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⑩噛み痕

 数日後。再び僕の家を、ルーファス様が訪れた。  とはいえ今回はいつ来ると明言されていなかったのだが、事前にきちんと対策をしていたため、クリスがいなくてもすんなり家にあげることが出来た。 「こんにちは、ルーファス様」 「こんにちは、ノア。今日もやっぱり、可愛いね」  歯の浮くような言葉を吐かれ、今日こそは僕のことを諦めてもらおうと思っていたはずなのに、あっさり心を乱された。  だけど、このままじゃ駄目だ。……やはりなるべく早く距離を置かないと、取り返しがつかなくなる。   「本当に、あなたという人は……。毎度毎度、よくそんな言葉を簡単に口に出来ますね」  わざと呆れたような表情を作り、動揺を隠して答えた。 「本音だからね。相手がノア、君じゃなければこんなことは絶対に言わないよ」  真摯な発言を受け、また少し迷いが生じた。だから僕はそれをごまかすみたいに彼に背を向け、中へと案内した。 「ノア? もしかして、体調が悪い?」  心配そうに僕のほほに触れようとする、彼の手のひら。  たったそれだけのことで、一瞬のうちに心臓が大きく跳ね上がる。それでも無理やり平静を装い、にっこりと微笑んでその手を避けた。 「別に、普通です。あと僕に勝手に触れようとするのは、やめていただけたらと思います。だって僕にはもう、大切な人がいるので」  僕の嘘の言葉を聞き、彼の表情が険しいものに変わった。  それに少し驚きながらも、気付かないふりをして彼に出すための水を用意するためコップを手に取った。 「大切な人……? それってもしかして、クリス君のこと?」  彼の声が、震える。それを聞き胸が痛んだけれど、笑顔のまま答えた。 「はい。ようやく想いを、伝えることができました。それで彼も、同じ気持ちだと答えてくれ……」  最後まで言えなかったのは、ルーファス様に突然強く抱きしめられたからだ。  大切な。……世界一大好きな、ルーファス様。  だからこそ僕は彼から、離れなければならない。  未来ある彼の人生を、僕なんかのせいでめちゃくちゃに出来ない。そしていつか彼に本気で好きな人が現れた時、僕が傷付かないためにも。   「そんな……。君は本当に、それでいいのか? 彼が君の、運命の人だと本気で思っているのか?」  僕がもしルーファス様と釣り合うような身分の、貴族であったなら。あるいは彼と見合うような、美貌の持ち主であったなら。  僕はきっと彼の手を、迷うことなく取っていただろう。だけど僕には、何もないのだ。  何か他人にたいして誇ることができるところも、何があろうとも誰にも彼を譲らないと思えるような自信や、強い心も。 「それでいいのか、ですって? 逆にお聞きしたいのですが。……愛する人とようやく結ばれたというのに、なぜそんなことを僕に聞くのですか? 僕のことが、本当に好きだというのなら。……一緒に喜んで、祝ってくれるものなのではないのですか?」  我ながら、なんとひどい言い草だ。だけど悪役に徹することで、彼に僕のことなんてもう忘れてしまってほしかった。  ほんの少しの未練も残すことなく、次の恋愛に向かってほしかった。  ……だって大好きなルーファス様のことが、何よりも大切だから。  オメガといってもほとんどフェロモンもなく、魅力的な見た目をしているわけでもない。  話すのが上手なわけでも、何かの才に長けているわけでもない。  ……こんな自分では、一生このままずっと彼に愛し続けてもらうことはきっとできない。  彼以上に素敵な人なんて、きっとどこにもいない。だけど。……だからこそ僕は彼との思い出を胸に秘め、ひとりで生きていこうと決めたのだから。  無言のままルーファス様が、悲しそうな表情で見つめている視線を感じる。  だけど目を合わせると僕の嘘なんてすべて見透かされてしまいそうだったから、後ろから抱きしめられたままクスクスと笑いながら襟を指先で引き、クリスにお願いして付けてもらった歯型をルーファス様にわざと見せた。 「これね、クリスがつけてくれたんです」  ルーファス様が、息を吞む気配。ひどい発言をしている自覚は、自分にもある。  でもここまでやれば、さすがにルーファス様も引き下がってくれるはずだ。  嫌われる覚悟でのぞんだ、最低な作戦。  彼を傷つけるのは、僕だってとても苦しかった。それでもようやくこれですべて終わらせることができるのだと思うと、どこかホッとしている自分の醜く卑怯な本心にも気付いていた。 「…………れたのか?」  ぞっとするほど、冷たく暗い声。それに驚き、思わず彼のほうを向いた。   「……あの男に、抱かれたのかと聞いているんだ!」  その迫力に気圧され、反射的に僕を抱きしめる彼の腕から逃れようとした。  でも強く力を込められていたから、それはかなわなかった。 「別の男に、噛み痕をつけさせるとか。いくら発情期じゃなかったからって、これはさすがに許せないな」  暗い笑みを浮かべ、刺すような視線で僕を見下ろすルーファス様。  そのまま彼は驚き戸惑う僕をベッドに押し倒して、荒々しいキスで僕の唇をふさいだ。

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