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第30話

職業柄、ソルはかなりの夜型だ。仕事が済めば夕方に帰ってくることもあるが、制作が詰まったりクラブへ出かけたりすれば朝方になり、大抵昼まで起きてこない。俺はその間に洗濯やら掃除やら家のことをやっておき、それが片付くと書斎へ行って文を書く。 そのうちシャワーの音がして、その後彼の仕事部屋からキーボードやデモテープが流れ出すから、そうしたら飯を用意し始める。彼は食事をして身を整えスターの顔になり、決まって最後に俺にハグをして仕事へ向かう。 書斎へ戻ってまた書き、予定があれば打合せに行ったり煮詰まれば買出しに出たりする。そして夜、彼が帰ってくれば付き合い、来なければ勝手に寝る。生活はだいたいこの繰り返しだ。 その日、俺はリビングでフロアワイパーをかけながら考え事をしていた。新しく提案された仕事...音楽を扱うカルチャー誌でのコラム。どうやらソルが知り合いのライターに俺のことを漏らし、そこから繋がった話らしい。 「きみに頼ってまで仕事が欲しいわけじゃない。俺が音楽に疎いこと知ってるだろ」 「紹介したんじゃないよ、ただ最近好きな本があるって言ったら向こうが気に入ったってだけ。レビューより"音楽が鳴ってる場所の空気"書ける人探してたんだって」 「本当かよ。向こうに圧かけてないか?」 「疑り深いね。してないよ、神に誓おうか」 ...その答えを聞きひとまず信用することにした。こいつは昔から軽々しく神の名を持ち出す奴じゃない。 俺の書くものをカテゴライズするとすれば群像劇や人間ドラマで、内容は黒人コミュニティやブルーカラーの日常、疲れた男たちの孤独...そんなものだ。果たして芸術家相手にウケるんだろうか。仕事が増えていくのはいいがなんとなく腑に落ちなかった。流行りのアーティストなんてソロモン・ヘイズしか知らない俺だ。 ドライシートを交換しつつ、BGM代わりに適当にケーブルチャンネルを付けているテレビから聞き覚えのあるイントロが流れ始めたのに気付く。跳ねるベースと強いリズム、確かニュージャックスウィングだかスワッグだかそんなジャンルだったか。...いくら批評を書くわけじゃないといっても最低限の知識くらいは必要になるかもしれない、そんなことを思いつつ顔を上げた。 「(...ん)」 手が止まる。画面に映っているのはネオンカラーの照明を背に踊るダンサー達と、その中央に立つ男。 肩まである濡れたカールヘアが揺れ、細身の脚がステップを刻む。光沢のあるシャツの胸元を大胆に開け、カメラへ目線を向けて指先で誘う仕草をする。 『♪Baby, come a little closer tonight___』 甘く低い声でリリックを歌い、そして舌でくちびるをゆっくりと舐める。その表情がやたらと色っぽい。 「(...誰だこいつ)」 家ではだらしなくブランケットにくるまり譜面へ突っ伏している男と同一人物だとは到底思えない。俺は思わずワイパーを持ったまま見入っていた。 「ゲ!」 背後から声がした。振り返るより早くソルがリモコンを引っ掴みチャンネルを変える。画面が陽気なショッピング・ショーに切り替わった。 「まじまじ見ないでよ、恥ずかしいな」 さっきの妖艶な男はどこへやら、彼は部屋着姿のままソファに座りぶつぶつ言っていた。俺は口元を緩め本人と画面の記憶とを比べる。ワイパーを壁に立てかけてソファの後ろから身を乗り出すと、ソルはクッションを抱えて顔を隠した。 「あんな顔いつできるようになった?」 「ほっといて」 「今度ショー見に行っていいか?」 「やめて」 即答で言い切る。表情は見えないものの耳が赤くなっている。その態度が可笑しくて、俺は肩を揺らした。...可愛いとこあるじゃないか。つい悪戯心が刺激され、その耳元で囁いてみた。 「...あの顔、今夜やって見せて」 「っ...!」 勢いよくクッションが飛んできた。 「からかってるだろ!!」 「ははは」 俺はまたワイパーを手に取り床を拭き始める。ソルは本気で羞恥しているらしく、眉を寄せて俺を睨みつけていた。そして冷蔵庫へ向かいミネラルウォーターをボトルのまま一気に飲むと、口を拭いつつぼそりと言った。 「...気が向いたらね」 「え?」 「なんでもない。仕事してくる」 彼はずかずかとリビングを横切り、逃げるように自分の部屋へと向かった。 夜の帳が降りていた。ベッドサイドのランプだけを点けた寝室で、俺はヘッドボードにもたれ思いついたフレーズを書き留めていた。 ___コインランドリーには二種類の人間がいる。一つは本当に洗濯をしに来た人間、もう一つは少しだけ家にいたくない人間。両者の違いは単純だ。前者は洗濯物を、後者は時間を抱えている。 有線からはヒット中のポップナンバーが流れていた。誰も真面目に聴いていないが、誰も消そうとはしない。 音楽とは案外そんなものだと思う。夜勤明けにも、失恋しても、街を散歩しても常に背景にある。主役ではない、けれど人は時々その音ごと日々を思い出す。人生を変える劇的な瞬間よりも、洗濯物を待つ40分間の方がずっと長いからだ___ ...例のコラムに使えるだろうか。そんなことを考えていると、部屋のドアが開いた。 「起きてた」 「ん」 短く返事をすると、湯気の匂いと共にソルが上がってきた。クイーンサイズのベッドが小さく揺れる。どうせいつも一緒に寝るからと、俺用のベッドを買うことはおざなりになり続けていた。彼はそのまま隣に来て体を寄せてくる。湿った髪の気配が近付くが、俺は手帳へ視線を落としたままでいた。 「何してるの」 「書いてる」 「知ってる」 つまらなそうな反応。しばらくするとその指先が俺の肌をなぞり始めた。...その気か。わざと注意を引くような触れ方がこそばゆい。しかし俺はまたペンを動かし、笑いそうになるのを堪え"気付いていないふり"を続けた。ソルの眉がぴくりと動く。 「...ねえ」 「んー?」 「無視してる」 「してない」 「してる」 とうとうむっとした声になった。そして次の瞬間、彼は俺の上へ跨って手帳をひったくった。重みが膝に乗り、ばさりと紙が落ちる音がする。ソルは俺を見下ろし、至近距離で数秒じっと見つめ、それから。 「......」 あのミュージック・ビデオで見せていたように目を細めた。舌先を出しゆっくりとくちびるを湿らせる。挑発的に、煽情的に。いやらしいとさえ言えそうな仕草なのに、なぜか品があって様になっていた。そんな表情を画面の向こうのリスナーへじゃなく、俺だけに見せている。 「...ほら。やったよ。注文通りだろ」 沈黙。その顔が不安そうに曇りかけたとき、俺はその肩を押した。彼の髪がシーツへ広がる。手首を掴んで覆い被さる。 「...それ、反則」 掠れた声が出た。何か言われないうちに抱き込んでキスをする。さっきまで余裕ぶっていた俺が、今は獣じみたことをやっている自覚はあった。 「後悔するなよ」 ソルは少し驚いていたが、やがてふっと笑った。 「しないよ」 もう一度キスをすると、今度は彼の手が背中に回ってきた。 陽の光がカーテン越しに見えた。ゆっくり目を開ける。少し怠い体を動かすと、隣から規則正しい寝息を感じた。ソルが眠っている、乱れた布団から素肌を覗かせて。 服が脱ぎ散らかされ、封を切ったスキンの包装が落ちている床。昨夜の熱が部屋いっぱいに残っている。 頭に記憶が断片的に浮かび上がる。あの視線、あの口元、そこから先はお互い歯止めが効かなくなって...。 ...盛り上がりすぎた。 シャワーを浴びてキッチンに立つ頃には、ラジオのWPLJモーニングショーもアップテンポな曲を流し始めていた。ケトルが汽笛を鳴らし、フライパンの上でベーコンが匂い立つ。食器を取り出そうとしたとき、背後からぴたりと体温がくっついた。 「...おはよ」 寝ぼけた声だ。 「離れろ。火を使ってる」 「えー...」 ソルは不満そうに言いながらも離れない。肩越しに後ろを見てみる。目は完全には開いておらず、髪は跳ね放題、Tシャツは片側だけずり落ちていた。...人を惑わせるあの危険な男はどこへ行ったのか。 「別人だな」 聞いているのかいないのか、彼は俺の背に額を押し付けたままだ。 コンロの火を弱める。俺は湯をマグカップに注ぎながら言った。 「...昨日の顔、もうするな」 今度はすぐに返事が来る。 「なんで?好きだろ、きみ。だってあんなに___」 くく、と笑う気配。俺はため息で遮った。 「仕事にならなくなりそうだ」 この言葉に、ソルは完全に目を覚ましたようにこっちを覗き込んだ。 「なにそれ」 「そのままの意味だよ」 「...ふぅん?へぇー?」 「うるさい」 楽しそうに含み笑いを浮かべる、片手は俺の腕にしがみついたまま。...やっぱりこいつには敵わない。 俺はその肩を軽く叩いた。 「せめてコーヒー運んでくれ」 「はーい」

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