たちが共有できる高校時代の楽しい思い出は、高校1年生の1年間しかないのだと。  2年生の時はほぼ接点がなかった。3年生になって、またクラスも別で、そして思いがけず近い距離に立つことになったのは。 「……体育祭か」 「……え」  あ、いや、とニコは口ごもり、しかし、頭の中にはその時の景色がもうとめどなく溢れていて、取り消すことはもうできそうになかった。 「いや……何となく、思い出しただけ」 「…………」 「去年の体育祭」  体育祭。最初の種目は、200メートル走。歓声。トラック1周を誰よりも速く走るダンに、生徒たちが沸き上がる。それから。 「やっぱ、お前が走ってんのって、すげえカッコいいんだよな」  1分にも満たない短い時間。あの日、ニコはダンと一緒に走った。 「リレーの時もマジヤバかった」 続く

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