79 / 110

楽との日々1

「楓さん!」 「お〜、良いねえ。十川犬が戻って来たって感じがして」  当たり前のように僕の部署へとやって来た楽に、西山さんが手を振る。  楽と付き合ってからの昼休憩で、楽はわざわざ僕を迎えに来るようになった。いつもの休憩室で待っていれば良いのに。  楓さん、と彼が名前で呼ぶようになったことについては特に誰も気にしておらず、迎えに来ることに対して、「また来た!」とみんなが笑うくらいで済んでいる。 「一時期さ、十川犬が来なかったことで、望月くんてばすごい落ち込んでたからね」  西山さんがコンビニで買ったサンドイッチの袋を開けながら、楽にそんなことを言った。  楽に無視されていたときのことだ。西山さんの前でも落ち込みを隠せずにいたけれど、このタイミングで言われるとは思っていなかった。 「そうなんですか? 俺が忠犬じゃない時期があったばかりに……」  楽は僕を見ながら眉を垂らし、申し訳なさそうに弱々しい声を出す。 「……ねえ、犬であることを認めるのはやめて。あと西山さんも、そんなこといちいち言わないでください」  ムッとした気持ちを声に乗せ、ふたりを睨むと、西山さんがけらけら笑った。 「おお、怖い怖い。望月くんも本調子が戻って来たね」 「怖いのが本調子って、何ですかそれ」  笑う西山さんに怒ってみせたけれど、彼女はどこか安心した表情をしていた。  もしかしたらずっと、僕のことを心配してくれていたのかもしれない。 「てか早くお昼行きな? 時間なくなるよ」 「あ、本当だ」  西山さんに言われて時計を見ると、あっという間に休憩時間が10分も過ぎていた。  僕は慌ててお弁当を持つと、西山さんに会釈して楽と休憩室へ向かった。 「楽、あのさ」 「ん? 何ですか?」 「僕のところに来すぎじゃない? お昼も休憩室集合で良いし、仕事も用事がないのにしょっちゅう来るしさ……」  休憩室のドアを開け、先に部屋に入りながら楽にそう言うと、「え、ダメなんですか?」と後ろから悲しげな声がした。  振り返って見ると、楽が思ったよりも落ち込んだ表情をしている。  拗ねて見せているとか、可哀想振っているとか、そういうことではなさそうで、それに驚きながら椅子に座った。 「ダメって言うか……。仲良くしていることは公認だったけれど、元の仲の良さのレベルを超えちゃいけない気がして。怪しまれたら嫌だし」  楽と付き合うことについて色々悩むことはあっても、さすがの僕でも楽の好意を疑ったり、僕たちの関係をネガティブなものとして受け止めたくない。  だからこそ、どうしても慎重になってしまう。  いくら僕たちがそれで良くても、周りの印象は分からないから、男同士で付き合っていると、この会社でバレて広められたくはない。 「俺はバレても良いんですけど」 「そういうことだけではなくて……」  隣に座った楽がコンビニの袋を机に置くと、すぐに僕の頬を両手で包み込んだ。 「楓さん。俺はね、こうして付き合えるまでの間もさ、職場で顔を合わせても週末にプライベートで会っていても、それでもあんたが全然足りなかったんですよ?」 「え?」  ぎゅっぎゅと頬を潰すように押しながら、僕を見つめる。 「それくらいの気持ちだったのに、恋人になれた今、我慢できるわけないですって。毎秒でもあんたのこと見ていたいし、触れていたいんです」 「毎秒は、さすがに……やばすぎる」  瞬きもせずに見続ける楽の圧にやられ、僕は視線を逸らすと、唇をきつく結んだ。  楽に言動を気をつけてほしいと思って気持ちを伝えたけれど、この様子だとそれを受け止めてもらえることはなさそうだ。  聞いてもらえないのは困るのに、でもこうして予想外の大きな爆弾を投げられたせいで、油断すると嬉しさから口が緩んでしまいそうになる。  毎秒って、何だよそれ……。楽ってそんなに僕のこと好きなの? 「楓さんは違うんだ? 結局俺のほうがあんたのこと好きなんじゃん」  楽が僕の鼻に噛みついた。噛まれたところをさすりながら睨むと、「やっとこっちを見た」と楽が笑った。  さっきから彼のペースにのまれすぎている気がする。 「……僕だって、楽のこと好きだし」  モゴモゴと小さく口を動かしながらそう呟くと、僕からの「好き」には特に反応することなく、口角を上げたままで僕を見て目を細めた。 「みんなの前で楽って呼ばないくせに?」  それからまた、意地悪なことを言う。  いつの間にか頰に当てられていた手は、僕の後頭部に回されていた。  髪の中に指を入れられ、くしゃくしゃと揉まれる。 「それは、だって……」  さっきから言い訳ばかりの僕に対して、楽は余裕そうに見えて、少しだけ腹が立ってきた。 「この部屋に入ってからは、誰もいないから俺のこと楽って呼んでますもんね。ふたりのとき限定なんだ?」 「何でそんなこと言うの」 「ほら、誰もいないですよ? 名前を呼ぶだけで良いの?」 「え?」  僕の髪に触れていた楽が、さらっとやめると、その場で立ち上がり両手を広げた。 「……ん?」  ハグしないの? と、そんな表情をする。   「ずるい」 「楓さん、おいで」  楽の甘い声と優しい態度に流され、僕はゆっくり立ち上がると、楽の背中に手を回した。  程よく厚みのある温かな楽の身体が、服越しなのに吸い付くようにピタッと重なり、溶けてひとつになっていくみたいだ。 「楓さん、可愛い」 「……うるさい」 「楓さん、大好きだよ」 「……っ」  楽が僕の耳を舐め、それから軽く首筋を吸われる。

ともだちにシェアしよう!