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㉔愛情 その2
自分でするから、とダンは言った。
こっち見るな、とも言った。
その言い方が些か強めだったので、ニコは黙って待っている。
今、ダンはデスクの抽斗の奥から取り出したローションで、挿れるための場所を慣らしている。粘性のある液体が立てる水音と、時折漏れるダンの吐息の音とが、部屋の中に小さく響いていた。
見ないでいるのは難しかった。どうしても視線がダンへと動きそうになる。視界の隅にダンを捉えて、直視しないように気を付けながら、ニコはその姿を意識した。
未知なる扉を開こうとしている。そんなことを思ってみる。この前の時、ダンは心の準備をしておくと言っていた。あの時は、同性同士の性交を理解しているダンに、改めて心の準備をする必要があるのだろうかと思っていたが、多分、そういうことではない。今、自分は正に心の準備をしているけれど、それは、初めてする同性との性交に対して、だけではなかった。初めて、ダンとするのだ。少し緊張する。今まで触れ合ってきたことの延長のようでもあるが、その限りではない、とも思う。ダンに、同性との性交経験が過去にあるかどうかをニコは知らない。でも、少なくとも、自分たちは初めて、そこに踏み込もうとしている。心の準備は必要だ。
ダンが、のそりとニコの体を跨いでくる。キスをする。ニコはダンの胸を撫で、指の腹で小さな突起を擦った。ダンの背がぴくりと跳ねる。
「……いいって言ってんのに」
ニコの手をまた退かそうとするダンに、ニコは抵抗する。
「そういう、触っちゃダメみたいなプレイはあんま好きじゃねえんだけど」
「疲れてる時はサボってもいいってことだよ」
「触ってる方が疲労回復に効くんだよ」
「……あー言えばこー言う」
両手でダンの胸を弄った。甘い吐息がダンの口から零れ落ちた。
最初の時、とニコは思い返す。ダンが提案した『体験』の2回目だ。ニコが主導権を持ってダンに触れたあの時、ダンは感じることに深く恥じ入っていた。きっとダンのことだから、素直な反応を見せたらニコがどう思うか、そんなことを気にしていたのだと思う。ここが敏感だと知られることも、恥ずかしかったに違いない。そう思いながら、ニコは胸の突起を優しく掻いた。ダンの首が反った。今までより、開放的な感じがした。視線を下にずらしてみると、ダンの性器が勃ちかけているのが見えた。ニコの下腹部にもまた熱が集まってくる。
ベッドの端に追いやられていた自分のボディバックに手を伸ばして、中からスキンを取り出す。ダンが何かを言いたそうにこちらを見たが、何も言わず、そっと微笑む。その顔にニコは言った。
「ダンに会う時にしか持ってねえよ」
「……なにも聞いてないじゃん」
「常に持ち歩いてんのか、みたいな顔してただろ、今」
「違うよ……」
「じゃあなに」
「……そのつもりでいてくれてたんだと思って」
しかし、その後のダンは些か性急だった。
「……ニコ」
「……ん」
短い確認の言葉を交わす。ダンの顔が、欲しい、と言っていた。
ダンはニコを跨いだまま、腰を落とした。押し当てられた場所に、ニコの先端が呑み込まれていくのが分かった。深い吐息が混ざり合う。自分の上で、ダンの体が震えていた。歪む表情の理由を知りたくて、ニコはダンの顔を見つめた。その手を握る。縋るような視線でニコに応えて、ダンはさらに挿入を深くした。入口がきつく締まり、軽く痛みを感じた。
「ダン……」
「大丈夫」
そう言って微笑もうとするダンの手を、ニコは強く握りしめた。
「ちょっと……一回抜いて」
「……え」
「抜いて」
「……やだ」
「え?」
怯えるような声と目に、ニコは驚く。ダンは首を横に振って、その場から動こうとしない。
「あぁー……違うって。やめねえから」
「…………」
「無理とかじゃなくて」
先に進むのにも、不安がある。ダンが前にそう言っていたことを思い出した。ニコがこの一線は越えられない、そう言うのではないかという不安を、ダンは今も払拭できていないのだろう。
ダンと一度身を離し、立場を入れ替わる。ダンをシーツに寝かせ、ニコはその足元の方へ回ると、見るなと言われたそこに、触れてみた。
「ニコ……」
「やっぱ、俺にやらして」
「なんで……」
「そうじゃねえと、お前の体、分かんねえし」
「…………」
「ダンだって『なんで』って言うじゃん」
ダンが使っていたローションのボトルを取り、指先に掬い取って、狭いそこに優しく塗りつけた。さっき、ダンは多分、苦しかった。全身が強張っているのがニコには分かった。怖さもあったかもしれない。でも、体に無理をしていたように感じた。
ゆっくり、指を1本、挿し入れる。ダンの胸が上下していた。
「だいじょぶ?」
こく、とダンは肯く。もう少し指を奥まで進めてみた。一度、入口が収縮した。それから、深い呼気。それらを見て、ニコは少しずつ、見えないダンの内側を探っていった。丁寧に、できるだけ優しく、焦らないように。ダンの吐く息が、だんだん甘さと湿り気を帯びてきた。良い反応を示すところを見つけ、確かめ、繰り返し擦った。
「……ぁ…ニコ……」
「……メグミ」
開かれた腿に口づけて、ニコはローションを足し、2本目の指を挿れる。ダンの唇と鼻腔から、初めて聞く音が鳴った。その声の正体を見極めようとするニコの胸は、既に高鳴り始めていた。また中を探る。見つけたところをゆるく攻める。ダンの腰が浮いた。声が、とめどなく溢れてきた。
ここで感じることを、ダンはちゃんと知っている。さっきのあれは、未開発のものを無理にこじ開けようとしたわけではなかったのだと思う。誰かとしたのか。それとも、自分で見つけたのか。ダンなら後者でありそうに思うが、後者であってほしいという自分の希望なのか、どちらかよく分からなかった。
「……ニコ、……待…って……」
「……なんで。つらい?」
「……違…ぅ……、……ッ」
違う。それが聞ければ充分だった。あの日も。今も。
ニコはその時初めて、同性が射精を伴わず絶頂に達する姿を見た。ダンの姿態、声、表情、そのすべてにニコは眩めきを覚えた。指を抜き、ダンを抱擁し、キスをした。気怠げな目許も、すっかり弛緩した吐息も、まるごと箱の中に閉じ込めてしまいたいような気分だった。
「メグミ……」
「……ん」
「続き、していい?」
「……ん」
本能に身を委ね、理性を一時的に忘れて、普段より開放的になっているダンもよかった。その顔はまだ欲しいと訴えている。そして、自分もその波に呑まれていることをニコは否定しない。
先端をできるだけそっと、ダンの中に埋めた。ダンの身体は充分に解けている。苦しそうな表情もない。ニコは少しずつ腰を入れていく。収縮はあるが、ダンが深く息を吐くうちにその緊張感も緩んでいった。
仰向けのダンを覆うように抱き締める。
「メグミ……」
ダンの腕がニコを抱き返してきた。その密着にまた胸が震えて、ダンの横顔に頬を摺り寄せる。
「メグミ……」
「…………」
ダンが何かを言いかける気配があった。その顔を覗き込む。ダンは唇を微かに動かし、苦笑交じりにキスをくれた。
「なに……?」
問い掛けながら、ダンを揺する。律動に合わせて吐き出す息に音が混じり、ダンの表情が蕩けていく。
「……別に……」
ほぼ吐息だけでそう応えて、ダンは快楽の波に身を任せていった。その波にニコも身を投じる。ダンと絡まり合ったまま、深い深い水底へと沈んでいくようだ。
メグミ。何度そう呼んだか分からなかった。
メグミ。
再び募る射精感は穏やかだった。少し身を起こして、ダンに何度目か分からないキスをする。
「……メグミ……」
自分の声が切羽詰まっているのが分かった。
「……いいよ」
その声に腰が震え、ダンを強請る。もっとダンの中に入って、溶け合いたいとせがむ。
ダンに見つめられているのが分かる。微笑みかけたいが、うまくいかない。だが、もう目に映るもの、この手に触れるものすべてが愛おしくてたまらなかった。
「メグミ」
自分の声が震えていた。目を閉じる。
ダンの手がニコの頬に触れ、それから。
「……ノゾミ」
呼吸が止まった。
ニコは腕の中に、ダンの顔を掻き抱いた。
「メグミ……」
訪れた射精と、それに伴う快楽をニコは時間をかけて味わった。体にだけでなく、心にも溢れ広がり続ける幸福感があった。
こんなセックスを経験したことはなかった。このままダンを抱き締めたまま、離したくない。
けれど、小さく鼻を啜る音が聞こえて、ニコは咄嗟に顔を上げた。
「……どした?」
ダンの涙に動揺する。
ダンは首を横に振って、手で顔を拭った。
「なあ……」
「……死にそう」
「えっ」
「……幸せで、死にそう」
新しい涙が、ダンのこめかみを濡らしていく。
ニコの唇も震えてしまう。
「……俺も」
ふ、とダンの口許が緩んだ。
「なら……いいや」
きれいなその涙にニコは口づける。
「メグミ」
その名前に、ありったけの思いを込めて呼ぶ。平易な言葉では伝わりきらないものすべてを詰め込む。
ダンは深く息を吸った。そして、ニコと同じ温度で言う。
「ノゾミ」
続く
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