70 / 110
温めたい気持ち7
「宗治郎さんがどうしたの?」
俯いたままの十川さんの肩に触れると、彼がゆっくりと顔を上げた。
視線が数秒合った後、勢い良く手を引かれ、バランスを崩してしまう。
そのままベッドに押し倒され、十川さんが僕を見おろした。
「……十川さん?」
「俺のこと、楽って呼んでよ」
「え?」
「俺も楓さんって呼びたい」
頬は赤いし、変わらず酔っているままだろうに、それでもはっきりとそんなことを言う十川さんに驚いた。
覆い被さるように体重をかけられ、十川さんの体温が伝わってくる。
アルコール臭を含んだぬるい息が耳にかかり、なんだか緊張してしまった。
これまでもそれなりに近い距離にいたことはあったけれど、これは今までとは違う。
彼も酔っているし、本心なのか、そうじゃないのかも曖昧だから。
「楽って、呼んでほしいんだ……?」
彼に意地悪を言ってみた。
僕が何を言っても何をしても、どうせ明日になったら忘れているはずだし、たまには良いだろう。
「うん、呼んで」
意地悪を言った僕に、十川さんは甘えた表情で素直に返事をする。
普段なら逆の立場だろうに、こういう一面もあるんだなあ。
「……十川さんって、酔うとけっこう可愛いんだね」
くすっと笑うと、十川さんが拗ねたようなに口を尖らせた。
「あんたは酔ってなくても可愛い」
「ええ〜?」
彼からの急な可愛いに動揺し、視線を逸らすと、片手で頬を掴まれた。
「こっち向いて」
「ねえ、十川さん。……酔ってるんだよね?」
「酔ってるかもね」
「かもねって。酔ってるでしょ」
さっきよりも言葉がはっきり出てくるようになってきているものの、いつもの十川さんが纏う空気感とは違うから、確実に酔っていると思う。
ただ、どれだけ意識があるのかは分からないけれど。
でも、明日になっても覚えていない可能性があるのなら、曖昧にできるのなら、僕も少し大胆になってみても許されるだろうか。
「十川さん……」
彼に向かって手を伸ばし、それから背中に手を回す。
ぎゅうっと抱きつくと、耳元で彼が驚いた声を出した。
僕がこんなことをしたから?
……それとも、嫌だったから?
分からないけれど、でも、こうして介抱してあげたのだから、やっぱりこの我が儘を許してほしい。
「嫌……?」
「なわけないじゃん」
十川さんは僕の横に寝転び直すと、僕の頬に優しく触れ、それから抱きしめてくれた。
煙草と汗の匂いに、自分の家の柔軟剤の香りがする。
思わず、「好きだよ」とそう言いたくなったけれど、それは曖昧にしてほしくないから我慢した。
その代わり、背中に回した手に力を込める。
忘れないで。僕がこうしたことも、十川さんが受け入れてくれたことも。
指先からでも、気持ちが伝わったら良いな。
でもそんなこと、叶うわけないのにね。
好きな人と、こんな雰囲気の中で抱きしめ合えることは、今後もうないのかもしれない。
貴重な経験だ。ここまで酔ってくれた十川さんに感謝しないと。
「十川さん」
「ん?」
「名前呼びしたいって言ってくれたことも、こうして抱き合ってることも、起きたらどうせ忘れてるよね」
言いながら、悲しくなった。
きっと僕だけが覚えていて、今後も僕だけが取り出して、この思い出を大切にしていくんだ。
「忘れてるかも。ごめん。でも毎日あんたのこと可愛いって思ってるから、それは忘れない」
「……はいはい」
「楓さん」
首筋を吸われ、それからまた視線が絡む。
十川さんと付き合ったらと考えたとき、今でも充分恋人のように過ごせているじゃないかと思ったこともあったけれど、それは全然違う。
こうして視線が絡めば、自然と顔が近づいて、その先にはキスがある。
重なり合う体温も、服越しでは足りなくなって、もっと深い関係を望んでいくのだろう。
愛おしそうに名前を呼び合って、お互いへの気持ちに確信を持ち合うんだ。
僕のことをどう思っているのかな、と不安になることもなく、安心して見つめて、安心して抱かれるの。
「楓さん、キスして良い……?」
「しても良いけど、今じゃない」
彼の胸に頬を預けると、早い鼓動が伝わってきた。
これだけドキドキしてくれているのに、その真意が分からないのがもどかしい。
もしかして、僕ほどではなくても、彼も僕に好意を抱いてくれているのではないかと、錯覚してしまう。
それならもし彼が覚えていても、僕にキスしたことを後悔しないだろうか。
でも、彼に後悔されたら、その姿を見た僕は深く傷つくだろうな。
そう考えると、やっぱり今じゃないよね。
「いつならいいの」とそう言った彼が、それ以上何も言わなくなり、しばらくすると僕にかかる重みが増した。
控えめな寝息が聞こえ、それが魔法が解けたように僕を冷静にさせる。
目が覚めたら、彼は何も覚えていないだろう。
でもそれで良い。十川さんとは長く付き合っていきたいから。
十川さんの腕からすり抜け、彼をベッドの端に転がした。
それでも起きることのない彼の寝顔を見ながら、頬にかかっている髪を耳にかけた。
「寝顔もかっこいい。……好き」
指先で、彼の頰をつつく。それでも一切起きる気配がない十川さんを見て、どうしても触れたくなった。
「これくらいは、許されるかな」
赤いままの彼の頬に、僕は唇を押し付けた。
ともだちにシェアしよう!

