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駆け引きなんか知らない4

 不安や緊張でどうにかなりそうなのに、楽は21時を超えても帰宅しなかった。  本当に忙しいのかもしれないとも思ったけれど、少し前に井上さんに聞いてみたときは、今はそうでもないと言っていたから、残業ではないはずだ。  どこかで食べて来てる? だから遅いのか?  暑さから水分をよくとっていた僕はどうしてもトイレに行きたくなり、いったんマンションを出ると、近くのコンビニへと急いだ。  この間に楽が帰って来ていたらどうしようと焦りながらトイレを済ませ、何も買わないで出るのは良くないからと飲み物を購入した。    戻ったタイミングで誰も出入りする人がおらず、マンションの外で待つ。  夜になり日差しがなくなったことで、外でも過ごしやすい気温にはなっていたけれど、それでも暑く感じて地面に座り込んだ。  楽はもう帰って来てしまった? それともまだ? まだなら、いつ帰ってくるの? 「会いたい……」  ぼろぼろと涙が溢れ、止まらなくなる。  ポケットからハンカチを取り出し、目元に当てると、そのまま膝を抱えて座り直した。    楽と幸せになりたいなんて贅沢なことは願わない。前と同じように週末を一緒に過ごせなくても構わない。  ただ、こんなふうに無視されることもなく、すれ違ったら挨拶ができる、そんな関係で良いから戻りたい。  僕はスマホを取り出すと、楽へ電話をかけた。  メッセージもまともに返ってこないのだから、電話したところで出てくれないのは分かっていた。  それでも会えないならせめて、楽の声が聞きたい。  僕がまた気持ちを整理できたら、そうしたら元に戻れるのかな。 「……楓さん?」  コール音が5回鳴ったところで、スマホから僕の名前を呼ぶ声がした。  まさか出てくれるとは思っていなかったから、それにまた涙が出て溢れ出す。 「え、泣いてる……?」 「楽……、何で僕のこと、避けるの?」 「……いや、忙しいだけで、別に避けているわけでは」  電話に出てくれた癖に、そうやってまた嘘をつく。 「でも井上さんは、そうでもないって、言ってたよ」 「井上さんはそうかもですけど、俺は忙しくて……」 「いつまで? まだ会社なの?」 「いや……」  言葉を濁した楽の近くで鳴っているだろうサイレン音が、電話越しに聞こえた。  会社内にいれば聞こえないくらいの大きさで、それだけで楽が外にいることは分かった。  楽のこと、大好きなのに、今はすごくイライラする。  宗治郎さんたちと突然食事することになったあの日、楽は僕のことを「自分がほしいものをがむしゃらに追いかけてぶつかることはしないで、何歩も引いた先で、誰かの幸せの下でしか自分の幸せを考えられない」と言っていた。  それから、「そうじゃない望月さんも見たい」「いつか望月さんのどうしよもうない止められない気持ちを引き出してみたいですね」「もし俺が引き出したらそのまま委ねてくれますか?」とも。  僕のことを好きだから言ってくれたわけではないと分かっているけれど、それでも楽は、これまで一緒に過ごしてきて一度も、僕が楽のことを好きになる可能性を考えなかったのだろうか。  あれだけ一緒に過ごして、僕のことを彼なりに大切にしてくれたり、僕が彼にしたことを喜んでくれたり。  そういうことを積み重ねた先に、僕が楽のことを好きになる未来は見えていなかった……?  どういうつもりで、僕に優しくしていたの? 仲良くなりたいと言ってくれたの? 「委ねていいって、言ったくせに……!」  自分でも驚くほどに大きい声が出た。  僕の前を通り過ぎていった人が振り返り、心配そうに僕を見ていたけれど、それを気にする余裕もない。  スマホを持っているほうの腕を、もう片方の手で強く掴んだ。  指が食い込み、痛みが強くなるけれど、そうでもしてなければ、もっと大きな声で叫んでしまいそうだったから。 「引き出された僕の気持ちは、どうすれば良いの!? 僕が、悪いの……? 僕が……っ!」  楽にとっては、深い意味で言ったわけではないだろうその言葉も、僕にとってはかすかな期待として残ってしまっていた。  あのときも勘違いしないように言い聞かせたのに、結局馬鹿みたいに縋っている。   「……俺が委ねて良いって言ったのは、俺に対してって話であって、他の誰かの話はしてないです」  楽は息を吐いた後、少しだけ震える声でそう言葉を返した。 「え……?」  言っている意味が分からず、さっきまでの勢いはなくなり、僕は彼の真意を考えることに頭を働かせた。  俺に対してって、何? 「俺は、ずっとそのつもりで楓さんに向き合ってましたよ。なのに楓さん、片想いしてるって、この間清水さんと楽しそうに話していたから」 「片想い……、確かに清水さんと話したけど、それは」  その片想いの気持ちが楽に伝わったから、楽は僕のことを避けているんじゃないのか?  どういうことだ? 楽との会話が噛み合っていない気がする。    僕は思わず立ち上がり、何からどう話せば良いのか、ぐるぐる歩きながら考えた。  じわりと首筋に汗をかき、それを手の甲で拭う。

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