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第8話

 しかし翌日――事態は急変することとなった。 「リリー様!」  俺と母が食堂で夕食をとっていたときだった。使用人の一人が慌ただしく食堂へと駆け込んできた。 「どうしたのですか?」 「チ、チャールズ様が突然いらっしゃって、エディ様を迎えに来たと……」 「⁉」  母が驚きの表情を見せ立ち上がったと同時に食堂の扉が荒々しく開かれ、我が物顔のチャールズ様と数人の鎧を身にまとった兵士がぞろぞろとやってきた。 「お食事中失礼します、リリー様」 「……どういうつもりですか、チャールズ様」  珍しく低い声を出し、鋭い目つきでチャールズ様を睨みつけた母は、毅然とした態度で彼らの目の前に立った。  俺も椅子から立ち上がり、母の後ろに隠れるように立つ。  なんで、チャールズ様が?  しかも以前のようになんの前触れもなく、ずかずかと食堂にまで入り込んでくるなんて。一体どういうつもりなんだ、この人は。  それから先程報告しに来た使用人が、チャールズ様が俺を迎えに来たと言っていなかったか? 「ここは後宮です。第二王子殿下と言えど、陛下やここの主である私の許可なしに立ち入ることはできません。今すぐお引き取りください」 「実はリリー様にとある重要な報告があり参ったのですよ」 「報告? それならば侍女に伝達するか手紙で十分なはずでは?」 「いいえ、直接でないといけません。なぜなら……アルフレッド兄様の訃報だからです」 「⁉」  俺や母だけでなく、使用人までもが驚きの声を上げる。  当然だ、アルフレッド様の訃報、つまり、亡くなったという報せだから。  なんで……どうして?  だってアルフレッド様、昨日まで元気にしていたじゃないか。俺にいつものように勉強と、強くなれるようにと厳しく鍛錬してくれていたじゃないか。  誰もが動揺し、騒然としている中、チャールズ様はわざとらしい仕草で胸に手を当てた。 「アルフレッド兄様は、ここ最近病気で臥せっているお父様の代理で他国の会合に参加するため、今朝王城を出立しました。しかし道中、運悪く馬車が賊に襲われ……そのまま命を落としてしまったのです」 「う、嘘だ! アルフレッド様が死ぬはずない!」  そんな陳腐な話、誰が信じると言うのだ。  俺は思わず叫んで前へ飛び出した。  チャールズ様はそんな俺を見て、どこか恍惚とした表情をした。 「あぁエディ、久しぶりだね。会えて嬉しいよ。相変わらずきみはお母様にも負けず劣らず美しいね」 「エディ、下がりなさい」 「っ、でも! アルフレッド様が亡くなっただなんて嘘を……!」 「私の後ろにいなさい」  チャールズ様が俺に手を伸ばす直前、母が俺の前に立ちピシャリと言い放つ。それ以上は何も言えず渋々引き下がり、けれど母の陰からチャールズ様を睨みつけた。 「アルフレッド様が亡くなったというのは本当なのですか? 今朝の話ならば、あまりにも情報伝達が早いように感じますが」 「えぇ、本当ですよ。伝達が早いのは、うちの王族騎士が優秀だからでしょうねぇ。命からがら逃げ延びて、助けを求めに来てくれたのですよ」 「主を見捨て、逃げた兵がいるということですか」 「さぁ、既に死んでいたか、アルフレッド兄様に人望がなかったんじゃないですかね」 「適当なことをおっしゃらないでください。アルフレッド様は、少なくとも貴方より慕われていましたよ」 「……そんな口の聞き方をしてもいいんですか? アルフレッド兄様が死に、お父様の命もあと僅かな今、時期国王となるのは私なのですよ」 「えぇ、そうかもしれませんね。でもまだ貴方は即位してません。今現在、身の程を弁えるのは貴方の方です」  こんな状況でも物怖じせず淡々と言い返せる母は流石だった。  チャールズ様は悔しそうに唇を噛んで母を睨みつける。しかし言っていることに間違いはないので、言葉を返すことはなかった。 「……まぁいいでしょう。今日の本題はそれじゃありません。私はエディを迎えに来たのですよ。こんなところではなく、王城で暮らしてもらうために」 「は?」  チャールズ様の視線が、母の後ろに隠れていた俺に移る。 「招待の手紙も、何らかの理由でエディにまで届いていないようですからね。私が直々に迎えに上がったわけです」 「手紙……?」 「それについては何度もお返事しているはずです。お断りしますと」  母はチャールズ様の視線から俺を外すため、後ろ手に俺を背後に隠す。  俺が知らないだけで、チャールズ様から手紙が届いていたのか。そしておそらく、それは母が全て処分なり返信なりをしてくれていた。知らないうちに、俺はたくさん守られていた。 「血の繋がった大事な一人息子ですから、離れ離れになるのは寂しいですよね。お気持ちお察ししますよ」 「そういう問題では……」 「だから私も考えました」  チャールズ様が何か合図するよう右手を上げる。  すると廊下の方からなにやら騒がしい声がしたかと思ったら、一人の兵士が食堂に入ってきた。可哀想なくらい泣き叫んでいる、ニコラを連れて。 「ニコラ……!」 「エディお兄様! リリー様!」  俺たちに気付いたニコラは顔を上げこちらに駆け寄ろうとしたが、兵士がニコラの腕を乱暴に掴んで止める。  抵抗して暴れたのか、髪の毛も服も乱れている。しかもよく見たら、彼女の左頬は叩かれたかのように真っ赤になっていた。  なんてひどいことを。ニコラは女の子の前に、まだ子どもなんだぞ。  チャールズ様は兵士に連れてこられたニコラの髪を掴み上げる。痛がるのも構わず引っ張り、ニコラはバランスを崩し床に膝をついた。 「これとエディを交換しましょう」 「なんですって……?」  信じられない。この人、一体何を言ってるんだ。到底王族、いや、人間の考えることじゃない。 「私はこれとどうもウマが合わなくてですねぇ。私が国王になったらいつか殺してしまいそうで。だったらいっそのことエディと交換してしまえばいいんじゃないかと考えたんです。これの代わりにエディが来てくれたら私としても嬉しいですし、これが後宮に行けば貴女も寂しくない。ね、いい考えでしょ」 「いい加減にしてください! 貴方自分が何をやっているかわかっているのですか⁉」  母が珍しく声を荒らげる。  でも仕方ない。こんな光景を見て、怒りを抑えられるわけがない。 「わかってますとも。でも、もうすぐ全てが私のモノになる。私は何をやっても許されるんです」 「貴方は国を私物化するつもりですか」 「私物化だなんてとんでもない。この国は元より私のモノです。アルフレッド兄様なんかに渡すものか。やっと……やっと手に入れられる。エディだけじゃない、全てが私のモノだ。この国では私が絶対だ」 「なっ……」  目の前の人が何を言っているのかわからなかった。最早人なのかもわからない。浮かべている笑みが歪んで見えて、全身にぞわりと鳥肌が立った。  突然、チャールズ様がニコラをこちらに突き飛ばす。 「ニコラ!」  床に倒れてしまったニコラに駆け寄って助け起こせば、彼女はわんわん泣いて俺に抱きついた。俺も抱きしめ返し、精一杯目の前の男を睨みつける。 「あははっ、そういう顔も嫌いじゃないよ。でもこれからは、より私の好みに育ててあげるから……楽しみだね。さぁエディ、こちらにおいで。お母様とニコラにけがをさせたくないだろ?」 「!」  言っていることの半分も理解できなかったが、最後の脅しだけはよくわかった。  ちらりと後ろにいる兵士たちを見る。鎧にある紋章は、正真正銘王族騎士のもの。本来は王族である俺たちを平等に守る役目にあるが、何故か彼らは今、チャールズ様に加担している。金を握らされたか、はたまた彼らも脅されているのか。それはわからないが、チャールズ様が命令すれば彼らの持っている剣は躊躇なく母やニコラに振り下ろされるだろう。 「っ……」  俺がチャールズ様の言うことを聞けば、二人は無事でいられるのだろうか。これ以上誰も、傷つかずにすむのだろうか。  だったら、俺はこの人についていったほうが、いいなじゃないのか……?  そんな考えがよぎったとき。 「エディ」  母が俺の傍にしゃがみ、俺とニコラを一緒に抱きしめた。 「エディ、よく聞いて。――」 「!」  俺の耳元に口を寄せ囁いた内容に、目を見開く。  体を離した母を見上げれば、彼女は美しくも穏やかに笑っていた。 「いつまでも、どこにいても……貴方のことを愛しているわ」  最後に俺の頭に口付けて、母は立ち上がった。そして俺たちを庇うよう再びチャールズ様の前に立ち、すっと背筋を伸ばす。 「……アルフレッド様は、とても素晴らしいお方でした。あの方こそが、この国の王に相応しい器の人間でした」 「何が言いたいんです?」 「――貴方は、到底王の器なんかじゃない。貴方なんかにこの国も、エディも渡しはしません」 「……いいのですか? 痛い思いをしますよ」 「ふふっ、ご存知ないかもしれませんが……私は結構戦えるんですよ」  母がチャールズ様と話している間にニコラをおぶる。  そして母が右腕を横に広げた瞬間、俺は食堂から厨房へと繋がる扉に向かって走り出した。  おそらく母が目配せをして指示を出していたであろう使用人が厨房に続く扉を開け、俺は迷うことなくそこに飛び込んだ。 『厨房の奥、一番左の食器棚、それをずらせば外に繋がる通路があります。ニコラを連れて、二人で遠くへ逃げなさい。絶対ここに戻ってきてはだめ』  仲良くしてくれている料理長が厨房内にいて、その人がこちらに手を振った。料理長が食器棚をずらすと、母が言ったように大人一人が通れるくらいの通路があらわれた。  料理長は俺の服に小さなランプを引っ掛けた。きっとこの通路は明かりがなければ進めないほど暗いのだろう。料理長を見上げれば彼は僅かに微笑んで、言葉は発さず俺を通路に促した。そして通路に足を踏み入れるのを見届けた後、素早く食器棚を動かし通路の入り口を塞いだ。 『決して振り返らないで。前を向いて走り続けるの。貴方がニコラを守るのよ』  おぶっているニコラが俺にしがみつくよう腕に力を込める。  ……そうだ、俺が守らなきゃ。  母の言った通りに、俺は真っ暗な通路を振り返らずに走った。  暗い通路を抜ければ、後宮の近くにある雑木林に出た。完全に敷地外だ。こんな道があったなんて、ニコラと宮をたくさん探索したけど、知らなかった。  母は、遠くへ逃げなさいと言った。  遠くって、どこだろう。どこに行けばいいんだろう。  俺はあの後宮以外知らない。  どうやって進めばいいかわからない。  戻りたい。母のもとに。 「エディ、お兄様……」  振り返りかけたが、ニコラの小さい声が聞こえてはっとする。  こんなところで立ち止まってたらいつ見つかるかもわからない。捕まったら俺も、ニコラも、怪我をするだけじゃすまないかも。  それに母も言っていた、絶対に戻ってきてはだめって。 「ッ……」  後宮に背を向け、周りを警戒しながら雑木林を進んだ。当然道なんかわからない。適当に進むしかなかった。  ある程度後宮から離れたであろう場所まできて、俺はニコラを地面に降ろす。脚がもう前にも出せないくらい、限界だった。  その場に座り込み、酷使により震える脚を呼吸を整えながら眺めていれば、俺の傍にニコラも座った。 「エディお兄様、だいじょうぶ……?」 「……うん。少し疲れただけ」  上がった息が落ち着いてきて、もう少し進むべく立ち上がろうとしたけど、脚に力が入らずその場から動けなかった。それを察してくれたのだろう、ニコラは俺の太もも辺りを優しく撫でてくれた。 「……わたしたち、これからどうしたらいいの? リリー様はどうなったの?」 「…………」  ニコラの問いに答えることができず、俺は目を逸らす。  わからない。これからどうしたらいいのかも、母がどうなってしまったのかも。起こったことや言われたことが何もかも唐突で、わけもわからないままここまで逃げざるを得なかった。 「いつ、リリー様のところに戻れるの?」 「……戻れない」 「え?」 「俺たちはもうあそこに戻ることはできない」 「どうして?」 「あそこに戻ったら、チャールズ様に殺されるからだ」  それだけはわかる。それに今のこのこ戻ったらすぐに捕まってしまうだろう。俺たちを逃してくれた母や使用人たちの努力が無駄になってしまう。それじゃあなんの意味もない。 「これまでの生活はできない。家もないから、こういう外で寝るしかなくなる。食べ物も……毎日は食べられないかも。それでも身を隠しながら、どうにかして生きて行くしかない」  そうだ、それしかない。  それでいつか、大人になったら、俺は母を助けに行く。約束したんだ。一緒にお母様の故郷に帰るって。  生きなければ。地面を這いつくばっても。  ニコラのことも守るんだ。チャールズ様を退け、必ずあの王城にニコラを戻す。それが俺にできること。俺がお母様から、託されたことだ。  それから、想像以上に大変な毎日を過ごした。  ニコラは国民に誕生を発表されており名前が知れ渡っていたため名前を「ニーナ」に変え、俺の呼び方も「おにいちゃん」に変えさせた。俺のことを知っている人間は少ないが、知っているかもしれない人がその辺にいる可能性もあったので、なるべく名前も呼ばないよう言い聞かせた。  そうやって身分を隠し、王城から遠い街を目指してなるべく目立たないよういろんな場所を点々と巡った。  ある日、アルフレッド様と父の死の報せを風のうわさで聞いた。どちらも病気で亡くなったということになっているらしい。それを聞いて、チャールズ様が二人を殺したんだとすぐに察した。でなければ賊に襲われたと言っていたアルフレッド様までも病気で亡くなったことにする意味がない。何かを隠したいから、国民に嘘をついたのだ。  そして予定通り、チャールズ様が即位した。  チャールズ様はわかりやすい悪政をしき、平民たちを苦しめた。日に日に家のない子どもや職を失い路頭に迷った大人が増えていった。でもそのおかげで、俺たちは浮浪児に紛れ込むことができた。  母のことは何も情報がなかった。生きているのか、死んでいるのかもわからない。チャールズ様が即位したということは、もしかしたら母は無事ではないのかもしれない。  ……いや考えるな。きっと生きている。俺が絶対に助けに行くんだ。  そうやって自分の心を保たせるため、きっと無事でいると自分に言い聞かせ続けた。  浮浪児として生活をしていく中で、一番困ったのは食べ物だった。  毎日が食べ物の取り合いだった。当然力の強い大人たちが奪っていって、食べ物にありつけない日も少なくなかった。みんな、一日一日を生きて行くのに必死だったのだ。  ときには人に騙されて大変な目にあったりもした。自分とニーナ以外の人を信じてはいけないというのはこのときに学んだことだ。疑うことは結果的に身を守ることにも繋がる。ニーナを危険な目にあわせないためには必要な学びであった。  そうやって必死に生きていたら、いつの間にか二年がたっていた。  ようやく国の端辺りに位置する街にたどり着けたけど、俺たちはもう限界を迎えていた。もう何日も食べ物が見つからず、水以外飲んでいなかったのだ。  だから、初めて街で盗みをした。今までそれだけは手を出してこなかった。いけないことだと理性が働いていたから。  しかしもう無理だった。このままだと俺より先にニーナが死んでしまう。  仕方がないんだと言い聞かせ、開店前の八百屋で野菜を盗んだ。  そこで俺は、ノアに出会った。  ぽかやらかして捕まった俺を、ノアは助けてくれた。もう会うことはないと思っていたのに、食料を求め入った森で再会し、怪我をした俺たちを再び助けてくれた。  なんの見返りもなく手を差し伸べてくれる人と出会ったのは、本当に久しぶりだった。信じていいか迷っていた俺を差し置いてニーナが真っ先に懐いたので、俺もとりあえずノアのことは信じることにした。  俺たちは身分を隠していて、見つかればすぐに捕まってしまうような普通の浮浪児よりも厄介すぎる浮浪児だったので、基本的にひとつの場所に留まることはしない。今回も例外じゃなく、俺たちは本来けがが治り次第すぐにでも出ていくべきだった。  でも、ノアの隣りはあまりにも居心地が良すぎた。  優しいのはもちろん、だめなことはだめだとはっきり言ってくれるし、良いことをしたらちゃんと褒めてくれる。わからないことはわかるまで教えてくれて、干渉しすぎず見守るところは見守ってくれる。  ノアはまるで、母のような人だった。  俺のけがが治っていき、別れが近付く度に、まともに別れも告げられないまま会うこともなくなった母のことを思い出した。  恩人のノアに迷惑はかけられない。だから出ていかなければならない。そう思うと同時に俺の心の奥底で、出て行きたくないと誰かが叫び出す。  これ以上情が移る前に去るしか無いと思った。だから医者のレイさんに問題ないくらい回復したと言われてから、急いで出ていくことを決めた。  でも結局ニーナもぐずって、俺も我慢できず本音を言ってしまって、結果的にノアの優しさで、俺たちは彼の住む家に身を置くことになった。  本当に、幸せな毎日だった。  家や食べ物があることもそうだが、ノアの隣りにいれば誰かに命を狙われる心配もなく、王族としてや兄としての務めも存在しない、『ただのエディ』として過ごせることがなにより嬉しかった。  でもそんな幸せを許さないとでも言うように、悪夢を見るようになった。  先の見えない真っ暗な空間にぽつんと立っていたら、血を流して倒れている母とアルフレッド様がいつの間にか足元にいて、驚いて何処かに走り出そうとするけど、何かに足を掴まれて転んでしまう。そして倒れていたはずの母に手を差し伸べられ、ほっとして手を掴んで立ち上がろうとしたら、目の前の母がたちまちあの男に姿を変え、不敵に笑い俺に手を伸ばすのだ。  決まって、そこで飛び起きる。毎回起きたらすごい汗で、息も絶え絶えだ。  今までそんな夢みたこともなかったのに。  もしかしたら、生活が安定して考える余裕ができてしまったからかもしれない。考えないようにしていたことも全部、無意識のうちに頭の中で問答をしていることがある。  今日も寝る前、いろいろ考えてしまった。  チャールズ様はなぜか、俺に執着していた。母やアルフレッド様の話、そしてチャールズ様の言動から推測するに、彼にとって俺の容姿はものすごく魅力的に感じたのだろう。母が言っていた、容姿で苦労するかもしれないというのが漸く理解できた。  全てを自分のものにしたい。そういう野望を抱いていたあの男は、父や母、そしてチャールズ様に守られなかなか俺に会わせてもらえないことで余計に意地になり、躍起になっていたのかもしれない。  みんなが守ってくれなかったら、俺はとっくの昔にあの男のモノになっていただろう。感謝してもしきれない。  しかし同時にふと思うのは、俺が大人しくあの男のモノになっていたら、周りの人はどうなっていたのだろうということだ。  みんな、俺を守るために身を削った。アルフレッド様も、徹底的に俺とチャールズ様の接触を阻止していたから、邪魔だと思われて殺された。母も俺を守る盾となるため、宮に残った。  俺なんかのことを守らなければもしかしたら、みんな傷つくことなく元気に過ごせていたのではないのだろうか。アルフレッド様が死んでしまったのも、母が自身を犠牲にしてしまったのも、全部全部、俺がいたせいなのではないか。  そうしてあの悪夢を見て、俺はいつものように飛び起きた。  しかしいつもと違ったのは、俺が寝ているベッドの脇にノアがいたことだった。  ノアを見て驚いていたら、彼は眉を八の字に下げベッドの端っこに腰掛けた。 「エディ……大丈夫? 部屋からすごい魘されてる声が聞こえて、心配で入ってきちゃったんだ」  すごい汗、と言って、ノアが持っていたタオルで俺の額を拭いてくれる。 「怖い夢見たの?」 「……うん」  内容は言えないけど正直に頷いた。部屋の外に聞こえるくらい魘されてたんだ、虚勢を張ったって無駄だろう。 「そっか……。喉乾いてない? お水あるよ」  ノアは特に追及はせず、そう言って立ち上がった。そしてサイドテーブルに置いてあったピッチャーからグラスに水を注ぎ、俺に手渡してくれる。  確かに喉がカラカラだ。  渡された水を飲んで乾いた喉を潤す。そこでようやくほっと息を吐くことができた。  再びベッドの端っこに座ったノアは俺の前髪をちょいちょいといじり、そのまま頭を優しく撫でてくれた。たったそれだけで、固く絡まっていた心の結び目がするすると解けていく。 「眠れそう?」 「…………」  ろくに眠れてないはずなのに、目は冴えてしまってる。しかもまたあの夢を見るんじゃないかって怖くて、目を瞑れない。  小さく首を横に振れば、ノアは「じゃあ」と言って俺の毛布を捲くった。 「僕も入れてほしいな」 「えっ」 「いや?」 「い、いやじゃない! いやじゃない、けど……」 「ふふっ、ほら詰めて詰めて」  そう言ってノアは強引に俺を壁側に追いやり、人一人分のスペースを作ってそこに潜り込んだ。 「エディも横になりな」 「わっ」  ノアは俺の体に腕をまわしベッドに横にさせる。そして毛布もかけてくれて、完全に添い寝の体勢が出来上がってしまった。 「久しぶりだね、エディとこうやって寝るの」  確かに、ここを出ていこうと決めた日の夜にノアに強請って一緒に寝てもらって以来だけども。そのときとは状況が違って、なんだか羞恥が勝ってしまう。  ちらっとノアの方を見れば彼は体ごとこちらを向いていて、案外近い距離に胸がどきっと高鳴った。 「僕も昔嫌な夢を見て眠れなくなったとき、おじいちゃんがこうやって傍にいてくれたんだ」 「…………」 「ぎゅってくっついていると、あったかくて安心して、すぐに眠くなっていくんだよ」  ノアの体が近付いて、俺の体にぴったりくっついた。  あったかい、というか、くっついているところがどんどん熱くなっていってる気がする。心臓もノアに聞こえてしまうんじゃないかってくらいばくばく騒いでる。 「こうやってくっついてると不思議とね、怖い夢を見ないんだ」  ノアのあたたかい手が背中に触れて、とん、とん、と一定のリズムで柔らかく叩かれる。それにあわせて呼吸をしていたら、緊張で強張っていた体から自然と力が抜け、俺はいつの間にかノアに身を委ねていた。ノアから香る石鹸のような匂いが、安心感を際立たせているような気がする。 「……僕は、エディの悩みを解決してあげられないけど、こうやって一緒に寝てあげることはできるから」  だんだん、瞼が重たくなっていく。 「僕が隣りにいるときは、どうか安心して眠ってね」  ノアの微笑みを見たのを最後に、俺の意識は眠りの世界へと落ちていった。  そして翌朝。  ここ最近は夢に魘され飛び起きて、その後は浅く眠って起きてを繰り返し満足に眠れておらずずっと寝不足ぎみだったけど、びっくりするくらいぐっすり眠ってびっくりするくらいスッキリとした目覚めを経験した。  昨夜のことを思い出し羞恥心が舞い戻ってくる。  あれが俗に言う寝かしつけ、というものなのだろうか。まんまと寝かしつけられてしまった。  しかし本当に悪夢はみなかった。毎日のようにみていたのに、なんとも不思議だ。  その日以降、俺が魘されていたらノアがベッドに潜り込んでくれるようになった。そしていつものように背中を叩いて、隣りで一緒に眠ってくれる。  幼い子どもにするようなことをされているけど、それだけでひどく安心して、いつしか悪夢は見なくなっていった。  悩みは解決したわけではない。やはり、自分がいなければと思ってしまうこともある。けれど不思議と心は前向きで、今はとりあえず、アルフレッド様や母の分まで前に進まなければ、という思考に切り替わっていた。  これも、ノアが寝かしつけてくれてよく眠れるようになったからなのだろうか。そういえばレイさんも、お前はとにかく寝ろと言っていた。寝なければまともな思考回路にならないと。人間に睡眠は大事なんだなと身をもって思い知らされた。  そんな経験を経て、悩みの根本解決、とまではいっていないがなんとなく精神が安定してきた頃。悩みとは別ベクトルに、俺の心は変な動きをするようになった。 「エディ、ソース付いてるよ」  ノアがこうやって何の気無しに触れたり。 「もうここも分かったの? すごいねエディ!」  無邪気に笑って頭を撫でて褒めてくれたり。 「もう、だめでしょそんなことしちゃ」  両手を腰に当ててムッとした表情を見せてくれたりしたとき。俺の心臓は決まって騒がしくなる。そして顔に熱も集まって、どうにも恥ずかしい気持ちになるのだ  かと思ったら。 「ノアー! 会いたかったよー!」 「ルキ、久しぶり」  行商人のルキや他の街の人がノアと親しげに肩を組んでいたりしたら、イライラ、というかモヤモヤする。  いや、以前からこのような感情にはなってたけど、ここ最近が特に顕著というか。ノアに添い寝をしてもらって以来目立つようになってきた。  なんだこれ、と疑問に思い、レイさんの定期検診でいつも聞かれる「なにか変わったことは」という質問にぶつけてみたら、レイさんは盛大にため息をついた。 「まぁ、お前もまだ子どもだもんな」 「なに? 何かの病気なの?」 「違う。あ、いや……言い様によっては病気か」 「え⁉」 「あー重く捉えなくて良い。はっきり言うとそれは恋ってやつだ」 「……こい?」  こいって、あの恋?  昔、外国語の勉強の一貫で外国の小説を読んだが、それが俗に言う恋愛小説というものだった。平民の女性と貴族の男性がひょんなことで出会ってだんだん互いに惹かれていき、恋に落ちる、みたいな内容だ。  レイさんが言ったのはその恋、なのだろうか。  この国では同性同士でも結婚が可能なので同性のパートナーを持つ人はいる。でも貴族間では世継ぎを産む必要があるから異性婚が一般的だ。俺が元々いた環境もそうだったのでなんとなく男女の恋愛というのが普通に感じていたが……そうか、そういうこともあるのか。 「なんだ、意外と冷静だな。もっと動揺するかと思ってた」 「むしろ腑に落ちた、というか……うん、不思議じゃない。俺ずっとノアにどきどきしてたもん」 「……まったく、マセた子どもだな、お前は」  そう言って、レイさんはまた盛大にため息をついた。  ノアのことを好きだと気付いてからは、ノアの全てがかわいく思えた。ちょっとした仕草も声も表情も、全てが愛おしくなった。  誰にも渡したくない、という独占欲も芽生えた。だから必要以上にくっついたし、ノアと距離が近い人、特にルキにはできる限りの牽制をした。  少しでも意識をしてほしくて、アプローチもできる限りしていった。全く気付いてくれなかったけど……。  成長していくにつれて落ち着くかと思いきや、想いは強くなっていく一方だった。だってずっと、ノアのかわいいも愛おしいも更新されていくのだから。  そしてとうとう満杯だった好きが溢れ、我慢できなくて、告白した。困らせるってわかってたけど、それ以上に伝えたいと思ったのだ。  ゆっくりゆっくり、意識してくれればいいと思っていた。これからも傍にいられるのだからと。

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