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㉘バイクと工場
「ニコ、まずこれ着てみて」
ダンに手渡されたジャケットを手に取る。言われるまま、半袖Tシャツの上にそれを羽織った。黒字に緑のライン。メッシュ生地が使われていて、通気性は良さそうだった。
「なんか付いてる」
「プロテクター。肘と肩、あと胸と背中。サイズ大丈夫?」
「ああ。割とぴったり」
近くにいたアユミさんが、肩のプロテクターの位置を確認してくれた。
「お前デカいからさぁ。合うサイズあってよかったわ」
次に、ダンは靴を1足、ニコの足元に置き、
「それも履いてみて」
「かっけえ。ハイカットじゃん」
言われるまま、家から履いてきたスニーカーを脱ぎ、やはり黒字のハイカットシューズに爪先を入れる。ダンとアユミさんが心配そうにこちらを見る視線が気になった。
「……履ける?」
「大丈夫そう」
ダンがしゃがみ込んで、足と靴とのフィット感を確かめた。足首のベルクロをきちんと締めてくれる。ホッとしたような溜息を吐いて立ち上がり、
「ジャケットも靴も、違和感ない?」
「ねえよ」
「じゃあ、次」
差し出されたのはグローブだ。これもメッシュで、暑くはなさそうだった。
「これも、プロテクター? 付いてんの?」
「そう。ナックルのとこに。柔らかめのだから、手ェ動かしやすいだろ」
サイズに問題はない。これもダンが手首のベルクロを締めてくれた。
「あと、これ……」
傍らに停めてある、ダンのバイク。そのシートに乗っていたフルフェイスのヘルメットを、ダンは手に取った。カーキ色で洒落ていた。
「これは……合うかどうか分かんないから、緩いとかきついとか、ちゃんと言って」
妙に念押ししてくる。ジャケットも靴もグローブも、そのつもりで試着していたのに。
ヘルメットをかぶる。頭がぴったりと挟まれるが、思ったより視界は狭くない。フェイスシールドが広めに作られているためだろう。が、外の音は聞き取りづらい。ダンの手が伸びてきて、顎下の紐を止めてくれた。先ほどから至れり尽くせりだ。ヘルメットの左右を押さえられる。
「ちょっと頭動かしてみて」
何度か首を捻り、横に振ってみた。
「よし」
そう言って、ダンは笑顔になった。ハハハ、とアユミさんの笑い声が聞こえる。
「よかったなぁ、サイズ合ってて」
「うるさいよ」
視界にアユミさんが入ってきた。ダンの後ろに立ち、ニコを見て言う。
「他の一式はウチの試乗用だけどさ。それ、ヘルメットはノゾミのだから」
「俺の?」
「メグミからのプレゼントだってよ」
「そういうの言わなくていいから」
ダンがアユミさんを押しのける。
俺の。ニコはグローブを嵌めた手でヘルメットに触れてみた。一度外してどんなヘルメットなのかをよく見たかったが、紐が止めてあることを思い出す。
「ダン……」
「ちょっと待ってて」
既にライディングジャケットを着、ライディングシューズを履いているダンは、バイクのハンドルに提げていた自分のヘルメットを手に取り、被った。それから、ヘルメットの上から顎の辺りに数秒触れた。見ると、何か小さな機器が取り付けられている。ニコの傍に戻ってくると、ダンはニコのヘルメットにも同じように触れ、すると、急に音声が聞こえた。Bluetooth connected.
「ニコ」
「えっ」
「聞こえる?」
「えっ」
「聞き取りづらい?」
「や、聞こえる。えっ、なにこれ」
ヘルメットの中からダンの声がする。音声は至ってクリアだ。だが、予想もしていなかった。
「マイクとスピーカーないと、走ってる間話しにくいだろ」
「こんなのあんの?!」
「……あー、大きい声出すと俺の耳が痛いから気を付けてもらえる?」
「あ、ごめん」
装備といい、マイクといい、ライダーの世界は知らないことばかりだ、とニコは感心する。正直、ジャケットは大袈裟なのではないかと思っていた。もう6月も下旬になり、普段は半袖で過ごせるくらいの気候になっている。だが、風に直接あたってると意外と疲れるし、夜は寒く感じるかもしれないから、とダンは言っていた。それに、プロテクターが至るところに仕込まれていることを考えれば、これは安全対策なのだと理解できた。
「ダン、これで準備完了?」
「完了。どっか変なとこある?」
「大丈夫。……なあ。お前、いつもこの装備でバイク乗ってんだよな?」
「そうだよ」
「なんか、かっけえ」
「かっけえから装備してるわけじゃないんだけど」
けれど、ダンのジャケットも、少し厚底のシューズも、ニコのよりもプロテクターがしっかりとしていそうなグローブも、自分の好きなものを選んで身に着けているのだと分かる。バイクの車体と同じ黒に統一されていて、カラーが入っている部分は僅かだ。シューズの底や紐。それから、ジャケットにシルバーのパイピングやリフレクターが見える程度だ。もちろんヘルメットも黒い。バイクに乗ろうというその姿だけで、充分にカッコよかった。
「じゃあ、乗るけど。乗っていいよって言うから、少し待って」
「おう」
ステイ、とアユミさんに犬のように揶揄われる。
ダンがバイクに跨った。納車の日に見たのと同じように、車体をまっすぐにして支える。ミラーの角度を調整し、イグニッションキーを捻ると、メーターの動き出す軽い音がした。それから、スターターボタンを押す。キュルキュルと高い音が鳴って、エンジンがかかった。初めて聞くその音に高揚感が増した。
サイドスタンドを跳ね上げたダンが、いいよ、と耳元で言った。
アユミさんが、座っているダンの腰の下を指した。
「それがタンデムステップ。それに左足乗せて、右足を向こうに回す」
「なるほど」
ダンの肩に手を置いて、言われた通りにタンデムシートに跨る。
「シート、小さくてごめん」
「いや、平気」
「前の方詰めてきていいから」
「このままお前の肩借りてていいの」
「肩でも腰でも、どっか掴まってて」
安定した方がいいのだろうと思い、ダンのジャケットの腰の辺りを掴んだ。
初めて、ダンのバイクに乗せてもらった。
小さく見えていたタンデムシートは、乗ってみてもやはり小さかったけれど、自分が人より大柄なせいもあるのだろう。ダンの背中はすぐそこで、掴まっていなくても体の一部が密着する。ダンのヘルメットを見つめる。無機質な素材に覆われていて、ダンの表情は見えるべくもない。だが。
「ニコ」
「ん」
「曲がる時、曲がる方向に合わせて、ちょっと体倒す感じ」
「わかった」
「無理に倒さなくていいから。俺に合わせるくらい」
「オッケー」
声が聞こえる。それだけで安心感があった。
それでも、胸がドキドキした。
今、自分は眠りから覚めた獣に跨っている。瞼を開き、体内を温め、唸りながら、疾走するための準備を整えているこの獣は、ニコが座るシートにもステップにも、その鼓動を伝えてきていた。言葉が出なかった。バイクそのものに対する感嘆と言うより、これを駆り、操るダンへの畏敬の念だ。ダンがバイクを好きで、この車種を買うと一途に決め、それを手に入れた。ニコが分かっていたのはそれだけだった。だが、違う。今ここには、ダンの世界があった。ニコの知らない、ダンだけが知る世界が。
「ニコ」
「え。……ああ、うん」
「大丈夫?」
「いいよ。大丈夫」
「じゃあ、行くよ」
ダンのジャケットを掴み直す。
アユミさんが横に来る。
「気をつけてな」
ニコは笑顔で頷いた。
バイクがゆっくりと走り出す。僅かな緊張と、それを上回る期待とがニコの胸をいっぱいにした。
バイク屋の敷地を出、住宅街をバイクは緩やかに走る。ダンは黙っている。エンジン音と振動だけがあった。車とバイクで違うことは沢山あるだろうが、アクセルやブレーキの感覚は共通するものもあるのではないか、とニコは思う。だとすると、ダンの運転は丁寧で上手だ。急な停止も発進もなく、ニコは安心してダンの後ろに座っていられる自分に気付いた。
時刻は夕方。17時半を回ったところだった。
バスケの新人戦は、ベスト8に入ったところで終わった。例年の結果を見る限り、妥当な順位だった。負ければ悔しい。だが、コートには長く立てた。同期や後輩たちと組んだチームは課題が多いが、これから彼等とチームとして育っていくのだということを実感できた。いつまでも先輩たちがいるわけではない。自分たちが強くなっていかなくてはならないのだ。
この新人戦を観に来られなかったことを、ダンは少し気にしていた。春大会からそれほど日が経っていないから、何度も仕事を休むことは出来なかったと、ダンは正直に言った。もちろんダンが応援に来てくれることは嬉しいけれど、無理しないでいい、と言ったニコの言葉に嘘はない。試合はどうしても土日になるし、ダンの仕事が忙しい日に重なるのは仕方のないことだ。秋にはまた行く、とダンは言った。
それからすぐに、ダンに誘われた。バスケ部もバイトもない平日があったら、夕方から工場夜景を見に出掛けないか、と。工場夜景に興味があることを覚えていてくれただけでもニコは嬉しかったが、話にはまだ続きがあった。
俺のバイク、乗る?
そう尋ねられた時、俄かに心が浮き立った。いいの? いいよ。乗りたい。じゃあ、バイクで行こう。そんなふうにして、今日の予定は立てられていった。
前に車で走った道を、今日はバイクで進んでいく。高校の最寄り駅へと向かう大きな通りだ。途中の広い交差点の手前で、バイクは右折レーンに入った。
「今日、あんまりトラックとかいなくね?」
前回目立っていた大型車両が今日は少ない。乗用車やバスの姿が目立っている。ヘルメットの中にダンの返答があった。
「もう仕事が終わる時間だからかな。工場地帯に行く用事、終わってんのかも」
「あー。じゃあ工場も仕事は終わりか」
「稼働率は下がるかもな。けど、工場の中を見学するわけじゃないから、問題はないんじゃない」
右折後の幹線道路をバイクは順調に走っていく。反対車線の方が混んでいるようだから、やはり、仕事から戻る車両が多いのだろう。一度左折。それからまた右折する。
「ダンさ、このバイク、結構速ぇって前言ってたじゃん」
「うん」
「この辺じゃ速く走れねえだろ。どっかで飛ばしたりしてんの」
「まあ。ちょっと郊外に出ればいいとこあるから」
「へえ」
「けど、親父とは違うから。速く走るためにバイク出すってことはないよ」
自転車屋で、堤さんと阿部さんに聞いた話を思い出した。
「走り屋ってやつか」
「どのくらいスピード出んのかなって思う気持ちは分かんなくもないけど。ワインディングを攻めまくりたい、みたいな感覚は俺にはねえかな。転んだらバイク傷つきそうだし」
「アユミさんはスリルを楽しんでたんだろうな」
「バカだよな」
「えー。それはそれでカッコよくね? ダンにやれとは言わないけど」
「俺は相棒とどっかに出掛けたいってだけだから」
相棒。このバイクのことだ。愛情深いダンが、この相棒を大事にしていることが、よく分かる。そして、今日はその相棒に自分も乗せてくれている。俺も大事に乗らねえとな、とニコは思った。ダンの相棒であるこの大きな獣は、今、調子よくエンジン音を響かせながら、街の中を駆けている。
頭上に高速道路が現れた。バイクはそこを左折し、高速道路の下を走り始めた。
「もう少しだよ」
「やべえ。どんなんだろうな」
まだ空は明るかった。夜になってから出掛けるのかと思っていたが、ダンは、暗くなる前の方が良いと思う、と言っていた。スマホで検索すると出てくる工場夜景の写真をニコに示し、多分ニコはこの夜の工場だけじゃなくて昼の工場も好きだと思う、とも言った。初めは、やはり、ダンはニコが喜ぶことを考えて今回の行き先を決めたのかと思った。が、そうではない。最適な時刻や目的地までの道程など、出発までの準備のあれこれを積極的に整えてくれたのはダンだ。その1つ1つを、ダンは楽しそうに提案してくれた。ニコの興味だけでなく、ダン自身も行きたいと思ってくれているのがよく分かった。何より、バイクに乗せてくれたのだ。しかも、ニコのためにアユミさんの店からジャケット等を一式借りた上に、ニコ専用のヘルメットまで用意してくれていた。
バイクはもう一度右折して、少し速度が上がった。交通量が減ってきていた。先ほどとはルートの違う高速道路が横を走っている。電気量販店の大きな看板が見えてきた。前方を見ると、急な登り坂が迫っていた。バイクは真っ直ぐにそこへ向かっていく。
「ニコ」
「うん」
バイクが道を登り始める。それは山道ではなく、橋を渡るための坂だったと分かる。
運河だ。空が広い。橋の上で、バイクの速度が落ちる。
ニコは右を見た。おぉ、と小さく声が出た。運河の向こう、対岸に建ち並ぶ工場群が小さく見える。
「なんか火ィ出てる」
ダンもちら、と一瞬だけそちらを見た。
「火? なんで」
「可燃ガスとか処理してんじゃね?」
「……そういうのよく分かるな、お前」
橋を渡り切り、少し行ったところで、ニコは左を見て、また小さく声を上げる。
「なんか今、すげえ味のある工場あった」
「味?」
「なんか、配管で迷路作ってるみたいなやつ」
ダンの笑い声がした。
「できるだけゆっくり走るけど、たまに車両来るっぽいし、この道で駐車できないから……できるだけ目に焼き付けてもらえる?」
「オッケー」
古い『味のある工場』がいくつか見えた。右の奥の方に細長い塔が何本かある。日常生活では見ることのない独特な風景だ。まだ明るい空の下で、その形状はくっきりと見えた。と、その鉄塔が手前にも現れた。
「煙突かな」
「何本かあるな」
ダンの言葉に肯き、
「なんかさ、煙突の周りに足場っぽいとこが付いてて、それがちょっとギザギザした感じに見えて、雰囲気面白れぇかも。……ダンが好きそう」
「そう?」
「後で停まれたら見てみ」
「うん」
道は延々と真っ直ぐに続いていた。ニコは左右の景色を交互に目に映しながら、ここが本当に工場地帯なのだということを実感し始めていた。橋を渡る手前までは、何となく人間の生活の気配があった。しかし、橋のこちら側は違う。本当に工場しかないのだ。時間のせいもあるだろうが、歩道を歩く人も皆無に近い。終業時刻を過ぎているのかも知れなかった。ダンの家を出発したのが17時半頃だから、今は18時を過ぎているだろう。工場ひとつひとつの敷地が広いから、1区画を通り過ぎるのに時間がかかる。途中に店やコンビニはない。並行していた高速道路は、今は頭の上を通っていた。
「ニコ、見ろよ」
不意に、ダンの明るい声が聞こえた。ダンの顔の向きに従って、ニコは右を見た。
「でっかい玉ねぎ!」
それが何を指しているのかはすぐに分かった。巨大なガスタンクがそこにあった。球状で、錆のせいか全体が茶色に見える。
「玉ねぎってお前……ガスタンクじゃん」
「隣に新玉ねぎもある」
茶色の少し向こうに、白っぽいガスタンクがあった。
ニコは笑いながらも、そのタンクの巨大さに目を瞠った。これも日常には見慣れない景色ですぐにピンとは来ないが、おそらく4~5階建ての住宅くらいの高さはあるだろう。球に沿って、天辺まで繋がる階段がカーブを描いて設置されている。
「あれ上まで行けんじゃん。……計測器とかあんのかな」
「え、どれ」
「タンクの上のさ、なんか出っ張ってるとこあんじゃん」
「玉ねぎの芽じゃねえの」
「玉ねぎじゃねえから」
ふたりして笑った。
そう言えば、去年港湾の方をドライブした時、ダンはガントリークレーンを見てキリンだと言い張っていた。ガスタンクを見て嬉しそうに「玉ねぎ!」と言うダンに、もう一度可笑しさが込み上げる。
しかし、その後左側に広がる風景を見た時、ニコは一瞬言葉を失った。さっき見た煙突らしき塔が、こちら側にも現れた。距離が近く、明るい空の下に聳える塔の群れに、圧倒される。塔は5~6本もあって、それぞれに高さが違っている。何よりも目を奪われたのは、その塔を何本もの配管が繋いでいる光景だった。
「やべえええ!!」
「ニコ、声……」
「ダン、あれ煙突じゃねえよ! なんだ、蒸留塔? あの配管見ろって!」
すると、ダンはバイクの速度を落とし、道路の端に寄って停車させた。
「後ろから車来たら出すから。今のうちに見て」
ダンの厚意に感謝する。本当ならヘルメットをとって見たいところだが、それは我慢した。スマホを取り出して、写真を撮る。
「ダン、配管。見える?」
「見えるよ」
「あれ、もしかして全部の塔と繋がってんじゃね? 途中になんかタンクもあるし」
「どういうこと」
ニコはこの工場を囲っている柵に目を走らせた。看板を見つけ、名前を読み、ここが製油所であることを知った。
「多分、いろんなモンが混ざった原料を加熱してて、蒸発しやすい成分が上の方にいくじゃん。蒸発しにくい成分は下に溜まるじゃん。ざっくり言うと、あの中でそうやって成分を分けてんだと思う」
「その分けたやつが、あの配管通ってどっかいってるってこと?」
「じゃね? つうか本数多すぎだし。どこに繋がってんのか超気になる」
バイクを飛び降りてガードレールを跨ぎ、柵の傍まで寄りたい衝動に駆られる。が、もちろん我慢する。許されるなら工場の柵の内側に入って配管のルートを辿りたいくらいだが、柵にはお誂え向きに『立ち入り禁止』の札が貼ってあった。
「ニコ、あそこにも玉ねぎある」
「あー、ホントだ」
塔の奥に、ガスタンクの白い頭が少しだけ覗いていた。
「もっと早い時間なら、煙出てんのかもなぁ」
静かに建つだけの塔たちを仰ぎ見るニコに、ダンが言った。
「なあ。もうちょい向こうにも配管らしきモン見えるけど」
「ウソ。どこ」
「あ、トラック来たから出すよ。手前の方見てて」
ダンに掴まり直し、見逃さないように柵の内側に目を凝らす。バイクの速度に合わせて景色が流れ始めた。
確かに、柵のすぐ内側、低い位置に配管があった。しかも、びっしりと縦横無尽に張り巡らされている。
「あれもやべえええ!!」
「ニコ……耳死ぬ……」
ここまで来ると配管の用途も分からない。だが、確実に機能していることだけは分かる。あの塔たちも、1本ずつ独立しているのではない。すべてが繋がり、ひとつの機械のように動いているのだ。
「ダン!」
「なに」
「超楽しい!!」
「……うん」
長い一本道も終わりの時が来た。これ以上行くと高速道路に乗ってしまうというところまで来て、ダンは道を右へと曲がった。
「どこまで行けんのか分かんないけど、この埋め立て地の端の方まで行けるはずだから」
「おう、行こうぜ」
その先にも、同じような工場があった。見るたびにニコは興奮した。塔ではなく、マンションのような形の配管群もあった。それから、平べったい筒型のタンクもあった。人間が扱うサイズとは桁違いのそれは圧巻だった。
こちらにも運河があった。いや、河ではなく、そのまま海が広がっている。この時、風が強く吹いていることにニコは初めて気付いた。街の中よりも遮るものが少ないせいか、ジャケットがしきりにはためくほど、体に風がぶつかってくる。
行き止まりまで行って、また戻り、戻りながら一度見た工場を再び見つめた。何度見ても飽きそうになかった。工場関係者でなくても通れる別の道にも、ダンは入っていってくれた。悪いことはしていないのに、工場に縁のない自分たちがふらふらと迷い込んでいるようで、なんだか怒られそうな気がする。その一方で、『関係者以外立入禁止』のゲートの向こう側に入ってみたい気持ちもふつふつと湧き起こっていた。
と、ダンがもともと緩やかだった走行をさらにゆるめ、バイクを止めた。
「どした?」
尋ねると、ダンは道路の右手を指差した。
「見て」
通りに近い方に、茶色のガスタンク。また玉ねぎか、と思ったニコは、全貌を見て驚いた。
「ガスタンク、めっちゃあるじゃん」
茶色や白のガスタンクが、いくつも並んでいる。手前だけではない。横にも、その奥にも。ざっと数えただけで7、8個はありそうだ。
ダンがそれを指差し、
「玉ねぎ畑」
ニコは声を上げて笑った。これはもう、今後球形のガスタンクを見るたびに、「玉ねぎ」という言葉が頭を過ることになるのは確定だ。ダンはあの中に何が入っているか分かっているのだろうか。頭が良いくせに時々真顔でおかしなことを言う。けれど、あの形を見て玉ねぎだ、玉ねぎ畑だと言うダンを、ニコはかわいいと思った。そしてすぐに、かわいいってなんだ、と自問する。男相手にかわいいという形容はしないタイプだ。でも、浮かんだ言葉は、かわいい、だった。どういう意味だろう、と更に考える。
「…………」
「…………」
玉ねぎ畑に顔を向けて、じっとそれを見ているダンの横顔を、ニコは見た。
愛おしいってことかな。
「……ニコ」
「ん」
「空見て」
「空?」
見上げると、いつの間にか日が暮れかけていた。今、空の色は昼の青空よりも濃い青に染まっている。
「ブルーアワー」
「え」
「そう呼ぶんだって」
太陽はもう地平線の向こうに消えている。その直後の空の色。昼でも夜でもない、束の間の不思議な時間だ。
工場群の灯りが、きらめき始めていた。もともと点いていた灯りが、急に浮かび上がってくるようだった。
ダンの声が、ヘルメットの中で静かに響いた。
「すげえきれい」
最終話へ続く
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