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⑱別れの時
いつものように乱暴に、ノックすることなく玄関の扉を開けてクリスがうちに入ってきた。
だからそれを咎めようとしたのだけれど、彼がいつになく慌てている様子だったから、不思議に思い声をかけた。
「クリス……。もしかして、なにかあった?」
すると彼は息を切らせながら、少し迷うように口を開いた。
「よかった。その様子なら、まだみたいだな」
「まだみたいって、いったい何が……?」
彼が何を言いたいのか分からず、戸惑う僕。
すると彼は僕の両肩をつかみ、強い口調で告げた。
「いいか? ノア。落ち着いて、よく聞くんだ。この町に、マクドゥガル公爵家の家紋が入った馬車が来ているらしい」
その言葉に、思わず息を呑む。
いつもルーファス様は、ひとりで馬に乗って僕の家を訪れる。
だからきっとその馬車に乗っている人間は、彼じゃない。……でも、だとしたら。
「ちゃんとこの状況を、理解したみたいだな。そうだよ、彼の母親だよ。お前の家を、探してるみたいだ」
少しでもこの夢のような時間が、長く続いてくれたらと願っていた。
だけど夢は、いつか終わる。その時がついにやってきたのだと、僕は覚悟を決めた。
「そっか。どうしよう? こんな格好のままで、大丈夫かな? 公爵夫人様にお会いするのに、これだと失礼にあたるかな?」
わざとおどけた口調でそういうと、クリスは心配そうな表情で僕のことを見下ろした。
だから僕は、にっこりと微笑んで告げた。
「大丈夫だよ、クリス。もう覚悟は、出来てる。……ちゃんと全部、終わらせるつもりだから」
***
心配するクリスを家から送り出し、断罪の時をひとり静かに待つ。
しばらくすると扉が二度叩かれ、僕が開けるとマクドゥガル公爵家の侍従らしき男が丁寧なお辞儀をひとつした。
彼の背後に立つ、見るからに高貴な雰囲気の美しい女性。
その髪はルーファス様のものによく似た、見事なまでの金髪だった。
そして彼女の瞳も彼と同じ碧色だったけれど、ルーファス様とは異なり、鋭利な刃物のような光を宿していた。
「えっと……。どちら様ですか?」
その答えを知りながら、僕は余裕のあるふりをして笑顔で聞いた。
すると僕の問いに答えることなく、彼女は不愉快そうに口を開いた。
「……あなたが、ノアね?」
まるで生ゴミでも見るような、冷たい視線。それに思わずしり込みしそうになったけれど、自分を無理やり鼓舞してしたたかなオメガの男を演じることに徹した。
「はい、ノアです。僕のことを、ご存じということは……。あなた様はマクドゥガル公爵家の、公爵夫人様でしょうか?」
タヴァサの町一の美人と名高いオメガの女の子をまねて、わざと媚びるような声で問う。
するとさっきまで以上に険しい表情で、夫人が僕のことを思いきり睨み付けた。
「中へ、どうぞ。僕になにか、お話があっていらしたんですよね?」
だけど彼女は軽く左右に首を振り、小馬鹿にしたように笑った。
それから彼女はまるで平民の僕なんかと同じ空気を吸いたくもないとでもいうように口元にハンカチーフを押し当て、冷たい声色で告げた。
「いいえ、ここで結構よ。私が誰か分かっているなら、話の内容ももうお分かりよね?」
「ええ、もちろんですとも。彼と……。ルーファス様と別れてほしいという、お話ですよね?」
満足そうに、彼女の形の良い唇が弧を描く。それを確認して、僕もにっこりと笑みを返した。
「もちろん、ただで別れろとは言わないわ。手切れ金。これだけあればあなたなら、引っ越しの費用を差し引いてもきっと、一生遊んで暮らせるはずよ」
ガチャリと重たそうな音を立て、袋が地面に落下する。
これを拾って受け取れということなのかと思うと、情けなくて泣きたくなった。
だけどここで拒絶したら、僕の嘘がすべてばれてしまうだろう。
僕がどうしようもないクズなのだと、彼女には信じてもらう必要がある。……そして、ルーファス様にも。
「……中身を、確認させていただいても?」
這いつくばるようにして、投げ捨てるように放り出された袋を拾う。
そしてその中身を確認し、なるべく下品に見えるようににたりと笑った。
「へぇ、さすがはマクドゥガル公爵家様ですね。これだけあれば、本当に一生遊んで暮らせそうだ」
「……交渉成立ね」
「はい。仰せのままに」
「本当に、よかったわ。あなたが運命の番なんていうふざけたものよりも、お金の力を信じる子で。じゃあ、約束よ。二度とあの子の前に、姿を見せないで頂戴」
「はいはい、分かっていますって! お望み通り彼の前から消えて差し上げますよ、公爵夫人様」
その言葉に満足したのか、そのまま彼女はもう僕のほうを振り向くことなく、従者が扉を開けた馬車に乗って帰っていった。
それを見送ってから玄関の扉を閉めた瞬間、激しい震えが僕を襲った。
ぺたりと床に座り込み、へなへなと脱力する。
「……僕の演技、ちゃんと信じてもらえたみたいだな」
そして、次の瞬間。もうすっかり枯れ果てたはずの涙が、僕のほほを伝っていった。
「よかった。本当に、よかった。これでやっと、全部終わらせることが出来る。……ルーファス様の、約束された幸せな未来を守ることが出来る」
この翌日。いつものように自宅を訪れてくれたルーファス様に、はじめて素の状態で自らキスをした。
最後に彼との思い出が、ひとつだけどうしても欲しかったから。
これまでの感謝の気持ちを込めて、お礼の言葉も告げた。
だから僕に、悔いはない。いつかこの決断を後悔する時が来るのかもしれないけれど、今の自分にはこれが最良の選択だと思えるから。
ルーファス様はきっと、あれが別れの挨拶だとはまったく気付いてはいなかったに違いない。
一方的に、終わりにした関係。彼を傷付けることになるのが分かっていたから、それに胸が痛んだ。
だけどこれでルーファス様の輝かしい未来を守ることが出来たのだと思うと、同時にホッとしてもいた。
「今までありがとうございました、ルーファス様。あなたの幸せを、心から願っています」
ひとりきりの部屋で小さく呟くように告げ、最低限の荷物を手に家を出た。
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