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㉗いつものカフェで

 バイト前。いつものカフェのカウンター席でラージサイズのアイスティーを飲んでいると、ふと横に人の気配を感じた。見ると、直江が立っている。 「おう」  直江はにこりと笑い、ニコの隣にレギュラーサイズのアイスコーヒーが乗ったトレイを置いた。 「今日お店混んでるね」 「ああ。よかったじゃん、ちょうど空いてて」 「谷越くんの隣は座りづらいから空いてるんじゃない? キミ、大きくて威圧感あるから」 「じゃあどっか別ンとこ座れよ」 「そこはボクのために空けといたんだって言うとこだよ」  しれっと直江がスツールに座る。なんだか気持ちの悪いことを言っているが、偶然隣が空いていて、一緒に座れることに文句はない。  5月半ばを過ぎ、風の心地良い季節となった。今日は陽射しが少し強めで、歩いていると薄ら汗ばんでくる陽気だ。夕方近いこの時間に、ようやく涼しくなってきたところだった。 「そう言えば、去年谷越くんと久しぶりに会ったのも、この辺の席だったよね」 「え。あぁ。そうだっけか」 「まだ1年も経ってないけど、もはやちょっと懐かしい気がする」  直江とこのカフェで再会した時のことを思い出してみた。ダンとの再会後だから、7月の半ば過ぎだっただろうか。細かいことは茫洋として思い出しづらかったが、思いがけず会えたことに驚いた、その気持ちは心に甦ってきた。 「塾のバイトの話したのは覚えてるわ」 「続けやすいバイトだよね。レポート忙しい時は大変だけど、生徒に教えてる時間が気分転換になるし、適度に頭もクリアになるし、その方が家での作業が捗ったりするから」 「頭ン中が整理される感じは分かるけど、俺の場合は生徒となんかテキトーなこと喋って気分転換してる感じだな」 「勉強教えてるんだよね?」 「教えてるよ。けど世間話もすんじゃん」  ふうん、と直江は曖昧に頷いて、アイスコーヒーを啜った。ハイレベルな大学に通う講師は、担当する生徒もハイレベルで、世間話をしている暇があったら難問をひとつでも多く解いていたい、そんな感じなのだろうか。  ニコもアイスティーをひと口飲み、 「けど、このバイト結構楽しくね?」 「うん。やり甲斐は感じるよね」 「そうそう。俺の生徒にさ、数学苦手なヤツがいて。最初の頃マジで悲愴な顔して授業受けてたんだけど」 「生徒をヤツ呼ばわりするのはダメじゃない?」 「流石に得意にはなりそうもねえんだけど、そんでも前よりいい点採れました、とかさ。塾で習ったのと同じような問題がテストに出たから解けました、とか言ってくれんの。そういうの、何でだろうな、俺が出した結果じゃねえのに嬉しいんだよな」  わかる、と言って直江は微笑んだ。 「こっちは講師だから、そりゃ生徒ができるようになるのが望ましいし、ある程度の責任はあるでしょ。ボクたち理系ボーナスももらってるんだから尚更ね。でも、結局努力するかどうかは生徒次第だから、ボクたちができることには限界があって、それでも、塾に来たお陰で何かできることが増えて、それで『ありがとう』って言ってもらえるとさ、寄り添ってよかったなって思えるよね」  ありがとうか、とニコはその言葉を心で反芻した。講師として、生徒の役に立てた。確かに、そう思える顕著な言葉だ。直江の言う通り、結果が出せるかどうかは最終的には本人次第だけれど、こちらが生徒のためにと心を尽くせば、生徒もそれに応えてくれるような気がした。少なくとも、応える努力はしてくれると思う。だとしたら、自分も、生徒が解ろうとしてくれたことに、礼を言いたくなる。 「ありがとうが循環するような仕事、いいよな」  ぽつりと呟いたニコに、直江が顔をこちらに向ける。 「なに。就職の話?」 「いや。まだ全然ビジョンねえけど。直江はあんの?」 「ボクもまだないよ。今は目の前の研究とかの方が面白いから」 「俺もバスケのことしか考えてねえわ。もうすぐ新人戦だし」 「練習忙しいんじゃないの?」 「今日は休みだから自主練してきた。そんでこの後バイト」 「タフだね。信じらんない。休みが休みじゃないじゃん」  直江の言葉にニコは笑った。バスケ部全体の練習がなければ、ニコにとっては立派な休みだ。それでもバスケットボールに触れない日はない。特に今はシュート精度を高めなければならないし、空き時間が少しでもあるなら自主練に励んでいたかった。 「新人戦終われば、また少しゆるくなるしな」 「それまでデートもおあずけ?」 「あー。今は週1しか休みねえからさ」 「ブラック!」 「ブラックじゃねえよ、そういうもんなんだよ」  直江はニコのスケジュールに驚いているが、おそらく彼だって暇があれば、専門書を読んだり、パソコンに向かったり、自分のしたいことに時間を割いているはずだ。スポーツか勉強かという違いだけで、やっていることに大差はないと思う。 「ダンだって、あいつは週に2回休みあるけどさ、休みだからって家でゴロゴロしてねえし。みんなやりたいことやってんだろ」 「団野くんは何してるの。バイクで出掛けたりとか?」 「時々遠出してるっぽい。バイク仲間もいるらしいし」  へえ、という直江の相槌に被せるように、ニコは言った。 「そういやさ、直江って酒飲んだことある?」 「ないよ。まだ二十歳(はたち)になってないし」 「そっか。いや、俺もねえんだけど。でも、ダンが飲んでんだよな」 「まあ、そういう人は一定数いるんじゃないの」 「父親と晩酌だって。なんかずるくね?」 「なにが?」  直江は笑いながら言い、 「だったら、谷越くんもお父さんと飲めばいいじゃん。て言うか、めっちゃ飲めそう」 「そういうことじゃなくて」 「団野くんと飲みたいってこと?」 「……ああ。それちょっといいな」  いってらっしゃい、と言う直江の声が素っ気ない。  だが、自分たちは今年二十歳を迎えるわけだし、一緒に飲みに行くという想像はまるっきり馬鹿げた話でもない。 「……ダン、店で飲んだことあんのかな。それはさすがにねえか。まだ19だし」 「…………」 「でもなんか、居酒屋って感じでもねえ気がする」 「おしゃれなバーとか」 「似合いそう。でも俺、緊張しそう」  フン、と鼻で笑う直江を、なんだよ、と横目で見る。 「谷越くんは安い居酒屋でビールをジョッキで飲んでるイメージ」 「そう、ダンは家でビール飲んでて……」 「あのさ」 「え」 「まだ団野くんの話する?」  カウンターテーブルに置いていたニコのスマホを、直江は指先でトントンと叩いた。 「キミの惚気話だけで終わりそうなんだけど」  時間を見る。バイトの時間は刻々と迫っていた。 「わかった。じゃあ次、お前の番」 「惚気話なのは否定しないんだね」  そう言って、直江は少し居住まいを正した。 「あのさ。谷越くん、オソロイって興味ある?」 「オソロイ? なんのだよ」 「この前、彼女の買い物に付き合った時にね、欲しいピアス見つけたって言ってて」  彼女の買い物に付き合っている直江。その図を想像して、ニコの口許が思わず緩む。 「で、彼女はそれを買ったんだけど、ボクに言うわけ。ボクがピアス開けたら、1個ずつ持てるねって。デートの時にオソロイでつけられるね、って」 「マジか。え、それで」 「ちょっと悩んでるんだよね。同じキーホルダー持ちましょうっていうのと話が違うじゃん。ボクの耳に穴を開けるかどうかって話だから、ちょっとハードル高いなと思ってて」 「でも、そのオソロイはちょっとおしゃれじゃね?」  直江はやや真剣な面持ちでニコを見た。 「谷越くんは、団野くんにオソロイでピアスしようって言われたら、いいよって言う?」 「あー……いいよって言いたいけど、ちょっとムズイかな。バスケの時気になりそう」 「じゃあ、バスケしてない谷越くん設定で」 「日常に支障がねえなら、まあ、ありかも。ダンも俺もそこで初めて穴開けるわけだろ。それ一緒にやんのも面白そうだし」 「妖怪前向き小僧」  奇妙なあだ名につい笑ってしまう。直江は小さくため息を吐いて、 「そもそもアクセサリーを普段つけないから、自分に似合うのかどうか分かんないし。開けたら開けたで、化膿したら面倒だし。親に色気づいてるとか思われるのも嫌だし」 「要するに開けたくないわけ?」 「でも、彼女が欲しがったピアスはシンプルで男女どっちでも自然につけられそうなデザインだった」 「うん」 「暑い時期は汗で化膿しやすいらしいから、開けるなら今だなとは思った」 「うん」 「親のことは……案外ボクが青春を謳歌してると知ったら安心するかもしれない」 「お前も前向き小僧じゃねえかよ」  悩んでいる、などと言っていたが、嘘だ。本人は悩んでいるつもりなのかもしれないが、どう聞いても彼女の提案を飲む方向で考えているとしか思えない。ニコは、その横顔に言ってやる。 「直江は別にピアスをしたいわけじゃねえけど、彼女の希望なら叶えてやりたいってことだろ」 「そうだね」 「それは俺にも分かるわ」 「谷越くんと気が合うことなんかあるんだね」 「少しくらいはあってもいいだろ」  直江が柔らかに微笑む。小柄で穏やかな顔立ち。優し気な雰囲気は前から変わらない。もちろん中身まで完璧に優しいとは言わない。ニコに対する遠慮のない、時に毒の混ざるものの言い方も、相変わらずだった。 「次に会う時は、ボクの左耳に穴、開いてるかもね」 「彼女に開けてもらう感じ?」 「いや、ボクは病院で開ける」  ほら。やっぱり開ける気だ。ロケーションまで決まっているのだから。  「アクセサリーのオソロイはいいかもなぁ」  2つで1セットのピアスを分け合う、というのは素直に良い発想だと思えた。 「ダン、シルバーアクセ好きだしな。ピアスじゃなきゃありかな」 「結局団野くんの話するじゃん」 「え、でもよくね?」  ふたりしてグラスの飲み物を飲む。 「それなら、分かりやすく指輪でも贈れば」 「……分かりやすすぎねえ?」 「恥ずかしいの?」 「…………」  恋愛という文脈において、指輪は意味がありすぎる気がした。それに、オソロイという条件で話していることを思うと、尚更意味が深まってしまいそうだ。 「ぶっちゃけ、恥ずかしい。けど、あげ方にもよる。改まってプレゼントとかは無理だけど、ダンと店行って、これよくねえって一緒に選んで買うなら、まあギリあり」 「オソロイ、したいの?」 「それは別にどっちでもいい。ダンがそういうの喜ぶっていうなら、俺も乗れるって話」 「団野くんがオソロイなんて気持ち悪いって言う可能性もあるもんね」  どうだろうか。ダンは、自分の希望をあまり口にしないから、欲しいもの、したいことをニコが知らないだけ、かもしれない。それに、ダンは物事の細かな構造よりも、雰囲気を見るようなところがある。だから案外、オソロイは気に入るかもしれない。そういうロマンチックなものを、気持ち悪いとは真逆に、好むかもしれなかった。  バイトに向かう時間が迫っている。今日は直江と一緒に席を立ち、それぞれに鞄とトレイとを持って歩き出した。 「じゃあ、次に会う時、谷越くんは薬指に指輪がはまってるかもしれないってことだね」 「いや……なんもねえ時に指輪あげるとか、それはそれで情緒なくね?」 「あぁ、記念日とか誕生日とかに合わせるってこと?」 「そういうもんじゃねえの?」 「谷越くんって記念日とかどうでもいいタイプだと思ってた」 「……まあ、割とどうでもいい」  カフェを出て、賑やかな街を行く。  大きな交差点で、並んで信号を待つ。 「そうだ、この前ダンが俺ン家来てさ」 「まだ言う」 「お前、彼女家によんだことある?」 「ないよ。親に言ってないもん」 「彼女ン家行ったことは?」  信号が青に変わった。人々が一斉に動き出す。 「じゃ、続きはまた今度ね」  直江とはここで別れる。それぞれに違う横断歩道を歩き始めた。 「じゃあ、またな」 「またね」  空はまだ明るい。  都会の雑踏に紛れ込むニコの頬を、涼やかな風が撫でていった。 続く

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