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第29話
昔、アクセサリーは好かなかった。カチャカチャ鳴るのがうるさいし、歌に全ての神経を集中させる上では邪魔なものだった。カルヴィンは色々と着けていたけれど、それは軽やかな雰囲気と色香を持っている彼だから似合うのであって、僕には縁のないものだと思っていた。
それが変わったのは夜の太陽と呼ばれ出す少し前だ。ミュージックビデオのためにスタイリストが「手が綺麗だから映える」なんて言って大量のリングを持ってきた。最初は慣れなかった。けれどそのメタルの質感がライトに反射する様は曲のコンセプトによく合っていて、画面も華やいでいた。そのとき、カルがやっていたのは単なる装飾じゃなく、"見られること"と"自己の演出"を表現者として意識したことだったんだと気付いた。
シルバーのリングを重ね、細身のネックレスを着ける。アンバーとムスクの重めのコロンを首元に振る。最後にサングラスをかけ、アーティストのソロモン・ヘイズが完成する。これらは僕のスイッチであり外殻だ。昔の自分は馬鹿らしいほど純粋だった、今だってガキっぽい自覚がある。そんな僕が本当にスターになるためには鋭い武装が必要だった。だから指先を飾る、光らせる、音を立てる。夜の香りを纏わせて、しかし触れれば冷たい銀。それが鎧になる。
その鎧を外せる瞬間。武器を下ろし、戦わずに済む時間。フレッドがここに来てから、そんなものが増えていった。
家を出るとき、僕は彼にハグをする。「子供かよ」と最初こそ言われたが、今は自然に腕を回してきてくれる。着飾った僕ごと抱きしめてくれるのが嬉しかった。そのインクとコーヒーの匂いを記憶するように息を吸い、離れたあとでサングラスをかけて玄関を出る。エレベーターを降りて迎えの車に乗るまでにはタレントの顔を作ることができた。
家に帰ってきたときもまた、僕は彼にハグをする。まず外す、適当な場所に置く。その小さな金属音とその後に触れる温度が、今日のスター業終了の合図みたいだった。彼が書き物をしていても食器を磨いていても洗濯物を畳んでいても、構わず抱きつく。疲れた日は特に強く。
「メシは?」
「食べる」
「くっついてちゃ食べられない」
「んー」
彼は呆れた顔をしつつも振り解かない。こうしていると仕事のプレッシャーのことも忘れられた。
疲れきっているとそのままソファで居眠りをしてしまうこともある。着替えもせず、ステージの熱気が残ったままの姿で。川のように絶え間なく通りを流れる車のライトを薄目でぼんやり眺めていると、遠く聞こえていたタイプライターの音が止み、彼が前に立っている。何も言わず僕の手を取り、ひとつひとつリングを抜き取る。頭を傾けると、その指が首に回りネックレスの留め具を外す。金属の重みが肌から離れる感触が心地良い。
「起きてるなら自分でやれるだろ」
そうは言うがその声に責めの響きは無かった。
とある日、ふと気付いた。
「ねえ。僕のリング知らない?真ん中に小さくクロスが彫られてるやつ」
似たようなものはいくつかある。特別気に入っているというほどでもないが、なんとなく選びがちなものだった。フレッドは原稿を書く手を止め、しばらく考えた。
「最後に着けたのは?」
「3日前かな」
彼は書斎から出た。廊下からリビングまでの床を見回る。ソファの隙間、ラグの溝、棚の上。
「別に今じゃなくても」
そう声をかけたが彼は聞かず、寝室や洗面所までうろつく。家中が3度往復されたとき、言った。
「...黒のジャケット着てたか」
「たぶん」
「あれ、クリーニングに出したんだ。その中にでも紛れてたら...ここには無いかもしれない。外に落とした可能性もある」
彼は申し訳なさそうに背を丸めていた。
「ああ、そうなんだ」
「...ごめん」
「いいよ。そこまで高価でもないし」
「値段じゃないだろ」
「気にしなくていいって」
「......ごめん」
こんなに弱気なフレッドを見たのは初めてかもしれない。
彼はクリーニング店に電話をかけた。マンションの廊下からロビーまでを歩き、それからまた家を見て回った。外へ出ようと上着を羽織り始めたときにはさすがに止めた。
「フレッド。ここはガラリヤじゃない、ニューヨークだよ。だだっ広くもないし奇跡も起きない」
何日かはそんな調子だった。暇があればしゃがみ込んで床を見ているし、眠る直前まで辺りを探している。仕事へ出る前の僕とハグをしていても視線が部屋を行ったり来たりしているから、とうとう言った。
「あれ、いらない。もう探さないで」
一瞬その目が見開かれる。僕は廊下の壁にもたれ腕を組んだ。ビデオ撮りの仕事のときのように意識し、わざと偉そうな顔を作る。
「僕はきみの雇用主だ。駆け出し新人作家を家に住まわせて食わせてやってる。主人を満足させるハグすらできないの?雇われのくせに恩知らずだな」
このくらい言わないと彼には伝わらないと思った。責任感、それは結構だけど、そんなものより大事にしてほしいものがある。
「やり直し」
数歩下がって腕を広げる。彼は吹き出した。そして微笑み、また僕に近寄った。そして今度はちゃんと抱きしめてくれた。
「これでいいかい、ご主人殿」
「うん。行ってくる」
「行ってらっしゃい」
冷たい金属に、彼の温度がしばらく残ったようだった。
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