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3.隣人は闇堕ち寸前勇者様

 約束の時間に間に合わなかった俺を、ナギは見つけられなかった。探してくれたのかも分からないが、それについて恨むことはしない。  きっと待っていてくれただろう。  でも、彼女は主人公としてやるべき事が沢山ある。トラブル(イベント)は発生するし、レベル上げのために細かなクエストもこなしていかねばならない。  なによりもこれは俺のストーリーで、ナギのストーリーじゃない。 ◇  そんなことが二年前にあって、俺は今もヴァレンが与えたボロアパートに住んでいる。  残念ながら、ヴァレンが俺に飽きる様子はまだない。  これはあの下着姿の豊満ボディ(男)が後から教えてくれたんだが、獣人族は執着心が強い上に人間の卑しさも併せ持つ、最も気難しい種族なので付き合うなら慎重にならねばならないのは常識だそうだ。  客としても獣族の方がよっぽどマナーが良くて優しいそうで、獣人族は娼婦達からも不評らしい。  嫉妬深く執念深く、力も強い上に人間の知性と獣族の本能の間で、本人達も意図せず感情に翻弄されやすく苦労するとか。  そんなこと、先に言ってくれよ。  確か主人公の仲間には獣族はいたが、獣人族はいなかった。むしろ獣人族は裏切り者で登場して、所謂悪役みたいな立ち位置だった。  そんなのあくまでもゲーム上の設定だと思うだろ。まさか遺伝子的なものもあるとか誰も思わない。  というわけで、獣人族であり保持者(フィディン)でもあるヴァレンは、なぜか俺を大層気に入っていたようで、その俺が勝手に家を出るなんて言語道断、許されない事だったわけだ。  たぶん彼の性質を考えると、それまでのヴァレンは最高峰に俺に優しく接していた。  だがそんなヴァレンをあっさり捨てて家を出ようとした俺は、当然裏切り者として罰を受けることになる。  ヴァレンはまず、俺に呪いをかけた。  このアパートの敷地内から出られない呪いを。  実は最初の騒動の後、ナギが待っているかもしれないと彼がいなくなったのを見計らって、ぼろぼろの身体を引きずって脱走を試みている。  しかし必死にドアを開けアパートの廊下を走って歩道に踏み込もうとした瞬間、俺の足はぐにゃりと力をなくし、立てなくなった。  無様に転がった俺をスラム街の通行人が迷惑そうに避けていく。  それでも通行人が『解除魔法かけてもらえよ』と小さく吐き捨てるのを聞いたので、彼が俺に何らかの魔法をかけたことを悟った。  どう足掻いても立ち上がれなくて、仕方なく這いつくばって引き返したら、今度は普通に立ち上がり歩ける。  ヴァレンはわざわざ、俺の希望を打ち砕くようにアパートの廊下までは歩けるようにしたらしい。  なるほど、性格が悪い。悪すぎる。  かなり腹が立って悔しかったが、向こうからしてみたら俺は裏切り者だ。  散々面倒を見て優しくしてやったのに、平気で他の女の元へ行く、最低男にすぎない。  その報復が、これとは。  我ながら詰んでいる。  脱走が失敗となれば、すぐさま方向転換をした。  逃げるためには、ヴァレンを以前に戻さなければならない。  俺に自由を与えていた頃に。  それからしばらくは従順に過ごしそれとなくご機嫌取りをして暮らした。  それまでしたこともなかった手料理も振る舞い、セックスも喜んで奉仕した。  外出禁止の俺の代わりに諸々の買い物をしてくれたのはヴァレンの部下のあの豊満ボディだ。  彼女(?)はヴァレンについて色々教えてくれたけど、俺に同情する素振りは一切見せなかった。俺も俺で、解放されたいとか逃げる素振りを出さずにいた。  彼女は俺の監視でもあるはずだ。ひたすらおとなしくして、信頼を取り戻すしかない。  そんな日々を一年ほど経て、ようやくヴァレンと一緒なら外出も可能になった。  彼の所有する飲み屋、娼館、カジノなどは機嫌がいい時は連れて行ってくれた。  界隈では俺はヴァレンの情夫として有名だったようで、周辺からの扱いは常にヴァレンと同等、VIP対応、そして遠巻きにされていた。  それでも俺はめげるつもりはなかった。  目的はただ一つ。  この男から離れること。  この呪いを解くことだけ。  この世界で魔法を使えるのは、保持者だけだ。  アテラには、沢山の保持者達が行き交っている。飲み屋にも娼館にもカジノにも。  なるべく優しそうで強そうな人を探した。獣族や獣人族はやっぱり怖かったから、人族に目を付けた。  ヴァレンと一緒に来たからといっても、四六時中監視されているわけじゃない。奴は仕事でどこかに姿を消したりする。  かと言って隙を見て逃げ出すのは無理だと分かっている。だって、そこら中にヴァレンの部下がいるからな。  だから、待つしかない俺はVIP席で酒を飲んでいるか周辺を眺めているかだけど、トイレに行く時だけは本当の意味での自由だった。  さっそく俺は、トイレにいる保持者っぽい奴に目を付けては周囲にバレないように口説いた。  最初はヴァレンの情夫である俺にみんなビビり散らかしていたけど、焦らず時間をかけ根気よく頼み込んだ。  俺の境遇、不運、奴の魔法で自由になれないことを訴えれば、大抵の奴はみんな、俺に同情してくれた。  特に同じ人族は、事のあらましを話すだけでヴァレンに憤慨していた。  ここで分かったことだけど、ヴァレンの保持者としてのレベルは50前後で、これはかなり高い部類らしい。  確かにゲームでのレベルカンストは99だった。それからやりこむ人向けに解放クエストとかあったはずだけど、残念ながらライト層だった俺はやっていないし、そもそも俺は保持者じゃないので関係ない。  その上アテラは主人公が初期に歩き回る街でもある。そのせいなのか、高レベルの者は滅多にいない。  よりにもよって、ヴァレンは数少ない例外のうちの一人で、ここでも俺は自分の不運を呪った。  俺にかけられた魔法を解除するには、かけた奴より強いレベルの解除魔法でないと意味はない。  ゲームの世界は強さが物を言う。  どうやっても敵に勝てなければレベル上げは基本中の基本だ。  だがゲームではレベル関係なく、特定の魔法を唱えれば効果はあった。その代わりに成功率というのが発生し、魔法が失敗する確率が高くなる。それでも低レベル保持者が高レベル保持者に魔法をかけることは一応、可能ではあった。  だが、ここでは成功率は省かれており、基本的に低レベル保持者の魔法は高レベル保持者の魔法に勝てないものとされていた。  攻撃も防御も状態異常解除も、おなじだ。  つまり俺にかけられた魔法を解除するには、最低でもレベル50以上の保持者が必要だった。  問題は、ここらでレベル50を超える保持者が中々見つからないことだ。  でも、その日は違っていた。  何度か通う度にこっそりトイレで逢瀬していた人族の保持者がいる。レベルは低いが、真剣に俺を助けようとしてくれた男だ。  今までずっと同情してくれたその人が、知り合いの伝手で一人だけ紹介できる、って言ってきた。どうやらあちこちでモンスター討伐をしている高レベル保持者らしいが、偶然にも今日この街に滞在していると言う。  俺は大喜びした。  これで、ようやく自由になれる。ヴァレンから逃れられる、と。  俺を探してヴァレンが静かにトイレに来ている事にも気付かずに。  二人でこそこそと計画を練っていて、背後の気配に気付いた時にはもう手遅れ。  誤魔化しようがない状況に何も言えず、氷のように冷たいヴァレンの目をただ見つめることしかできなかった。  その日の怒りはやばかったな。本当にやばかった。  その場で一発殴られて、血を流し倒れ込む俺を部下達に任せ、すぐさまアパートに連れ帰られた。  痛みに呻きながら協力してくれようとした男を必死に庇ったんだけど、彼がそれからどうなったのかなんて知りようもない。  後から帰宅したヴァレンに、また裏切るつもりか、と殴られ縛られ、死ぬほどきつい責め苦にあわされた。  それが半年くらい前の話だ。  それから、俺はヴァレンに許されることはなくなった。  ……あ、全部俺のせい?  結局今は信用度も地の底で、当然外出も許されていない。  魔法は変わらず解除されず、それでも警戒してるのかヴァレンは常に苛々してるし、ちょっとしたことで殴られたり折檻されている。  なんかもうここまでくると、ヴァレンも俺が好きだとか嫌いだとか越してる気がするんだよ。  かわいさ余って憎さ百倍ってやつ?  もうとにかく、俺を管理してなきゃ気が済まない、的な。  だから俺は、ナギと一緒に行動しているはずの勇者がこうして目の前に現れ、更にはアパートの隣人であることに、はじめは本気で驚いた。  そもそもこのアパートに他の住人はいない。  部屋数は二階に二つ、一階に二つの小さなアパートだが、ボロアパートだし、恐らくヴァレンが所有するものだから、彼の塩梅で住人も追い払えるのだろう。  現に二年近く住んでいて、誰かが他に住んでいるような気配もなかったから、勇者が平然と隣室に入っていく様子には度肝を抜いた。  ヴァレンの事だから、アパートにも魔法をかけて細工をしているもんだと思ったけど、違うのか。  単独行動をしている勇者にも驚いたが、そう言えば彼は主人公の頼れる仲間でもあるが、ストーリーの重要な立ち位置で、それ故に離脱も多かったことを思い出す。  吸い終わった煙草を空き缶に捨て、勇者を見つめる。  今までも何度かここで見かけたことがあるが、声をかけたこともかけられたこともない。  むしろ認識すらされていないみたいだったし、俺もてっきりヴァレンの魔法かなんかで相手には見えていないのだと勝手に思い込んでいて、勇者が来る度、遠慮なく観察していた。  というのも二年もの間、どう足掻いてもここから抜け出せなくて思い至ったんだ。  あの時、ナギと俺は一緒に行動することが叶わなかった。  初めてここに来た時も、待ち合わせたときも。  ナギは、ここはゲーム世界と同じで、ゲームのキャラクター達が本当に存在していると言っていた。そして、そんなつもりはなくとも、ゲームと同じような物語の進み方をしているとも。  だから彼女は流れに身を任せて、日本に帰ることを目指すとそう言った。そこに、俺もいたら一緒に帰れるだろうと。  それで俺もその話に乗って、一緒に行こうとしたんだけどそれは叶わなかった。  まるでストーリー進行に邪魔だと言わんばかりに。  もしかしてゲームと同じシナリオを辿るために、この世界のシステム的なものが余計なものを排除しているんじゃないかと考えた。  ナギは、言ってしまえば公式通りのキャラクターだ。主人公という。  でも同時に転移してきた者(この場合俺)は公式には存在しない。  だから、俺がこの世界でストーリー進行に関わると、何らかの力が働いて強制的に排除される仕組みではないのか。  当然、俺の考えを否定してくれる相手はいない。  でも、そう思うには十分な時間を過ごした。  二年だ。二年。  二年経っても、この街から出られず、出られても保持者(フィディン)として活躍はできないので、モンスターを狩ることすらできず、それは実質、この街から出ることは不可能な事を示している。  俺は、この世界でのNPCだ。  そう、あの、いつも同じ格好で同じ動作をひたすら繰り返してる人形。  とはいえ確実に現実ではあるから、生きているし、感情もある。 「逃げないんですか?」  だから、その声に驚いて肩が跳ねたのは仕方ない。  瞠目して勇者を見ると、彼は確かにこちらに顔を向けて、俺を見ていた。  もやもやとした黒い煙のようなものが、今日も勇者の身体から湧き出ている。  ああ、順調に闇堕ちに進んでいるんですね──って、お前俺が見えてるの? 「……どうして?」  腫れた頬。切れた唇。  勇者が俺を見て一つの結論を出すのは難しくはない。 「いつも、幸せそうには見えないので」  勇者は俺を一瞥すると、次には興味をなくしたようにアパートのドアノブに手をかけた。  ……は?  なんだよお前。  今まで、一度だって俺を見ようとしなかっただろ。  こっちはお前を何度も見ているのに、それを知りながらまるで俺がいないように振る舞っていたってこと?  本当は見ていたのか。  ちゃんと、その目に、映していたのか。  その上で、俺を無視し続けていたのか。 「あんたも逃げないの?」  黒い靄が一瞬で天井まで伸びる。 「……どうして?」  ノブを引く手を止めて、勇者が振り返る。  ズンッと重くなった空気は、コイツの殺気か。  本能的に身体が竦む感覚がしたが、気力で平然とした素振りをした。  だって、勇者の言葉に腹が立ったから。 「いつも、死んだ目をしているから」  笑って言うと、勇者は感情をなくしたように無表情になり、俺を見つめる。 「……死んでるのはお前だろ。己の不幸に酔って抜け出す努力もしない腰抜けが」  低く、呻くような声だった。  なにもかもを憎んでいるような、怒りにまみれている声だった。  こいつが今、どんな思いで生きているのか、ゲームを履修済みの俺ならなんとなく分かる。  でも、俺も同じだった。  なにもかもがうまくいかなくて、無力であることに、心底うんざりしていた。  だから、売られた喧嘩はいくらでも買ってやる。 「立ち向かう力があるなんて、心底羨ましいよ。でも、俺にそんな力があるなら余計な事に首は突っ込まず、もっと上手く生きるけどな。どうせ全部は救えないんだし」  背中の黒い靄が、蠢いている。  二年か。  ナギは、この世界に来て三ヶ月でやっとレベル10になったと言っていた。生きているモンスターを倒す事に、想像以上の気力と体力がいるとも。  それもそうだ。虫以上の生き物を殺すなんて、平和に住んでいた日本では皆無に近い経験だ。  レベル上げは俺が思っているよりもずっと大変で、時間がかかる作業なのだろう。  ここはゲームの世界だが、誰かが操作してキャラクター達が動いている訳じゃない。  俺はNPCの立場に近いが、痛みも苦しみも感じて、腹も空く、ただの人間であることには変わりない。  勝手に勇者と呼んでいるこの男だって、同じはずだ。 「僕は普段、貴方みたいな汚い男娼は相手にしません。……でも、気が変わりました。うちに来ますか? 金も安息も得られて一石二鳥。交渉する余地もないと思いますが」  男は悠然と微笑んだ。  むかつくほど煽られた俺も、負けじと微笑む。 「いいよ。あんたならうまくやってくれそうだし」  勇者は隣室のドアを開け、俺を招き入れる。  ヴァレンはまだ外出中。  俺を殴った翌日は、大抵家に帰ってこない。  チャンスだとは思わなかった。    だって勇者は、闇堕ちが決定されている。

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