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第8話

 体が重たく感じられる朝だった。  ベッドから起き上がった時、腕が痛くて見てみれば内出血していた。昨日、一色に掴まれたところだ。異常な執着が思い出されて身震いしてしまう。  質の悪い眠りと、突如現れた一色のせいでもう既に頭が痛い。  辛い一日になるのは確定だ。里斗は最低の気分で出勤した。  頭痛薬を飲んでおこうか。そんなことを思いながら自分のデスクに着いたときだった。 「土門主任!」  青い顔で部下が駆け寄ってきた。  昨日、営業第一課の係長にどやされていた子だ。 「おはようございます」 「挨拶してる場合じゃないです! 主任、会議室へ! 大問題です!」 「なにかあったんですか?」 「それが、その……営業第一課が、主任と情シスのサイモンさんをクビにしろって」 「私と将満……いえ、士門さんをクビに?」  下の名前で呼んでしまったところで部下がピクッと反応した。  まじまじと顔を見られてしまった。 「……」  視線を正面から交わらせることになったが、聡明な部下は何も言わなかった。  心の中で感謝しながら会議室の方を指さす。部下はうんうん、と何度も頷いた。 「暴行罪とか警察とか訴訟だとか。なにがなんだかさっぱり分からないんですけど、山咲貴金属との取引全て停止とか言ってます」 「山咲貴金属?」 「主任、なにかしたんですか?」  主任に限ってありませんよね、とありがたい言葉をもらった。  そのとおり、身に覚えがない――と思ったのだがハッとした。 (もしかしてレオが山咲貴金属に勤めているんですか)  それならば合点がいく。 (昨日の夜、接待しなかったせいで取引停止まで言われている?)  逆恨みで喚いているのか。 「とにかく会議室へ! 課長も部長も来てます!」  随分と面倒なことになったものだ。  ストレスで胃液が逆流してきそうだ。  もし、昨日、里斗が言いなりにならなかったことで無茶な要求をしてきたとすると、それは立派なカスハラだ。それがどうして上席を巻き込んだ騒ぎになっているのか。 (なにをしてくれたんですか、レオ)  スマホを指さした時の一色の酷い笑みが思い出された。  あの一色のことだ。  人でなしと吐き捨てたくなるような行動に出ているのかもしれない。  付き合っていた頃から変わらない。いや、もっと酷くなっているのではないか?  会議室へ向かう廊下を進みながら、どう対処すべきか考えた。  ただ、浮かんでくるのは自分が問い詰められ、責められる像ばかりだ。付き合っていた頃、勝てたことなんて一度も無かった。 (将満も巻き込んでしまったし……)  一体、どこまで飛び火しているのか。 「そういえば……どうして呼びに?」  返事を聞きたかった、と言っていたが、それならスマホにメッセージを連投すればいいだけだ。絶妙なタイミングだったし、居場所も分かっていたようだ。 「……」  分からないことだらけで不安が募る。  強ばった顔で会議室のドアを押した。もう、場に飛び込んで、その場その場で対応するしかない。 「遅いじゃないか!」  入った瞬間、営業第一課の係長に怒鳴られた。あまりの大声にビクッと震えてしまった。 「どれだけ一色様をお待たせするつもりだ!」 「一色様?」  なぜここに? と一色を見たが、その姿に驚いた。  座っている一色は頭に包帯を巻いていた。お茶を飲む手にも包帯が巻かれている。 「……?」  想定外の状況にポカンと口を開けて立ち尽くしてしまった。  交通事故にでも遭ったのか。階段から落ちたのか。全く状況が読めない。 「さっさとこっちに来て土下座しろ!」 「はい?」 「早くしろ!」  係長が怒り心頭の表情で怒鳴りつけてきた。  一色、営業第一課の係長、課長、部長。  そして経理課の課長、総務部長までもが揃っている。全員の視線が自分に集中した。それだけで凄まじい圧だ。 「申し訳ありませんが……これは……」 「とぼけるな!」  どういう状況でしょうか、と質問することさえできなかった。 「お前と士門が失礼なことを言った挙げ句、突き飛ばして負わせた怪我だろうが!」 「つ、突き飛ばした?」 「なにを白々しいことを! 男のくせにしおらしい面で士門に泣きついて! 一色様に怪我を負わせて上に放置して、その後は士門とふしだらな行為に及んでいたのだろうが! だから正直に言えないんだろう!」 「ふ、ふしだら?」  顔を真っ赤にして唾を飛ばしながら言う係長は、常軌を逸していると言いたくなるくらい異様な空気をまとっていた。この人は、まともな会話をしているつもりなのだろうか。精神状態を疑いたくなるくらいだ。 「お前と士門が淫らな行為に及んでいる間に、一色様はこんな酷い状態になってしまったんだぞ! どう責任を取るつもりだ!」  ふしだら、淫ら、と連発され、理解が追いつかずにいると、一色が冷静な表情で口を開いた。 「聖人ではないので色恋あって当然ですし、彼が『そういう行為』について特殊な感性を持っていることは昔から知っているので驚きませんが、取引に影響する事態になると俺も考えますよねぇ」  聞いた瞬間に全身がカッと熱くなった。 「なっ、なにを!」  思わず声が震えた。  配慮しているようで馬鹿にした空気がありありと伝わってくる。  わざわざ声音を変えて性癖に言及してくるところが意地の悪さを表していた。  課長や部長の視線がこちらに集中する。その視線が好奇と軽蔑に満ちているように思えていたたまれない。 「土門主任、ひとつずつ確認していきたいがいいかな」  総務部長が口を開いた。 (まさか情シスの士門とふしだらな関係、肉体関係があるのか? なんて聞きませんよね!)  訳も分からず呼び出され、上司という上司に囲まれた挙げ句、プライベートどころか性癖まで確認されるなんて公開処刑どころの騒ぎではない。  四月に急遽、主任というポジションを任され、寝不足で体調を崩しながらも必死に職務を全うして積み上げた信頼と実績が崩れていくように感じた。 「昨日、先方に会った?」 「……は、はい。会社近くのコンビニで会いました」 「係長も一緒だった?」 「はい」 「口論やトラブルがあった?」 「……」 「答えてもらいたい」  部長が真っ直ぐに見詰めてくる。  あった、というべきだろうか。  トラブルというより「不当な経費負担の要求を断った」というのが正しい。  ただ、これを言うと係長が激昂して口を挟んでくるに違いない。  それに、不当経費負担については、一部を課長に報告しているとはいえ、営業第一課の過去の経費申請などをチェックしてから話したかった。 「都合が悪いからって黙るな! 突き飛ばして怪我を負わせて逃げただろうが!」  係長がすぐに怒鳴ってくる。部長に視線で諫められてもお構いなしだ。 「まぁまぁ、俺としては謝って誠意を見せてくれれば良いんですよ。そうすれば、こういうモノを出さずに済むし?」  一色が机に置いたスマホを指先でコンコンと叩いてクイッと顎を動かした。それだけで意図が伝わってくるのが腹立たしい。  それを見た里斗はギリッと奥歯を噛みしめた。 (そういうことですか。余計なことを喋らず、怪我をさせたと認めて金を払え。でなければ過去の恥ずかしい写真を公開するぞ、と言うんですね)  まさに卑劣そのものだ。  ここで「トラブルはなかった」と主張したところで証拠がない。  一色はご丁寧に包帯を巻き、病院名が書かれた封筒と一緒に書類も出してきている。  おそらく医師の診断書か何かだろう。本物か偽造か、悪い友人が居るのか知らないが腹が立つほど用意周到だ。 (状況が不利すぎます……)  過去の写真をバラされるのは絶対に避けたい。  それに、昨日の事を全て説明すると将満も巻き込んでしまう。 (将満をこんなくだらないことに巻き込みたくないです!)  この状況を打開する策が思い浮かばない。 「土門主任、黙っていては分からない」  総務部長の声は変わらない。  ポーカーフェイスだが、心の中では何を思っているのだろう。軽蔑されているかもしれない。そう思うと、話そうにも体が震えて上手く言葉が出てこない。  膝が震え始めた。指先も冷たくなり強ばってきてしまった。 (どうしよう……っ)  もう、この会社に居られない――。  そう思い始めた時、係長がフンッと鼻息荒く怒気を込めた言葉を吐いた。 「それにしても士門は来ないのか! 尻尾巻いて逃げるとは、図体ばかりでかくてまさに木偶の坊だな!」 「木偶の坊?」  ピクッとこめかみが震えた。  なんてことを言うのだろう。  会社のネットワークを構築し、維持管理するだけでなく、サーバーやクラウドの管理も昼夜を問わずやってくれている人だ。  PCが起ち上がらない、という単純な話から更新プログラムによるソフトの不具合など、あらゆるトラブルに即時対応してくれる人達で、彼らが居なければ会社が回らないことは目に見えている。  外回りが多い営業部はその恩恵を誰よりも深く受けているはずなのに、なんということを言うのだろう。 「図体ばかりでかい?」  あの大きな体には優しさと思いやりが溢れている。  この二人が一体、将満のなにを知っているというか。 (将満まで悪者に仕立てて……まさか、金を毟り取ろうなんて考えていませんよね!)  沸々と怒りが込み上げてきた。  自分だけなら大人しく従って仕事を辞める道もあった。  しかし将満をけなされては気持ちが治まらない。あんな素敵な人をクズ同然の人達にけがされたくなかった。  ポケットにそっと手を当てた。キーホルダーが指に触れた。  アメシストは心を安定させ、安眠に導いてくれる力を持つ。他にも浄化の力があり、魔除けにもなると聞いた。 (私に……勇気をっ!)  キーホルダーをギュッと握った。  不思議な暖かさが伝わってくるようだ。  いや、力が湧いてくると思えばそうなる。大丈夫と思えば大丈夫なのだ。 (将満!)  心の中で名を叫ぶと、キッと表情を引き締めて部長を見た。 「昨日、私と情シスの士門氏は、コンビニで一色氏と御園係長に会いました。ですが、トラブルはありませんし、暴行の事実もありません。先ほどから『けがを負わせた』と言われて居ますが、全く心当たりがありません」 「なんだと!」  係長が色めき立った。  机をバンッと両手で叩き、身を乗り出してくる。  それを冷静に聞き流し、一歩大きく前に出た。  背筋を伸ばし、凜とした表情で係長を見てから一色の顔を真正面から見据えた。 「一色氏は大学時代の知人で、この場の誰よりも私のことを知っています。しかし、私の性癖を始めプライベートがどのようなものであろうと、それは職務に一切関係ありません」  きっぱりと言い切った。  経理課長、係長、営業部長、営業第一課長ら、上司達をグルリと見回し、すぅっと息を吸い込んでから腹に力を込め、声を張った。 「私は会社やお取引先様に迷惑をかけるようなことは一切していません。もちろん情シスの士門も、です!」  証拠なんてない。  言った、言わない。やった、やっていない、の水掛け論になるだろう。  しかし、暴行事件なんて存在しない。これは絶対だ。 (大丈夫。大丈夫って信じていれば、大丈夫になる!)  アメシストのキーホルダーを握り締め、将満の言葉を思い出しながら断言した。  雰囲気がガラリと変わったせいだろうか。  一色と係長が唖然とした表情になった。 (もしかして……反論されると思っていなかった?)  だとすれば短慮が過ぎる。 (過去の写真をチラつかせれば泣いて許しを請うとでも思った?)  それはあまりに幼稚だ。そして、一色に乗った係長も浅はかだ。  もし、乗らざるを得ない理由があったとしても同情はしない。 (私は私と将満を守ります!)  堂々とした態度で部長達の言葉を待った。  無言で見詰めてきた総務部長は経理課長に視線を送った後、なにやら小声で話を始めた。時折、営業部の方をチラリと見ている。 「……」  流れが変わってきたと感じたのか。  一色の表情が曇り、机の下で足が小刻みに揺れ始めた。思い通りにことが進まなかった時に苛立ちを抑えられないのは変わっていないようだ。  このまま引き下がる一色ではない。一体、どんな行動に出るのか――。  息を飲んで一色を見詰めた。 「御社は土門さんの言葉を信じるらしい。こうなったら信じていい人間かどうか、判断してもらうしかないかなぁ」  一色がシュッと指を動かした。  スマホの画面を素早く操作し、やがてクククッと喉の奥で笑いながら指を止めた。 「部長さんも身辺調査をちゃ~んとしてから昇進させた方がいいね。『とっても優秀な土門主任』がどんな人間なのか……誰も知らないんだから」  ウクククッと下品な笑い声を上げながら一色が立ち上がった。人を陥れる瞬間を待ち望む卑劣な笑みで会議室内の全員を見回す。 (まさか……、今、ここで私が自慰させられている写真を!)  撮られた写真の枚数なんて覚えていない。  それら全てをスライドショーのように披露するつもりなのかもしれない。 (そんなことされたら……)  人としての尊厳なんてあったものではない。思わず叫びそうになりながら一色を見た。  楽しくて堪らない、という表情の一色が手を翻したその時だった。 「おおう! 情シスや~! 邪魔するで!」  某府の警察署の真似事のような声がした。TV番組よろしく、バ~ンと扉が開けられて何人もの人がなだれ込んできたかと思うと、彼らは一斉に一色に掴みかかった。 「なななな、なにを! 貴様等ぁ!」  入って来たのは警官と警備員だった。  絶叫する一色を警官が二人がかりで抑え、別の一人がスマホを持つ腕を掴んだ。 「これは、一体……」  この展開は総務部長も予想外だったのか、驚きの声を上げて立ち上がった。 「間に合った~」 「将満!」 「遅れて悪かったな。大丈夫か?」  いつものようにパンッと張り詰めたシャツで身を包み、袖を捲り上げた将満が駆け寄ってきて抱きしめてくれた。 「だ、大丈夫ですが……あの警察官は?」 「あ~、まぁ、そういうことだ」 「どういうことですか?」  ヘヘッと笑う将満と一緒に、警官達の捕り物劇を見詰めた。  警官達は一色のスマホを取り上げて「証拠品」として袋に入れ、同時に手錠をかけた。さらに、営業第一課の係長にも張り付いて「ご同行願います」と言っている。  逮捕の瞬間だ。こんなことが本当にあるのだ、と息も忘れて見入ってしまった。 「みんな、朝から悪いね」  混乱している所へ社長が入って来た。思い詰めた表情の秘書二人も一緒だ。 「では、失礼します。また後でご協力をお願いすることがあると思いますが、そのときはよろしくお願いします」  警官達が社長に言ってから一色と係長を連れて会議室から出て行った。  警備員達が警官を先導していく。 「……」  里斗は将満に抱きしめられたまま去って行く一色達を見送った。  訳が分からないが、最大の懸念事項が消えて全身から力が抜けた。 「説明するから座って欲しい」  社長の言葉を合図に、皆が椅子に座った。  将満は社長に促されてプロジェクターを用意し始めた。  事の次第はこうだ。  まず一年前――。  営業第一課の御園係長に不正経理や小口現金の横領疑惑が浮上した。  社内で調査を進めた結果、過剰な接待に使う金を工面していると分かった。  さらに当時の経理課主任が手を貸していたことが発覚。経理課主任は上層部からの指摘をあっさり認め、退職を選んだ。 「私が昇進したのって……」 「そうだ。前任者の退職が急な上に、そういうことだったんでね。打診も研修もなく君を起用して申し訳なかった。でも実力は充分あると判断しての起用だ」  社長の言葉が胸に染みた。思わず「ありがとうございます」と頭を深々と下げた。 「土門君が経理主任になってから不正はピタリと止まったよ。ただ、接待の噂は続いてね」  社長が言葉を切り、代わりに将満が話し始めた。 「数ヶ月前、会社の端末でオンラインカジノにアクセスしている者がいると発覚しました」  言わずもがな係長だ。  経費を横領できず、自腹接待も難しくなった末のことだろう。  しかし、オンラインカジノに手を出した者がどうなるかなんて想像に難くない。 「庶務の方から『消費者金融からの電話を繋がらなくして欲しい』という依頼が情シスに来るようになってね。理由の説明は要らないな」  こうしたことから、会社が貸与しているスマホのログや位置情報を上層部の一部で管理・共有するようになったそうだ。不可解な動きは全て記録しているという。 「……それでは昨日、私がコンビニに居たこともチェックされていた、ということですか?」  おずおずと尋ねると社長が頷いた。 「あぁ。御園係長は夜によく動いていたからね。昨日は珍しく土門君が一緒で驚いたよ」 「一緒というか、本当にたまたまで……」 「士門君が血相変えて飛び出して行ったのもびっくりだったね」  社長の言葉に合わせて将満が映像をスクリーンに映し出した。 「これ! コンビニの……防犯カメラ?」 「あそこの店長、喧嘩だの薬の売買だのに悩んでいてな。外の防犯カメラを音声も拾える高性能なカメラに変えてたんだ」  映像が再生される。  一色が「飲みに行こう。経費で落とせるだろ」と言っているのが聞こえた。  逃げられないように腕を掴まれたのも写っていた。 「……昨日のやりとりですね」 「証拠映像だ。この先が凄いぞ」  将満が意味深に言った。この先というのは、里斗と士門が去った後だ。 「いいことを思いついた」  一色の笑い声が聞こえた。続けて 「暴行されたことにして、治療費を請求しよう」 という言葉も聞こえた。協力すれば分け前を渡す、と係長に持ちかけていた。係長がそれに応じる声も記録されていた。 「暴行どころか詐欺か……」  営業部長が頭を抱えた。  それを見て静かに頷いた社長が視線を合わせてきた。 「話しづらいかもしれないが、一色氏とはどういう関係か聞いていいかな」 「大学時代のバイト先の先輩です。一時期、私の……」  恋人でした、と言いかけたが社長に遮られた。それ以上は言わなくていい、と視線で告げられた。  山咲貴金属はオフィス機器のリースや保守の契約で営業とやりとりしているが、一年ほど前に一色が窓口になったらしい。 「先方からは『新規店舗起ち上げにかかる契約を丸ごと任せる』という話が来ていました」  営業第一課の課長が言った。  どうやら、そういう話で係長を釣り、さまざまな接待をさせていたらしい。 「山咲貴金属側でも一色氏の言動を問題視していてね。先方とも対策を話し合っているところだ」  社長と山咲貴金属の社長はゴルフ仲間だ。  先日の温泉旅行の時も一緒にプレイしていたらしい。 「他にも、一色氏に性的な接待を強要された、という従業員が複数居てね。弁護士と相談して被害届を提出済みだ」  まぁ、次から次へと問題が出てくるものだ。 (だからさっき、警察がスマホを取り上げたんですね)  営業第一課の係長といい、一色といい。悪行を積み重ねてきた結果と言っていいだろう。 「警察からオンラインカジノの捜査協力依頼も来ていて、御園君を止めることも君たちに話すこともできなくて申し訳なかった。必ず社長名で全従業員宛に文書を出すし、この場に居る者達には詳細を説明する。だから、もうしばらく口外しないで欲しい」  社長の言葉に小さく頷いた。  驚いたし、とんでもない事態に巻き込まれたが、なんとかホッと一息吐けそうだ。 「……」  全身から力が抜けた。  机に突っ伏しそうになったところを将満に支えられた。 「大丈夫か? 一緒に居たいなんて言っておきながら、なにもできなくて悪かった」 「いいえ。そんなことないですよ」  温泉旅行のアメシストのお陰で言い返す勇気と力が湧いた。 「大丈夫って信じてれば、大丈夫になるんですね」  貴方が「大丈夫にしてくれた」と笑いかけた。  将満が感極まったような表情になって、ガバリと抱きしめてきた。分厚い胸板から温もりと、やや早い拍動が伝わってくる。 (この暖かさと力強さ……ホッとします……)  うっとりしてしまう将満の抱擁に動けずにいると、後ろの方から咳払いが聞こえた。 「おやおやおや?」  社長の声だ。  ハッとして将満を押しのけようとしたが、ピクリとも動かない。 「社長、俺、二十四時間ぶっ通しで働いてんデスよね」 「今日はもういいよ。ここのところずっと振り回して悪かったね。助かったよ」 「里斗もいいよな? 恫喝されて心身共に疲れ切ってる」  そう言った将満は、総務部長や経理課長に何度も「な?」と同意を求めた。 「そうだな。土門主任には有給休暇を取ってもらわないと会社が困る」 「今年度に入ってから、まだ一度も取得していないのでは?」  総務部長と経理課長が話し合い、急遽、有給休暇が決まった。 「えっと、あの……」 「ゆっくり休みたまえ。連休でもいい」  総務部長に言われてしまうと休むしかない。  曖昧に頷きながら、混乱する頭で必死に状況を受け入れようと努力する。そんなところへ、経理課長が爆弾発言をしてくれた。 「さっきはいい言葉を聞いたなぁ。『私は会社やお取引先様に迷惑をかけるようなことは一切していません。もちろん情シスの士門も、です!』だったかな。自分の仕事に自信を持ち、仲間を信じる主任。いやぁ、昇進させて正解だった」 「里斗、そんなこと言ったのか?」 「え、あの……言った? いえ、どうかな?」  視線が泳いでしまう。歯切れの悪い言葉で誤魔化そうとしていると、突然、体が浮き上がった。 「よ~し! 俺のこと信じて正解だって証明してやる!」 「証明って、その、あの、ちょっと!」  将満にお姫様抱っこされたまま会議室を出ることになってしまった。  そのまま廊下をガンガン進まれてしまって、もう恥ずかしいどころの騒ぎではない。 「待ってください! 将満っ!」  上司全員に関係がばれ、さらに大勢の従業員の前で仲睦まじさを披露するなんて生きた心地がしなかった。 「いいや、待たねぇ! もう付き合ってるも同然だろ!」 「あの、それは無理なんです!」 「心は繋がってるのに?」  なんという事を言ってくれるのだろう。  恥ずかしい台詞なのに、嬉しくなってしまう言い方なのが困ってしまう。 「駄目です。付き合えません! 私と付き合うなんて、時間の無駄なんです」 「どうして!」 「だって……私、ロングスリーパーなんです。十時間以上寝ないと体調崩してしまうし、不機嫌な自分を止められなくて恋人にも酷い態度を取ってしまうんです」  頭を下げ「無理なんです」と繰り返した。  将満がピタリと足を止めた。 「なんだ、そんなことか」 「そ、そんなこと? 大問題でしょう! 私は恋人より睡眠を優先する人間ですよ。一緒に夜を過ごせないんですよ。仕事と睡眠で一日が終わる人間です! あの、その、あっちのことだって……」  恋人として甘い時間を過ごすことができない。先日の温泉は非常に特異な一日だったのだ。 「だったら、俺と付き合って正解だ」 「はい?」  意味が分からない。  眉間に皺を寄せて見返すと事もなげに言われてしまった。 「俺は三時間寝れば充分だからな。俺が里斗に合わせれば大丈夫。だろ?」 「さ、三時間!」 「ショートスリーパーって奴? まぁ、お陰で子どもの時は『全然寝ない変な子』『脳がおかしいんじゃないのか』って親にまで気味悪がられたよ」 「……三時間でいいなんて……羨ましい」  そう言ってから、ハッとした。  どんなことであれ、特異な体質は悩みの種だ。周囲と衝突する原因にもなる。それを羨ましい、なんて言って良いはずがない。短慮が過ぎた。 「すみません。軽率でした」 「はは。気にしねぇよ。それより本心を聞かせてくれないか?」  横抱きのまま将満が頬擦りしてきた。期待感に道が表情がまぶしい。  十時間も眠る二十一時のシンデレラが頬擦り好きのマッチョな王子に返す言葉……。 「ほ、本当は……好きです。つ、つつつ付き合って、欲しいです」  言いながら全身がカァッと熱くなるのを感じた。  恥ずかしいが、このまま抱きしめて離さないで欲しい。 「もちろんだ。時間は二人で一緒に作ればいい。問題があるなら話し合って解決の道を探ればいい。そういうことができる仲でいよう」 「はい……」  頷いてから、じっと上目遣いで将満を見た。 「なんだ?」 「あの……、その……、まず誤配の荷物なんですが」  今更だが、全ての元凶とも言える問題がまだ解決していなかった。 「アレがどうした?」 「アレ……か、返してください」  あまりの恥ずかしさで語尾が消えてしまう。 「……アレ返したらナニするつもりだ?」 「な、なにって! べ、別に!」 「アレは返す。でも、俺の方が良いってことを覚えてもらわないと辛いなぁ」  そんなことは言われなくても分かっている。  ただ、将満の手の中にあると思うと恥ずかしくて堪らないのだ。 「まず同棲しよう。もっと会社に近いマンションがいいな。そうすりゃ、仕事も睡眠もアッチもベストな状態に保てるだろ? 保守管理は任せろ」 「ど、同棲ですって?」  飛躍しすぎる将満を止めようにも止まる訳がない。  羞恥と焦りで混乱しながらも、高揚する気分を抑えきれずにマンションまで運ばれた。 「このまま俺の部屋へ行ってもいいか?」 「……は、はい」  部屋に入った後、どうなるのか。  抑えきれない期待に体を熱くしながらも、幸せな思いを噛みしめるのだった。

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