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2.つまり、始まらない物語*

◇  それからどうやって過ごしてきたか?  それはもう、大変だった。  ゲームの大まかなシナリオは覚えていても、それは主人公の物語で、こんなスタート地点で放り出されるキャラじゃない。  所持品は小さなボディバッグに詰めた、財布、香水、充電器、下着、ペットボトルの天然水とその他役に立たないものだけ。  水とのど飴を持っていたのは幸運だった。数日はマジで食べられなかったから。  更に救いだったのは、この巨大タウン、アテラにある食品マーケットや装備屋や、ホテルなんかの位置をなんとなく把握していたってこと。買い物の仕方とか、通貨の知識も思い出せた。  もちろん俺の財布の中は日本円しか入ってないから、無一文。  二日間歩き回り、金がないと何も出来ないことを確認し、それならばと雇ってくれるところを探した。  でも、大抵俺が個人登録証(バーゴ)を持っていないと知ると門前払い。  個人登録証(バーゴ)はゲームの主人公が一番最初にクエストで手に入れるものだ。  連れて行かれた部屋で聖属性の器であることを知らされ、三体ほどモンスターと闘い、勝てば個人登録をしてこいと街に出される。  登録証の発行はあの虹の塔、『アウラ』で行う。あそこは帝国主要機関で、役所的な立ち位置だ。モンスター討伐報告とかも金銭を受け取るのも全部あそこだった。  もちろん帝国からのお墨付きの主人公はすんなりバーゴを発行される。  それからそこでマナの加工を薦められ、アクセサリー屋を目指すのだ。(ちなみにここで主人公の性別や容姿を決められる)  どれも全部、俺にはないクエスト。ついでに言うと器なしって言われたって事はマナを持つことも魔法も使えないことが決定されている。  そんな始まりを覚えていた俺は、それでも主人公同様にアウラに行って、バーゴ発行を申請したさ。  でも、『では、申請書をお出しください』って言われて固まった。申請するのに申請書? え? ってなったら『申請証明書』のことだった。つまり、帝国人(と認められた)であることの証明だ。  咄嗟に俺は忘れてきちゃいました、と笑って踵を返した。  この世界には街を出たらモンスターがわんさかいる。  保持者達はそれを倒すことで、人々の安全を護ったり、素材や食糧を確保したりで、所謂傭兵と生産業者みたいな仕事をする。  逆を言えば、それをしないのであればマナは渡さないってことだろう。  はじめに主人公にモンスターを倒させたのは、帝国人試験みたいなものだったのかも。  理解して、心が折れた。  帝国人であることの証明、ってなんだよ、と。  だってそんなもの、持っていないし今後も持てない。  この世界で俺みたいな一般人は、どう生きているのか全く分からないし知りようもなかった。  そもそも俺の存在ってこのゲームではイレギュラーだから、対応されるのかも怪しい。  二日間少しの水とのど飴だけで過ごしてきて、腹も減っていたし体力も限界だった。  しかもこの街、スラム街もあるし治安も悪い。  人間だけならまだいい。  通りには二足歩行する肉食獣みたいな姿の獣族と、人と獣族のミックスである獣人族と、耳が尖ってて長命のアフソナ族とか呼ばれる種族と人間のDQNとかいて、日本の治安の悪さとは比べものにならない。  特に獣族はやばかった。やっぱり原始の血が濃いのか、とにかく喧嘩っ早い。  街を歩いているだけで喧嘩が勃発していて、唸り声とか咆哮が聞こえるのだ。  夜なんか最悪。  酒場周りは路上ボクシングみたいなものが繰り出されているし、それを肴に飲みながら、囃し立てる野次馬も多い。  体格差もすごいからやっぱり普通の人はそういう場から離れるようにしているみたいで、大抵そんなとこに紛れているのは保持者達なんだろう。  一般人がそんなとこいても一発でぶっ飛ばされるし、下手すると普通に死ぬ。  主人公があちこち徘徊して小さなクエストをこなせる理由は、保持者だからだ。  とにかくこのままだと餓死してしまう。  死活問題になっていた俺は、もう必死だった。  俺と同じ見た目、つまり人族が多いところを探しまわり、くたびれたバーが並び電気の切れかけたネオン看板の下で、下着姿に近い女や、痩せ細った男が立っている場所にたどり着いた。  直感で、ここは売春宿とか路上娼婦とかそんな類いの生業をしている者達の場所だと分かった。  つまり、俺と同じ。  当然のような顔して路上に立つと、すぐに見慣れない俺に気付いたのか、一人が近付いてきた。  褐色肌に良く映える白い下着姿から、零れ落ちそうな乳房が揺れる。ガーターベルトはここでもセクシーアイテムのようだ。  声は男だった。 「なにあんた、新人? ここのシマはヴァレンが締めてるから、勝手に売ったら殺されるわよ。ちゃんと挨拶してきたの」 「ええと、はい」 「嘘つくんじゃないわよ、アタシはヴァレンに管理を頼まれてるんだから知ってるの。売るならヴァレンに払う。売ってもヴァレンに払う。ここのルールよ」  適当にやり過ごそうと思ったが、あえなく失敗。  世の中そんなに甘くないってか。  しかし身体売るのにも金払って、売った後もいくつか払うって厳しい。ウリ専ボーイとして売上げの数%を店に払うのに異論は無いけど、場所代もってなると、きつすぎる。 「……実は、お金なくて」 「なら、ヴァレンに挨拶に行くのね。とにかく、ここで勝手な商売は許さないわ。ヴァレンなら今日はヤキリンゴっていうバーにいるから」  シッシッと手で追い払う動作をされて、すんません、と頭を下げながらそこから去る。  でも、俺はその変な名前のバーに行くつもりもなかったし、その元締めに会うつもりもなかった。  こちとら餓死寸前で無一文なんだ。余計な金なんか払いたくない。  こうなったら自力で客を引っかけよう。できれば金持ってそうな、小綺麗なおっさんあたりがいい。  で、繁華街の闇部分みたいな場所から逃げるように歩いていたら、路上ででっかい肉食獣に捕まった。 「よぉ、綺麗な面してるなぁ。ちょうどいい、いくらだ?」 「いやー……俺、そういうんじゃ、なくて、違います」  ガシっと腰に腕を回されて、抵抗ごと封じ込めるように引き寄せられ抱え込まれる。  見上げた顔は、虎。  黄色と白の体毛に、黒の縞模様が綺麗に馴染んでいる。  いや、こうしてみると目ってキリッと釣り上がってて、意外と小さい。その代わり鼻は太いけど、バランスは謎にいい。お口も、牙が見えてて格好いいですね。あっ、ヒゲも立派です。  マジでどう見ても虎だった。  押さえ込まれた腰に回る手は俺の顔よりデカくて、太い爪が生えている。へえ、五本指なんですね。  ……やばくないか。  一回りどころか二回り以上体格も違うし、力も圧倒的に強い。俺がどうこうできる相手じゃない。  殺されるかも。   「心配しなくていいぞ。俺は優しい。人族は脆いからな、加減も分かってる。で、いくらなんだ」 「いや、だから……」  もがきながらいくら俺でも虎とは無理だと、どう切り抜けようか思考を巡らせていると、「おい」と背後から声をかけられた。 「そいつはうちの新人だ、まだ売り出してない」 「……ヴァレンか」  腰に回った手から、力が抜ける。あっさり解放された俺は、ヴァレンと呼ばれた男を振り返った。  獣族より少し細身だが、人間より確実に体格がいい男が立っている。  顔は人間と変わらない。手足も、体つきも。  ただ、頭から三角耳がぴょこんと生えて、尻からは真っ黒の尻尾が揺れているから、獣族ではなくてそのミックスの獣人族ってやつだろう。  ヴァレンって、人間じゃなかったのか。  しかも意外と若いし、イケメンだ。 「売り出し前か。それは悪いことしたな」  見た目虎のまんまの獣族と獣人族じゃ、どう見ても獣族の方が強そうだけどそうでもないらしい。  そもそもヴァレンってやつ、この辺じゃ有名なんだろう。もちろん、悪い意味で。  虎の男も揉める気は無いようで、軽い挨拶をしてその場を去ってしまった。  残された俺をヴァレンは無表情で見下ろしてくる。  虎も怖かったけど、こっちもこっちで普通に怖い。  自分より遙かにガタイがいいし、なんかやばそうな空気感がコイツから発せられてる。  この辺を仕切ってる男だと言ってたし、保持者でもありそうだ。  そうか。魔法が使えて戦闘力が高いと、種族関係なく畏怖されるのか。  確かに主人公だってレベルが上がれば、それまでは瞬殺されていたモンスターにも勝てるようになる。  一方、無力の俺はずっと赤ん坊以下だ。 「聞いたぞ。商売したいならまずは俺が器量を確かめてからだ。ついてこい」 「……あ、いえ、やっぱり」 「あ?」 「……はい」  ぎっと睨みつけられて、すぐに口を閉じる。  圧が凄かった。  とにかくここを切り抜けよう。  そんな思いで、結局俺はヴァレンの後をついて行くことにした。  まあコレが、今思えば最大の過ちだったんだけど。  その後どうしてこうなったかなんて、実は俺にも分かってない。  ただ、たぶんあの日俺を連れ帰ったヴァレンですら、こうなるとは予想していなかったと思う。  あの日、案内されたヴァレンの家でまず俺は素っ裸にされた。  軽く検分されて、すぐにシャワーに押し込まれ、二日ぶりの風呂にちょっと気分も上がったんだ。  思えば、ヴァレンは俺を保持者かどうか確認していたのもあったんだと思う。  入れ墨、呪文痕、危険なものを仕込んでいるか、その他諸々。  男娼として使えるか、いつも通りの手順で確認していたようだ。  様子が変わったのは、俺とセックスしてる最中だ。  前提として、俺は人間としかセックスしたことない。  その上この世界に来たばかりだったし、初めて見る他種族に完全にびびっていて、借りてきた猫のように大人しくしていた。  それでも俺は男娼だ。セックスそのものに抵抗はない。  ここで男娼として認められなかったら、本当に餓死が待っている。だから当然、ヴァレンに言われる前に率先してアレをしゃぶったし、丁寧に愛撫もした。  とは言えやっぱりその、股間の一物は今まで見たことない形状と大きさで、正直ドン引いた。  ヴァレンのペニスは全体的に小さな突起物に覆われていた。カリ首も太く、根元にリングみたいな膨らみがある。  突起物を舐めたらコリコリブツブツとした感触をしている。粘膜を傷つけるような構造ではないみたいだけど、これでピストンされたらどうなるんだろうって不安だった。  普通の男より大きいそれと妙な形状に真剣に身の危険を感じて、フェラチオをしながら必死で自分の尻を解した。  それはもう、散々慣らした。  なのにやっぱり挿入は困難で、身体が裂かれるような感覚がした。  涙が勝手に浮き出て、浅く息を吐く。  身体が強張ってしまい、結局俺は「いれないで」と懇願した。首を横に振って、ヴァレンがそれ以上入らないように彼の腹に両手をあてて侵入を拒絶した。  その時、ヴァレンの目つきが変わったのを覚えている。  猫科なのか犬科なのか、耳の形を見ても俺には判断付かないが、ヴァレンはエメラルドグリーンの瞳をしていた。  その目がすっと黒い縦縞に変化して、感情のない、今にも俺を殺すような視線で見下ろしてくる。  次にはガシっと両手首を掴まれて、抵抗虚しく挿入されてしまった。  嫌だと拒絶してもがいたけど、ひたすら時間をかけて最後まで突き入れられる。  意外にも、ヴァレンは俺を傷つけなかった。  それどころか俺の快楽を引き出すため、身体中を優しく愛撫してくれて、緊張を解してくれた。  それからは恐怖の快楽堕ち。  いや、俺だってこのイボイボペニスが、こんなに気持ちいいとは思わなかった。  ヴァレンはそれから、ほとんどの客が獣族と獣人族だと教えてくれた。  まだ慣れていない今の俺では無理だと、まずは身体に教え込むと、そう言った。  納得はした。ヴァレンのサイズでひいひい言っている状態では、満足に客は取れないんだろうと。  行く当ても金もないことを相談すると、翌日にはボロアパートの一室を与えられた。  スラム街っぽいところだけど、贅沢は言ってられない。  一日の食事代もくれて、俺は単純に喜んだ。  腹を満たせて、寝床がある。  これからのことは、どうにでもなると思った。  なのに、ヴァレンは結局俺に客を取らせることはしなかった。  仕込むと言って毎日俺を抱くようになり、最初のうちは足繁く俺の住むアパートに来て、ふらっと帰って行った。  そのうちここで寝るようになり、なんか様子がおかしいなと思っていたら、お前はもうウリなんかしなくていい、と言ってきた。  必要な物は与えているし寝床もあるだろと言われて、頷く。  生きるのに必要な物は揃っていて、人間らしい暮らしができる。  現にその頃にはヴァレンがくれる小遣いで飯を買い、街を探索しつつ、飲みに行ったり、買い物したり気儘な暮らしをしていた。  一方で、俺はずっとナギを探していた。このゲームの主人公であるナギなら、クエストやストーリー進行で絶対に通る道や店がある。  そこに行けば会えるはずだから、探索がてらその辺りをこまめに通っていたんだ。  彼女にさえ会えれば、元の世界へ帰れる。ゲームのラストで主人公はちゃんと現実世界に戻るからだ。  それで、毎日ぷらぷらしていたら、見事ナギに会えた。 「ナギ!」 「……ミキちゃん!」  ナギは一人だった。偶然にも最初の仲間と別行動をしている時だったようで、俺たちは恥も外聞もなく再会を喜んだ。  そうして涙を浮かべながらお互いの現状を話した。  保持者(フィディン)としてモンスターと闘うのに漸く慣れたこと。  傷を負うと普通に痛いこと。  とにかく帰るためにストーリーを進めていること。  そして今日は、遂にこのアテラを出ること。  しばらくは戻らないから、ミキちゃんに会えて良かったと、ナギは泣きながら笑った。ずっと心配していたと、探していたんだと。  あの日ちょっと会話しただけの見ず知らずの俺を心配してくれるナギは、第一印象通りの心優しい女の子だった。彼女が俺を忘れず気にかけてくれていたことが嬉しい。  安堵して、そして俺は自分の現状なんかすぐに吹っ飛んでしまった。  一緒に行こう。躊躇うことなくそう言ってくれたナギに、即頷く。  ナギと一緒にいれば、帰れる。  それだけで頭がいっぱいで、じゃあ、装備やアイテムの買い出し中だから三十分後にまたここで会おうって、マーケット前で約束して、俺は意気揚々とボロアパートに引き返した。  家に置いたままのボディバッグにはスマホもあるし、他にもちょっとした旅の準備も必要だろう。  その時まで、俺はヴァレンの事など一切考えなかった。  色んな仕事をしているヴァレンは、正午を過ぎたこの時間は家にいない。だから、余計な説明もいらず姿を消せる。  そう思った俺は、どこまでも楽観的で自己中心的だ。  帰宅した俺を待っていたのは、無言のヴァレンだ。  まさかいるとは思わなくて、一瞬固まった俺に、ヴァレンは静かに「あの女は誰だ」と聞いてきた。  見られていた事に驚きながらも、知り合いだと告げた。以前街で泣いていたから慰めた事があるんだ、と偽りなく。  そうしながらバッグに色々詰めてたら、腕組みをしたヴァレンが「どこへ行く」と低い声を出して、そこで俺はようやく彼の様子がおかしいことに気付いた。  ここを出て行くよ。色々ありがとう。  そんなことを、言った気がする。  もうそれもよく覚えていない。  気が付いたら頬に衝撃が走って、玄関のドアにしこたま背中をぶつけて、倒れ込んでいた。  あれ、って思いながら立ち上がろうとしたら、頭皮に痛みが走る。  引きずられ、投げ出された先でヴァレンは俺を犯した。  どんなに許しを請うてもヴァレンの耳には届かなかったようで、その日俺は初めてヴァレンに殺されると、そう思った。  舐めていたんだ。  獣人族をヴァレンを、そしてこの世界を。  それから俺は、外へ出ることが出来なくなった。  当然、ナギとの待ち合わせ場所には、行けなかった。

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