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『あの人とはあんたと結婚する前から付き合ってたわよ。愛し合ってるの。それが何?』 『私はあんたに愛してるなんて一度も言ってないし、あんたも私に言わなかった。それでなんにも困らなかったじゃない。お望み通りに良き妻をやって、子供を三人も産み育てたわ。充分でしょ』 『私は老後のために南雲井の家へ《就職》したの。そろそろ定年退職ってことで、あとは好きに生きるわ。さようなら』  彼女の言い分は筋が通っているように思えたし、大して傷つかない自分にあきれた。  離れていく彼女を私は引き留めなかった。  あっさりと離婚が成立すると、今度は子供たちが怒った。  離婚そのものに怒ったというよりは、長年の鬱憤がそのタイミングで爆発したようだった。  三兄弟は母親の自儘な性格をよくわかっていたようで、それを知らないでいた無関心な夫を非難し、そんな母親に育児を任せた無関心な父を非難し、仕事にしか関心のない退屈な男を非難した。 『世間がどんなに親父を褒めそやそうと、俺は親父みたいなアルファにはならない。あんたはアルファとしては優秀だけど、人としては落第だ。だから今も平気な顔をしていられる。あんたがどれだけあの女から馬鹿にされて、俺たちがどれだけ傷付いてきたかも理解できない。かわいそうな人だ』 『ベータからすると、アルファ……父さんに同情するところもあるけどさ。やろうと思えば、父親らしいこと少しはできたはずだろ? しなかったんなら、あなたはそういう人だってことだ。なら期待してない。今までも、これからも』 『ギャハハ、家族からこうまで言われてみっともな。ざまみろ』  子供たちも家を去り、帰ってくることはなかった。召集をかければ集まるが、そこに家族の団欒はない。 「──この大きいだけの家は、私が積み上げた愚かさの可視化だ。だから空っぽで、中身がない。私は、私が失敗した証と共に余生を過ごしている」  喋りすぎたなと、箸を置いてグラスワインで唇を濡らした。  それなりに時間が経ったはずなのに、互いの皿の中身はほとんど減っていない。 「…………」  かた。照近は返事もせず静かに食事を再開していた。  私も同じように手と口を動かせば、食器の音だけが部屋に響く。  静かだ。どことなく空気が重い。  私の話が食事を不味くしたかもしれない。人にそこまで語ったこともないし、語るつもりもなかったのに……。  どうお茶を濁そうか、そんなことを考えていると、照近が箸を置いた。椀にはまだわずかに米が残っている。 「周りの評価も、事実かもしれませんが──」  さっきの話の続きだとすぐに理解した。  どうやら、ずっと返事を考えていたらしい。 「──あなたにはあなたの事実があると思います。英一さんは……英一さんなりの試練に耐えて、がんばってきた人でしょう。この立派な家は、乗り越えてきた証です。それはあなたが一番わかっているはず。その事実まで……無かったことには、しないであげてください」  ぽつりぽつりと続く言葉は驚くほど慎重で、誠実だった。  哀れみなどではなく、私のために心を砕いてくれているのが伝わってくる。  返事をしようとして、自分が緊張していることに気付いた。こんなただの、雑談に。 「それに意味は……あるのかな?」 「だってあなたはまだ生きてる。これからもあるのに、自分を責めて暮らすだけなんて、苦しすぎる」  直後、彼がうつむいていた顔を上げた。目を見開いて、自分の言葉に自分で驚いているようにも見えた。 「苦しい、か……。そうかもしれない」  過去を思い返すたび、何が間違っていたのか探してしまう。家族のためだと成し遂げたことも、間違いだったのかと。  私の近年の暮らしは、己が生きた記憶ひとつひとつにバツ印をつけていく作業だった。  それが償(つぐな)いだと思っていた。  私がぎこちなく笑うと、彼は顔を逸らして再び箸を持った。すぐに残りのぶんを食べ終えて、素早く席を立つ。  一人先に皿を洗い始めた音を聞きながら、私はゆっくりと食べ進めた。  食卓でやりとりされた言葉ごと噛み締める。  ──自分を責めて暮らすだけなんて、苦しすぎる。  そう話す彼の、震えた声が忘れられない。

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