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バレンタイン4

「望月さん」 「うわあ!」  もうすぐで自分の部署に着く、というところで突然背後から名前を呼ばれた。  ただでさえ落ち着かない中で名前を呼ばれたものだから、驚いた僕は躓いて姿勢が崩れた。 「驚かしちゃいましたあ? すみませ〜ん」  振り返ると、名前も分からない若い女性がそこにいた。名札をかけていないから、咄嗟に確認することもできない。  見かけたことがあるような、ないような。  それくらいの関わりしかないのに、僕に何の用だろうか。  わざわざここで待っているくらいなのだから、よほどのことなんだろう。  さっきまで十川さんのせいで激しかった心音を一気に塗り替えられ、それについてはこの女性に感謝した。 「どなたですか? 僕に用事……?」 「私、園田って言います」   「……っ」  今、一番敏感になっている名前かもしれない。  十川さんに、あのチョコを渡した人に違いない。何人も同じ名字の若い女性がいるはずもないし。  園田さんは、ゆるく巻かれた髪と、綺麗にカールした睫毛が印象的な女性だった。  口と目元にあるほくろと、声が艶っぽくて、たったそれだけのことで彼の隣にいてほしくないと感じた。  身体のラインを強調しているように見える服装にも、彼女が動く度に揺れるフリルにも、勝手だけれど腹が立つ。 「初めまして、ですよね?」 「急に声をかけてすみません。十川さんのことでえ〜」  それ以上はこちらから尋ねていないにも関わらず、彼女は言い淀むことなく十川さんに対する思いを語り始めた。  同じ部署ではないが、最近彼との関わりが増えて気になっていること。彼にも好かれているような気がすること。  バレンタインを機に、彼との関係を進展させたいこと。チョコをもらうときも笑顔を見せてくれたから、あと少しで落とせそうなこと。  思わず、ため息が出るような話ばかりで、何も共感的に聞くことができなかったけれど、それを僕に伝えて協力を依頼するつもりなのだとすぐに分かった。  ……絶対に嫌だけれど。 「十川さんってチョコたくさんもらってましたよねえ? 望月さんも見ましたあ?」 「……まあ、はい」 「私の、ピンクのラッピングでリボンとか付けていたんですけど、彼何か言ってましたあ?」   上目遣いで、瞳をキラキラさせながら、彼女が僕を見つめた。  どうしたらこんなに目に光を集められるのか。  うっかりそんなことを聞いてしまいたくなるくらいに、彼女が輝いて見える。 「何か……」 「はい、何か言ってませんでしたあ?」  十川さんの言葉を思い出してみると、雑って意味ではないけれど、適当に選ぶと言っていたくらいしか浮かんで来なかった。  でも、それが全てだよね?  けれど、彼の発言をそのまま彼女に伝えられるわけがない。  僕としては、あなたに脈はなさそうだから勘違いしないようにと、嫌味のひとつでも言いたくなってしまっているものの、勝手に十川さんの評判を傷つけたり、園田さんを悲しませる権利はないし。 「……ごめん、分からないや」  こう答えておくことが、今は一番良い気がする。  園田さんは両手の指先を合わせ、少しだけ首を傾けると「ふう〜ん」と言って、彼女の目から光が消えた。 「望月さんって十川さんと仲良しだって噂があったから、何か知ってるかなあと思ったのになあ。なあんだ、残念。聞く意味なかった〜」   「え?」 「仕方ないかあ〜。また何かあったら教えてくださいねえ。今日の話はみんなには内緒だけど、十川さんには私が気にしていたことを伝えてもらっても構わないんで〜」  一方的に言いたいことを言い終えた彼女は、ひらひらと手を振りながら僕に背を向けた。  数年しか変わらないとはいえ、他部者の先輩に対してこの態度はないのでは?   けれど、そんなことよりも、彼女が十川さんにアプローチしていくことが何十倍も嫌に思える。  勘違いしすぎじゃないか?  彼にも好かれている? もう少しで落とせそう?  十川さんはそんなこと、全く言ってなかったのに。  それとも、彼が嘘をついたの? あるいは、今は興味がなくても、彼女に関わることが増えていったら、好きになってしまう?   「全部、嫌だ」  少し前のドキドキは全て消え去り、黒いものが胸いっぱいに広がった。   無意識に歯を食いしばっていることに気づき、頬に手を当ててぐりぐりと押す。    今から仕事なのに、さっきまで会っていたのに、それでも無性に十川さんに会いたくなった。

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