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第12話
僕は、ごくごく普通の両親の間に生まれた。
小さな街で、大きくはないけれどあたたかい家で、なんの不自由もなく育てられた。
でもある日。僕が三歳になったばかりの頃だろうか。母が突然行方不明になった。いつまで経っても帰ってこない理由を、毎日父に尋ねていた。けれど父はずっと、「わからない」と答えていた。
どうして母はいなくなってしまったのだろう。僕のことを嫌いになってしまったのかな。
母がいない寂しさに、僕は毎夜静かに泣いていた。
そして母がいなくなってから数年後。今度は父も帰ってこなくなった。
僕は父にも嫌われてしまったのだろうか。
無くなりかけていた寂しさがまた顔を出し、僕は毎日毎日泣いていた。
泣きつかれて眠っていたら、誰かが家の中に入ってきた。数人の、見覚えのない男だ。
「おい、こいつだ」
一人の屈強な男が、僕の首根っこを掴む。
怖くて苦しくて、藻掻きながら泣き叫んだ。
お父さん助けて、って。
そうしたら、後ろにいた男が笑った。
「この期に及んでまだあのクズな父親に助けを乞うなんて、めでたい頭を持ったガキだな」
意味がわからなかった。
だってお父さんは僕のお父さんで、僕が泣いていたらいつも頭を撫でて、慰めてくれて……。
――あれ?
本当に、そうだっけ?
自分の覚えのある記憶に、違和感を感じた。
僕は本当に、頭を撫でてもらっていたっけ。
ズキンと、ほっぺたが痛んだ。
「うるせぇんだよこのクソガキ!」
耳元で怒鳴り声が響いた。
僕に向かって拳を振り上げる、怖い顔をしたお父さんの姿が脳裏に浮かんだ。
次に頬に痛みが走って、ごめんなさい、ごめんなさい、許してくださいって、僕は泣きながらその場に蹲っていた。
ぼんやりと、お母さんの背中が見える。お父さんに髪の毛を掴まれて、叩かれて、それでも僕を庇って覆いかぶさっていた。
別の日に、お母さんは僕をクローゼットに押し込んだ。いいって言うまで出てきてはだめだと。
どうして閉じ込めるのって泣いたら、「静かに、いい子にしていて。きっと大丈夫、大丈夫だから」と頭を撫でてくれた。嬉しくて、僕はクローゼットの中でいい子にしていた。
そうしたら、お父さんが知らない人を連れてきた。きぞく、という人らしい。
「ほう、こいつは珍しい。黒髪に金色の瞳か」
「はい。適齢期は越えてますが……顔もいいし、十分お役に立てると思いますよ」
なんの話をしてるんだろう。
不思議に思ってクローゼットを開けようとしたけど、お母さんに言われたことを思い出し手を止めた。
いい子にしていなきゃ。
外でのよくわからない会話を聞きながら、クローゼットの中でじっとしていた。
「よし、では契約成立だ」
「あっ待ってください、実はもう一人ガキがいるんですが……クソッ、あいつこんなときに何処行ったんだ。家にいろって言ったのに……」
「私も時間がないものでね。今日はこの女ひとりだけで失礼させてもらうよ」
「あぁ、はい……わかりました」
お父さんが、きぞくと一緒に家から出ていった。家が嫌に静かで少し怖くて、小さな声でお母さんと呼んでみたけど、返事はなかった。
その日から、お母さんは家に帰ってこなくなった。
クローゼットに隠れていた僕を引っ張り出して、お父さんはまた僕を叩いた。お母さんはいないから、誰も助けてくれなかった。
どうして、忘れていたんだろう。
お父さんは僕を撫でてくれたことも、褒めてくれたこともなかったのに。
突然大人しくなった僕を縛り上げ、屈強な男に馬車の荷台に放り投げられた。
ほどなくしてガタガタと馬車が出発する。
僕は全身が痛くて、えぐえぐ泣きながら身を起こした。
「大丈夫?」
誰かに声を掛けられた。顔を上げると、荷台の奥に何人か人がいた。お母さんとお父さん、それから家に乗り込んできた男たち以外の人を見るのは初めてだ。
「まだ子どもよ……」
「ひどい……けがしてる。でもごめんね、治療できるものがないの」
荷台は薄暗くて、顔はよく見えないけれど、声からしてみんな女の人だというのはわかった。
おねえさんたちは誰?
ここはどこなの?
「……ここは馬車の中。私たちは、貴族に売られた奴隷よ」
僕の問いに、女の人が答えてくれた。
きぞく、聞いたことがある。お父さんが昔話していた人だ。
それから女の人たちが僕に状況を説明してくれた。僕は人身売買で、きぞくに売られたらしい。
お父さんが、僕を売ったんだ。
じゃあもしかしてあのときも……お母さんはきぞくに連れて行かれたの?
難しい話ばかりで半分も理解できなかったけど、それだけは理解した。そして同時に、深い絶望を感じた。
自分の心を守るため全てを忘れていた。忘れてはいけないことも、忘れてしまっていた。
お母さんがいなくなってからは、お父さんがいるから大丈夫って思っていた。寂しくない。ひとりじゃないって。
全然、大丈夫なんかじゃないのに。
僕はずっと独りだった。誰も助けてくれない。ずっと痛くて苦しくて、辛い。闇の中を彷徨っているかのようだった。
どうして思い出してしまったのだろう。幸せな夢の中にいたら、僕は独りを自覚せず済んだのに。
「こんな何も知らない子どもまでも手にかけるなんて……救いようのないクズどもね」
意気消沈し俯いてしまった僕を見て、誰かがそうつぶやいた。次の瞬間。
荷台が何かの衝撃で大きく揺れ傾いた。
バランスを保っていられず、体が方々の壁にぶつかってしまう。
痛い。なに、なにが起こっているの?
暫くのひどい衝撃の中、ようやく荷台の動きが止まった。
今荷台が上を向いているのか下を向いているのか、よくわからない。
「いったい、なにが……?」
女の人の声がした。生きているようだ。
他の誰かがなんとか立ち上がって、荷台のドアの方へ歩いて行く。
衝撃により錠前が緩んでいたのか、体当たりであっさりと開いた。
暫く暗いところにいたから、急に光が差し込んできて目が痛くなる。ようやく慣れてきた頃にまたドアのほうに目をやれば、何人かが外へ抜け出しているところだった。
僕も痛む体に鞭打って立ち上がり、外に出る。
そこは、山の中腹だった。
「あそこから滑り落ちたんだね」
女の人がそう言って見上げた先は、急な斜面の上にある、おそらく道。馬車の車輪が脱輪でもしてしまったのだろうか。
「派手に横転しなかったのと、緩やかな斜面になったところで止まったのが不幸中の幸い、か」
「ここに縄を切れそうな岩があるよ!」
そうやって、女の人たちは岩で縄を切り、力の弱い僕は女の人に縄を解いてもらった。
「これからどうする?」
「何処かに逃げるしかないでしょ」
「それもそうね……」
「あなた、名前はなんて言うの?」
女の人が僕に話しかけた。
僕の、名前?
「そう。もしかして無いの?」
僕は慌てて首を横にふる。
久しく呼ばれていないから、あまりぴんとこなかったけど……僕にも名前はある。
お母さんがつけてくれた、大事な名前。
「――ノア。僕はノア」
「ノア、いい名前ね」
「それじゃあ行きましょう。とりあえず歩いていれば、どこかの村か街に着くでしょ」
「大雑把すぎない?」
そうして僕と女の人たちは、どこにあるかもわからない街に向かって歩き出した。
幸いなことに、すぐに街は見つかった。
ぼろぼろな状態でやって来た、明らかに訳ありそうな僕たちを保護してくれたのは、その街にある孤児院だった。何も聞かず、あったかいごはんをくれた。
子どもだった僕はその孤児院に身を置くことになったが、女の人たちは働ける年齢だったから孤児院には入らず、働き口を見つけ去っていった。
短い旅路ではあったが結構仲良くなれたのに、お別れは呆気ないものだった。ただ別れ際に、元気でねって抱きしめてくれたのは嬉しかった。
孤児院の生活は、今までにないくらい平和だった。
誰も僕を殴らない、危害も加えない。孤児院の先生が文字の読み書きも教えてくれて、本も多少は読めるようになった。
そうやって平和に過ごしていたけれど、僕は誰とも関わろうとしなかった。
怖かったのだ。誰も殴らないけど、この先殴られるかもしれない。お父さんのように、僕をどこかに売ってしまうかもしれない。独りは怖かったけど、誰かを頼ることも怖かった。
そう思ったら誰も信じられなくて、僕は殆どの時間を孤児院の図書館で過ごした。
この頃だ。図書館で見つけた人身売買に関することが載った本を読んだのは。その本で、人身売買のおぞましさと凄惨さを知った。
僕もこうなっていたかもしれないんだ。お母さんは、こうなってしまったんだ。
あのときお母さんは、僕を閉じ込めたんじゃない。最後まで僕を、守ってくれたんだ。怖くて、逃げ出したかったはずなのに。自分を犠牲にしてまで、僕を……。
最後に僕の頭を撫でてくれたお母さんの手を思い出し、僕はこっそり涙を流した。
事件は忘れないものの、お母さんの顔もお父さんの顔もぼんやりとしか思い出せなくなった頃。
孤児院にある男がやってきた。その人もきぞくと名乗った。
男は突然、この孤児院を取り壊すと宣言した。
元々財政難だった孤児院が、遂に地主にもお金を納めることができなくなってしまったらしい。邪魔なだけの施設なのだから無くしてしまうのが一番いいと、男は笑って言った。その笑みが、昔お父さんが連れてきたきぞくの笑い方に似ていた。
孤児院の先生が止める間もなく施設は解体され、あっという間に子どもたちは散り散りになった。僕も例外じゃなく、行く宛もないままいろんなところをふらふらと彷徨った。
浮浪児の僕に、大人は冷たかった。今考えれば当然の対応だけれど、僕はその冷たさに絶望し、地面に倒れた。
地面の冷たさを感じながら、もうほとんど顔も声も覚えていない母の姿を思い浮かべる。
……お母さんだったらこんなとき、大丈夫って僕を撫でてくれたのかな。
意識が朦朧として、視界が霞む。もうすぐで意識が途切れてしまいそうというときに、誰かの手が、僕の頭を撫でた。
大きくてあたたかい手だった。まるで、僕の知っているお母さんの手のような――。
そこでぷつりと、僕の意識は途切れた。
次に目が覚めたとき、僕は知らない部屋のベッドの上だった。
困惑している僕の目の前に現れたのは、白髪頭に白い髭を生やしたおじいちゃん。
おじいちゃんは僕を安心させるように穏やかな声で、ここはとある街の薬屋であることと、死にかけていた僕を拾って診てくれていたことを教えてくれた。
「後少し発見が遅かったら死んでいたところだった。お前さんは運がいいのう。ほれ、栄養満点の粥じゃ。遠慮せず食え」
「…………」
ほかほかと湯気をたたせた木皿を差し出される。正直、もう何日もまともにものを食べていない。そのせいで食欲をくすぐる匂いと見た目から美味しそうなそれに引き寄せられそうになった。しかし僕は警戒心から受け取らず、逃げ場の少ないベッドの端っこに小さく丸まった。
施設が取り壊されいろんなところを転々と彷徨っていたときに出会った人の中で、こちらに親切心を向けてくる人間は十中八九裏があった。
大人はみんな汚い。金儲けのためならば人の命がどうなったって構わないんだ。きっとこのおじいちゃんも、優しくするのは今だけで、後になったら僕にひどいことをするに決まってる。
もう誰も信じられない。
しかし、そう思いはしても、自分の身体に必須な欲求に抗うことはできない。
情けなくも盛大に、僕の腹がぐうぅと鳴った。
「ほれ、腹が減っとるんだろ。飯を食わんと元気になるもんもならん。心配せんでも、お前さんに見返りなど求めんさ」
「…………」
丸めていた体を起こし、ちらりとおじいちゃんの方を見る。目が合うとおじいちゃんは優しげに目を細めた。
おそるおそる木皿を受け取る。中の粥をじっと眺めると、もう一度腹が鳴った。
添えられていたスプーンを使って粥を掬い、ちょびっとだけ口に運ぶ。
「!」
……おいしい。
食べ物のことは、よくわからない。これがなんの味なのかも。
でも、くどくない、ふわりと広がる後味が、優しく体の芯にまで広がった。
今度はスプーンいっぱいに掬って頬張る。ゆっくり食べなさいと言われても、僕は夢中で粥を口に運んだ。
そんな僕の頭に、おじいちゃんの手が乗せられる。髪の流れに沿うように頭を撫でられ、思わず顔を上げた。
手の大きさも撫で方も全然違うのに、僕はその手をお母さんのものと重ねてしまった。
知らず知らずのうちに僕は涙を流していた。だって、お母さん以外の人に撫でられたのは初めてだったから。
僕はずっと誰かに撫でられたかったんだということを、このときに気が付いた。
まだおじいちゃんを信じ切ることはできないが、このときばかりは僕の心は久しぶりに安心感に包まれた。
「こいつがノアの担当医のレイだ。最近学校を卒業して医者になったばかりだが、祖父譲りの優秀な若者だぞ」
数日後、そう言っておじいちゃんが連れてきたのは、街唯一の病院の院長の孫で医者をやっている、レイという名前の青年だった。
おじいちゃんに紹介されたレイさんは切れ長の目で僕を見た後「よろしく」となんの感情も籠もっていない声で言う。
無愛想で、雰囲気が怖い人だ。切れ長の目で見られると睨まれている感じがする。きれいな顔をしているから余計に冷たい印象を受けてしまうのだろうか。
僕がよっぽど不安げな顔をしていたのだろう、おじいちゃんはレイさんの頭を軽く叩くと、「すまんのう」とため息をついた。
「腕は確かなんじゃが何せ愛想が悪すぎてな。良い奴に間違いはないから安心してくれ」
「…………」
レイさんはおじいちゃんに叩かれたところをさすりながらむっとした表情を浮かべている。しかしすぐに気を取り直して、僕に向き直った。
「まぁそういうことだ。今後ともよろしく、ノア」
それからレイさんは週に一回往診にやってくるようになった。
拾われたときは重い怪我などは特にしていなかったが、裸足で歩きまわっていたから足の裏がまぁボロボロで。それの治療と、体の内側に問題がないかの確認。それから、僕の心のケア? もしてくれた。
僕は心の病気というやつらしい。誰のことも信じられないのも、僕の心が病気で苦しんでいるからなんだって。正直自分ではよくわかっていないから、心の病気と言われてもピンときていない。だって昔から、特に大人は信じられないって、当たり前のことだったから。
「別に、俺を無理に信じろとは言わない」
僕をベッドに座らせ、足の裏になにかぬるぬるした物を塗りながらレイさんが言った。
「お前の気持ちもわからんでもないからな」
「…………」
「だが、お前を助けてくれたじいさんのことは、信じてみてもいいんじゃないかとは思う」
「……なんで……」
「うん?」
「なんで、おじいちゃんは僕を助けたのかな」
僕を拾うことは、損か得かで言ったら損でしかない。いいことなんか、探したって一つも見つからないだろう。僕を使って金儲けしようと考えてるなら別だけど……。でも今おじいちゃんがやってることは、金儲けからかけ離れてる。僕にごはんを与えるのも医者に診せるのも、逆にお金がかかってしまうことだ。そうまでして、なんで僕を助けたのか、ずっと疑問だった。
「じいさんは、困ってるやつを見たらほっとけないお人好しなんだ」
「おひとよし……」
「だがまぁ、その辺の子どもを拾ってくるのは初めてだ。奥さんに先立たれて久しいが、もしかしたら寂しかったのかもな」
奥さんって、大切な人ってことだよね。
大切な人が先にいなくなるって、とても悲しい。
おじいちゃんも、僕と同じなのかな。独りが怖くて、寂しかったのかな。
レイさんには自分で聞いてみたらどうだって言われた。
僕は怖いと思ったことを話すと怖いことを思い出して余計辛くなってしまうから、できることならあんまり話したくない。おじいちゃんも怖い思いをしてしまうかもしれないから、結局理由を聞くことはなかった。
警戒心をなかなか解かない僕にも、おじいちゃんもレイさんもずっと優しく、根気強く接してくれた。そうしてくれているうちに僕は二人には悪意はないと気付いて、いつの間にかもう随分と気を許していた。
レイさんの治療のおかげで足の傷もほとんど塞がって、多くは食べられないけどいつもより多くごはんを食べられるようになった。気持ち的に前を向いてきたからか、自分でも急激に健康になっていってるのがわかる。健康だと視界が霞まないって初めて知った。
そうやっておじいちゃんの家での暮らしに慣れてきた頃、おじいちゃんが僕に言った。「ここでずっと暮らさないか」って。
「前も言ったようにここは薬屋だ。ノアに薬師になるための勉強をしてほしい。そして薬師になって、この薬屋を継いでほしい」
僕はすぐに頷いた。初めて信用できたおじいちゃんに頼られて、すごく嬉しかったからだ。
そして僕はおじいちゃんに教わりながら薬師になるための勉強を始めた。文字の読み書き以上に覚えることが多くて大変だったけど、おじいちゃんの役に立ちたくて一生懸命がんばった。
試験に合格して薬師の免許が取れたときは、おじいちゃんもレイさんもすごく喜んで褒めてくれた。
その頃にはよそ者だった僕のことも街の人たちは受け入れてくれて、僕は初めて人生に充実感を覚えていた。
悪意にさらされない。信頼できる人が近くにいる。家に帰ると大切な人が迎え入れてくれる。あったかいお風呂に入れてあったかいごはんも食べられる。
きっとこれが普通の幸せ、というものなのだろう。
ずっとこんな生活が続くといいな、と思えるくらい、僕はおじいちゃんとの生活が大好きになっていた。
でも程なくして、おじいちゃんが倒れた。
慌てて病院に駆け込み、レイさんの祖父、院長に診てもらったら、もう随分前から病気を患っていたと教えてもらった。延命措置はできるが、今の医療技術では完治はできない病気で、ここまできたらもう、覚悟を決めなければならないらしい。
信じられなかった。
だって、ずっと元気だったんだぞ。森への薬草採取も、慣れてきてからは僕ひとりで行くようになったけど、ちょっと前まで一緒に行ってたんだ。ごはんも僕より多く食べるし、街の人に頼られていろんなことを手伝うし、豪快に笑うし、年に一回ある街祭りでは大きな声で楽しそうに歌っていたんだ。
信じられるわけない。おじいちゃんがもう少しで死んでしまうだなんて。
……でも、青い顔でベッドに横たわり、たくさんの管に繋がれ、眠る時間の方が多くなってきているおじいちゃんを見てしまったら、もう受け入れざるを得なかった。
諦めたくなくてたくさん文献を読んで治療薬がないか探した。実は自分で調合できるものの中に効くものがあるんじゃないかといろいろ試した。
助けたかったんだ。僕を救ってくれたおじいちゃんに恩返ししたかった。
しかし、どれだけ探しても結局何も見つからなくて、僕は弱っていくおじいちゃんをただただ見ていることしかできなかった。
「おじいちゃん……」
眠っているおじいちゃんの手を握る。僕の頭を撫でてくれた手は、もう随分と細くなっていた。
「……あぁ、ノアか……」
「おじいちゃん!」
目覚めたおじいちゃんが僕に目を向けた。久しぶりに起きているところを見た気がする。
「おじいちゃん、何かほしいものある? 喉乾いてない? お水持ってこようか?」
「ありがとう……でも大丈夫じゃよ」
力なくくすくすと笑う。もう、あの豪快な笑い方もできないんだ。それだけ弱ってしまってる。
「おじいちゃん、待っててね。今、おじいちゃんを元気にできる良い薬とか薬草を探してるから。だからもう少し、あと少し頑張って」
「……ノア」
僕の手を、おじいちゃんの手が僅かに握り返した。
「良薬ってのはな……なにも、調合してできる薬だけじゃない」
「え?」
「大事な人の存在や想いというものが、なによりの良薬になることもある」
「……どういう、こと?」
おじいちゃんは僕の方に顔を向け、そして、初めて僕に笑いかけてくれたときのように、優しく目を細めた。
「きっといつか、わかる日が来るさ」
そう告げたあと、おじいちゃんは小さく息を吐き、「少し眠る」と言って目を閉じた。
僕はおじいちゃんに毛布をかけなおしてあげて、おやすみと細い手を撫でた。
この日はなぜだかおじいちゃんの近くで眠りたくて、僕は簡易ベッドを用意しおじいちゃんの横で眠った。
そしてその日以降、おじいちゃんが目を覚ますことはなかった。
僕はまた、独りになった。
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