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第14話
「聞いたか?今日のリハ」
「ああ。デモ、全部突っぱねたらしいな。相変わらずだ」
「セルフで書けるから余計タチ悪い。"自分の音楽"ってやつ?まだ22かそこらの癖して。確かに声は抜群だよ、だったら何歌っても売れるじゃねえか。女子供のファンだっているし」
「どうせこのままフェードアウトさ。プロモも絞られてるし、次の新人に枠回すってよ。やっぱりあの解散はずいぶん上を怒らせたな。BHは金のなる木だったから」
「だろうな。思えばあの長男も口出しばっかで生意気だったし、次男は笑ってても腹じゃ何考えてるかわかったもんじゃねえ。三男だってご覧の通り扱いづらいガキだ」
「しっ、グルーピーに刺されるぞ。でもまぁ勝手にやればいいさ、自分で選んだ茨の道なんだ。"アーティスト志向のわがまま王子様"?ははは」
...聞こえてる。僕は立ち止まりかけた歩みを戻し、そのままビルの廊下を進んでいった。
デモは拒否したというより意見を言っただけだ。自作曲を徹底的に却下するくせに、勧められる提供曲はシングルカットのレベルに到達しているように聞こえない。声だけで何を歌っても売れるなんてことができていたら僕は今まで何の努力をしてきたというんだろう。ディスコブームが頭打ちだったのが業界人のくせに分からなかったんだろうか、解散の理由は何もおかしくないはずだ。それに、僕のことで兄さんが馬鹿にされる筋合いは無い。
全ての戯言と対等にやり合える自信がある。でも、そうはしない。何にもならないから。これまで一緒に仕事をしてきた仲間がどこかへ行き、代わりに今のようにごちゃごちゃとうるさい、僕たちのことを何も知らない奴がスタッフとして付いたのは、やっぱり"上"の圧力のせいなのか。
残っている契約は、あと2枚のEPと1枚のLP。それを終えたらもうここに留まっている理由は無い。...それまでが、永遠かのように感じる。
タクシーの中の広さと静けさはまだ少し違和感がある。車では大抵、隣に座るマーカスによってシートが窮屈で、カルヴィンの話し声がいつもしていた。あの頃はたとえ否定されても軽かった。兄のどちらかが拾ってくれたし、時には盾になってくれて、グループの問題として一緒に考えていた。...今はそうじゃない。2人は違う道を歩いている。いずれソロになったときの苦労なんて当然承知の上で覚悟もあった。だからこそいつでも自立できるよう、自分で音楽を作れるようになるまで持っていったんだ。
街の景色がゆっくり過ぎていく。窓に写る自分の顔が思ったよりも幼く見えた。...所詮、元アイドルグループの三男、なのか。解散した途端ここまで軽んじられて扱われるとは、正直予想以上だった。
マンションの一室は暗く冷え込んでいた。コートを脱ぎ一人掛けのソファに放り投げる。キッチンの明かりを点けて冷蔵庫を開けると、数日前と同じ適当に買ったものがそのまま並んでいる。何も取らずにドアを閉めた。代わりに瓶からキャンディを一つ取り出し口に入れる。甘いものが欲しいわけじゃない、ただ喉のため。
テーブルの上の紙の山の中にいくつかファンレターが紛れている。なんとなく封を切り文字を追う。月日の経った今でも少女たちは未だグループを惜しみ悲しんでいるようだ。そういえば解散のライブ盤はまだ売り上げが伸びているらしい。
科学的な甘みのため息を吐いて視線を落とす。丸まった譜面、聞かれもせず却下された曲。そんなものが机いっぱいに広がっている。自分の曲のメロディは絶えず頭の中にあるのに、こう拒まれ続けては忘れてしまいそうだった。それよりももっと忘れるべき記憶があるはずなのに。
夜、一階、小さなノック。___考えるな。譜面を強く握る。あの部屋に彼はいない、あの家ももう僕の帰る場所じゃない。彼は元の場所にいる、家族のそばで働いている。それでいい、そうするべきだった。
口の中のキャンディを噛み砕き、飲み込んだ。
パーティの会場は相変わらず息苦しかった。グラスが軽く触れ合う音と作りものめいた笑い声が、シャンデリアに照らされ磨き上げられた床に鳴っている。こういう場ももう慣れてはいたが、決して好きなわけではなかった。仕事の一環としか考えられなくて。まあ、呼ばれるうちが華とでも考えておくべきだろうか、今の自分の状況では。
周りからかけられる言葉は大体決まっていた。
「いやあ、解散は本当に惜しい。もう一度あの3人でのステージを見たいものだ」
「素晴らしかったよ。The Boogie Hayesは間違いなく一時代を築いた」
微笑みを貼り付け代わるがわる対応する。当たり障りのない挨拶、定型文のような感謝の言葉。それはもはや反射に近い。
誰もかれもが過去の話をする。まるで、今の僕にはそれ以外語る価値がないみたいに。
「ソロモン、久しぶりだな」
振り返る。見覚えがあるような気がする男が立っていた。50代くらいだろうか、いやらしいほど上質なスーツと整えられた髭、どちらかといえば強面で若い頃はハンサムだったんだろうと感じる。
「覚えてるか?君達がまだ売り出しの頃に会ってる」
「ああ...その節は」
曖昧な記憶を辿る。たしかレーベルの幹部候補と呼ばれていたが、実際そうなったのだろうか。一度会っただけで、BHは俺が育てた、なんて顔をする奴なんかごまんと見てきた。この人もその類いかもしれない。立ち姿や話しぶりから察するにやり手らしくは見えるけれど。
「上手くなったな。昔からそうだったが、今はもっといい。ソロは大変だろう。頑張れよ」
「...ありがとう」
今日初めてされた"現在"の話だ。今の僕を見てくれているのか、この人は。考えているうちに勧められるままグラスを傾け、渋みと甘さが混じり合うそれを口に含む。ワインはついこの間覚えたばかりだった。
「へえ、いけるじゃないか」
「少しなら。でも喉もあるし、あまり得意じゃ...」
「気に入った。向こうで話さないか。さぁこっちだ」
断る理由を探すより先に、話を聞いているのかいないのか、男は僕の手を引いて人の輪を抜けていった。
会場の奥は照明が淡く落とされ、人もまばらだった。
「次のLPの進みはどうだ」
「...まぁ、それなりです。グループ時代と同じというわけにはいきませんから」
「満足いってないようだな、正直だ」
距離が近い。言葉が妙に甘い。優しいというよりは、やけにぴったりと寄り添ってくるような印象だった。
「改めて言うが、今の君の声は最高だ。磨かれただけ光るよ、"使い方"を知ってる人間に預ければね。才能は正しく導かれるべきだ」
話をしつつ、少しでもグラスが空けばすぐに赤い液体が注がれる。頭の奥がぼんやりしてきた。
「君は環境次第でいくらでも化ける、もっと上に行ける。今の扱いで終わる存在じゃない」
スタジオの空気が蘇る。即席のようなスタッフ、突き返される手書きの譜面、廊下で聞いた悪評判。
「俺ならば、もっといい形で君を見せてやれる」
男の声が耳元で低く響き、肩に回された手の力が強まった。
「...本当、ですか」
自分の声が思ったより軽い。酒の味はもう曖昧だった。少しふらついたところを、男の腕に支えられる。
「平気かい。静かなところへ行こうか」
穏やかな声で男が言う。断ろうと思えば断れた。...だけど。
「...はい」
...どうでもいい。何もかも。彼も兄ももういない。僕ももう、どうなったって構わない。ただ、今よりまともな場所へ行けるのなら。
連れて行かれたホテルからはネオンがよく見えた。シャワーから出て、導かれるまま酔いの回った体を大きなベッドへ横たえる。男は僕の手元から足先まで隅々を調べ、やがて言った。
「君は賢いな」
...だって、これから始まることなんかもう分かりきっている。あの頃のように"天使"と呼ばれるには歳が行きすぎたし、純真でもない。僕は、子供をやめなくてはいけないんだ。
それからは、しばらく目を閉じていた。
痛み。
仰向けに寝ていた。薄く目を開けてみる、全てが過ぎ去ったか確認するために。男が椅子に腰掛けて煙草を吸っている。視線を落とすと握りしめたままのくっきりとした形でシーツに痕が浮いていた。
「本当に初めて?やっぱり君は才能がある」
軽い笑い混じりの言葉の意味を、頭がゆっくり追いかける。___初めて。そうだ、間違いなく。彼とは結局そこまで行くことはなかった。あともう少しで届きそうな距離、その先に進みたいと思ったことは何度もある。でも、踏み込めなかった。踏み込まなかった。彼は優しすぎたから。
肌に触れられた感覚と、体の奥の鈍い痛みがまだ残っている。終わってみればあっけないものだ。感想といえば、痛かった、それだけ。それ以上のものは浮かばない。
「...仕事、でしたよね」
この問いは半分自分に宛てたものでもあったかもしれない。男が窓の外の景色から目を離しこちらを向く。
「そうだ。君にとっても悪くはあるまい」
僕は寝返りを打ってネオンに背を向けた。答えは今考えても出なそうだ。
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