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第41話

担当編集からその話をされたとき最初に浮かんだのは、撮影に使う工場はどうやって見つけるんだろう、という疑問だった。 「テレビドラマ化だよ、ミスターホール」 目の前に座る男は、アイスティーの氷が溶け出していくのも忘れて身を乗り出し喋っている。ペン先が企画案を何度も叩いた。 「君の本を原作にしたいと制作会社から話が来た。深夜の単発スペシャルと言えば小規模に聞こえるけど、歴史のある枠だよ。監督は前に賞だって獲ってるし、脚本家もベテランだ」 「...へえ。すごいな」 「おいおい、他人事かよ。充分喜んでいい仕事だぜ」 彼は大げさなジェスチャーで呆れてみせる。常にこんな調子だから、年がら年中飲み物は決まってアイスなんだろうか。 喜んでいないわけではなかった。ただ、書籍になるという話を初めて聞いたときと同様に、どうにも自分の身に起きていることだという実感が薄い。俺の書いた男たちが俳優の顔を与えられ、セットの中を動き、画面から台詞を喋る。想像するのは苦手じゃないはずなのに、その場面を思い浮かべようとしても靄がかかったかのように形にならなかった。 「なかなかある話じゃないぞ。上手くいけば大きな機会になる」 もちろん、そのこと自体はわかっている。 「ドラマ!?」 古いレコードを流し眠たそうに椅子に沈んでいたはずのソルが一気に飛び起きた。 「深夜の単発スペシャルと言えば小規模に聞こえるが、歴史のある枠だそうだ。監督は前に賞も...」 「すごいよ!!」 編集者の言葉をそっくりそのまま口にし、言い終わらないうちから抱きしめられる。遠慮なしに首に回された腕が少し苦しい。 「いつ放送?出演者は?プレミアある?」 「まだ企画段階だよ」 俺よりも何倍も大きな反応だった、恐らく自分がゴールドディスクを獲ったときよりも。そっちの方がよっぽどすごいに決まっているのに。 「主題歌僕が書いていい?」 「労働者の話だぞ。踊れたり官能的である必要は無いんだ」 「失礼だな。僕にも地味な曲は書ける」 「きみが歌う時点で地味じゃない」 「ケチ」 彼は口を尖らせたが、すぐにまた表情を緩ませた。 「でも、嬉しいな。きみが認められていくの」 あの家の夜を思い出す。ただの大学ノートに書いていた小説もどきは、気分で急展開を起こしたり飽きれば別の話を書き始めたりと、今考えればずいぶん粗末なものだった。誰にも見せないつもりだったそれを読んでいる、少年だった彼の横顔。面白いよ、続きはどうなるの、彼はどうしてこう思ったの。目を輝かせ夜毎ページをめくる姿。俺の作品を最初に認めてくれたのは、他でもないソルだった。 腕の中の彼の温度に触れていると、なんだか本当に良いことが起こったのかもしれない、とようやく思い始めた。 最初の顔合わせは和やかだった。監督を名乗る人物は俺の本を読み込んだと語り、脚本家だという人物は俺の文を肯定的に分析した。 「何も起きていないように見えて、内部では変化がある。そこを映像にすると面白いと思ったんだ」 「なるほど」 「ただ、番組にする以上、いくつかの整理は必要です」 当然だ。百数十ページの文章をそのままTV画面へ移すことなどできない。登場人物を増やしたり場面を入れ替えたりすることもあるだろう。俺は映像の専門家ではない、ある程度は彼らに任せるべきだ。そう考えていた。 「視聴者が感情移入しやすくなる」 二度目の打ち合わせで、主人公の年齢が10歳若くなった。彼らの意図は汲めるものだ。一方で、売り出し中の若手俳優を主演に据えるようにという話も出たらしい。まぁ、TVの業界にも色々あるのだろう。 「最後に復縁させれば希望も生まれる。二人の関係を物語の軸にしよう」 三度目では、離婚したきり会わない夫婦が別れ間近の恋人に変わった。観る側にすれば恋愛の山場がある方が退屈しないとは思う。 「同じような画面が続いて単調になるのを防ぎます」 四度目には、工場で作業をしている場面が半分以下になった。代わりに、主人公が上司の不正を暴き職を失う危機に立たされることになった。...面白くないわけではない。さすがプロといったところか、1時間と少しの番組内に収まるよくできた物語に仕上がっている。しかし、作品は次第に手から離れていくようだった。 「ラストには工場を辞めて彼女と新しい人生を始めるというのは?ヒロイン役を映せる時間が増える」 誰かがそう言ったとき、俺は口を挟んだ。 「辞めませんよ、こいつは」 会議室の数人が一斉にこちらを見た。脚本家が取り繕う。 「もちろん原作の精神は残します。しかし目に見える変化は必要だ。狭い場所から広い場所へ___」 「ええ。でも、労働者の人生を狭くて暗いものだと断定させたくないんです」 ブルーカラーや肌の色を持つ者の暮らしにも輝きがある。説教をしたくて書いているわけではないが、それを否定されるのは俺自身のことまで蔑ろにされているようだった。 彼らは俺の本を評価し、より多くの人々に届けようとしてくれている。それでも短いミーティングの後は毎回疲労が残った。...成功とはこういうものなのかもしれない。自分が作っていたものを他人の手に預け、形が変わることを受け入れる。そうすることで名前が広がり可能性が増える。それを拒むのは、単なるわがままなのかもしれなかった。 「ただいま」 玄関を開け声をかけると、繰り返されていた鍵盤の音が止み、仕事部屋から出てきたソルがハグをしてきた。 「おかえり」 「メシ作る」 「出来たら呼んで」 彼はそれだけ言ってまた自室に戻った。取り込み中なら律儀に毎回抱きしめに来なくてもいいのに、と思いかけて止めた。 また鍵盤の音がする。ベース、ドラム、短い歌声。ほんの10秒ほどのフレーズが延々とリピートされている。最初から流れる、少し変わる、また元に戻る。食事の用意をしている間にもそれは途切れることなく続いていた。 ノックをして部屋の扉を開ける。ソルは機材の前に頬杖を付きテープを巻き戻していた。作業机にはいつものように譜面とメモとキャンディの包み紙が散らばっている。 「キリがつくかい」 「今日は無理かも」 そう言いながらまた指先が鍵盤を爪弾く。再生ボタン、ドラムループ、同じフレーズ。 「...まだ弱いな」 その独り言の意味はわからない。彼にとっては手を入れているのだろうが、俺にはほとんど同じように聴こえるからだ。彼は首を横に振り、譜面にバツ印を書き込んだ。 「鍋にシチューがある、適当に食ってくれ。俺は書いてる」 「んー」 ドアを閉める。...こういう日のソルは平気で何時間でも部屋にこもる。自分で完璧だと判断するまでやめない。同じ数秒を何度も繰り返し、自分にしか分からない違和感を取り除こうとしている。それがセールスに結びつくかどうかではなく、納得ができるか否かを確かめている。 俺は書斎に向かう前に、しばらく壁にもたれ背中でその小節を聴いていた。俺の仕事について何か言われたわけではない、こいつはいつも通り音楽を作っているだけだ。それでも何かを教わっている気分だった。 その日、完成に近いという脚本を渡された。文章は上手かった。人物たちの会話も自然で、場面転換にも無駄がない。俺が書いたものよりもきっと多くの人が続きを気にするだろう。ラストで主人公は仕事を辞め、恋人と街へ出る。 「良いと思います」 それは嘘ではなかった。監督が大きく頷く。 「ではこの方向で___」 「でも、私は降ります」 自分でも驚くほど穏やかな声が出た。笑ってさえいたかもしれない。彼の動きが止まる。 「...確かに変更点はある。しかし原作の核は充分に」 「分かります。悪くないし、テレビ向きだ。でもラストを擦り合わせて頂けなかったなら、これは私の物語ではないので」 本を閉じ、テーブルに置いた。 「ミスターホール、一度編集部とも相談しましょう」 「いえ、結構」 以前までならこの機会を失う恐怖に負けていたかもしれない。次など来ない、売れない作家が贅沢を言うな。そう自分へ言い聞かせていただろう。しかし今は違った。 俺はあの日、父親と仲違いをした。もっと別の人生をと言われ、その後ソロモンと偶然に再会し、作家になった。結果、今は幸福だ。しかし慣れ親しんだ場所で印刷工をしていた時代を間違いだとも思っていない。あの期間が無ければ、今の自分も無かったから。 帰りの地下鉄で、来週あたりにまた母さんの墓参りに行こうと考えていた。 二人でベッドの上に寝転び、気怠さを投げ出していた。眠りに着きかけているソルに布団をかけ直し、静かに言う。 「そういえばさ。ドラマの話ナシになった」 彼は半分寝ぼけながらも口を動かす。 「...ひどいね。どこの制作...」 「というか、ナシにしてきた。俺が」 「なんで...?」 「チャンスはまた来る。きみを見てたらそう思った」 「...ふうん...」 その芯の無い相槌が薄暗い寝室へ落ち沈んだ頃、俺は彼の髪を一度だけ撫でてベッドサイドのランプを消した。

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