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㉖先輩
「……やっぱ、うめえな」
ニコの口から、思わず声が漏れた。
月末から始まる新人戦に向けて、1、2年生の入念なスキルチェックを兼ねた練習が行われている最中だった。今は監督の指示で、1年生たちがシューティングを行っている。ゴール下から、あるいはミドル、スリーポイントと距離や角度を変えながら新入生たちのシュート精度が試されていた。
高校時代はPFとして活躍していたという1年生がひとりいた。高校の時はエースだったという彼は、PFに求められる基本的なことは既に理解し、技術も伴っていた。1部リーグ所属の大学でも通用するのではないか、と先輩たちが噂しているほどだ。どういう経緯でこの大学に決めたかは分からないが、多分、チームにとっては有難い戦力になるだろうことが、ニコにも推して測れた。
これは、自分の身が脅かされているのだということも、ニコは理解している。同じポジションに、技術のある後輩が入ってきたのだ。うめえな、と呟いてしまったのは、彼はどの距離からでも上手にシュートを決め、おまけにコーナーに近い外側からでも迷いなく打つことができていたからだ。ニコが大学に入ってから磨き始めたものを、彼はもう持っている。シュートのことだけではない。ゲーム中のスクリーンやヘルプの対応も分かっているし、リバウンドにも飛べる。正直、やべえな、とニコは思っている。
監督が一度休憩を取った。1年生たちがコートから壁際へと散っていく。
いちばんやばいと思っているのはこの時だ。ニコはその後輩を目で追う。向こうから、塩見先輩が来ている。後輩の脇で足を止め、何かを言っている。心がもやもやした。ミスター塩対応が彼に目を付けた、という事実に、焦燥感を抱く。
「今年のターゲットは彼だね」
間宮先輩がニコの隣で言った。言われなくても分かっている。そうすね、とニコは短く答えた。
「やきもち妬いてんの?」
「そうじゃないすけど。……そうなのかな」
「もう妬いてる場合じゃないよ。谷越も先輩になったんだから」
それも頭では分かっている。いつまでもいちばん下っ端でいるわけにはいかない。先輩たちにおんぶにだっこで甘え続けるつもりもなかった。それに、うまい後輩に簡単に追い落とされたくもない。
去年までは、塩見先輩を筆頭に、うまい先輩たちの背中をひたすら見、追いかけてきた。だが、今年は自分の背中が見られるのかも知れないと思うと、確かに、妬いてる場合ではなかった。
「塩見はいつも通り、彼に足りない部分を不親切に教えてるだろうから、それを吸収するかどうかは彼次第だけど」
「ミスター塩対応が何言ってるか、正直気になるンすよね」
「そうね。でも、一緒にプレイしたら谷越にも分かると思う」
「そうですかね」
塩見先輩は既に彼から遠ざかり、残された彼は、困惑した表情で先輩の背中を見つめていた。
「とりあえず、見てみ。次、紅白戦だろ」
コートに休憩を終えた1年生が戻りつつある。それから2年生も。新人戦でのチーム編成に影響する、実戦形式の大事な練習だ。ニコもコートに向かう。
ニコは白組に振り分けられた。同期が中心で編成されており、ベンチ入り経験のある3年生も交ざっている。
紅組は1年生が中心で、例の後輩もそこにいる。控えの先輩も数名。
春大会とは雰囲気が全く異なっていた。公式戦慣れしているメンバーが少ないため、ニコが味方の胸を借りまくると言うわけにもいかない。同期のPGに一度背中を叩かれた。何かを託された気がした。
時間は10分間。雰囲気は違ってもやることは同じだ。味方の立ち位置。相手の立ち位置。ボールの流れ。プレイヤーたちの特性。それらを集中して判断する。視野を広く。
相手チームのオフェンス。ニコはポストに向かって走った。PFの後輩がついてくる。と、ミドルシュートが打たれた。ニコはもう立つべき位置に動いている。後輩と体がぶつかりプレッシャーをかけてくるが、譲る気はない。床を蹴る。リングで跳ねたボールを掴み、着地から即座に振り返ってパスを投げた。
一度、ホイッスルが鳴った。試合が止まり、監督からここまでのプレイに対して指摘が入る。お前はもっとよく見て。お前はもっと早く動け。例の後輩にも声が飛ぶ。判断速度上げろ。それを聞いたニコの頭の中に、塩見先輩の声が再生された。遅せぇよ。見てから動いてんじゃねぇよ。妙な懐かしさと、気が引き締まる思いとが同時に湧いた。
ニコたちのオフェンスからの再開だ。後輩がニコのマークにつく。彼はディフェンスもうまい。動きにくいじゃねえかよ、と彼を一瞥した。身長に殆ど差はなくて、練習着から覗く手足の筋肉にもそこそこの発達が見られる。だが。駆け出したのは殆ど勘だ。ボールの流れと、人の動き。スクリーンに入ってディフェンスを足止めする。そこから、空いているコーナー付近へ。追ってくる後輩よりも先に、ニコにパスが回ってきた。いい連携が繋がっていた。この連携を継続させるには。空いている味方は。ディフェンスの動きは。目の前には後輩がいる。ドライブで数歩左へ動く。後輩がついてくる。
一瞬、叩かれた背中を思い出した。
ゴール正面にいる味方を見た。後輩が1歩下がる。心が決まる。前へ1歩。それから後ろ足に重心を置いて、飛んだ。力加減を意識して、素早くボールを手放す。フェイダウェイシュート。その時になって初めて不安が胸を過った。が、ボールはネットを潜って、落ちた。ニコは大きく息を吐く。
また、ホイッスルが鳴った。
監督がニコに尋ねた。
「さっきのスクリーンは、何見て動いた」
「あー……なんか、攻めづらそうな感じになる気がしたんで」
「……。じゃあ、最後のフェイダウェイは、どういう判断?」
「すみません」
「何で謝る」
「や、あの場はあれがいいと思ったンすけど、出来るか分かんなかったし……もっと違う選択肢があったかも、とは思います」
監督は一度首を傾げた。
「違うよ。シュートに入る決断が遅い」
「え」
「連携の流れはそこそこ理解できてんだから、その最後を担う覚悟を決めろ、お前は」
残りの数分間。ニコは監督に言われたことに応えるべくプレイを続けた。スクリーンやヘルプに積極的に走り、リバウンドでは最速で最適な位置取りをすることに使命を燃やした。相変わらずルーズボールには果敢に挑んだ。そして、自分にパスが回された時、今がシュートを打つべき時かを意識した。そうだと思えば打った。違えばパスを回した。そうするうちに、体が思い出す感覚があることにニコは気付いた。高校時代、ニコもエースだった。ここぞという時にパスが来る。ここでシュートが決まれば、チームの士気が上がる。勝っていても。負けているときは特に。今の自分がエースに返り咲いた、とはさすがに思わないが、あの頃の感覚が活きる場面はある。そのことをニコは静かに思った。
その日の練習が終わり、バッグの中身を片付けていると、間宮先輩が隣へやってきた。
「どうだった。あの後輩クンのこと、ちょっと分かった?」
ニコは顔を上げ、立ち上がる。
「そうすね……去年の俺とおなじこと言われてんだなぁとは思いました。でも確かに……今なら振り切れる感じはあったかな」
「高校よりスピード感が上がるのは否めないからね。谷越はそれが分かってきてるでしょ」
「でも、すぐ対応してきそうな感じもありますけど。あとは……体作りかな」
「うん。リバウンド合戦見てたら一目瞭然だったからね。彼にはまだ筋トレが必要。それに、体力面は未知数なんだよね。長い時間コートに出して最後まで走り切れるか分かんないから」
「それは、俺もでしょ。まだ数分しか出たことないし」
間宮先輩がニコの顔を覗き見る。
「自信ないの?」
「そうでもないです」
「だよね。走れなかったら、その体なんなの? って話だし」
ニコも肩にバッグを提げる。体育館の出入り口へと、間宮先輩と一緒に歩き始めた。
「だけどさ、谷越ってホントに勘でやってるんだね」
んー、とニコは曖昧に相槌を打ち、
「いろんな理屈は頭で分かるようになったんですよ、これでも」
「それは分かる。こういう時はこう、っていう理論をインプットしてないわけじゃないよね。試合映像も見返してると思うし。だけど、それをゲームの最中に理論で思い出してないんだなーと思って。監督が困惑してるの面白かったな」
「……え、マジすか」
「スクリーンかけようと思った理由を説明できない、っていうのが谷越の面白いとこだよ。結果的に成功してるからそれでいいし、判断も明らかに速くなってきたから問題はなくてさ。今の谷越のプレイを理論づけることは可能だからね。あてずっぽうにやってるのとは違うから」
もちろん、あてずっぽうやテキトーではない。勘が外れることもあるが、人間同士が動いているのだから、予測不能な事態だって起こり得る。それでも、少しずつ見えてきているのだ。正に勘が研ぎ澄まされていくのが、ニコ自身にも分かる。
「大学での経験値がちゃんと積み重なってると思うよ。スピード感が分かって、自分が連携の要にいるってことも理解して、新しい課題にも素直に取り組んで。で、それが谷越の勘の精度を上げてるんだって俺は思う」
「……あんま褒められると怖いんですけど」
「ちょっとうまいくらいの後輩には負けてないよって、言いたかっただけだよ」
「……あぁー」
「どうせお前、油断もしないんだろうし。それに、気にするのは後輩じゃなくて、立ちはだかる壁の方だろ」
その通りだ。
靴を履き替えて表に出ると、そこに塩見先輩が立っていた。間宮先輩を待っていたのだろう。
塩見先輩はニコの姿を見ると、じっと視線を注いできた。そして、数歩、近付いてくる。
「お前。いつまでもボール投げして遊んでんじゃねえぞ」
本日の格言。ニコはつい笑顔になる。
「シュート練します」
パスばかり回してるんじゃねえ、という意味だと捉えた。前に、馬鹿の一つ覚え、と言われたこともある。ひとつを気にするとそればかりやり続ける傾向があるから、やはり、状況判断が肝要なのだ。そして、シュートの練習は、する。
「塩見先輩、今度シュート練、付き合ってくれます?」
「は? 嫌だけど」
「じゃ、ラーメンは付き合ってくれます?」
「……おい。間宮。こいつ何言ってるか分かんねえんだけど」
あははは、と間宮先輩が明るい笑い声を立てた。
「いや、いいじゃん、ラーメン。寄ってこうよ」
「行かねえし」
さて。ここから最寄り駅に向かうまでの間に、自分たちはラーメン屋の暖簾を潜るだろうか。
クールな塩見先輩の横顔を、ニコはちらりと窺い見る。
この人には、最後まで勝てないかもしれないけど。でも、あんたがいるからすげえ燃える。
夕焼け空が広がっていた。明日も晴れる。すずめが数羽、木立から飛び立っていった。
続く
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