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第31話
打ち合わせが長引き、マンションに着く頃にはすっかり暗くなっていた。文が好きで喋るのも得意、そんな気質の人間がやる職業だからか編集者というやつは話が軌道に乗ると長い。本の評判だの次の短編だの、ありがたいことではあるんだが。
エレベーターを降りて廊下を歩く。今日あいつはまた遅くなるんだろうか、そんなことを思いながら鍵を回した。
「あははは!もう、ソロモンったら」
玄関を開けた途端に聞こえた女の派手な笑い声に足が止まる。...来客か。彼にしては珍しいことだが、芸能界にいれば必要な付き合いもあるだろう。今からまた外へ出て適当に時間を潰しておくか。そう考えかけたときだった。
「おかえりフレッド!」
ソルがリビングの方から顔を出した。やけに明るい声だ、不自然なくらい。
「紹介するよ。さっき言った同居人の友人」
ソルが後ろの人影に向かってそう言うと、続いて長い髪の女が覗く。
「へぇ。嘘じゃなかったのね」
「...どうも」
整った顔立ちに洒落た服、女優かモデルと言われたら信じる。軽く会釈をした俺を見て彼女は微笑んだが目は笑っていない。値踏みされているな、と思った。ソロモン・ヘイズほどのスターがこんな地味な男と住んでいるのはやはり違和感があるんだろう。
「...ね、だから今日のところは...」
「何か飲み物でも?」
「ええ。お願いするわ」
「えっ」
「ワインとビールくらいならあったはずだ」
「そうね、じゃあ...」
「...コーヒー!コーヒーでいいよ、フレッド」
変に焦っているソルを横目に、俺は上着を脱ぎながらキッチンへ向かった。
トレイにカップとソーサーを並べながらソファに座る2人をちらりと見る。
「この間のステージとっても素敵だった。また観に行ってもいい?」
「ああ、ありがとう」
会話だけ聞けば和やかだった。だが、距離が近い。女がぴったりと密着するように寄り添っている。ソルも愛想よく応じてはいるが、肩や太ももに触れられるたびに微かに身じろぎをしていた。...なるほどな、状況はわかった。
コーヒーを注ぎテーブルまで運ぶ。俺の役目はこれで終わりだ、書斎へ引っ込んでやり過ごしていよう。そう考えつつカップを置いたとき、ソルと目が合った。じっ。すごい剣幕で見つめてくる。
「(H・E・L・P!)」
その口がアルファベットの形に動く。顔に「行かないでくれ」と書いてある。...いや知らん。立ち上がると、今度は女と目が合う。顔に「邪魔よ、早くどっか行って」と書いてある。...知らん。どっちも知らん。
俺はドアの方へ向かった。ルージュを引いた女の口端が上がり、ソルの表情が絶望に染まる。...連れ込んだのはきみだろう、自己責任だ。
ノブに手をかけたときだった。
「あら、コーヒーはブラックなのね。いつもキャンディ舐めてるから甘党かと思ってたわ。ミルクにもハニーを入れてるくらいって聞いたわよ」
背後から聞こえる女の楽しそうな声。振り返りはしないものの、なんだか引っかかった。ただ、思う。
「(違う)」
声のためだ。のど飴も蜂蜜も。乾燥や風邪から声帯を守って、良い歌を歌えるように。昔から当たり前のように続けている習慣だ。そんなことすら知らず、この女はソルに触れている。
「...まぁね」
...やっぱり面倒だ。彼の返事を後に、俺は今度こそ部屋を出て書斎へ向かった。
辞書を引く。数行書いて止まり、また書く。そうしているうちに外から聞こえる笑い声もやがて小さくなっていった。
「もう少しいいでしょう?」
「車が来てるはずだ。レディがこんな時間まで男といたらママが心配するよ」
「ねえ、また話しましょうね」
「うん。またね」
そんな会話を最後に、玄関が閉まる音がした。少し間が開き、廊下を歩く足音。そして書斎がノックされ、俺が返事をするより早くドアが開かれた。
「あぁ疲れた」
ソルは盛大なため息を吐きながら椅子に倒れ込んだ。俺はペンを動かしたまま言う。
「自分のせいじゃないのか」
「しつこかったんだよ」
「そうらしいな」
十代の頃から常に女に取り囲まれてるのに、軽くあしらうということは出来ない。それが彼らしかった。
「でももう絶対断る。あの子5つ下のモデルだよ。週刊誌の餌になるの目に見えてるし、そもそも興味ない」
「歳上の男が好きだもんな」
軽口に眉がひそめられるのを見て、俺は笑った。ソルはぼんやりと書きかけの原稿を眺めながら呟いた。
「...きみは知ってるよね。僕のキャンディの意味」
「一応な」
「だからきみがいいんだ」
彼も柔らかく笑顔を見せた。さっきまでの騒がしさが薄れ、この家にいつも通りの空気が戻り始めた。
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