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第3話 こんなの俺じゃないって思うんだけど
フランツ君がだいぶ心配してくれたみたいだった。
異世界の子どもって苦労していると思う。現代日本と違って子どもは大切に守り育てるものって意識が薄くて、まだ稼げない未熟な存在として扱われていることが多い。フランツ君は両親と両祖父母と伯父と叔母と年の離れた兄と姉に囲まれて育ったけれども、一人だけ稼げない存在として、大人の顔色をうかがって生きてきたらしい。
顔色をうかがうなんて言い方、フランツ君に失礼かもしれない。フランツ君は周囲の大人の気持ちや考えをくみ取って動いている。それがまだ稼げない子どもが家族や社会に役に立つ方法だって思っているみたい。
そんな大人びた考えのフランツ君に、俺が複雑な感情を抱いていることはとっくに見抜かれていて、フランツ君は俺といるときは、俺に合わせて気楽な、俺が考えるのびのびした子どもの話し方をしてくれる。
その一方で俺の感情の揺らぎや体調をとてもよく見ていて、俺が一人になりたいときには、近所の人たちにうまく話をしてくれて帰してくれるし、俺が無為に一人でいると、やってきて何か軽い会話をしてくれる。
子どもに気を使わせて不甲斐ない。
そう思うけれども、現代日本人にこの異世界人間関係はしんどかった。そして孤独は孤独でしんどかった。
現代日本で俺は孤独なんて感じていなかった。親の期待に添えなかった不肖の息子として、逃げるように上京してからずっと一人暮らし。仕事が忙しい時なんて、1か月も2か月も職場の人以外とは顔を合わせない生活をしたりしていたけれども、エックスには冗談を言い合える人たちがいるし、ラインで軽く愚痴を言い合ったりする友達もいた。テレビの中には昔から好きだった俳優もいるし、いつ見ても面白い芸人だってたくさんいる。
それを失った孤独は、俺の保護者であり、異世界人取扱説明書を読み込んでいるタバトさんにも理解できないもののようだった。そもそもテレビもインターネットも知らないのだから、理解できるはずがない。
俺は独りだった。
異世界転移してきた人間は元の世界には戻れないらしい。別の異世界に飛ばされることもなく、元の世界に戻ることもなく、みんなこの世界で一生を終えるようだ。
異世界人が豊穣をつかさどるのは本当のようで、異世界人が降りてきて幸せに過ごしていると、自然災害が少し減って、作物がよく育つらしい。
それは異世界人が何か祈りとか超自然的な力を使って何かをする必要があるわけではなくて、ただ幸せに暮らしているだけでいいらしい。
だから、人々は異世界人の俺に優しいし、俺のことが理解できなくても理解できないまま尊重してくれるし、俺の幸せをみんな願ってくれている。
タバトさんもそうだ。
異世界人が降りてきたら、まずは発見者が王都警備に連絡をする。
俺が降りてきたあの日も、周囲の人たちは俺を気にした様子はなかったけれども、それは異世界人をおびえさせないようにという配慮だったらしく、俺が降りてくるのを見た人がすぐに王都警備に連絡をしてくれたらしい。
そして、タバトさんがやってきた。
異世界人には王都警備の担当者が一人ついて生活全般の面倒を見てくれて、そのほかにお世話係を一人か二人つけることが決まっているようだ。
担当者は初めに駆け付けた人がなるって決まっているわけではないけれども、
タバトさんに
「俺がこのまま、貴方にお仕えしてもいいですか?」
って聞かれて、俺はもちろん頷いた。
タバトさんではダメな理由なんて一個もないし、異世界生活を支えてくれる人をえり好みするなんてよくないから。
それにタバトさんはとても優しいし素敵だから。
タバトさんは俺の名前をうまく発音できなかった。
俺の「佐藤奏太朗」という名前は、「とう」や「そう」や「ろう」の部分が難しいらしく、何度練習しても「さとぅ、そたるぉ」としか言えなかった。俺もツァヴァトゥさんの名前が発音できなくて、結局俺は「タバトさん」タバトさんは俺を「ソウ」と呼ぶことになった。
俺を「ソウ」と呼ぶときの声がとても優しい。俺と話すときには俺と目線を合わせるために少しかがんでくれるし、外を歩くときにはいつも腕に掴まらせてくれる。
俺はもう石畳の上を歩くのには慣れているのに、タバトさんと歩くときだけはずっと歩きにくいふりをし続けた。
優しいタバトさんとフランツ君に面倒を見てもらって、街の人たちもみんな親切で、それでも気分が落ち込んでいく俺は良くないと思う。
元の世界には戻れないんだし、田舎の両親とは俺が男が好きだってばれてからは疎遠で、男が好きだってことがばれたにも関わらず結局恋人の一人もいなかったんだし、会ったら楽しいけれども会えなくなったら悲しい友達も、考えてみたら一人もいなかった。
だから、この世界に慣れて楽しく生きていけばいいと、そう思っている。
そう思っているのに、気持ちが沈んでいく。
こんなの俺じゃない。俺らしくないって思っている。田舎から1人で都会に出てきた時だって感じたのはわくわく感だけで、つらい気持ちなんて1個もなかったから、順応性は高いって思っていたんだけど。
街を歩くと大勢の人たちに声をかけられる。ただの挨拶だ。わかっている。挨拶をして、元気がどうか尋ねられるだけ。話したかったらもっと話してもいいし、話したくなかったらそのまま笑って通り過ぎればいい。
でも俺にはそれが負担だった。俺はだんだん外に出られなくなり、家の中に閉じこもるようになった。
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