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「からかわれるから誰にも言ってないけど、店のレシピに母さんの味を使ってるのけっこーあるんだ」
「通りでこんなに美味しいんだね」
「よくわかってるじゃん」
俺がトイレから戻ってきても、二人の話はまだ弾んでいた。
「なんの話してたの?」
「母さんが昔、ベランダで洗濯物干そうとして網戸に突進してったときの話。顔面に網状の傷ができてしばらく恥ずかしい思いしてたよね」
「そ、そんな昔のこと忘れてくれよ……! 英一さんも、笑わないでくださいっ」
咳払いをして飲み物に手を伸ばす。
そのとき、一緒に笑っていた英一が席を立った。
「私も手洗いに」
英一がいなくなると、永遠が俺のほうへ向く。
「母さん、元気そうだね」
「おかげさまで。急だったのに、もてなしてくれてありがとう」
「ううん、なんかこっちがもてなされてるよ。英一さんって大人の余裕があるよね」
「本当に。いつも感心させられてる」
順調に酒を飲む永遠だが、顔色はまったく変わっていない。病弱な父とへろへろの母から生まれたとは思えない肝臓の強さだ。
「安心してるよ、母さんがあの人と再婚して。あの家でいつまでも一人で暮らして欲しくなかったし」
「……永遠、そんな風に思っていたのか?」
俺は、永遠が生まれ育った家を守らなければならないと思っていた。彼の帰る場所だから。
再婚にあたりマンションを解約してしまった申し訳なさをずっと抱えていたのに、当の本人はそう思っていたなんて。
「あそこにいると、母さんずっとばあちゃんの言いなりだろ」
「言いなりだなんて……」
元義母とのやりとりは息子に見せないようにしていたつもりだったが、とうに関係のいびつさは伝わっていたらしい。
「俺が店やろうとしてるとき、黙って貯金を渡してくれたよな。いつも俺の人生を優先してた。次は母さん自身の人生を大切にしてくれよ」
「……ありがとう」
目頭が熱くなってしまう。
俺が涙ぐんでいると英一が戻ってきた。妙にしんみりした空気を察したろうに、気付かないふりをしてくれる。
「そろそろ戻らないと厨房に怒られるかも。ゆっくりしてって、母さん、英一さん」
永遠はグラスの酒を飲み干すと、ニコッと笑って踵を返した。
■
会計を済ませてタクシーに乗り込む。
酒でほてった身体に夜風が気持ち良かった。
「ありがとうございます、英一さん。永遠のところへ連れてきてくれて」
「かしこまらないでよ。私も来たくて来たんだから」
後部座席で揺られながら、窓の外の景色を見ていた。
賑やかに交錯するネオンがやがて減っていき、整然と並ぶ街灯を追い越していく。
「それにしたって、妬けてしまうな」
「え?」
「照近さん、家族にはああいう喋り方をするんだね」
いじわるなことを言っている自覚があるようで、ほどほどに酔った俺の夫はにんまりと目を細めて俺を見た。
彼が言いたいのは敬語のない砕けた口調のことだろう。
「元夫にもこういう喋り方でしたよ。家族でも敬意を払うときはこうなんです」
「わかってる。言ってみたかっただけ、ふふ」
いまのはもしかして、彼なりの甘えだったのかもしれない。困らせて喜ぶなんて、子供っぽいところもあるんだな。
それにしても、小さな小さな可愛らしいわがままだ。
「……英一さんは、こういうほうがいい? 人の目もあるし、失礼なんじゃないかって、思うけど」
「新鮮だ。いいね。私は楽しいけど、無理せず照近さんのやりやすいようでどうぞ」
「じゃあやっぱり、普通がいいです」
「あはは。どういう喋り方でも、照近さんは柔らかくて好きだなぁ。うん、声がいいからかな。人柄がでてる」
英一は頭をベッドレストに預け、リラックスしきっている。いつもより饒舌で上機嫌だ。
この人、ほどほどどころかけっこう酔っているんじゃないか。
ふいに、運転席の気配がこちらを振り向いた。
「いちゃいちゃしてるとこ悪いんですけど、着きましたよ」
「いっ……!?」
俺はわたわたしながら車を降り、反対側の扉に回る。
「歩けるよう」と繰り返す英一の身体を支えて帰宅した。
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