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バレンタイン5
◇
「望月さん!」
「あっ、十川さん……」
仕事を終え大きく伸びをしていると、入り口のところで十川さんに呼ばれた。
隣の西山さんがニヤニヤと笑い、「仲良しじゃ〜ん」と肘でつついてくる。
今までいくらでも言われてきたような内容なのに、今日はどうしてか恥ずかしくてたまらなくなった。
西山さんから視線を逸らし、大袈裟に音を立てながら片付けをする。
「……仲良しですよ! 西山さんって、もうずっと僕たちのやりとり見てますよね? 何回揶揄うんですか、慣れたらどうですか」
「おっ、早口〜! 怒っちゃって可愛い〜! すっかり犬派になっちゃって」
デスクの書類を片付け終え、残りを鞄の中に突っ込んだ。
猫派だの犬派だの、ちょっとうるさい。
「僕は変わらず猫派ですって!」
「じゃあ十川犬は特別ってこと?」
「十川犬? 十川さんに失礼ですよ!」
「おお〜、怖い怖い」
スルーすれば良いのに、ムキになって返事をして余計に恥ずかしいじゃないか。そう自分にツッコミを入れながら、変わらず西山さんのほうを見ることができない。
後はもう鞄を持って出るだけなのに、どんな顔をして十川さんのところに行くべきか分からなくなった。
「……そもそも、猫とか犬とかという話ではないと思いますけど」
「何の話ですか?」
僕と西山さんがダラダラと話しているからか、十川さんがこちらにやって来た。それから僕の肩に顎を乗せる。
「望月さん、何の話? 犬派か猫派かって?」
西山さんもいるのに、十川さんは西山さんのほうは見ずに、至近距離から僕を見つめる。
少し首を傾ければ、彼の唇が僕の頬に触れてしまいそう。
想像してみると一気に熱が上がり、瞬きの回数が増えた。
「ねえ、十川くん。それ、私にもやってみてよ」
「それ?」
「肩に顎乗せるの」
「え、嫌ですよ」
パッと僕の肩から離れた十川さんが、心の中底から嫌そうな声を出す。
「やっぱり十川犬は飼い主の望月くんにしか懐かないのか〜」
「逆にそれって犬って言えるんですか? 犬ってみんなに懐くんじゃないんですか?」
「いや、犬は愛嬌はあるけど、飼い主が一番だよ。何言ってんの」
「だからふたりとも、何の話してるんですか?」
「もういいって。行こう!」
十川さんの手首を掴み、急いでその場を離れた。
数十秒後には自分のしている行為を自覚して、軽くパニックになったけれど、今さら離せない。
望月さん? と、十川さんが不思議そうに僕の名前を呼んだけれど、それも無視して一度も振り返ることなく会社の外に出た。
まだひんやりとした風が僕の頬を冷まし、それから呼吸も落ち着かせてくれた。
「ごめん、何も言わずに引っ張っちゃって」
「良いですよ。ついでにこのままにしときますか」
十川さんが、僕の手を握る。
「手、繋いでたんじゃないんだけど」
「ダメだった?」
けらけら笑いながら、あっさりと手を離した十川さんが、スマホを取り出した。
「今日もご飯行きますよね? 店、どうしますか?」
「うん、行く。いつもの定食屋でどう?」
「良いですよ」
最近は週末の仕事終わりに、十川さんと食事に行く機会が増えた。
毎週末ではないものの、わざわざしっかり予定を立てずとも当たり前のように行く流れができている。
それでも、今日の昼食時にその話が一切出なかったから、てっきり今晩はないものだと思っていた。
「今日は何食べます?」
「エビフライとハンバーグの定食かなあ」
「ははっ、やっぱりね。う〜ん、俺は何にしようかなあ」
隣を歩く十川さんを見ると、それに気づいた彼に爽やかな笑顔を向けられた。
思わず笑みがこぼれるほど、特別な何かがあるわけでもないただの定食屋なのに。
そういう表情を見せてくれると、僕との食事を楽しみにしてくれているように思えて嬉しくなる。
今日は、昼の休憩で分かれてから、すぐに十川さんに会いたい気持ちがあった僕としては、こうして店に向かって歩く時間すらも楽しい。
「今日は望月さんも何も言ってなかったし、約束もしていないから予定は入れなくて良いか」ではなくて、行く前提で迎えに来てくれたことも嬉しかった。
身体が軽やかになって、ふわふわとした感覚がある。
スキップしたいくらいだ。
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