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第2話
「…………っ」
胸が苦しい。喉の奥で、息をするのを無理やり止められているかのように、呼吸ができなくなった。
ジーンは胸を掻きむしる。表情を歪め、もんどり打つように床に転がった。
「ど、……毒……か……」
きっとジーンを邪魔だと考える人間の仕業なのだろう。
一生出られない監獄にやっておきながら、まだ足りないとでも言うのか。それほど自分は誰かの恨みを買ったのだろうか。
苦しくて苦しくてたまらない。ジーンは魚のように口をパクパクさせながら、無意識のうちに手を伸ばした。その手は誰に向かって伸ばしたわけでもない。もちろん、ジーンの手を取る者などありはしなかった。
(そろそろ……お迎えがきたらしい……)
これでようやく自分は楽になるのだろうか。
もし、次に生まれ変わることがあるのなら、ささやかでいい、ほんの少しだけ幸せな人生を過ごしてみたい。
愛する家族に囲まれた生活を――ジーンがこれまで与えられることのなかったそんな暮らしを。
神様、とジーンはそっと心の中で呟きながら、ゆっくりと目を閉じた。
Ⅰ
ジーンが目覚めたのは、朝だった。
全身にびっしょりと汗をかいていて、その不快感で目覚めた。だがなにかがおかしい。というのも、あたりが非常に明るかったためだ。
「……?」
確かにジーンは今まで牢屋に入っていたはずだ。
毒入りの食事を食べて、七転八倒し、生を全うしたと思っていたが、そうではなかったようだ。それより驚いたのは――。
「なぜここに……?」
ジーンが不審に思ったのも無理はなかった。
ここは明らかに牢内ではない。牢の中ではこんなに明るい日差しを浴びたことがなかったからだ。また、自分が寝ていたのも硬い床ではなく粗末ではあったが寝台であり、また布団もかけられていた。
しかしそれだけではない。
着ているものも、繕ってはあるが清潔な衣類で、そして――なにもかもに見覚えがあった。
「どういうこと……?」
ジーンは飛び起きて部屋の中をうろつきながら、あたりをきょろきょろと見渡す。
「ここって、僕の部屋だよね」
なぜか、生まれ育ったアシュクロフト家の自室に今ジーンはいるようだった。使い込まれた文机も、自分で修理した窓枠もすべて十八になるまで過ごしてきた部屋とまるっきり同じだったのだ。
「いったいなにが……」
頭の中は混乱していた。なにがなんだかわからない。
ふと姿見に映る自分の姿を凝視した。
やや小柄で細身の体躯に母親譲りの黒髪と黒い目が特徴で、おそらく美形の部類に入るのだろう。中性的な整った顔立ちをした青年がそこにいた。
しかし、まだまだあどけなさが残っており、ジーンは自分の姿を見ながら何度もパチパチと瞬きをする。
「え……これって……」
そうして、いきなり左腕の袖をまくり上げた。
「傷が……ない……?」
ジーンには左腕に傷痕があった。
その傷というのはオーレリアスに嫁ぐ直前についたものだったから、それがないということは、今のジーンはオーレリアスに嫁ぐ以前のジーンということになる。
「もしかして時間が巻き戻った……?」
まさか、と頭を振ったが、牢屋にいた自分が実家にいるのも、左腕の傷がないのも、そうでなければ説明がつかない。
それともこれは夢なのか……?
もしも、オーレリアスと結婚する前まで時が巻き戻ったのだとしたら――ジーンはごくりと息を呑んだ。
栄養の行き渡っていない痩せた身体、かさついた皮膚、鏡の中の自分の目にはなにもかもを諦観したように光も宿っていない。
(懐かしい……そういえば、あの頃は早くここを出たいとしか思っていなかったな)
この家での思い出はおよそいいものではなかった。
ジーンに与えられていたこの部屋にしてもそうだ。ここは母屋の端。使用人部屋にほど近い、窓から王都のシンボルである時計塔がよく見える部屋だった。ただそれ以外はろくなものではない。
アシュクロフト家は仮にも子爵家のはずだが、ジーンのこの部屋はあまりにも質素すぎる。およそ貴族の子女の部屋とは言いがたかった。
なにしろ日当たりは悪く、家具や調度品もほとんどない。あるのは簡素な寝台と文机、そしてかろうじて姿見があるくらいなものだ。
とはいえ、こんな扱いをされているのはジーンだけで、他の兄弟――兄と姉、そして弟と妹がいる――は、貴族らしい豪奢な設えの自室を所持している。
実はジーンは家族から冷淡な扱いを受けていた。差別はもちろんのこと、虐待に近いこともされていた。左腕の傷も、癇癪を起こした弟が振り回した短剣によって傷つけられたことによる。
そこまでジーンが冷遇されていたのは、いくつもの理由があったが、まずこの世界での性についてが根底にあるといって過言ではない。
この世界には男女の性に加えて、それとは別に第二の性としてアルファ、ベータ、オメガという三つの種が存在している。
アルファというのは先天的にカリスマ性と優れた能力を持っており、リーダーシップの才能に長けている。よって、為政者や執政官などに多い。代々アルファである彼らが国を牽引してきたことから、王族や貴族はアルファである傾向が見られる。だが、その数は極端に少ない。
次にベータはこの世界のほとんどを占める個体種であり、アルファほど突出した能力はないものの、優秀な者も一定数存在する。アルファを補佐する者も多いが、その逆ももちろんある。ごくごく一般的な能力を持つ者が多い種であるが、このベータという種が大勢を占め、この社会を構成していた。
最後にオメガだが、このオメガというのは非常に特殊な種であった。
というのも特徴もなにもかもが、アルファやベータいずれの種ともまるで異なり、さらに数も非常に少ない。アルファと同じくらいか、あるいはアルファに満たないくらいの数しか存在しない希少種である。
しかもその独特の特殊性によって、偏見の目で見られることも多かった。
ひとつには、非常に美しい容姿を有していること。
そして一番の大きな特徴は、オメガは女性のみならず男性であっても妊娠できるということだ。月に数日~一週間程度発情期が存在して、主につがいを持たないアルファを強烈なフェロモンで引き寄せてしまうのだ。それだけでなく、ときにはベータですら不用意に惹きつけることもあるほど、妖艶な魅力を持つ。
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