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日常の変化9

「……十川さん」  落ち着きを取り戻して彼の名前を呼んだつもりだったけれど、それでも声が震えてしまう。   「ん?」 「ありがとうね」 「え? ……あ、良かったです。正直邪魔したかな、とも思ってて。でも俺が望月さんをひとりにしたくなくて」  僕にお礼を言われるとは思っていなかったのか、たったの一言で今度は彼が動揺していた。  ずっと僕に気を遣ってくれて、どこまでも優しい人だ。  僕が、宗治郎さんへの想いや、宗治郎さんと清水さんのことでこうなっているとは知らないだろうけれど、関わり始めたばかり頃に「言えばすっきりするかもしれないのに」とそう伝えてきていた彼とは大違いだ。  今なら彼に言っても良いかもしれない。  僕がしたことや、宗次郎さんへの想いを聞いて受け止めてもらえたら、少しは楽になれるかもしれないとすら思ってしまう。    そもそも、僕が男性を好きだと伝えたらどうなってしまうのか、という根本の悩みについて彼は何も言わずに聞いてくれそうだ。  接点を持ったばかりの頃には考えられなかったことだけれど、これまで関わってきた中で、十川さんの人柄を知った今はそんなことを思う。  気持ち悪いとか、俺も恋愛対象に入ってる? とか、そういうことも言わずに、ただただ「そうなんですね」と、当たり前のように接してくれるんじゃないかなって。  まあ、実際に伝えてみない限り、僕の願望でしかないのだけれど。  ……じゃあどうして、宗治郎さんには言えないのだろう。  僕の気持ちを伝えた結果、関係が終わってしまうことを恐れたり、これまで重ねてきた時間を彼が消したい過去として認識してしまうことへの不安を抱いてしまうのは、どうして?  宗治郎さんこそ、僕を傷つける人ではないと分かっているはずなのに。 「あっ……」 「望月さん?」  ……ああ、分かった。僕が、僕が抱く相手への好意に自信がないからか。  同性に告白されることが相手の重荷になるだろう、そしてそれによって自分が傷つきたくないと、宗治郎さん側のせいにしているだけだ。  最初から実ることは諦めていてそれを克服する努力もせずにただ流れるように時間を過ごし、傷つきたくないからと一方的に自分の中で最もな理由を付けて終わらせようとし、それにぐだぐだと縋っているだけなんだ。  まず僕自身のことを信じて認めたうえで、そんな僕が好きになった相手に全力で向き合えるようにならない限り、誰かを好きになっても同じことの繰り返しになって終わるだけだ。  宗治郎さんのように諦めて、距離を置いて、結局告白をしていないのに関係性が変わってしまう、変えてしまうなんて、何の意味もない。 「……十川さん」 「ん?」 「泣いてしまったのは、嫌なことがあったからじゃないんだ。色んな感情があって、それをうまく整理できなかったから。でも、十川さんが来てくれて、それで安心した。だから緩んで泣いてしまった。でも、泣けることで整理できる感情があると思うから、泣けてよかったと思う。寄り添ってくれて、泣かせてくれてありがとう。おかげで大切なことに気付けたよ」  十川さんに感謝の想いが伝わるよう、震えながらも最後まで言いたいことを伝えた。  十川さんがいてくれたから引き出された気持ちがあるし、その気持ちのおかげで気付けたことがたくさんあるから。 「ええ? そうです、か?」  彼は驚いたり少し恥ずかしそうにしながらも、最後まで遮ることなく丁寧に聞いてくれた。 「えっと、望月さん。こちらこそありがとうございます」 「え? どうして十川さんがお礼を言うの……?」 「うまく言えないんですけど、なんというか、まず俺をそばに置いてくれたことが嬉しかったんです。それに俺がそばにいたことが望月さんにとって良かったと、そう言ってもらえたことも、……うん、すごく嬉しかったから。俺のほうこそありがとうございます」 「……う、ん」  まさか彼にお礼を言われるとは思っていなかったから、まともな言葉を返せずに黙り込んでしまった。  そんな僕を見て、しばらくの沈黙の後に彼がくすりと笑う。 「とにかく俺は、このタイミングで来て良かったです」 「……うん、僕も来てもらえて本当に良かった」 「やばい、なんか素直に言われてしまうと照れますね」 「……僕はいつも素直じゃないからね」 「うっ、そうじゃあなくて」  十川さんを見てふっと口角を上げると、同じように彼も笑った。  何年も一緒にこうして過ごしてきたわけでもないのに、彼の影響は僕にとって大きいものだと感じた。  本当、変なの。知れば知るほど良い人に思えてくる。 「引き止めすぎちゃったね。ごめんね。十川さんも残業頑張ってね」 「はい、望月さんも。あ、帰る時は一応教えてくれますか? もし同じくらいになりそうなら、駅まで一緒に帰りましょう」 「ふふ、うん。分かった」  手を振りながら戻る彼に、僕もつられるように振り返した。  自覚できたことがあるからと言って、宗治郎さんへの想いがすぐにどうにかなるものではないし、僕自身が変われるわけでもない。  これまでの考えや価値観はすぐに変化しないことは当たり前に分かっている。  それでも、十川さんと一緒にいると新しい自分に出会えそうだし、そういう自分を素直に認めていくことから始めたいと思った。

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