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着信に応答すると、前回のやりとりなんて気にしていない陽気な挨拶が聞こえた。
『お元気? この前ね、久々に友達とスパに行ったのよ。そしたら肌が若いねって言われちゃって』
「ご用件は、なんですか」
『やぁね、照近さんの声が聞きたかっただけよ。心配なんだもの。結婚生活はいかがかしら。年寄りの旦那さん、あなたを体良く使えて幸せね。老後の面倒を自分の子供に見させたくないんだわ』
「……そんな人じゃありません。用がないなら切ります」
隣に英一がいるから、いつもより強気になれる気がした。
勇気を出して、初めて言い返す。
けれど声が震えていたからか、元義母はけらけら笑う。
『あなたの味方は私だけなの。わかるでしょ? 助け合わなきゃ。──ねえねえ、最近ね、足が痛いの。病院に行きたいけどお金が足りなくて』
ああ、この流れ。いつものだ。
「……英一に相談します」
『よろしくね。頼れるのはもうあなたしかいないのよ。さみしいおばあさんなの。助けてね』
電話が切れた。
心配顔の英一がじっと俺を見ている。
「嫌なことを言われた?」
「言い方はあれですけど……心配してくれてるだけなんです。用件はいつもと同じです」
「いくらなら納得するんだい、彼女は」
もともと自分の稼ぎが少ないから、大した金額は送っていない。
彼女にとって重要なのは、額ではなく忠誠心なのだろうなと薄々感じている。
「すみません。その、これは俺の問題ですから、何かパートでもして、そこから払います」
「それはいけないよ。私はね、射場さんのことも一緒に抱えるつもりで照近さんに結婚を申し込んだんだ。申し訳ないと思わなくていい。──やりとりが面倒だろう。頼まれなくても毎月送ってやろうか」
「いやいや……」
いつもの平坦なテンションで言うものだから、本気か冗談かわからなかった。
「電話、出なくたっていいんだよ」
「付き合い方を考えようとは、思ってます」
それ以上は言われない。
英一は俺に割り切れない感情があることを尊重してくれている。
「この空気のまま食事なんて楽しくないね。どうかな、夜は外で食べるのは。せっかくだし、永遠くんの店に行かない?」
永遠は俺と元夫の間に生まれた唯一の子である。二十二歳のベータで、仕事が楽しいらしく浮ついた話は一切ない。俺に似ず、竹を割ったような性格をしている。
■
射場 永遠 が共同経営者とやっているイタリアンレストラン《フィオーレ ディ ロト》はこぢんまりとした隠れ家的な店だ。ほどほどに繁盛しているようだった。
いつ来ても店内が暗すぎやしないかと思うが、永遠が言うにはこのほうがばえるらしい。
案内された半個室の席にはベネチアングラスのテーブルランプがあり、確かにムードたっぷりだった。
テーブルにメニューを置きながら、永遠は人懐っこく笑う。
「俺のこともう忘れちゃったのかと思ってたよ、英一さん」
「永遠くん、ご無沙汰だったね」
英一と永遠の関係はそれほど悪くないように見える。
永遠はアクティブな性格で、俺から英一を紹介されてすぐ店の開店記念パーティに招待していた。
パーティで英一に絡み尽くして、「この人は大丈夫」と笑っていた。その太々しい態度に俺はハラハラしたものだが、英一は肩を組んで大笑いしていた。
英一は英一で、壁を作らずに突撃してくれる若者がかわいいのかもしれない。
念のため、店に行く前に永遠へメッセージを送っていた。
客として急に行くと気を使わないだろうかという心配だったが、案外素直に喜んでくれている。
「最初はビールにしようかな。英一さんは?」
「俺はウーロン茶にします」
一杯くらいは酒に付き合う俺がソフトドリンクを希望したことで、英一は「おや」という顔をした。だが、それ以上は言わないでいてくれる。
あんな電話の後だから、酒の気分じゃなかった。
「良いかんじの日本酒が入ったんですけど、どうすか?」
「キミが飲みたいんだろう。じゃあ、あとでね」
「やった!」
息子は俺より甘え上手だ。
「永遠、英一さんをあんまり酔わせないでくれよ」
「へへへ、はーい」
料理の注文も終えて賑やかな子犬が去ると、静かな落ち着いた空間が戻ってくる。
「永遠くんには敵わないよ。良い子に育てたね」
「勝手に育ったんですよ、あいつは」
夫が亡くなったのは永遠が十四歳のとき。俺は仕事で留守番ばかりさせていた。
家にいても仕方がないと言って、あの子は高校生のときから飲食店でバイトし、自分の欲しいものは自分で買っていた。
人一倍おとなびた子だ。
彼がグレなかったのは奇跡だと思っている。
「あの子には退屈な思いばかりさせてしまいました。旅行も娯楽もない家でしたから、暇なときにできることと言ったら雑談くらいです。アルバムを見ながら思い出話したり……」
「アルバム?」
「子供の写真ですよ。成長を撮るでしょう。俺の引越しの荷物で大事なものなんて、せいぜいそれくらい」
「あぁ」
英一は曖昧に返事をするだけだった。知らない文化にとりあえず話を合わせたみたいな。
「永遠にとっては、安上がりな構われ方の象徴だったと思いますけどね。──もっと甘えさせてあげたかった。まあ、過去はやり直せませんから、考えても仕方がない。もうできる子孝行といえば、邪魔にならないことくらいですよ」
「……そうだね」
元妻との間に生まれた三人の息子のことを考えているのだろうか。英一はどこか遠くを見ている。
「南雲井家のアルバム、気になります。見どころが多そうで」
そう言って笑うと、やはり曖昧な笑顔が返ってくるのだった。
永遠が飲み物とお通しを運んできた。
「照近さん、乾杯」
「乾杯、英一さん」
ビールとウーロン茶のグラスを軽く触れ合わせる。
親のひいき目を抜きにしても、永遠の店の料理は美味しい。
タコのルチアーナ風煮込みはにんにくと唐辛子の風味でみるみる食欲が湧く。オリーブの塩気とケイパーの酸味が油をたっぷり吸ったタコの旨みを引き立てていた。気分じゃなかったはずなのに、酒が恋しくなってしまう。
パプリカのグリルに、かぼちゃとブルーチーズのニョッキ、次々と運ばれてくる料理に舌鼓を打っていると、ドンと未開封の一升瓶がやってきた。
「見てこれ! 渋いっしょ!」
ラベルを指差しながら永遠は大興奮で開栓する。
とある酒造が数十本だけ作った季節限定もので、特に今年のは出来が良くて評判なのだという。偶然仕事のツテで仕入れてから、大切に保管していたらしい。
「この酒屋さん、聞いたことがあるな。地元のなじみにしか卸さないんじゃなかったっけ? こんなところでお目にかかれるとはね」
「ドヤ! 料理屋やってて良かったーって瞬間す!」
「いつも元気だねえ。──照近さんも飲まない?」
「じゃあ……一杯だけ」
「カンパーイ!」
三人でグラスを傾ける。
口に含んだその透明な液体は、確かに芳醇で心地の良い味わいがあった。
カルパッチョが追加され、酒とつまみの感想で英一と永遠が盛り上がるのを嬉しく見守る。
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