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第2話
森から幼い子どもたちを連れ帰った日、僕はまず最初に街唯一の病院へと駆け込んだ。
ぎょっとしていたレイさんに事情を話し診てもらって、緊急の手術が必要だとのことだったので、白髪の少年を妹のニーナと共に病院に預けてひとり薬屋に戻った。隣街に届ける用の薬を超特急で調合しなければならなかったからだ。
予想より早めにすべての薬を調合し終え、それを持って病院に行けば丁度手術も終わったところで、今は容態も安定していると聞いてほっとした。レイさんが、白髪の少年の目が覚めるまで他の医者を隣街に行かせ自分は少し残ると言ってくれたのでお礼を言えば、「またえらい拾い物をしたな」と呆れられてしまった。放っておけなかったのだから、仕方ない。
再度二人を引き取り諸々落ち着いたところで妹のニーナにいろいろ事情を聞いてだいたいのことは答えてもらえたが、白髪の少年の名前だけは少し気まずそうに「ごめんなさい、こたえられないの」と言われてしまった。知らないではなく答えられない、という返答で何やら事情があるんだと思いそれ以上は聞かなかった。
そして、一日も経たないうちに少年は目を覚ました。
初めは警戒していたが、ニーナの僕になついている姿を見て警戒を解いて、食べ物も口にしてくれた。レイさん曰く、少年は外傷以外にこれといった病気も持っておらず、規則正しい生活を数日続ければ子どもだし傷の回復も早まってすぐに完治するだろうとのことだった。
とりあえずこれで栄養はとってもらえるようになるな、とほっとしていれば、少年はお粥を食べながら赤い瞳から大粒の涙をこぼした。
涙でぬれたことによりきらきらと輝く瞳は一等きれいで、思わず見とれてしまった。
突然泣き出してしまったことには驚いたけれど、少年の気持ちは痛いほどに伝わってきた。自分も、育ての親であり恩人であるおじいちゃんにごはんをもらえたとき、今までのこととかを思い返して思わず泣いてしまったから。
ひとしきり泣いて落ち着いたころに改めてしばらくここにいると良いと言えば、少年は再び頭を下げて「ありがとう」と言った。
その後少年は、自身を「エディ」と名乗った。
あれから数日。エディの傷は順調に回復していっている。
痛みは多少あるけど目が覚めた翌日には問題なく歩くこともできて、エディは自分の足で隣りの八百屋さんに野菜を盗もうとしたことの謝罪をしに行った。八百屋のおじさんは数分説教したあと笑って許してくれて、エディはほっと息を吐いていた。
問題なく歩けるとはいえまだ安静にしていなくちゃいけないので、エディは現状一日の半分以上をベッドの上で過ごしている。僕の部屋は娯楽もほとんどなく退屈だろうからと本(と言っても我が家には薬草や薬関連の専門書しかない)を渡せば興味深そうに読んで、わからないことを質問してきては理解を深めようとしていた。
はっきり言えば、大抵の孤児は文字の読み書きができない。僕はずっと家がなかったわけでなく、一度施設に入っておりそこが潰れたと同時に家もなくなったタイプの孤児で、施設に入っている間は多少勉強もしており文字の読み書きはできていた。といっても基本的な簡単なものだけで応用的なものはおじいちゃんに引き取られてから勉強した。施設の出であってもその程度だ。
しかしエディはしっかり難しい言葉や文字も理解しており書くことも難なくできるようだった。わからなくて質問してくる内容も専門的なもので、一度の説明でインプットできている。
ニーナもそんな感じで、幼いながらに文字の読み書きもできて意味もわかっているようだった。地頭のいい孤児ももちろんいるが、エディとニーナに関しては地頭がどうこうの話ではないような気がした。
そしてこれは特にエディからなのだが、なんというか、育ちの良さ、のようなものを感じるのだ。日常生活の所作から言葉遣いまで、とても孤児だったとは思えないようなものを身につけている。
孤児は訳ありの子たちばかりだが、彼らは特に深い訳を持っているような気がした。
共に過ごしてきて見えてきたことがたくさんあり、正直気になっていないかと言われれば嘘になる。だが隠しているということはそれだけの理由があり、知られたくないことなのだろうと理解もしているから僕もその件に触れたりはしない。
ここにいる間彼らには、安心して過ごしてほしいのだ。
***
「ノア、おそうじできたよ!」
店の扉を開けて声をかけてきたニーナに呼ばれ、僕も店の外に出る。いつものようにきれいに掃除された店前を見て、僕は箒を両手で持ったニーナのきれいなベージュの髪を撫でた。
「ありがとう、すごくきれいになったよ」
紺青色の目を細めニーナは「えへへ」と嬉しそうに笑う。
「よし、開店準備もできたし朝食にしよっか。ニーナはエディを呼んできてくれる?」
わかったと元気よく返事をし居住スペースに向かったニーナを見送って、僕は居住スペースのダイニングテーブルに二人分の朝食を並べた。
今日の朝食はトーストに目玉焼き、そして隣りの八百屋さんで買った野菜のサラダとコーンスープだ。二人ともこの数日で胃も慣れてきて、一般的な朝食も摂れるようになり一安心である。
僕は行儀が悪いとわかりながらも、いつものようにひょいひょいパンを口に放り込み、二階から降りてきた二人が椅子に座ったのを見守ってから店の方に戻った。
今まで家のことは自分でしていたのだが、ニーナの食事の面倒はエディが見てくれているし、皿洗いや諸々の掃除もこれくらいさせてくれと二人が請け負ってくれているから僕ができることがそもそもなく、今は仕事に注力できている。家のことをやらなくていいという楽を覚えてしまったら、これまでの生活に戻れなくなりそうだ。
開店から少しして、店の外で荷車が停まる音がした。僕はカウンター下に用意しておいた薬などが入った木箱を取り出し、軽く中の状態を確認する。うん、問題なさそうだ。
「ノア、来たよ!」
そう元気よく店に入ってきたのは、僕と同い年くらいの青年。彼は僕を見つけるなり顔を輝かせ勢いよく抱き着いてきた。
「いらっしゃい、ルキ」
勢いに圧されつつ笑って迎え入れれば、ルキに「会いたかったよ~」と頬擦りされる。
ルキは、おじいちゃんがいた頃からずっと取引をしてお世話になっている行商人の息子だ。父親の跡を継ぐため取引があるときはついてまわっていろいろ勉強をしているらしい。初めて会ったころは元々孤児だった僕を少し敬遠していたけど、いつのまにか仲良くなって今ではこういうスキンシップもルキの方からしてくれるようになった。
ルキたちは行商人だから街をまわって物を売ったり仕入れたりしており、僕のところにも数ヶ月に一度訪れて、こちらから薬を卸したり国外から仕入れた珍しい薬草とかを買わせてもらったりしている。だから自然とルキと会うのも数ヶ月に一度の頻度なのだが、会う度にルキは身長が伸び身体が大きくなっていってるみたいだ。成長期なのだろう。年齢が変わらないはずの僕はあんまり伸びてないけど。
以前会った時より抱きしめる力が強くなっている腕に驚きつつ僕もよしよしとルキの背中を撫でたら、また一層ぎゅうと強く抱きしめられ思わずうぐっと呻いてしまった。行商人は結構体力勝負なところもあるから仕方ないけど、ちょっと筋肉つきすぎじゃないだろうか。
さすがに苦しいので、離してもらおうとルキの体を押し返そうとしたときだった。
「ノア!」
声がしたと同時に、服の裾をぐいっと後ろに引っ張られる。身体はルキによって固定されていて後ろを振り向けないけど、声で後ろにいるのはエディであるとわかった。
「ん? だれ、この子ども」
ルキが力を緩め僕の後ろに視線を移した。その隙に腕から抜け出して僕も振り向けばそこにはやはりエディがいて、焦った表情を浮かべぐいぐい僕の服を引っ張っている。
「あんた誰? ノアになにやってんだ」
エディはルキと僕の間に立つと、自分より幾分か体の大きなルキを睨みつけた。一瞬状況がよく理解できなかったが、エディが僕を守るように立ちはだかっているので、もしかして僕が襲われていると思って助けてくれたのでは、という考えにいたった。
「エディ、大丈夫。この人は行商人のルキっていうんだ」
「……行商人?」
「そう。いつも僕が調合した薬を買い取って離れた街で売ってくれてるんだ。えっと、仕事仲間、って言えばいいのかな。悪い人じゃないよ」
「…………」
そう説明したが、エディは未だじと、とルキに疑いの視線を向けている。僕の言葉を信じていない、というわけではなさそうだが……。
「ノア、きみはいつの間に子犬を飼い始めたの?」
ルキはエディをじろじろ観察するよう眺めそう言った。
子犬って……もしかしてエディのこと?
「俺は犬じゃない」
「そうかい? ご主人を一生懸命守ろうとしてる子犬みたいだよ」
かわいいね、とにこやかに笑ったルキの言葉に、エディはむむむと顔をしかめた。
うーん、絶妙にバカにしている気がする。エディもそれをわかっているからか嫌悪丸出しだ。初対面の人にそんなこと言われたらそうなるのは当たり前だけど。
「ルキ、この子はエディ。わけあって、今うちでけがの治療をしてるんだ」
二人の間に散る火花を止めるため僕がそう間に入れば、ルキは「ふーん」と手を顎に添えまたエディをじろじろと見る。
「わけあって、ねぇ……。ノアは本当にお人好しだな。まぁそんなところもきみらしくて好きなんだけどさ」
エディを見て彼が孤児であることを察したのだろう。街の人にも散々言われた言葉を言ってルキは肩を竦めたが、どことなく嬉しそうだ。
それから遅れて入ってきたルキのお父さんと仕事の話にうつり、その光景をエディは少し離れたところでじーっと見つめていた。いつもは店の方にまで来てとどまるなんてことはしないんだけど、やり取りが気になるのかな。
「相変わらず素晴らしい出来の薬だ。きみの調合する薬は人気だから、こちらも助かってるよ」
「そう言ってもらえて嬉しいです。僕の方も、おじいちゃんの頃から引き続き取引してもらえてすごく助かっています」
「ノアは商才もあるからね、楽して稼がせてもらってるのはこちらさ。いい先生を持ったものだ」
「はい。おじいちゃんは僕の親であり、恩人で、すごく優秀な先生です」
「私もすごくお世話になった。……あの人が亡くなってからもう三年くらいか? 早いものだな」
そう、僕を拾って育ててくれたおじいちゃんは、今から三年ほど前に病気で亡くなった。治療薬のない病気で、医者もほとんどなすすべなく、あっという間に死んでしまった。
突然ひとりぼっちになって、辛くて寂しくてしばらくは泣いて過ごしていたけど、なんとか立ち直って今ではおじいちゃんに代わって店を切り盛りしている。
そして、店の経営と並行して、おじいちゃんがかかった病気の治療薬を開発する研究も始めた。国の大きな研究所も治療薬の開発を進めているが難航しているらしい。病気で苦しんでいる人がいるなら足踏みなんかしていられない。おじいちゃんのように苦しむ人を一刻も早く減らしたい一心で、僕も独自に研究を進めているのだ。
ルキのお父さんには、僕が入手困難な国外の薬草を仕入れてくれたりしている。以前来た時に頼んだ薬草は、あと少しで手に入れられるそうだ。本当にありがたい話である。
取り引きの書類にサインをしていると、ルキのお父さんは「それにしても」と小さく息を吐いた。
「ノアまで孤児を拾うだなんて驚いたよ」
「ふふ、みんなに言われました」
書類にサインしながらちらりとエディの方に視線を向ける。なにやらルキと話してはしかめっ面をし、一方でルキは楽しそうに笑ってるから、おそらくまたからかっているのだろう。他の街の人にもそうだが、案外二人が受け入れられていることを僕は嬉しく感じた。
僕の場合は、おじいちゃんがかなり説得して受け入れてもらえたからな。
「このままここに置くのかい?」
サインを終えた書類を手渡しながら、僕はうーんと小さく唸る。
正直、彼らがこのままここにいてくれたら、仕事面でも生活面でも大変助かる。けがが治るまでとは言わず、彼らが満足するまでここにいてくれたら嬉しいなというのが僕の思いではあるが、あくまで決めるのはエディとニーナだ。そこは僕が口を出せるところではない。
それから、かなり訳ありっぽいから、僕が引き留めて離れにくくする理由を作りたくないという思いもあったりする。
「彼に任せます」
「それがいいかもね……。よし、それじゃあそろそろ行くよ。今回もいい取り引きをありがとう、ノア。またよろしく」
「こちらこそ、またよろしくお願いします」
そう言ってルキのお父さんはエディをからかって遊んでいたルキを引き摺り店をあとにした。
店の外で二人を見送ってから店内に戻ると、エディは僕を見上げ少しぶすっとした表情を浮かべていた。
「ノア、あの人なに?」
「あの人って、ルキのこと?」
「……あんな直接意地悪なことを言う人に初めて会った」
たしかにルキは口が達者で、大人に対しても物怖じせず意見を言うし冗談で意地悪なことを言ったりする。今はほとんどないけど、出会って間もないころは嫌味も言われた。僕自身世間知らずだったので当時は意味も分かっておらず、素直に受け取られるうちに毒気を抜かれていったのだと、いつだったか本人が言っていた。
「びっくりしただろうけど、あれがルキなりの対話の仕方なんだ。悪い子じゃないよ」
「…………」
エディは相変わらずちょっと不機嫌そう。まぁ、初対面でからかわれた相手のことを悪い子じゃないと言われても、説得力はないよな。
それにしても……エディの不機嫌な顔を見るのは初めてだ。身体の大きさを見るに、彼の年齢は十歳そこそこ。まだまだやんちゃな子どもであってもおかしくないのに、エディは驚くほど物分かりもよくて落ち着いている。エディと話していたら大人と接していると錯覚するほど、いい意味で子どもっぽくないのだ。そんなエディの年相応に感じる表情を見れたことが、僕はとても嬉しい。
彼のことが愛おしく感じ、僕は形のいい頭を撫でた。エディは僕に頭を撫でられると頬を少し赤く染め恥ずかしそうにするが、目を閉じて大人しく撫でられているから、たぶんこの行為を心地よく感じているのだろう。それもまたかわいいなと思い、僕は更に彼の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「わっ、な、なに?」
撫でまわされながら困惑しているようだけど、だんだん面白くなってきたのかくすくす笑っている。そんなエディを見て、いつか近いうちにこの子はここを出て行ってしまうんだな思ったら、なんだかどうしようもなく、離れがたい気持ちになってしまった。
そんなふうにエディとじゃれ合っていたときに店のドアが開いた。
「邪魔するぞ」
「あ、レイさん」
店にやってきたのは医者のレイさんで、そういえば今日はエディのけがの様子を見るために往診に来てくれる日だったことを思い出した。
レイさんにエディを預け二階にある寝室で診察をしてもらっている間、僕はいつも通り仕事をしていたのだが、思ったより早くレイさんが二階から降りてきた。
「もう終わったんですか?」
「あぁ。ほとんど傷も塞がって、その他の異常もなかったからな。変わらず激しい運動は控えなければならないが、包帯ももう取ってしまったから今後交換もしなくていいぞ」
「そっか、よかった……」
完治、とまではいっていないが、ほとんど治ったことに安心して息を吐く。レイさんが丁寧に治療にあたってくれたおかげだ。
「レイさん、ありがとうございます。本当に助かりました」
「仕事だからな」
「それでも僕だけじゃどうにもできなかったから……すごく感謝してます」
「……もう面倒事は持ち込んでくるなよ」
なんて、つれないことを言うけれど、それが照れ隠し故というのを僕は知っている。そしてレイさん自身も照れ隠しだと僕にばれているのを気付いているから、誤魔化すように咳払いし「そういえば」と話題を変えた。
「あの子らのこと、どうするんだ。このままここに置くのか?」
やっぱり、みんなそこが気になるんだな。
「それは、僕が決められることじゃないですから」
「……ノアは、どう思ってるんだ?」
「え……」
「本当は、いてほしいんじゃないのか」
ぎくりとして、僕は言葉につまった。
僕がこの街でおじいちゃんの次に過ごした時間が長いのはたぶんレイさんだ。おじいちゃんに拾われたときに病気がないかとかいろいろ診てくれたのがレイさんで、遊び相手や薬以外の基本的な治療の仕方とかを教えてくれたのも、全部レイさんだ。そんな感じで何かと関わってきたから僕はレイさんの癖や気持ちもなんとなくわかる。でもそれは逆にも言えて、レイさんも僕のことを結構わかっていたりする。だから僕が、本当は彼らと離れることに寂しさを感じていることも気付いているんだ。
「お前は、人のことばっかりで自分のことは二の次になりがちだ。じいさんが死んだときも、本当は誰よりも悲しかったはずなのに俺たちにはそんな顔ひとつも見せなかった」
「そんなこと……」
「あるから言ってるんだよ。ノアは、もう少し自分の気持ちを言葉にするべきだ」
……なんて言われても、なぁ。
昔、施設にいた時から自分の気持ちを表に出すことは苦手だった。その後の家のない暮らしで人間不信になったことで余計に出せなくなり、おじいちゃんに拾われてからはそれなりに緩和された、と思っていたんだけど。でもやっぱり、自分のことより相手のことを優先してしまう癖は抜けない。おじいちゃんもそんな感じの人だったのでまぁいいやって思っていたから、結局はそのままだ。
だから自分の気持ちを言葉にしろと言われても、やっぱり彼らの気持ちが一番で自分の思いを押し付けかねないことを言うのは憚られてしまう。
このまま黙って、彼らの判断に身を委ねている方が、僕としても……。
「ノーア!」
「!」
横からぐいっと服を引っ張られ我に返る。視線を横に移すと、そこにはぷくっと頬を膨らませたニーナがいた。
「ノア、わたしなんかいもよんだんだよ!」
「ごめんねニーナ。ぼーっとしちゃってた。えっと、どうしたの?」
「おさらあらい、終わったよ!」
腰に手を当てえっへんと胸を張るニーナの姿に自然と笑みがこぼれる。
あれから時間がたち、今は三人で夕食をとり終えニーナとエディが皿洗いをしてくれていたところだった。二人とも、初めはたどたどしかった皿洗いの手つきも、今ではかなり慣れてスムーズにきれいに洗えるようになっている。
「ありがとう、すごく助かったよ。エディもありがとうね」
「うん。……ニーナ、先に寝室に行って寝る準備しておいで」
はーい、と元気よく返事をしたニーナは二階の方に駆けていき、エディと二人きりになる。
すると彼は僕の傍に寄ってきて、「話があるんだ」と少し小さな声で言った。
「どうしたの?」
「その……今日、レイさんに激しくなければ運動もしていいって言われた。包帯も取れて、ひとまずほとんど完治してると言っていい状態にはなれた。レイさんと、ノアのおかげ。本当にありがとう」
エディはそう言って頭を下げた。
毎日お風呂にも入れて清潔に保てるようになったことで、まださらさら、とは言えないけれど戻りつつある彼の柔らかい質の髪を撫でる。顔を上げたエディはいつものように少し頬を染めていたけれど、表情はなんだか暗かった。
「ノアは、命の恩人だ」
「……大げさだよ」
「大げさじゃない。本当に……ノアがいなかったら、俺はあのとき死んでいた。大事な子をひとり置いて」
確かに、僕が彼らを見つけなかったらエディの命は危険だったし、エディがいなくなってしまっていたとしたらニーナも、あんな小さな子どもひとりじゃ生きていくことは難しかっただろう。誇張表現でなく、本当にエディは僕を命の恩人と思ってくれているんだ。
「恩も沢山ある。それを俺は、返していきたいと思ってる。……でも……」
言葉を切り、エディはぎゅっと拳をにぎりしめた。
「……俺たちがここにいたらきっと、迷惑になる」
「!」
「急で申し訳ないけど、明日、午前中にはここを出ていこうと思う」
エディが言ったことを理解して、一瞬頭が白んだけどすぐに自分の思考を現実に引き戻す。
あぁ、そうか。エディの選択は……そうなのか。
少し。ほんの少しだけ、ここに残ってくれるんじゃないかって、期待をしてしまっていた。
「も、もちろんいつか、何らかの形でお金とかは返しに来る。ただ今は、難しくて……」
でも約束は絶対に守るから、と強く言い切ったエディの目を、僕はまっすぐに見つめた。
赤い、ルビーのような瞳。それから、透き通るような肌に、陽の光できらきら輝く美しい白髪。初めて見たとき、こんなに美しい人間がいるのかと目を奪われた。
そして彼を知っていくうちに、家族を大切にする優しさと決して折れることのない芯のある真っ直ぐな強い心を持っている知った。それはこれからも、厳しい日々を生きる彼の力となってくれるだろう。
「ノア?」
エディの困惑した声にはっと我に返る。
いつの間にか僕の手は不躾にも彼の頬をむにむにさわっていて、エディは少し困ったように眉を下げていた。
ごめんと慌てて手を引っ込めると、エディは「大丈夫」と言って少し笑った。
……エディは、僕の支えなんか必要ないくらい、強い子だ。
「うん……わかった。エディの判断に任せるよ。それから、恩とかお金とか、そういうのは気にしなくていいからね」
「返さないと俺の気が済まないから、気にさせて」
たぶん、僕がいくら気にするなと言っても、エディはかたくなに何かしらを返そうとするんだろうな。義理堅いところも彼らしい。
これ以上押し問答を続けても意味はないので僕はとりあえずわかったと頷いた。
「ニーナには言ったの?」
「まだ。きっとぐずるだろうから、出る直前に伝えて、引き摺って行こうと思ってる」
「そっか。じゃあ今日は黙っておくね」
「そうしてもらえると助かる。……ありがとう、ノア。俺のわがまま聞いてくれて」
「わがままなんかじゃない。エディは、自分の思う道を進んでいっていいんだよ」
僕がそう言うとエディは目を丸くし、そして少し泣きそうな表情を見せた。
「ありがとう……」
それから珍しく、今日は一緒に寝たいとエディが言ったので、二人同じベッドに入り、いつもより近い距離で互いの体温を感じながら眠りについた。
***
翌日の朝食後。
「いやだぁ‼」
というニーナの声が家に響き渡った。
「いやっ、わたしここにいたい!」
いつものように開店の準備を進めていた僕は声がした二人のいる居住スペースに駆け込む。そこではエディが、昨日のうちに僕が渡しておいた少しだけど食料と薬の入った袋を担いで、右手はニーナの腕を掴んで引っ張っていこうとしているところだった。
おそらく、今日ここを出ていくことをニーナに伝えたのだろう。エディの予想通り、ニーナはぐずってしまったようだ。
「ニーナ、いいから来るんだ」
「いや、っ、なんで? なんででていかなきゃいけないの?」
「ノアの迷惑になるからだ。わかってるだろ?」
ぐっと言葉につまったニーナだったが、ぶんぶん首を振っていやだと抵抗している。当然、エディに力で勝てるわけはないのでずるずると引き摺られていってるんだけども。
「っ、ノア! ノア、わたしたちじゃま? ここにいちゃめいわく?」
僕に気付いたニーナが、目に涙をいっぱいにためてそう問うてくる。
迷惑なわけない。二人がいた期間は、とても充実していて楽しかった。三人でこれからも暮らしていけたらと思った日もあった。
……でも、僕がここで迷惑ではないと言ってしまったら、エディの邪魔になってしまう。それは僕の本意ではない。かと言って、嘘だったとしても二人がいることで迷惑をこうむっているなんて言うこともできず、僕は押し黙ってしまった。
「ニーナ、いい加減にしろ、これ以上ノアを困らせるな」
泣き出してしまったニーナを引き摺り、エディは裏口の方へ向かう。僕が何かを言って拗らせてしまうよりは、黙って見守っている方がいいと思いつつも、気になって二人のあとを追う。
「おにいちゃん、なんで? なんでいじわるするの?」
「意地悪じゃない。ニーナお願いだから、言うことを聞いてくれ」
「いや!」
「ニーナ!」
「いやだ! ノアとはなれたくない! おにいちゃんはノアとはなれてもいいの⁉」
「っ、」
ニーナの言葉に、エディが初めて言葉をつまらせた。
「わたしはいや、ノアとはなれたくない!」
「……っ」
エディの引っ張る力が弱まったからか、ニーナは腕を振り払おうとしたりとここぞとばかりにたたみかける。
「ノアがいっしょじゃなきゃいや! ノアといたい!」
「ニーナ……」
「ぜったいぜったい、はなれたくなんか――」
「っ、そんなの、俺だってはなれたくない!」
ニーナの言葉を遮ったエディのひときわ大きい声に、ニーナだけじゃなく、僕もびくっと肩を震わせた。
「出ていきたいわけ、ないだろッ……」
エディは声を震わせ、ニーナの腕を掴んでいた手をゆっくりはなす。
「ノアを好きだと思ってるのは、ニーナだけじゃないっ」
「!」
「ノアの隣りは心地よくて、あったかくて……裏のない優しさをくれて、知らないこともたくさん教えてくれて、頭を撫でてくれて……たったそれだけのことにどれだけ助けられて、どれほどうれしかったか……!」
「おにい、ちゃん……」
「助けてもらったぶん、他でもないノアの隣りで何か返していきたいって何度も思った。ノアと一緒に暮らせたら幸せだろうって何度も想像した。少しでも長く一緒に居られないかって、何度も何度も考えた! ッ、でも俺たちは、他の人とは違う……きっとノアに迷惑をかけて、俺たちを邪魔に思う時がくる。俺はノアに、嫌われたくない……ッ」
ぽろぽろ、大粒の涙がエディの瞳から零れ落ちる。彼の涙を見るのは二回目だけど、あの時とは違う悲しみと苦しみが伝わってくる涙に、僕の胸がぎゅうと締め付けられた。
エディは、僕が想像も及ばないほど大きなものを、きっとニーナのぶんも背負って今日まで生きてきたのだろう。しかし決して表には出さず、懸命に前を向いて生きてきた。だから僕は、エディは強い子だと思った。僕の助けなど必要なく、自分の足でこの先も歩いていけるんだと。
でもそうじゃない。確かにエディは強いけど、本来はまだ大人の庇護下にいるべき年齢だ。大人っぽく見えても、彼は身体も心も、まだまだ子どもなのだ。辛くても寂しくても泣きたくても全て押さえこんで我慢して、普通に過ごしていくには彼はまだ幼すぎる。
エディならば大丈夫と決めつけて、僕は自分の気持ちを抑えることを優先してしまった。僕はなにも、わかっていなかった。本当は年上の僕が真っ先に彼に手を差し伸べなければいけなかったのに……。
ニーナが、エディに抱き着いて「ごめんなさい」と泣いている。エディも涙が止まらないのか、何度も目元を拭っては涙をこぼしていた。僕はそんな二人の傍に寄り、目線を合わせるよう膝をつく。エディの涙を拭って、二人の頭を撫でた。
「三人で、ここで暮らそう」
「えっ」
エディは潤んだ目を見開いた。ニーナはばっと顔を上げ、同じように目を丸くしている。
「本当は僕も二人と一緒に暮らしたいと思ってた。すぐ言えなくて、ごめんね」
ぽかんとしていたエディだったが、はっと我に返ってふるふる首を横に振る。
「ノアにまだ言えてないことも沢山ある。そのせいで俺たち、きっと迷惑をかける」
「そんなこと気にしないで。迷惑だってかけていいんだよ。だって一緒に暮らすって、そういうことでしょ? 言えてないことも、言いたくなかったら言わなくていい。僕はそういうのひっくるめて、エディとニーナと暮らしたいって思ったんだよ」
「……!」
引っ込みかけていた涙の膜がまたエディの瞳を覆った。もう泣かなくていいんだよって意味を込めて頭を撫でたんだけど逆効果だったようで、エディはまたぽろぽろ涙をこぼしてしまった。
「ノア、わたしたちいっしょにくらせるの⁉」
ニーナが僕に抱き着いてきて、顔を輝かせながらそう言った。
「うん。二人がよければ、だけど」
「やった! おにいちゃん、ノアといっしょにいられるって!」
やったやったと飛び跳ね、「ノアだいすき」なんて言って僕の胸に額をぐりぐりおしつけてくる。ニーナの頭を撫で抱き寄せながら、僕はエディの方を見上げ手を伸ばした。
どうしたらいいか悩み躊躇いを見せているエディの手を取り、大丈夫って笑いかける。
エディはくしゃりと表情を歪ませ、ニーナのように僕に勢いよく抱き着いた。
「ノア、俺たち、ここにいていい……?」
「――うん、もちろん」
そう返せば、エディはぎゅうっと更に抱きしめる力を強め、震える声で「ありがとう」と言った。
お礼を言うべきは、僕の方だ。
おじいちゃんがいなくなってから、僕はずっとひとりだった。
街の人たちもみんなよくしてくれたけど、僕は彼らと暮らしているわけでも家族でもないから、一人には広すぎるこの家で、ずっとずっと、孤独を感じていた。
すごく、寂しかった。
だからエディとニーナがいてくれた期間は本当に楽しくて、二人がいなくなってしまうことがひどく、恐ろしかった。
救われたのは、僕も同じだ。
「ありがとう……」
二人が僕のもとに来てくれて、本当によかった――。
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