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第7話
今から十六年前。俺はこの世に生を受けた。
俺の母はこの国には珍しい白髪と赤い瞳の持ち主で、俺もそれを色濃く受け継いで生まれた。
自分ではよく分からないが、顔立ちも母に似ているようで、小さい頃から「母に似て美しい」と言われてきた。
確かに母は、身内の贔屓目もあるだろうが美しい人だったと思う。そんな母に似てると言われて嬉しかったけど、母自身はそんなことないと謙遜していた。
たぶん、自分の容姿が好きではなかったんだろう。ずっと俺の事を、自分に似たことで苦労することがあるかもしれないと心配していたから。
母は元々とある国の伯爵令嬢だった。
母の家は普通の貴族と違い、平民にも平等に接し、自分たちで農作物を作り家事などもこなせるような、貴族っぽくない庶民的な家だった。だから母の家は、領地の民に大変慕われていた。
平民に愛され信頼出来る両親とかわいい弟、そして結婚を約束していた幼馴染に囲まれ、母はいたって平和に、幸せに暮らしていた。
しかし、外交のため母の住まう国に訪れていた外国の王が、パーティに出席していた母に一目惚れしたことをきっかけに、平和な暮らしは壊されることとなる。
どうしても母を手に入れたいと思った外国の王は、正妃は既にいるため、ぜひ側妃として迎え入れたいと言った。
母の家族は、結婚を約束している幼馴染もいるし、何より母が嫌がったのでお断りの説得を試みた。しかし、これから交流を盛んにしようとしている国の王の願いだ。ただの伯爵家が断れきれるはずもない。
説得も虚しく、頷くしかない状況で半ば強引に連れて行かれ、母は愛する家族と幼馴染から引き剥がされてしまった。
その母を見初めた国の王が、俺の父に当たる人だ。
聞く限り、父は決して悪い人ではない。賢王と謳われ、臣下や国民からも大層慕われていた。
けれど母からしてみたらそんなことは全く関係ない。自分が望む幸せを奪った父を苦手とし、必要な時以外はなるべく会わないよう避けていた。
しかし、側妃とは言え子を成さなければならない。それは王の妃となった者の義務だ。
母は義務を全うし、数年後に子どもを産んだ。
――その子どもが俺だ。
好きでもない、自分を大切な人たちから引き剥がした張本人との子であるにも関わらず、母は俺をとても愛してくれていた。それと同時に、異母兄弟たちの王位継承権争いに巻き込まれるかもしれない未来を憂いてもいてくれた。
「貴方だけでも幸せになって」
それが、自分の幸せを諦めてしまった母の口癖だった。
母の自由を奪った肝心の父は、俺が生まれてからほとんど、俺たちの住まう後宮には訪れていない。
理由としては、正妃が俺たちに会うのを良しとしなかったのが大半を占めている。ぽっと出の側妃とその子どもより、正当な王位継承権を持っている子どもたちを見ろ、ということらしい。
そして母が勝手に父に会いに来ることも出来ないよう、後宮から出るなと命令し、監視までつけた。
そんなことをしなくても母はよっぽどのことが無い限り父には会いたくないと思っており、むしろ父が来ないのは好都合だったが、一番の問題は外に出られないということだった。
淑女ぜんとした見た目に反して母は好奇心旺盛な人だったため、この広い世界を自身の目で見て回ることを夢に持っていたらしい。しかし側妃の制限かつ正妃からの監視のせいで、後宮と王城の道以外の場所に行くことをよしとされなかった。
夢すらも奪われた事に酷く落ち込み、母は元来の活発さも失ってしまっていた。
実際、俺の記憶にある母はいつも元気がなかった。きっと故郷の人たちが母を見たら、別人と見紛うだろう。
別の国から無理やり連れてこられた挙句、自由を奪われ、後宮という檻に閉じ込められてしまった母の境遇を聞いた時俺は、母をこの檻から出して、何処か遠くまで連れ出したいと思った。
ここじゃない、なんのしがらみも無い土地に連れて行けばきっと母も元気になってくれるはず。
母が元気になってくれたら、俺も嬉しい。
俺を大切にしてくれる母を俺も大切にしたい。幸せを諦めないで欲しい。
母を幸せにするのが、俺の夢だ。辛い思いをしている分、他の誰よりも、母は幸せになるべきなのだ。
「じゃあ、実現するために、勉強と鍛錬をたくさんして力をつけなければね」
拙いながらも夢を語った子どもの俺に、椅子に座り分厚い本に目を落としていた男はそう言った。
「力なのに勉強も、ですか?」
「あぁ。腕っ節の強さだけが力ではない。たくさん勉強して様々な知識を身につければ、それもいずれ自分の力となる」
「なる、ほど?」
言っている意味がいまいち掴みきれず首を傾げれば、男は読んでいた本を閉じ、綺麗なコバルトブルーの瞳を細めた。
「エディは賢いから、きっとすぐに理解できるさ」
「……そうでしょうか。俺、勉強は苦手です。アルフレッド様のように、すらすらと本を読めるようになる気がしません」
俺は自分の勉強机に積まれた分厚い教本たちを見て思わず深くため息をつく。簡単な読み書きは出来るようになったものの、難しい言葉はまだ理解できないし、外国語なんかはちんぷんかんぷんだ。
ひいひい言いながら勉強している横で、男――もとい、アルフレッド様は外国の小説をすらすら読み進めていっている。
年齢は十三個くらい差があるので、勉強してきた量がそもそも違うというのもわかる。けれど、出された課題をこなしていっても、将来アルフレッド様のようになれる気が全くしない。それほど俺は自分の出来の悪さに辟易していた。
俺の情けない弱音にもアルフレッド様は怒ることなく、むしろくすりと笑って教本を一冊手に取った。
「エディの年齢でここまでできるのは、十分凄いことだよ。吸収が早いから、僕も教えていて楽しい」
「それは、アルフレッド様の教え方が上手だからです。アルフレッド様は俺の歳の頃は、もっと難しいことを学んでいたんですよね?」
「あぁ……しかし僕の場合は、やらなければならない立場だったから」
そう言って彼は、昔を懐かしむよう目を伏せた。
アルフレッド様は、俺の異母兄にあたる人だ。つまり、父と正妃の間に生まれた、正当な王位継承権を持ち次期国王と名高い国の第一王子である。
正妃から俺たちとの接触を禁止された父は、以降何も手を打たなかった訳では無かった。自分の目の届かぬ所で俺たちが冷遇されないよう、父直属の使用人数人と、発言力のあるアルフレッド様を俺の家庭教師として定期的に後宮へと送り込んだ。
後宮の様子は逐一父へ報告される。その為正妃付きの使用人も俺たちに下手なことは出来ず、父やアルフレッド様に守られる形で不便なく過ごせていた。
アルフレッド様も、次期国王としての公務で忙しい身でありながらも、後宮に通い俺に勉強や武器の扱い方、生きていく上で必要なことを教えてくれた。
他人である母に対しても優しく接してくれて、母もアルフレッド様には心を開いていた。俺も彼のことを心から信頼している。
俺は父にはほとんど会ったことはなく、使用人からは可哀想な子どもと噂されることもあったけど、俺としては優しい母とアルフレッド様がいたから寂しさなんて微塵も感じていなかった。
母の方は、故郷の家族に会えなくて相当寂しい思いをしているだろうけど。
……いや。アルフレッド様が言ったように、母がいつか家族に会えるよう俺がもっと頑張るんだ。まだ意味を理解しきれているわけじゃないけど、アルフレッド様が言うなら『力』が必要なのだろう。
勉強に躓いたからって後ろ向きになっている場合ではない。アルフレッド様みたいになれるよう、努力を続けなくては。
「……お茶とお菓子を用意して貰ってる。リリー様もお誘いして、休憩にしよう」
「あっ、はい!」
ぐっと拳を握って気合いを入れ直していたら、アルフレッド様が気を利かせてそう言ってくれた。確かに勉強を始めてからかなり時間が経っていたので、休憩にはちょうど良いタイミングだ。
アルフレッド様の提案通り、リリー様――つまり母も呼んで、東屋に三人で集まる。
使用人が用意してくれたお茶を嗜みながら他愛のない話で盛り上がるこのティータイムが、俺は結構好きだ。
「ん。このクッキー、とても美味しいですね。どこのお店のものでしょうか」
小麦色のバタークッキーを口に運んだアルフレッド様がそう言って、もう一枚クッキーをつまみあげる。観察するよう眺めてはくんくん匂いを嗅いで、流れるような所作でまたそれを口に運んだ。
「あぁそれは、エディが作ったんですよ」
「エディが?」
母の返答にアルフレッド様は目を丸くして俺を見た。
「お母様に教わりながら作ってみました」
クッキーだけでなく、最近は簡単な料理もするようになった。きっかけは単純。母が厨房に立っている姿に影響されて、だ。
貴族の食事などの用意は基本的に使用人が担っている。それが彼らの仕事だからだ。
例に漏れず俺たちの暮らすこの宮でも使用人たちが食事の提供から掃除洗濯、庭の手入れなどをしてくれている。クッキーだって、ひと言告げればそう時間をかけずに用意してくれるだろう。だから俺や母が厨房に立つ必要は全くもってない。ないのだが、母は厨房を取り仕切っている料理長に許可を得て料理をする。
俺はまだ料理しかまともにできていないが、母は他にも裁縫や編み物、ちょっとした掃除や花壇の手入れもしている。側妃のすることではないし変わった人だと言う者もいるが、母にとってそれは、貴族や王族の妃というしがらみもしきたりも何も考えずに没頭できる趣味であった。
俺に料理や編み物の手ほどきをしながら、母は故郷の家族はこうだったと話をしてくれる。その時の母の表情はとても穏やかで、きっとその時間だけは、ただの伯爵令嬢に戻れているのだと思う。
初めはそんな母の話を聞きたいが為にいろいろ教わっていたが、机に向かって勉強するよりやりがいを感じ、いつの間にか俺も趣味のように楽しんでいた。
そしてやっと人に出しても問題ないレベルにまで達したので、アルフレッド様に感想を聞くべくこうしてテーブルに並べてみたのである。一国の王子であるアルフレッド様のお眼鏡にかなったようで良かった。
「すごいねエディ。きみは手先が器用だから、何かを作ることに向いているのかもね」
「えぇ。続けていればあっという間に私よりも上手くなりますよ」
次はマフィンを作ってみましょうか、なんて言いながら、母はにこにこ嬉しそうに俺の作ったクッキーを口に運ぶ。お世辞かもしれないが、二人の言葉と母の笑顔に胸が熱くなった。
それからは、スイーツ作りや料理をして上手く作れればアルフレッド様に食べてもらったり、マフラーを編んで二人にプレゼントしたりと、立派な趣味へと昇格させていった。母も楽しげに笑う頻度が増えたし、俺は勉強の息抜きも見つけられていいことづくしである。
決して自由とは言えないけれど、俺たちは俺たちなりに楽しく過ごしていた。
そんな時だった。全ての発端とも言える事件が起こったのは。
その日もアルフレッド様の指導のもと、国の歴史と外国語を学んでいた。
ノルマをこなせば、母も交えてのお茶会が待っている。最近はそれをモチベーションに苦手な勉強も頑張れていた。
出題された問題を全て解き終えて、採点してくれているアルフレッド様に今回はマカロンを作ったんです、とか、今日も寝る前にお母様と料理の練習をするんです、とか、今度刺繍に挑戦する予定なんです、とかいろいろ話しかけていた。採点が終われば、あとは東屋に行って三人でティータイムを楽しんで、昨日の鍛錬の続きをして……そんな、いつも通りの日常を過ごすはずだった。アルフレッド様付きの使用人であるダルクが慌てた様子で部屋に入ってくるまでは。
「……なんだと?」
いつも涼し気な様子でアルフレッド様のそばに居るダルクが、珍しく表情を険しくさせ部屋に駆け込んできてアルフレッド様に耳うちする。するとアルフレッド様も眉をひそめ、椅子から立ち上がった。
「リリー様は」
「出迎えのため、用意に取り掛かっております」
「……エディの着替えを手伝ってやってくれ」
「かしこまりました」
「エディすまない。仕事だ」
「仕事?」
仕事って、なんの仕事だ?
思いもよらなかった言葉に首を傾げた俺の方を、部屋のドアノブに手をかけたアルフレッド様が険しい表情で振り返った。
「あぁ。僕の弟……チャールズが来る」
「えっ……」
チャールズ様。
名前は聞いたことがある。
アルフレッド様の実弟で、この国の第二王子。アルフレッド様と同じ、僕の異母兄弟だ。
ただ直接お会いしたことは無い。こっち側もあちら側も、接触をはかろうと思ったことがなかったからだ。
あと一応、アルフレッド様とチャールズ様は王位継承権争いなるものをしているらしく、アルフレッド様がよく出入りしている後宮には近づき難いんだと、少し前に教えてくれた。
そんなチャールズ様が今になってここに来るだなんて。
一体なぜ?
疑問を投げかける前にアルフレッド様は部屋から出て行ってしまい、俺はダルクに促され状況も上手く飲み込めないまま着替えにとりかかった。
念の為と母が仕立てさせてくれていた接待用の服に袖を通し、母とアルフレッド様が待っているという玄関ホールに向かう。
そこには既に後宮に仕える使用人たちと、神妙な顔つきで言葉を交わす母とアルフレッド様がいた。
「お母様、アルフレッド様!」
「! エディ……」
二人に駆け寄った俺を母は数秒抱き締めたのち体を離し、憂わしげに俺の頬を撫ぜた。
「あの、お母様。チャールズ様がいらっしゃるんですよね? それだけなのに、なぜお母様もアルフレッド様も、険しい顔をしているのですか?」
俺の問いかけに二人は顔を見合わせる。その表情はやはり険しくて、俺の頭の中にはてなマークが増えた。
俺が言ったように、急ではあるがチャールズ様が来るだけだ。しかもアルフレッド様の実の弟。なんの問題もないはずなのに、二人はまるでこれから敵を迎え撃つかのような雰囲気だ。
「チャールズは、気に入ったものは全て手中に収めたいと常日頃から思っているような、欲深い男だ」
アルフレッド様がそう言って俺の傍にしゃがむ。
「きみは元々、弟に目を付けられていた。さっきも言ったようにあいつは欲深い男だから、どうにかしてエディを傍に置こうと行動してくる。だから僕とリリー様はきみと接触させないよう注意していたが……すまない、僕の力不足だ」
「で、でも、俺はチャールズ様とお会いしたことがありません。外にも出たことがないです。目をつけられる? ような失礼なことはしていないはずです。そんな、警戒をするようなことではないのではないですか?」
「いや……そういうことでは……」
アルフレッド様は珍しく言い淀み、ちらりと母の方を見る。母はその視線を受け、俺の肩に手を置いた。
「エディ、まだ話を理解し切れないかもしれないど……。チャールズ様は以前、私が陛下の側妃と知りながら愛人になれと言い寄って来たのです」
「え⁉」
愛人って確か、そういうコトだけをする関係の人の事だったよね。文字の勉強のために読んだ外国の小説に書いてあったのを覚えている。そんな関係もあるのかと新鮮で、不思議と印象に残っている。
母は父の側妃で、例え第二王子であっても雑に扱ってはいけない存在だ。なのに愛人関係になれと母に言い寄るだなんて、チャールズ様は一体何を考えているんだ?
「幸いにも異変に気付いたアルフレッド様が庇ってくださり事なきを得ましたが……チャールズ様は私を手篭めにする事を諦めていません。しかしそれは、エディがいるなら話は別なんです」
「お、俺が? どうして……?」
「……弟は相当な面食いなんだ。リリー様を気に入ったのも容姿が好みだったからだ。そんなリリー様とそっくりだと噂のエディの存在は、あいつが興味を持つには十分すぎる。リリー様を傍に置くのが難しいと判断したあいつは、エディにターゲットを変えた。きみに会うタイミングを虎視眈々と伺い、今日、無断でここに来ることを決めたんだ」
「…………」
そんなことって、あるのか?
俺の周りにいる人たち、母とアルフレッド様はそういった私欲を表に出している所は見たことがない。それは民の上に立つ者として当然の振る舞いであると、アルフレッド様が教えてくれたことがある。
アルフレッド様がそういう考え方ならば、王族みなそうなのだと、勝手に思っていた。
想定外のことに言葉を失っていたら、アルフレッド様が「とにかく」と息を吐いて立ち上がる。
「こうなってしまっては、出迎えないと後々エディが不利になる。けれどなるべく目は合わせるな。受け答えも必要最低限でいい」
「わ、わかりました……」
俺が頷いてすぐ、チャールズ様が到着したと報せが入った。
出迎えるため三人で外に出た時、まず初めに目に飛び込んできたのは、城門前に停まっている大きな馬車だった。
金と黒を基調に塗装され、きらびやかな装飾が散りばめられているキャビンと、それを引く毛並みの良い二頭の白馬。それだけで物凄い存在感なのに、側面にでかでかと入れられた王家の紋章が更に存在感を増させている。
アルフレッド様はいつも自身の愛馬でこの宮を訪れているから、初めて王族の馬車を見た。こんなにも壮大なものなのか。
行者が外からキャビンの扉を開くと、中から男が降りてくる。その男は地面に降り立ち、肩にかけた黒いマントを翻しながら優雅な足どりでこちらに歩み寄ってきた。そして俺たちの目の前で立ち止まり、慣れた仕草でお辞儀をする。
「ご無沙汰しております、リリー様」
男は顔を上げ、口元に弧を描いた。
彼が、この国の第二王子、チャールズ様。
さすが兄弟と言うべきか、髪や瞳の色、容姿の雰囲気はアルフレッド様とよく似た美丈夫だ。
しかし、笑みを浮かべた時の目元やチャールズ様自身が纏う空気感は、アルフレッド様と全く違う。なんとも腹の読めない、少し近づき難い雰囲気を感じる。
「ご無沙汰しております、チャールズ様。わざわざ御足労をいただき、感謝いたします」
「いえいえ。突然訪問したにも関わらず、お出迎え痛み入ります。……アルフレッド兄様も、今日はこちらにいらしてたんですねぇ。公務の方はよろしいのですか? 滞ったらお父様に叱られてしまいますよ?」
「お前と同じにするな、チャールズ。そんなことより、アポイントも無しに急に訪問するなど非常識だぞ。リリー様とエディにも予定がある。それを狂わせてまで、一体なんの用だ」
「ふと、リリー様と随分お会いしてないなと思い至りまして。丁度時間もできましたし、思い切って訪問してみようかと思ったんです。思い立ったが吉日と言うでしょう? それに……」
チャールズ様の視線が、母の隣りに隠れるように立っていた俺に移った。
「エディにも会いたかったんだ」
「!」
「初めまして、エディ。私はチャールズ。きみの異母兄だ」
突然チャールズ様の目にとらえられ、びくっと肩を震わせてしまった。しかし、初対面なのだからとりあえずの礼儀として挨拶をしなければと、俺は一歩前に出る。
「は、初めまして……エディです。お会いできて光栄です、チャールズ様」
母やアルフレッド様から教わった作法にならいお辞儀をする。するとチャールズ様は俺の全身をじろじろ舐めるように眺め始めた。
なんだか、値踏みをされている気がする。
無意識にほんの少し後退れば、チャールズ様は最後に俺の顔を見てにこりと笑みを浮かべた。
「いやぁすまない。噂以上の美しい見た目に驚いてしまったよ。きみが生まれて随分時間が経ってからの挨拶になってしまったね。私も会えて光栄だ」
これからよろしく、と手を差し出し、握手を求められる。断るのも可笑しな状況なので握手を交わせば、チャールズ様は満足そうに笑みを深めた。それが少し不気味に感じて、手を離してからバレないよう身震いした。
その後、母とアルフレッド様とチャールズ様は応接間へ、俺だけが部屋に帰されてしまった。
ダルクに勉強を見てもらったり、異国の歌を歌ってもらったりしたけど、先程のチャールズ様の笑みを思い出しては心が不安に駆られた。
母とアルフレッド様は大丈夫だろうか。
暗い顔をする度ダルクが元気付けてくれたけど、僕の心の不安が晴れることはなかった。
暫くして、チャールズ様はアルフレッド様と共に帰って行った。
ほっとして母に声をかけに行ったけど、「ごめんなさい……今日は疲れてしまって」と追い返され、母はそのまま部屋から出てこなかった。
約束していた料理の練習も、この日はできなかった。
そんなことがあってから、二年が過ぎた。
あれ以降、チャールズ様は後宮に訪れてはいない。
アルフレッド様が止めてくれているのか、はたまたただの冷やかしで訪れ飽きてしまったのか。理由はわからないが、できれば会いたくないと思っていたので来ない分にはありがたかった。
そうやって変わらぬ日常を過ごしていた時、また別の来訪者がやってきた。
「彼女はニコラ。今年三歳になる、僕たちの妹だ。ほらニコラ、挨拶しなさい」
アルフレッド様が紹介し前に出るよう促したのは、高い位置でベージュの髪を結び、くりくりとした大きな目をした女の子だった。
女の子――ニコラは一歩前に出て、三歳にしては立派なカーテシーをしてみせた。
「はじめまして、ニコラともうします」
「は、はじめまして、エディと申します。お会いできて光栄です、ニコラ様」
顔を上げ、可愛らしい笑顔を向けくれたニコラに続いて俺も自己紹介する。
次に後宮に来る時は妹も連れてくるとアルフレッド様が事前に言っていたのである程度の心の準備はできていた。しかし腹違いとはいえ妹だし、立場的な話になると彼女の方が俺より上だ。女の子と接する機会もそう多くないので、何か粗相をしてしまったらどうしようと、ここ数日は少し緊張していた。
「気軽にニコラと呼んであげてくれ。その方がこの子も喜ぶ」
俺の緊張を察してか、アルフレッド様がそう言ってくれた。
いやいや、一国の王女を呼び捨てだなんて、と思いながらもニコラに視線を移せば、彼女もアルフレッド様と同じ色の瞳をきらきらさせながらこくこく頷いていた。
「えっと、じゃあ……これからよろしくお願いします、ニコラ」
そうやって握手を交わしたが、「かたくるしいくちょうもいや!」と言われてしまったため、ニコラに対しては砕けた話し方をすることになった。
慣れないかもしれないと不安に思っていた呼び方や話し方も、案外早くに定着した。俺とニコラがかなり短期間で仲良くなったからだ。
ニコラは王女で外向きはしっかりしているが、実はかなり好奇心旺盛でやんちゃな子だった。
初めはそんなニコラを止めたり宥めたりしていたが、かく言う俺も真新しいものに興味をそそられる性質なので、いつの間にかニコラと宮内を駆け回るようになっていた。
今では、ニコラは俺を「エディお兄様」と慕ってくれ、俺はニコラを妹として可愛がった。
やんちゃをしすぎると母やアルフレッド様に叱られるが、俺たちが仲良くしているのは二人も満足なようで、基本的にあたたかく見守ってくれている。
そんなある日の事。
いつも通りアルフレッド様との勉強と鍛錬を終え、ニコラが増え四人になったティータイムを迎えた。しかしアルフレッド様がなにやら母と二人で話があるとの事で席を外し、俺とニコラは二人で先にお茶とお菓子を嗜んでいた。
普段は東屋でティータイムだが、今日は天気があまり良くないので室内である。
使用人たちに見守られながら二人で雑談をしていた時、ニコラの手のひらに肌色のガーゼが貼られているのに気が付いた。
「ニコラ、手を怪我したの?」
そう指摘したら、ニコラは自身の手のひらを見てぷくっと頬を膨らませた。
「きいてよエディお兄様! チャールズお兄様ったらひどいのよ?」
「えっ、チャールズ様……?」
意外な名前に思わず驚きの声を上げる。
いや、ニコラもチャールズ様と兄妹なのだから名前が出ても何ら不思議では無いのだが、これまで彼女からチャールズ様の話題が上がったことがなかったので、少し驚いてしまった。
「チャールズお兄様、わたしにすごくいじわるなの。お稽古でうまくできないことがあったらいつもばかにして、そばをとおっただけであしをひっかけてころばせてくるのよ⁉」
これは転ばされたときにできた傷なの、とぷんぷん怒りながら俺に手のひらを見せてくれる。
一国の王子と思えない幼稚な悪戯だ。あの人、そんなに大人気ない人だったのか?
「アルフレッド様は助けてくれないの?」
「たくさん助けてくれるよ! でも、アルフレッドお兄様はおいそがしいから、ずっとみていられるわけでもなくて……。アルフレッドお兄様がいないあいだに、わたしにいじわるするの」
「そうなんだ……」
ニコラの手を取って、早く傷が塞がりますようにと願いながら、手の甲を撫でる。女の子に傷がつくと大変なんだ。
「ありがとう、エディお兄様! わたしやっぱり、けっこんするならアルフレッドお兄様かエディお兄様のようなひとがいいわ!」
「えっ、結婚⁉」
機嫌を直していつものかわいらしい笑顔を見せてくれほっとしたのも束の間、突然の結婚というワードにまたもや驚かされる。
結婚云々を考えるのはニコラにはまだ早いんじゃないだろうか。
「きのう、えほんでよんだの。おうじさまとおひめさまがむすばれてけっこんするお話!」
「へぇ……」
「そのおうじさまがね、とってもつよくて、やさしくて、かっこいいステキなひとなの。ね、アルフレッドお兄様とエディお兄様みたいでしょ?」
「俺はそんなんじゃ……でもそうだね、アルフレッド様のような人が将来ニコラを守ってくれたら、とても安心だね」
「うんっ」
これ聞いたら、アルフレッド様すごく喜ぶだろうな。あまり表には出さないけど、アルフレッド様はすごくニコラを大事に思ってるから。今度こっそり教えてあげよう。
「エディお兄様は、どんなひととけっこんしたい?」
「え、俺?」
ニコラにきらきらとした目で問いかけられる。
結婚、か……。
ずっと後宮にいて外界との交流もないから、結婚は自分には縁遠いもののように感じていた。それにいずれ俺は母を連れてここを出るつもりだから余計に。
「うーん、考えたこともないなぁ」
「えー、ひとつも?」
「うん」
「そっかぁ……でもいつか、けっこんしたいって人にであえるよ、きっと!」
「そうかな」
「そうよ!」
楽しみだね、なんて、まるで自分のことのようにわくわくしているニコラを見て思わず笑みがこぼれる。
でも……そうだな。いつか出会えるといいな。そんな人に。
それからはまた他愛のない雑談に花を咲かせたのだが、ふと、母とアルフレッド様がなかなか戻ってこないことに気がついた。
話は二人だけでと言っていたからおそらく俺たちに聞かせたくない内容なのだろうが、二人の話がこんなに長引いたことは今まではなかった。
急かすものでもないが、お茶もお菓子も用意しているのでせっかくならばみんなで楽しみたい。呼びに行ってみようと、俺はお手洗いに行ったついでに二人が話しているであろう執務室へと向かった。
執務室の前に着くと、部屋のドアが閉まりきっておらず話し声が僅かに漏れ聞こえていた。
やっぱり執務室で話をしているようだが、大事な話を盗み聞きはよくない。また後で呼びに来ようと踵を返しかけた時、アルフレッド様が俺の名前を出したので足を止める。
俺の話題、なのだろうか。
自分のことかもしれないと思ったら、盗み聞きはよくないと分かっていながらもどうしようもなく気になってくる。
たまたま、本当にたまたま聞こえただけだから。と心の中で言い訳しながら、俺は静かにドアに近づき耳をすませた。
「エディにも言うべきです。しっかり説明してあげないと誤解して自分を責めてしまうかもしれません」
「……話してしまったらそれこそ、この先ずっと責任を感じることになります。私は、あの子には笑顔で過ごしてほしいんです」
なんの話だろう。声音を聞くにやはり真剣な話のようだが、流れが全く読めない。
俺が責任を感じるって、どういうことだ?
「……わかりました。リリー様がそこまで言うのであれば、僕からは何も言いません」
「ありがとうございます」
「エディは……受け入れてくれるでしょうか。あなたの事をとても慕っています。きっと共にいることを願うでしょう」
「物分りのいい子です。それに甘える形になってしまいますが、必ず理解してくれます」
「……決行日はどうしますか?」
「陛下も病に臥せって、チャールズ様が不穏な動きをしている今、すぐにでも行動を起こしたいです。明日、実家に手紙を出します」
「わかりました。手紙はダルクに取りに来させます。今となっては業者も信用できませんから」
「感謝します。すぐ出発できるよう、エディの身支度も整えさせなければいけませんね。一刻も早く、実家に避難させなくては」
「!」
実家に避難……実家とは、母のだろうか。というか、避難ってどういうこと?
チャールズ様が不穏な動きをしていると言っていたけど、それと俺が避難しなければならないのと何か関係があるのか?
話を一部始終しか聞いていないから当たり前だが、理解が追いつかない。何が起こってると言うんだ。
混乱したままの頭でふらふらとその場から離れる。
なんとかニコラのいる部屋まで戻って、その後しばらくして母とアルフレッド様も来たから四人で改めてティータイムを楽しんだ。
でも、ちゃんと笑えていたかわからない。ずっと、母とアルフレッド様の話が頭をぐるぐる回っていたからだ。
ティータイムも終わって、アルフレッド様とニコラも帰っていった。
湯浴みを終え寝巻きに着替えたらもう、呼ばない限り僕の部屋には誰も来ない。あとは大人しく寝るだけだ。
いつものように、暗くなった自室のベッドに横になる。寝付きはいい方で、ベッドに潜り込んでしまえばすぐにうとうとしてくるのに、今日はなかなか眠くならない。やっぱりずっと、考え込んでしまってる。
初めてチャールズ様がこの宮にやってきた時、母もアルフレッド様も相当警戒していた。そして、チャールズ様が俺を気に入り、手中におさめようと狙っているとも言っていた。
ここ数年会いにも来てないし接触もはかってこなかったから、てっきり興味を無くしてくれたと思っていた。でもそれは俺の思い違いで、水面下でもずっと俺を狙っていたのだとしたら。
俺をここからは遠い母の実家に避難させようとしていることから、二人の言っているチャールズ様の不穏な動きは俺関連である可能性が高い。
初めて会った時の、チャールズ様の笑みを思い出す。
ぞっとするような、嫌な感じのする笑い方だった。
目を閉じたらチャールズ様の顔が思い浮かんで、余計に眠れなくなる。
俺はたまらず起き上がり、部屋を抜け出した。
そしてとある部屋――母の部屋の前までたどり着き、こんこんとドアをノックする。
「誰です?」
平坦な母の声がした。
「お母様、エディです」
そう答えるとすぐにドアが開き、湯浴み後の寝巻き姿の母が出てきてくれた。母もおそらくこれから寝るところだったのだろう。
「エディ、どうしたんですか?」
「あ……えっと……」
どうしよう、咄嗟に母の部屋に来てしまったけど何も考えていなかった。不安で眠れなくて、と言ったら笑われてしまいそうで、恥ずかしくて言えない。
もじもじと口籠る俺を見て、母はたぶん眠れないことを察したのだろう。穏やかに微笑んで、俺を部屋の中に招き入れくれた。
ソファに座るよう促されたので大人しく腰掛ける。母は窓際にあるデスクの上にあった数枚の紙と封筒を引き出しの中に仕舞い、傍に置いてあったポットを手に取った。
母とアルフレッド様の会話の中で、母が実家に手紙を書くと言っていた。もしかしたらそれかもしれない。でも盗み聞きで得たことなので、僕は何も言及せず見ていないふりをした。
「エディがこんな時間に私の部屋を訪ねてくるなんて珍しいですね」
母は俺の前にティーカップを置くと、俺の隣りに腰掛けた。
ポットからティーカップに注がれたのはいい香りのするハーブティーだった。たしか、これを飲むと寝付きがよくなるとのことで、母が愛飲しているものだ。
「お茶会をしているときも、いつもより元気が無いように見えました。なにかあったのですか?」
「…………」
やっぱり、母にはわかっていたらしい。ちょくちょく心配そうに俺を見ていたから、そうなんじゃないかと思っていた。
けれど、二人の話を盗み聞きしただなんて言えなくて、俺は少し俯いてしまう。
「……エディは、ここでの生活は楽しいと思っていますか?」
「えっ?」
思わぬ質問にぱっと顔を上げる。
母は穏やかに微笑みながら首を傾げて、俺に答えるよう促した。突然の質問の意図はわからないが、母が答えてほしそうにしているから、とりあえず考えてみる。
ここでの生活が楽しいか、と言われたら……どうなんだろう。母がいる生活はとても楽しい。アルフレッド様やニコラが来たら、もっと楽しい。
でも、一人になると楽しくない。
暮らしている人数に比べて宮が大きいからか、後宮はひどく寂しい場所のように感じるのだ。しかも、ここは母を縛りつけている場所でもある。
好きな人たちが集まったら楽しくて好きになるけど、それ以外は特段好きだとは思えない、というのが正直な感想だ。
それをありのまま伝えれば、母は「そうですか……」と言って、俺の手をとり握った。
「貴方はいつも、私をここから連れ出したいと言ってくれていましたね。本で読んだいろんな場所に、私と行ってみたいと」
「はい。今でも思っています。むしろ行きたいところが増えていく一方です」
「ふふっ、貴方も昔の私に似て、好奇心旺盛ですものね」
くすくす笑った母が、俺の頭を優しく撫でる。
俺は、母のこの手が大好きだ。
二人の話していたことが本当ならば、おそらく近々、俺は母の実家へ行くことになるだろう。けれど、二人の会話から察するに母は伴わずにだ。そうなれば、俺はしばらくは母に会えない。俺がどんなに一緒がいいと言っても、覆ることはない。
ならば今だけは、俺の願望と少しのわがままを言っても許されるだろうか。
小さく息を吸って、俺は母を真っ直ぐに見やった。
「……お母様。俺、お母様とここを出て一番最初に行きたい場所があるんです」
「どこですか?」
「お母様の故郷です」
「!」
母は目を見開いた。俺と同じ、赤い瞳が動揺で揺れている。
「お母様から、お母様の家族の話を聞いて、俺も会ってみたいとずっと思っていました。領地の散策もしてみたいです。きっと素敵なものや場所がたくさん見つかるでしょう」
「…………」
「だからお母様、一番最初は俺と一緒に、お母様の大好きな故郷に帰りましょう。そしてお母様の素敵な家族を、俺に紹介してください」
「エディ……」
母はゆっくり目を閉じて、息を吐いた。次第にその口元は穏やかに緩み、くすりと笑みをこぼした。
「えぇ。きっと私の家族も、貴方を受け入れて、大好きになってくれるわ」
「本当ですか?」
「もちろん。だって貴方は私の子ですもの」
「じゃあ約束してください。お母様と一緒に、お母様の故郷に帰るという、約束です」
「――えぇ、約束」
母の手が俺の肩にまわって、そのまま抱き寄せられる。母の石鹸のような香りが鼻腔を通れば、俺の心をほっと落ち着かせた。
「エディ、大好きよ。私の大切な大切な宝物」
「……俺も、お母様が大好きです」
約束は、守られないかもしれない。
でもいつかきっと、俺は母と一緒に母の故郷へ帰る。根拠は無いけど、そんな未来が来るという確信を、心のなかに持っていた。
母の腕の中は、ふわふわな毛布にくるまれているときのようにあたたかかった。
俺の心は幸福感でいっぱいになりそして、母の腕の中で、子どものように眠りに落ちた。
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