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 リビングのソファでだらだらとテレビを眺め、酔いがやわらぐのを待ってからぬるいシャワーを浴びた。  生乾きの髪にタオルをかけたまま自室に戻り、忘れないうちに抑制剤を飲む。 「んげっ」  アルコールのせいか、唾液が足りずに錠剤が喉に引っかかった。  なんとか飲み込めたが違和感が残って気になる。  水を飲みにキッチンへ向かった。  コップの中身を一気飲みしていると、ぱちんとキッチンの電気が点く。 「電気も付けずにどうしたの?」  シャワー上がりの英一が電灯スイッチのそばに立っていた。 「水を飲むだけだったので、めんどくさくて。英一さんも飲みますか?」 「うん」  近づいてくる足音を聞きながら自分のコップをシンクに置く。  新しいコップを取ろうとしたとき、彼も同じことをしようとしていることに気付いた。 「あっ」  手と手が触れた瞬間、英一がとっさに手を引いた。  俺は驚いて彼を見る。  存外に傷ついた顔をしてしまった。 「違うんだ……。私が触れたら迷惑かと」  英一までしゅんとしている。  何を言い出すかと思えば。タクシーを降りるとき、俺からがっつり触ってただろうに。 「俺はあなたの男妻(つま)なんですよ」 「わかっているよ。だからこそなんだ。無理強いしたくない」 「何をですか?」 「……キミに不自由なく暮らしてほしいだけなんだ。私のことや、役割は気にしないで」  やくわり。  英一の言いたいことが、わかりそうでわからなかった。  コップに水をそそぎ、英一に渡す。 「あなたの財産と結婚したわけじゃありません。俺も大人ですから、夫婦がなにかわかったうえで指輪を受け取ってます。それとも、英一さんは俺がそういう厚かましい男だと思っているんですか?」  英一はコップを受け取ると、揺れる水面を見下ろしていた。  逡巡する様子のあと、彼が顔を上げれば目が合う。 「照近さんは、いいの? 私で」 「……順序、おかしいです。なんにも考えずにプロポーズしたんですか?」 「だってあのときは……キミを繋ぎ止めるのに必死だったんだよ」  コップが傍に置かれ、おそるおそる抱きしめられた。  風呂上がりの石鹸の匂いと、緊張した体温のぬくもりを感じる。 「英一さんって、やっぱり変わってます。こっちのセリフなんですよ」  私でいいのか、なんて。  どうしてこの人は、俺をこんなにも大切に扱ってくれるのだろう。  若く魅力的なオメガなんてこの世にいくらでもいる。英一なら選び放題だ。  俺でいいなら、もっと適当に扱ったって、誰も怒らない。俺自身も。  求めてほしいとは思う。こんな俺にできることならなんでもしてあげたい。  ……なのに、俺の両手は宙にある。抱きしめ返せずにいた。 「私、まだ酔ってるみたいだ」  英一が照れくさそうに笑う。  俺は言葉が喉に詰まったまま、見つめあっていた。  俺の頬に彼の手が触れる。指先が顎のラインを撫でた。  目を閉じてその手に身をゆだねれば、彼が唇を近づけてくるのがわかる。  ──りりりん。りりりん。  かすかな音が聞こえた。俺のスマホの着信だ。  ドアを開けて出てきたから、二階の音がここまで届いている。  俺はどきりとして目を開く。元義母からではないかと。  ありえないことだが俺を監視していて、非難するためにかけたのではと考えてしまう。  バツが悪そうに英一が離れ、顔を青くしている俺を心配そうに見る。 「照近さん」 「す、すみません。電話、出ます」  彼が何かを言いかけたのはわかっていたが、逃げるように立ち去った。  ■  駆け足で階段を登り、部屋に入ってすぐスマホを取った。  ディスプレイを見て「あれ」と戸惑う。  そこに表示されているのは元義母の名前ではなかった。  ──南雲井 ナツメ。  それは南雲井家の三男の名前だ。  挨拶の食事会で連絡先を交換したきり、一度も喋っていない。 「……もしもし? 南雲井……照近ですが」  間違い電話じゃなかろうかと出てみると、無言が続いた。  やっぱり、カバンの中で間違えてかかってしまったとか、そういうのじゃ──。 『もしもし、ナツメです。照近さん、夜分にすみません』 (あ、間違い電話じゃないのか) 「ナツメさん、お久しぶりです」  英一の三男、つまり俺の義息子。  ベータであるナツメは自由恋愛の末にアルファのところへ嫁いだと聞いている。  苗字が変わっていないのは内縁関係だかららしい。急いで子供をつくることもなく、あちこち旅行して楽しい生活を送っているそうだ。  夫婦そろってイマドキで、現代の文化と自由をめいっぱい享受している。 『今度そちらにお邪魔してもいいですか?』  なんの用件かと思えば、実家に帰るための連絡だったようだ。 「あなたの家なんですから、俺に聞かなくても」 『……嫌かと思って』 「そんなまさか。いつでもいらしてください。英一さんにも伝えておきますよ」  俺はナツメに苦手意識はない。むしろ、ナツメが俺を忌避しているものだと思っていた。  現代的な彼からすれば、古い人間である俺なんてカビくさくて嫌だろう。  英一からも、彼は父親よりも母親に懐いていたから、後妻を受け入れられないかもしれないと言われていた。 『いえ、父や兄には内緒でお願いします。父がいないときに照近さんとお会いできませんか?』 「え……、俺にですか?」 『ちょっと……個人的な頼みがあって。挨拶の食事会のとき、照近さんが料理をふるまってくれたじゃないですか。すごく美味しかったです。──だから、料理を教えてほしいんです』 「料理を? どうして急に」 『僕ってズボラだから、家事ぜんぜん得意じゃなくて。女夫(おっと)が日に日に愛想をつかしてるのがわかるんです。どうにかしたいけど、見習える人が周りにいないんですよ。長男(まさあき)の嫁の篠さんも家政婦頼みで料理しないし。次男(ふみや)は一人暮らしで自炊してるけど、あれも適当な男メシだし。相談できるのなんて、照近さんしかいないと思って』  英一に知られたくないのは恥ずかしいからだろうか。  なんにせよ、頼りにしてもらえて悪い気はしない。 「俺で力になれるなら」 『よかった! 父がいない日って、あんまりないと思うんですけど、タイミングがあったら教えて欲しいです』 「あの人もたまに友達と出かけますから。近い日だと……」  再来週の土曜日にナツメが来ることになった。何の料理を練習するかはメッセージアプリで相談ということになり、通話が終了する。 「はぁ、びっくりした」  テーブルにスマホを置いて緊張を解いた。  元義母からじゃなくて良かった、と今更ホッとする。 (ナツメさん、意外だったな。初めて会ったときは『完璧な南雲井家の一員』って感じだったのに。苦手なこともあるんだ)  生乾きだった髪はもうほとんど乾いていた。今からでもドライヤーをしたほうがいいのかもしれないが、面倒くさくなってベッドに横たわる。  静かな夜だ。  風の音も聞こえない。  なかなかすぐには寝付けず、自分の唇に触れる。  中断されたさっきまでのことを思い出していた。  俺の唇はかさついていて、ある意味こんな唇でキスに至らなくて良かったかもしれない。  英一はもう眠っただろうか。

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