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14 春風に笑む
商業ビルの間を縫って強い風が吹き抜ける。春の到来を感じた。
俺と英一はとある場所へ向かっている。街中までタクシーで移動して、徒歩に切り替えたところだ。
「交換日記、ついでに買っていくかい?」
本屋の前で英一が立ち止まり、店頭にある手帳や日記ノートを見やる。
「その話、覚えてたんですね」
家族が集まった日、今年やりたいことの話をした。俺は冗談半分で交換日記がしたいと言ったのだ。
「文通みたいで楽しそうだと思っているよ」
「なら、約束の時間が近いですから、帰りに寄りましょう」
笑い飛ばしたりせず、同調してくれたのが嬉しかった。半分は冗談だが、半分は本心だったから。
一日数行の、ちょっとした日記帳がいい。もらった万年筆を使いたいし、英一が見る世界を知りたい。俺が見る世界も知ってほしい。
歩きながら、隣の英一を見る。
「英一さんは本当に無いんですか? やってみたいこと」
同じ質問をされたとき、彼は新しいことに消極的な返答をしていた。しかし一人暮らしになってから庭いじりを始めるなど、自主的に趣味を広げる人だと思うと疑問が残る。
「あるはあるけど……」
「あるんじゃないですか。まさか、言えないようなことなんですか?」
「ナツメに思春期みたいってまた言われてしまいそうなんだもの。言うならね、こうやってキミと出かけることだよ。行けるところまで行ってみたい」
「思春期みたい」
「ほらぁ」
「すみません。だって、意外で」
「世界一周とか興味ない?」
「セカイイッシュウ」
「いろんな料理が食べられるよ」
「それは……魅力的かも」
「私ね、やっとキミの転がし方がわかってきた。景色よりレシピだね」
自覚なかったが、そうかもしれない。綺麗な風景はカレンダーでも見られるが、料理は食べなきゃわからない。……景色好きからしたら異論のある意見かもしれないが。
「でも、庭はどうするんですか? 長い間留守にしたら、めちゃくちゃになっちゃいますよ」
「庭師 に任せたらいいさ」
「船とか飛行機とか、乗ってみたい気持ちもありますけど……俺も庭で何か育ててみたいなって考えていたところなんですよ? ハーブとか、トマトとか」
「じゃ、順番だね」
「植物の育て方、教えてくださいね」
「喜んで」
目的地に着く。そこはカジュアルな喫茶チェーン店だ。
店内に入って辺りを見渡すと、先に着いていたナツメがボックス席からこちらに手を振ってくれた。
「おはよー、照近さん、父さん」
「おはようございます」
「おはよう、待たせたね」
六人掛けの席にはナツメの他に、男性と女性が座っている。男のほうはかつて冬の日にレストランの予約を譲ったカフェ店員だ。隣の女性も写真で見たことがある。
「こちら、ノムさんと婚約者のタベさん」
ノムとタベというのはネット上での名前らしい。
ノムは立ち上がり、嬉しそうに本名を名乗った。タベもならって横に立ち、二人で深々と頭を下げる。
「またお会いできて嬉しいです。その節は本当にありがとうございました」
求められた握手に英一が応えていた。
「ご結婚おめでとうございます。お二人の役に立てて光栄です。──私たちのことでご迷惑をおかけしました」
「いえ! とんでもない! 元はと言えば……」
ネットの騒ぎについてお互い謝り倒す。
「まあまあ、とりま座りなよ」
ナツメにうながされ、俺たちもソファに座る。俺と英一、テーブルを挟んでノムとタベ。いわゆる誕生日席にナツメ。
すかさず店員が注文をとりにくる。
昼時だから、ドリンクと軽食をそれぞれ頼んだ。
店員が去ると、ノムがようやく肩の荷が下ろせるとばかりに吐露する。
「直接話せる機会をもうけていただけて本当に助かりました。投稿を削除してからだんまりを決め込んでいたので、後ろめたかったんです。でも、かばうような投稿をしたらそれも炎上の燃料になってしまうんじゃないかと怖くて……」
「正しい判断だよ。だからこそ、今はもう何事もなくSNS活動できてるんだもん。父さんたちもそのほうが気が楽だと思う」
ナツメの言う通りだ。俺たちは俺たちで、幸せの絶頂にいた彼らにミソをつけてしまったことが心残りで仕方がなかった。
ネット上では何事もなかったかのようにふるまっていたノムたちは、ずっと苦い気持ちを抱えて心配してくれていたらしい。ナツメのアカウントから連絡が来たときは心からホッとしたのだとか。
思いきって連絡をして良かった。
「今回お会いしたのは、ご迷惑をかけたお詫びと、区切りをつけてもらうためなんだ。私らもこの通りだから」
もう心配ないと、英一も俺もにこりと笑って見せる。
しかしノムとしてはまだ思うところがあるらしい。
「区切り……ですか。確かにタイムラインの話題はすっかり変わって、冬の炎上を思い出す人も減りましたけど、僕としては、お二人の悪い印象が残ったまま風化というオチはスッキリしないです。せめて、みんなで写真を撮って弁明しませんか?」
ノムはずいぶんと俺たちに肩入れしてくれているようだ。親切心からの提案はありがたかったが、良い手だとはとても思えない。
俺と英一が言葉を選んでいるうちにナツメが頭を左右に振った。
「いやー、やめといたほうがいいと思うな。南雲井とは関わりを絶った体にしといたほうが絶対楽だって」
その通りだと頷く。
「俺たちのことで怒ってくれるのは嬉しいです。でも、あなたのアカウントではあなたの幸せだけを発信したほうがいいと思います」
「そうだね。わざわざ藪を突く必要はないよ」
「ご本人たちがそう言うのなら、従いますが……」
渋々、といった顔だ。隣のタベが優しくなだめている。
「すべての人から好かれるのはむずかしいことです。粗探しをする人と仲良くなることに時間を割くより、いま親切にしてくれる人とお付き合いするほうが有意義ですから、あまり気にしてないんです」
「そもそも私たちはネットを見てないからね」
「恐竜からしたら天気のほうが大事で、SNSが荒れても関係ないもんね」
「ナツメ、それは絶滅種ってことかい?」
「違わないでしょ。ま、とにかくそんな感じの人たちだから、本当にもう心配いらないんだよ」
「わかりました。余計なおせっかいでしたね」
注文していた料理が運ばれてきた。冷めないうちにと皆で手を付ける。
俺たちは意識して話題を変えた。食事の時間は楽しくあるべきだ。
お願いすると二人は薬指の指輪を見せてくれる。ノムは拳を握り、プロポーズした日の様子を昨日のことのように語ってくれた。
小さな親切をこんなにも喜んでもらえて、英一も嬉しそうだった。
そのまま流れで、改めて式に招待された。
だが、やはり丁寧に辞退する。関わるとしてもご祝儀や祝電だろう。
食後のコーヒーも飲み終えて、解散の運びになった。
英一が飲食代をまとめて払おうとすると、ノムがどうしてもと食い下がるのでご馳走になる。
それでも彼としては、まだまだお礼し足りない様子だ。
「南雲井さん、また食事に誘ってもいいですか?」
「嬉しいけれど、あまり気を使わないでね。私らはもう満たされているから、ほかにキミを必要としている人がいればそっちに手を差し伸べてあげて」
「今日だって、大事な休日でしょう。フィアンセを優先してあげてください」
「フィアンセ!? 死語じゃないの、それ!」
「ナツメさん、お口チャックですよ」
「ン」
歳の離れた人間の相手など退屈だっただろうに、ノムもタベも別れを名残惜しんでくれた。
店を出て帰路につく二人を、英一とナツメとで見送る。
「いい人たちでしたね」
「若い人の元気をもらった気がするよ」
「二人とも、これからどうするの? まだ昼過ぎだけど、家に帰る?」
「買い物して帰りますよ。ナツメさんは?」
「僕は予定があるから、このまま行くよ。またね」
ナツメも見送って、俺たちは本屋に寄った。
一年使える薄い日記帳を買う。
「照近さんから書いてね。私は何を書けばいいかわからないから」
「いいですけど、俺だって同じですよ」
帰り道はずっとうきうきしていた。こんなちょっとした楽しみが、世界を鮮やかにしてくれる。
「桜が咲き始めているね」
彼と同じほうを見る。晴天を背景に桃色の梢が風に揺れていた。
桜並木通りは通行人のほか、カメラやスマホを構えている人で賑わっている。
「ちょっと見ていきません?」
「いいね、行こう」
二人で歩いていく。
気付かないと思ったのだろうか。俺がはしゃいで桜を見上げている間、英一は俺の顔ばかり見ていた。
今夜の日記にはそれを書いてやろうと思う。
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