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「永遠くんが会いたがってたよ」
突然挙げられた息子の名前に少し驚く。
「英一さん、あの子と連絡とってるんですか?」
「釣果の報告とか送ってくれるんだ。そのうち一緒に釣りに行く予定」
「ええ……!?」
いつの間にそんな仲良くなっていたんだ。俺より密に連絡をとっているんじゃないか。
「『俺が新年の挨拶に行くまでは新年だから、待ってて』とは言っていたけどね、やっぱり忙しいみたいじゃない。こっちから行くのもひとつかも知れないよ」
「じゃあ、後で連絡してみます」
「料理だけ届けて帰っても構わないし。久しぶりの母の味にしては独特で驚くかもしれないけれど」
英一は笑いながらフォークを口に運んだ。
確かに、子供時代の永遠には色々な料理を食べさせたが、中東料理を作ったことはない。せめていつもの漬け物も添えようか。
夜の支度を終え、自室で永遠にメッセージを送った。
[ 近いうち、ランチかディナーでお店に行ってもいい? あと、マクルーバという米料理を作ったよ。食べる? ]
すると、すぐに電話がかかってきた。
ざわざわしたキッチンの音を背景に、永遠の明るい声が聞こえる。
『まだ仕事中で長電話はできないんだけど』
「暇なときに返事してくれれば充分だったのに」
『母さんと喋りたかったの! でさ、明日、英一さんとウチに来てよ。俺も新メニュー開発したから、マクなんとかと交換して一緒に食べよう』
「新メニュー?」
『詳しいことはお楽しみで。ランチが終わる時間、来れそう?』
「うん。英一さんに伝えておくよ」
『じゃ、また明日!』
通話が終わると部屋に静けさが戻ってくる。
永遠の生き生きとした声が聞けて嬉しかった。忙しくても楽しくやっているらしい。
「ふぁ……」
あくびが出た。
眠気を感じながら柔らかなベッドに入る。
いつもなら、目をつむっているうちに眠っている。しかし今夜はなかなか寝付けなかった。
(……気になる)
インターネットで自分たちの扱いがどうなっているのか。
ナツメの口ぶりからすると、厄介な状態だというのは伝わってくる。しかし、うとい俺はどんな規模で、どんな悪評が、どれほど飛び交っているのか想像できていない。
このごろは近所の目を気にしているが、ネットの炎上というのはそれとどれくらい肩身の狭さが違うのだろう。
実は想像以上に英一やナツメへ迷惑をかけていて、俺だけが事態の深刻さを理解できていなかったら?
曖昧な不安ばかりが膨らんでいく。
(実際に見てみたら、『なんだこんなものか』って思ったり、しないかな……)
警告されていたのに、俺はスマホを手に取った。
暗い部屋にディスプレイの明かりが灯る。
ブラウザアプリを開いて、少し考えたあと自分の名前で検索する。記事では名前が伏せてあったが……。
「……あ、これ……か?」
《まとめ》と書かれたそれっぽいページを見つけてタップする。
驚いたことに、俺を含めた関係者の名前が掲載されていた。
誰がどういう意図で作ったのかはわからないが、バズった例の投稿がどんな内容で、週刊誌がどんな記事を載せて、それがどんな反響を呼び、例の投稿がどう削除される流れになったのか、その後のことも細やかに解説されている。
それらの出来事に多くの匿名コメントが投稿されており、そのページは巨大なパーティ会場のような活気があった。
主題はもはや、「カフェのバイトに予約を譲った夫婦が誰か」ではなく「記事の元になったオメガがどんな悪い人間か」だった。
[ バズってたやつって仲良しアピールのヤラセ? いくらもらったんか言うてみ ]
[ 前の旦那毒殺説くわしく ]
[ アルファは種付けしか頭にないからこういうのに騙されるんだよな ]
怒りを覚えるような言いがかりや、夫婦生活に対する気色の悪い妄想、俺やナツメの写真に対する信じられないほど下劣なコメント、英一や幸日への嘲笑、どれだけスクロールしても続いている。
数えきれない人数が、悪口を言うためだけにここへ集まっている。
「う……」
覚悟はあったのに、それでも予想以上だった。
ショックでスマホを置く。
息を吐いてゆっくりと吸った。
ここまで見てしまったらもう引き返せない。
もう一度、画面を覗く。
ざっくりと読み進めると、悪意あるコメントだけでなく、それを注意したり反論するコメントもあることに気がついた。口論とはこれのことらしい。
しかし、擁護がひとつ増えると、攻撃はその何倍も増えるのだった。
[ オメガおつ ]
[ 寄生虫がかばいあって涙ぐましいね ]
性格や外見、金、そういったことよりも、オメガという性に対する揶揄が圧倒的に多い。
(世間から、オメガってこんなふうに思われていたのか……?)
誰もが面と向かっては絶対に言わないであろうことが書かれている。まるで、みんながそう思っているかのように。
ナツメが言っていた粘着アカウントの投稿もまとまっていた。
どの匿名コメントよりも具体的で、憎悪があった。
[ 照近は人殺しだと みんなに教えてあげてください 紫環崎の豪邸で 人をあざわらっている ]
[ XX市で生まれたおめがは質が悪い 愛想がない 年寄りを見捨てる 子供の幸せも考えない 自分のことしか考えていない 冷血 ]
それらの投稿には、暴露をおもしろがる者たちが応援するようなコメントを送っている。
[ これマジなら勇者 ]
[ 俺は信じるぞ! 正義を貫け!! ]
構われて気をよくしているのか、関係者に言及する投稿は頻繁だった。俺たちの名前が知られている原因は明らかにこのアカウントだ。なぜこんなに詳しい?
[ あれは疫病神 みてくれに騙されるな 関われば 孤独な死をむかえる 死人に口なし だから のうのうと生きていられる ]
[ 骨までしゃぶって 男を乗りかえる 恥知らず ]
[ 今の旦那は愚かだ 頭がボケている なにもわかっていない ]
直近の投稿は、つい数時間前だった。
この短時間で賛同のコメントが次々とつき、残酷な言葉が画面いっぱいに表示されている。
どれもを頭の中で読み上げてしまう。心が握りつぶされるように痛んだ。
[ セックスできて、金も貰えて、乗り換え放題とか、オメガっていい身分なんだな ]
[ ちゃんとしたオメガはもっとちゃんとしてる。こいつが欲深くて股がガバいだけ ]
[ 後ろめたさとかねーのかな? ないから外歩けるのかー ]
言いがかりだと受け流せばいいのに、ひとつひとつのトゲがまっすぐに突き刺さって抜けない。
自分の手がひどく震えていることに気付いた。喉が渇く。吐き気もする。
「おぇっ……」
とっさに身を起こし、ベッドから出ながらスマホを投げ捨てた。
薄暗い廊下の先、トイレで静かに吐く。自動点灯した明かりが眩しくて、涙でうるんだ目を細める。
一度吐いてしまえば吐き気はおさまった。
洗面台で口をゆすぎ、英一を起こさないよう足音に気をつけて部屋に戻る。
画面がそのままになっているスマホを拾い上げた。
(それにしても)
煽動者の投稿はどれも、あの人を彷彿とさせる。
「まさか……な」
ディスプレイの時計は午後十時を指していた。
俺は通話アプリを開き、履歴にある一人の名前を見つめた。──この人は、目が疲れるからスマホやパソコンは苦手だと日頃から文句を言っていた。それに、人の情けを持っている人だったはずだ。
聞いてしまえば、きっと安心できる。「記事はカッとなってやってしまったけど、いくらなんでもここまでしない」と笑い飛ばしてくれるはず。
画面をタップすれば、射場蔵乃へ電話がかかる。だが、しばらくコールしても繋がることはなかった。
寝ていてもおかしくはない時間だから、仕方がないだろう。諦めて発信を切る。
(……俺、繋がらなくてホッとしてる……)
明日になったら折り返してくれるだろうか。
そうしたらなんて言おう。
傷付けないように、刺激しないように。
布団の中で何度も何度も、当たり障りない質問の仕方を頭の中でシミュレーションしていた。
そのせいで、ようやく眠ったのは明け方だった。
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