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第11話

 あれから数日。  僕は反乱軍の拠点でびっくりするくらい快適に過ごしていた。  食事は毎日提供されるし、お風呂も広くて洗髪剤はものすごくいい匂いがする。心なしか髪もつやつやで肌もすべすべになった。反乱軍の救護班の人がアルフレッド様の為にと作って好評だったため量産したらしい。  何を調合して作ったのか聞きに行ったのをきっかけに、洗髪剤以外にも薬のこととかの意見交換をしていたら、救護班の人たちと随分仲良くなってしまった。  僕が去ったあとも街の監視はまだ続いており戻れるまでもう少しかかってしまうようだった。穀潰しになるのはいやだし、少しでも反乱軍の力になればと思って傷薬などの調合の手伝いを進言すれば、救護班の人たちは是非と受け入れてくれた。だからここ最近は救護班の人たちと専ら調合に勤しんでいる。  最新の調合器具とかを使わせてもらえたりして、自分のもそろそろ新調しなければとか、今はこんな薬が研究されているとか、いろいろ学びを得ることばかりで楽しい。  そんなこんな、今日も今日とて数人で調合室として使用している部屋に籠もっていたときだった。 「なんか、部屋の外が騒がしくないか?」  一人の言葉に、手元の薬研や乳鉢に視線を落としていた全員が顔を上げる。  耳をすましてみれば、たしかに部屋の外から何人かが走る足音や、焦ったように会話する声がした。 「……たしかに、騒がしいな」 「俺が見てくる」  救護班の班長がそう申し出てくれて、ドアを開け廊下の様子を伺ったとき。 「侵入者を捕らえた!」  と声が響き渡った。  反乱軍にはアルフレッド様が指揮していた優秀な元王族騎士の人が多くいる。見張りや偵察も厳重で、彼らのおかげで戦えない者も生き延びることができていると、救護班の人たちに教えてもらった。  そんな見張りを掻い潜って、この後宮に侵入した人がいるなんて……。現国王側についている誰かなのだろうか。  僕と同じく不安に思った救護班の人たちが互いに顔を見合わせていたら、誰かの抵抗するような声がだんだん近付いてきた。  例の侵入者だろう。捕まって、もしかしたらアルフレッド様のところに連れて行かれる途中なのかもしれない。 「暴れるな! 「大人しくしろ!」 「ッ、クソ! はなせ!」  調合室付近を通りかかり、鮮明に聞こえた侵入者らしき人の抵抗する声に、僕ははっとした。 「あっ、おいノア!」  開いたドアの前にいる班長の脇をくぐり抜け部屋を飛び出す。班長の静止の声も無視して、廊下の先にいる見張り兵たち向かって駆け出した。  見張り兵に手を後ろに縛られながらも抵抗し暴れているのは、黒いフード付きのケープを被った細身の男。まさかと思いつつも、僕はほとんど確信していた。  ここ数年毎日聞いて、ここ数日反芻し続けていた声だ。間違えるはずがない。 「ん? おいどうした。危ないから近付くな」  無防備に侵入者に駆け寄る僕を、傍に控えていた兵士が止める。 「違うんです、彼は違うんです! エディ、エディなんでしょ⁉」 「……!」  フードの男がばっと顔を上げる。フードの隙間から白髪と、あの赤い瞳が見えた。 「ノア!」 「やっぱり……! 離してあげてください、彼は敵じゃありません!」 「なんだと?」 「彼は僕の家族なんです、大事な人なんです! 絶対に敵じゃありません!」  僕の必死の言葉に、兵士二人が顔を見合わせる。その隙に兵士を振り切って、エディのもとへ駆け寄った。 「エディ……!」  被っていたフードを外すと現れた馴染み深い顔を見て、僕はたまらず抱きついた。  よかった、生きていた。無事だったんだ!  体を離し、頬を包み込むよう両手で触れる。口元に打撲痕と唇が切れて若干血が出ているが、それは捕まったときに負った傷だろう。それ以外は大した怪我もなさそうだ。 「よかった……本当に、よかった……」 「ノア……」  心から安心して、涙が溢れた。 「生きててよかった……国王に連れて行かれたって聞いたから、俺、すごく心配で……」 「僕は平気。ここにいる人達が助けてくれたの」 「ここにいる人達……?」 「うん。ここは安全な場所で……ってそんなことより、なんでこんなところにいるの? 国境を越えたんじゃないの?」 「あぁ、それは――」 「アル様、こちらです!」  置かれている状況も忘れて話し込んでいたのだが、兵士の声にはっとする。  振り返ればいつの間にか人だかりができていて、それをかき分けるようにアルフレッド様が現れた。そして、拘束されているエディを見て目を大きく見開く。 「まさか、エディなのか?」 「……アルフレッド、様?」  エディも同じように目をむいてぽかんと口を開ける。  そりゃそうだ。彼も僕と同じように、アルフレッド様は数年前に亡くなったと思っていたのだから。  アルフレッド様がすぐさま兵士に拘束を解くよう指示する。  拘束を解かれたエディはふらふらと立ち上がり、信じられない物を見るような目で再びアルフレッド様に視線を戻した。 「本当に、アルフレッド様なのですか……?」 「あぁ、あぁそうだ。エディ、よかった、無事でいてくれて」 「……チャールズ様が、アルフレッド様は死んだと……俺はてっきり 、チャールズ様に殺されたのだとばかり……」 「臣下たちのおかげで、命からがら逃げ出せたんだ。なんとか回復し、今ではここを拠点に反乱軍を率いている」 「…………」  エディは、その赤い瞳にじわりと涙をためた。  僕の家に来たばかりのころ、エディはよく魘されていた。苦しそうに、なにかから逃げるよう藻掻いていた。可哀想で見ていられず、毎回起こしては眠れない彼の傍についていたのをよく覚えている。  そのときにエディが苦しみながら呟いていた寝言を今でも覚えている。なぜ自分は生まれてきてしまったんだ、と。  エディの過去を知った今、なぜそんなことを言っていたのか、なんとなくわかる。  わけもわからないままチャールズ様に狙われ執着され、それをきっかけに何もかもが壊れてしまった。そして自分を守るため、周りの人がみんな死んでいってしまった。  エディはずっと、自分の存在を疎んでいたのだ。自分さえいなければ、みんな平和に暮らせていたのに、と。  成長するにつれて魘されることはなくなっていったけど、おそらくまだ、心の何処かにわだかまりが残っていたのだと思う。  でもやっと、彼の心残りの一つであったアルフレッド様と再会できた。エディの心も、少しは救われただろう。  積もる話もあるからと、僕とエディはアルフレッド様に連れられ執務室にやってきた。そこで、エディはニーナと後宮を逃げ出してからの話を、僕はどういった経緯で反乱軍に保護されたのかを説明した。そしてアルフレッド様は、どうやら、エディのお母さんは既に、亡くなっているだろうということを話してくれた。  チャールズ様の悪行を調べている際に手に入れた人身売買リストの写しに、エディのお母さんの名前があったそうだ。  別の国の伯爵令嬢で、先代国王の側妃であったエディのお母さんをも、金を得るため売りさばいたというのか。  卑劣極まりない。腸が煮えくり返る思いだ。  全て聞き終えたエディは、拳を強く握りしめ、悲しみと、後悔が入り混じって揺れる目を伏せた。深く深く息を吐いて、両手で顔を覆う。しばらくそうしていたがふと、ゆっくりと顔を上げた。  その瞳にはもう、後悔の色はない。 「教えてくれてありがとうございます、アルフレッド様」 「……強くなったんだな、エディ」 「俺が強く見えるならば、それはノアのおかげです。ノアが、大切なことをたくさん教えてくれたから」  エディが僕を見て、手を握った。 「改めて……ありがとう、ノア。ノアがいなかったら、俺もニーナもとっくに死んでいた。こうしてアルフレッド様と再会できたのも、母のことを知れたのも、全部全部、ノアのおかげだ」  穏やかな陽光のような微笑みに、胸が詰まる。もう二度と、こうやって相対して触れることも、言葉を交わすこともないと思っていた。  エディは全部僕のおかげと言うけれど、違う。僕は何もしていない。エディが頑張ったから、懸命に生きたから。  ずっと昔から、お礼を言わなければならないのは、僕の方なんだ。 「そういえば、ニーナはどうしたんだ? ノアからは一緒に逃したと聞いたが。それに、後宮にはどうやって入った? 一応守りは厳重にしているから、そう簡単に入れるものではないはずだ」  気付いてか無意識か、僕とエディの間に流れた柔い雰囲気を断ち切るよう、アルフレッド様がエディに問いた。  それは僕も気になっていた。エディの様子を見るにここへは身一つで乗り込んできている。ここが敵陣だったなら、エディは捕まるか最悪殺されていた状況だ。  危険をおかした自覚はあるのか、少し言いにくそうにしながらも街を逃げ出してからのことを話してくれた。  ニーナは教会に預かってもらってるとのことだから、ひとまずは安心だろう。最近は隣国へ亡命する人が結構いるから、国境近くの教会は亡命者の受け入れ場になっている場合がある。何も言わずに助けてくれたということは、そういうことだ。  それから……レイさんも、ずっと僕の身を案じてくれていたんだ。早く帰って安心させてあげたい。 「まったく無茶をする。ここが反乱軍でなく国王軍の拠点となっていたらどうするつもりだったんだ」 「それは、その時なんとかしようって……。俺ならノアを助け出せると思ったんです。後宮は俺が暮らしていた場所だから、地形や間取りもよく知ってるし。でも思ったより見張り兵も多くて、目を掻い潜るのに苦労しましたけど……。秘密の抜け道が塞がれていなかったのは、不幸中の幸いでした」 「秘密の抜け道?」 「はい。後宮の厨房の食器棚の裏に。誰が作ったかはわからないけど、実はあそこに通路があるんです。後宮から少し離れた場所に雑木林があるでしょう? そこの小さい洞窟に繋がってます。俺とニーナが、乗り込んできた王族騎士に見つからず後宮を抜け出せたのは、それがあったからです」 「……なるほどな」  アルフレッド様は小さく息を吐いて、けれどじと、とした目でエディを見た。 「お前が傷つくのはノアの本意じゃないだろう。もちろん僕もだ。もうそんな無謀なことはするなよ」 「はい……気を付けます」  久しぶりに会ったアルフレッド様に怒られ、エディは珍しくしゅんとしている。その姿がなんだか小さい頃のエディのように見えて、少し微笑ましくなった。 「街に残してきた反乱軍の者から、数日後には王族騎士も撤退すると報せが入った。早くて一週間後には、街へ戻れるだろう」 「! ほんとうですか」  街の人たちも、王族騎士たちがいたら安心して過ごすことは難しかっただろう。これでやっと、街にも平和が訪れる。  よかった……。  ほっと息を吐いて胸を撫で下ろす。  するとそんな僕に、エディが声をかけた。  名前を呼ばれ顔を上げると、エディは真剣な表情で僕を見て、そしてゆっくりと口を開いた。  しかし。 「アルフレッド様!」  そんな声に言葉が遮られる。執務室にダルクさんがばたばたと駆け込んできたのだ。  ただ事ではない様子に、僕たちは思わず立ち上がる。 「見張りの者から、国王軍がこの後宮に向かってきているとの報せが入りました!」 「!」  もしかして、反乱軍がここを拠点にしているとバレた……?  じゃないと後宮の管理を放棄している国王側の人たちが、後宮に向かって進軍してくるなんてありえない。  驚く僕とエディとは裏腹に、数秒何かを考えたのちにアルフレッド様がダルクさんに指示を出す。それを受けたダルクさんが素早い動きで執務室を出ていき、アルフレッド様は僕たちに向き直った。 「直に後宮付近で戦いが起こる。二人は、例の抜け道を使ってここを出るんだ。案内は、エディに任せる」 「……! アルフレッド様、待ってください!」  アルフレッド様がそう言い残して執務室を出ようとした。けれど、それをエディが呼び止める。 「俺も、ここに残ります」 「!」 「えっ⁉」  そんな……なんで……。 「……わかってるのか? 命がけになるんだぞ」 「はい……覚悟はあります。俺も一緒に戦わせてください」  じっと、アルフレッド様がエディを見つめる。先程まで纏っていた穏やかな雰囲気ではない。これから戦いに行く、いろんなものを背負い覚悟を持った人の目をしている。  エディも負けじとアルフレッド様を見つめた。  さっき、僕に向けた視線に似ている。真剣で、強い光を持った目だ。  もしかしてさっきも、ここに残ることを僕に言おうとした……?  数秒黙って視線を交わしたあと、アルフレッド様が目を伏せひとつため息を吐く。そして、「わかった」と頷いた。 「エディが戦力に加わるのはありがたい。ノアを抜け道まで送った後は玄関ホールまで来てくれ」 「わかりました」 「ま、待ってください……! エディが残るなら、僕も残ります!」  僕の言葉に、二人は目を見開いた。 「剣の扱いはからっきしですが、薬の調合もできるし、医療の心得もあります。これから怪我人も多くなるでしょう? 後方支援は多いにこしたことは――」 「だめだ」  エディが怒気を含んだ声で言い放った。  思わずびくっと肩を震わせる。エディのそんな声を聞くのは、初めてだった。 「ここは安全な場所じゃなくなる。いつ攻め込まれてもおかしくないんだ」 「そんなのわかってる! でもこれから危険なところに行く人達がいるとわかっていながら、僕だけ避難するなんてできない。僕の腕は知ってるでしょ? 僕なら少しは役に立てる」 「薬の調合や治療は俺でもできる。それで十分事足りる。だからノアは街に戻って、街の人のためにできることをするべきだ。あそこにはノア以外に薬師はいないだろ」 「それは、そうだけど……でも僕は……!」 「ノア!」  エディが僕の肩をつかむ。痛くない程度に力を込め、そして僕の肩口に額を押し当てた。 「頼むから、これ以上自分の身を危険に晒さないでくれ……」  耳に届いた弱々しい声音に、思わず言葉を飲み込む。 「俺とニーナを逃してくれたときも、国王に捕まったと聞いたときも……守られてばかりで、大切な人ひとりも救えない自分の無力さに、俺がどれだけ打ちひしがれたかわかる?」  声が、震えている。涙は出ていないけど、体がカタカタと小さく震えていた。エディが、泣きたくなるほどの不安に駆られていたことを、僕はこのときまで理解できていなかった。エディにこんな思いをさせていたなんて、想像にも及ばなかったのだ。  呆気にとられ、言葉が出なくなる。エディがゆっくり僕から離れ、長い睫毛が伏せられた。 「これは、俺の戦いでもある。長いこと絡みついていた因縁を断ち切るための戦いだ」 「…………」 「そんな戦いにこれ以上、ノアを巻き込めない」 「エディ……」  言っている理屈はわかる。巻き込みたくないって思いも、わかっている。  でもここにいたい。エディの傍で、エディの役に立ちたい。  ……せっかく再会できたのに。また離れ離れになるなんて、僕は嫌なんだ。 「僕も、ノアは街に戻ったほうがいいと思う」 「……アルフレッド様……」 「戦禍が広がる前にケリをつけるつもりだが、そこかしこで国王軍と反乱軍の小競り合いが頻発するだろう。他の街や村の人が、きみの街に避難してくる可能性は十分に有り得る。戦いに巻き込まれて怪我を負ってしまったり、病気なのに治療薬が手に入らず困ってしまう人間も少なからず出てくるはずだ。そんなとき、街唯一の薬師がいなければ、助けられるものも助けられなくなる」 「っ……」  アルフレッド様の言っていることは真っ当だ。王都に近付けば近付くほど薬師は増えるが、僕が住んでいる街のような端っこの田舎は、薬師自体が珍しい。他の街から薬師を呼ぶなんてことも、いまの状況じゃ難しいだろう。医者も同じだ。  おじいちゃんにも教わった。僕たちはそれだけ、あの街で重要な役割を担っている。自覚も、当然持っている。だから街に戻ったほうがいいなんてことも、とっくに頭では理解しているんだ。  でも……それでも……自分のやるべきことを放棄したくなるくらい、僕はエディの傍を離れたくない。 「ノア」 「!」  俯いてしまった僕を、細くも逞しい両腕が包み込む。エディの胸に頬が当たって、彼の体温と、心地よい心音が伝わってきた。 「必ず、生きてノアのもとに戻ってくる」 「……!」 「約束する。絶対だ」  背中にまわっていた両腕が、僕を強く強く抱きしめた。  エディの優しくも決意のこもった言葉が、不安に覆いつくされた僕の心に少しずつ沁みわたっていく。  また会える。――必ず。  声は漏らさず、静かに頬を濡らした。  エディの胸に顔を埋め、心地よい心音を自分の耳に残し、僕は小さく頷いた。  エディに連れられ、僕たちはダルクさんを伴って厨房の奥にある食器棚の前へとやってきた。ダルクさんは今、気をきかせ厨房の外に待機してくれている。  少し古ぼけた食器棚を動かせば、その奥に人ひとりがようやく通れそうな通路が姿をあらわす。エディはここから、この後宮に侵入してきたらしい。 「暗くて少し長いけど、一本道で頑丈に造られた通路だから安心していいよ。外に出られたら真っ直ぐ北に進んで。一日半ほどかかってしまうけど、街に辿り着ける。……はい、これ、アルフレッド様が持たせてくれたランタンと食料」 「……ありがとう」  エディから小さめの麻袋とランタンを受け取る。  あの時と、立場が逆になってしまった。 「……ノア」  相変わらず少しひんやりとしてしなやかなエディの指が、涙の跡が残る僕の目元を撫でる。何か言いたげに、けれど結局言葉にはせず、彼は微笑みを浮かべ指を離した。  僕の胸が、ぎゅうっと締め付けられる。 「エディ様、そろそろお時間です」  厨房の外からダルクさんの声がした。  もう、時間切れらしい。  また出そうになる涙を堪え、僕はエディに手を伸ばした。 「あぁ――……!」  返事をしようと振り返ったエディの胸ぐらを掴み、こちらに引き寄せる。  そしてそのまま、僕は彼の唇に口付けをした。  目を閉じているからわからないけど、エディが息を呑んだのがわかった。きっと驚いて目をまんまるにしているのだろう。  数秒そうして唇を離そうとしたとき。エディの手が僕の後頭部と腰にまわって、離れかけていたそれが再び合わさった。 「ッ……んっ……」  先程よりも深く唇が触れ合う。何度も角度を変え、息が上がるくらい口付けをしあった。  互いの存在を確かめるように。  この感触を、忘れないように――。  後頭部を抑えるエディの手が緩まって、名残惜しくもゆっくり、唇が離れていく。  至近距離で赤い瞳を見上げれば、彼は何かを我慢するよう目を閉じて、僕から体を離した。 「さぁ、行って」  通路に促され、重い脚を動かし、ひんやりと暗く先の見えない通路へ一歩踏み出す。  少し進んで振り向けば、エディもこちらを見ていた。 「ずっと……ずっと、待ってるから」 「!」 「生きて帰ってきてね、エディ」  逆光で表情はよく見えないけれど、たぶん、エディは頷き微笑んでくれた。 「……うん!」  その言葉に安心して、僕も微笑み返した。そして正面を向いて、再び歩き出す。  がたん、と背後で食器棚が動く音がして、後宮から漏れ出る音も光も、遮断された。  振り返っても、もうエディはいない。  ランタンの光だけで照らされた静かな通路に、僕はふらふら座り込む。 「ッ……ふ、ぅ……」  とめどなく涙が溢れた。  胸が痛いくらいに締め付けられる。  約束もした。彼のことは信じてる。  でも、彼が向かったのは戦場だ。どんなに強い人でも、呆気なく死んでしまうこともある。  このまま、いなくなってしまうかもしれない。戻ってこられないかもしれない。  ……やっぱり傍にいたかった。離れたくなんかなかった。死ぬなら一緒がよかった。  どんなに願っても隣りに立てないことが悔しい。埋まらない差が憎い。  待ってると言ったけど、待つことしかできないことがより自分の無力さを痛感させた。  唇に残った彼の感触が、より一層悲しみを募らせる。  どうすることもできないまま、僕は暗い通路でひたすらに、息を殺して泣いた。

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