53 / 64

12 【5】

 片付けも終わって、英一がいれた食後のコーヒー──俺たちはブラックコーヒーで、山田は砂糖を入れたカフェオレ──で一息ついた。  そして遅くならないうちに山田を帰すことにする。 「いいかい、今日のことももうネットに書いてはいけないよ。書いたらわかるからね」 「はい……」  実際のところ山田がネットに書いても俺たちが気付けるか疑わしかったが、警告としてそう言っているのだろう。  玄関で靴を履いた山田は、弁当の入ったビニール袋を抱えて頭を下げた。 「困っていることがあるなら相談に乗るよ。そのときは、庭じゃなくてこの玄関からおいで」  俺たちは敷地の外までついていって彼を見送る。  英一は駅まで送ることを提案していた。山田は迷惑をかけた相手にとことん子供扱いされて恥ずかしいのか顔を真っ赤にして遠慮していた。  坂下のバス停まで歩く小さな背中を眺め、英一がおかしそうに笑う。 「やれやれ、うちが子供の遊び場になってしまったみたいだね」  俺は侵入者に対する緊張を思い出し、長い息を吐いて脱力した。隣に立つ彼をジトっとした目で見上げる。 「無垢な子供ばかりとは限りませんよ。年寄りの説教までして! 危ない人だったらどうするつもりだったんですか」 「キミだって朝食をふるまって、弁当まで持たせていたじゃないか」 「だ、だって、子供にひもじい思いをさせるわけにはいきませんよ」 「ハハハ、年寄りの世話焼きだね。──それにあの子、ベータなのかな。アルファやオメガがどういう特性の人間なのかもよく知らないみたいだったよ。怯えてはいても、怒ってるようには見えなかったし」 「えっ? でも、記事から派生した悪口が書いてあるネットを見て来たんですよね? 悪者ん家(ち)の最新映像を撮るために来た、みたいな様子に見えましたけど」 「みんなが石投げてるからきっと悪いヤツなんだ……くらいの認識だったんじゃない?」  思い返せば、山田は、俺や英一にそれほどの興味があるようには見えなかった。質問のひとつもしてこなかったのだから。  英一の言う通り、ネットのお祭り騒ぎに便乗していただけなのだろう。 「正義感の強い子だったんでしょうか。行動力がこんな形で発揮されてしまうなんて、危ういですね」 「ある意味、将来有望かも」  俺が不気味に思った「見えない集団」には、言葉の重みや意味がまだよくわかっていない子供もいるのだと知った。  それを思うと、煽動しているアカウントがいよいよ邪悪に感じられる。誰も幸せにならない、悪質な存在だ。 「私らもただの人間だとわかってくれたらいいんだけどね。まあ、次からああいう手合いは通報するよ」 「次なんてあってほしくないですよ」 「それはそうだ」  ふいに、目の前で高級車が停まった。後部座席の窓ガラスがゆっくり降りて、中の女性二人と目が合う。 「窓からでごめんなさいね。ちょうどお見かけしたから、挨拶したくて」  近所の母娘だった。運転席にいるのは旦那ではなく、雇いの運転手だ。 「おはようございます。お出かけですか?」 「ええ。私たち、これからお買い物してランチなの」  手前の母親が上品に微笑み、奥の娘が身体を乗り出して俺へ手を振る。 「南雲井の奥さん、この前は息子がお世話になりました」  彼女の子供を助けた日のことを言っているのだろう。といっても、自転車のチェーンが外れて道で往生していたから手を貸しただけだ。 「大したことはしてませんよ。お出かけ楽しんできてきてくださいね」 「お二人も良い一日を過ごしてくださいね」  母のほうが運転席に声をかけると、ゆっくりと車が発進する。  ──ふと、母娘の二人からジッと顔を見られた。それは好奇の目だ。  閉まりゆく窓の向こうから、弾けるような笑い声が聞こえた気がした。 「っ……」  そうではないかもしれないのに、自分に向けられた嘲笑かと身を固くしてしまう。  わざわざ挨拶のために車を止めるだろうか? 彼女たちは何かを知っていて、噂の中心である俺に声をかけてみたかっただけなのでは?  後ろ向きな思考が止まらなくなって、心臓がドクドクと跳ねた。  ぽん、と英一の手が俺の肩に置かれる。 「身体が冷えるよ。家に入ろう」    ■  自分の部屋に戻り、永遠の店へ行く準備をする。  途中、スマホを操作してネットを見た。  例のまとめページは頻繁に更新されており、昨夜の「家へ突撃する」という予告の書き込みも掲載されていた。この投稿はおそらく山田だろう。  山田の投稿らしきものはその後見当たらない。このまま、「もう書き込まない」という約束を守ってくれればいいのだが。  他の匿名者たちは変わらずおぞましい雑談を続けている。例の粘着アカウントを褒めそやし、情報を引き出そうとしている様子もうかがえた。 [ こんな親では、子供も苦労する ] [ 子供はどこでなにやってんの? 何歳? ] [ 22歳で 親は金持ちなのに 必死に働いている かわいそうな子 ] [ 職場バレはよ ]  文字を目で追うたび、背筋に虫が這うような不快さが走る。  悪意が永遠にまで及ぼうとしている。彼まで巻き込むわけにはいかない。  認めたくないが、悪意の渦の中心にいる人物がやはり蔵乃だ。確信は強まっていく。  震える手で蔵乃に電話をかけるが、どれだけコールしても繋がることはなかった。  人を恋しがる彼女が電話に応答しないなど、滅多にないことだった。  取り込み中か、あるいは、避けられているか。  暗い面持ちでリビングに行くと、同じく出かける準備を終えた英一が待っていた。 「……英一さんは、ネットを見たんですよね?」 「うん。山田くんに教えてもらったから。キミにやけに詳しいアカウントの書き込みも見た」  英一の声は落ち着いていたが、静かに怒っているのが伝わってくる。  穏やかに過ごしていてほしいその人に、そんな顔をさせてしまうことが情けなかった。 「面倒を起こして本当に……申し訳ありません」 「違うでしょう。謝るんじゃなくて、怒らなきゃ。照近さんは被害者なんだよ」 「……俺は、射場さんに会って話をしないといけません」 「今から行くつもり?」 「早いほうがいいかと……」 「そう。でも、永遠くんとの約束は守ったほうがいい。その後すぐに出発しよう。私も一緒に行くよ」 「はい」  英一を巻き込みたくないと思っても、すでにどうしようもないほど巻き込んでしまっている。首を横に振れる立場ではなかった。  射場の本家は車で行くにはあまりに遠く、飛行機に乗る必要がある。店に寄ってそのまま行けるよう荷物をまとめ直してから家を出た。

ともだちにシェアしよう!