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5.可哀想な奴がここにいた

【DV描写注意】 ◇  ヴァレンが帰ってきたのは、それから二日経ったあとだった。 「大人しくしてたか」 「もちろん」  珍しく疲労を滲ませた表情をしたヴァレンが、出迎えた俺を見るなりそう言った。  脱いだ上着を渡され、かいがいしく帰宅の世話を手伝いながら何も変わりないといつものように報告する。 「なにかあったの?」 「……ああ、街にモンスターが出た。その対応で俺たちが駆り出された」  保持者は、マナの恩恵を受ける代わりに、モンスターの対応をしなければならない。  恐らくそんな誓いが彼等に課されているのは容易に想像できる。でなければ、政府がマナを与える理由がない。 「でもアテラって、確か結界が」 「そうだ。なぜ街中でモンスターが出現したのか……。ったく、面倒くせえ」  そう吐き捨てたヴァレンは、大きく息をついてソファに腰掛けた。  彼の好きな瓶ビールを冷蔵庫から取り出して、蓋を開けて渡してやる。大人しくそれを煽ったヴァレンは、俺の頬をチラリと見て、僅かにばつの悪そうな表情をした。  それに気付かないふりをして、中断していた料理を再開する。  今日は豊満ボディが食材を置いていった。ヴァレンがいない日は絶対来ないけど、帰宅となれば話は別らしい。  肉厚なステーキ肉が二枚入っていた。これを与えろと言わんばかりなので、素直に従う。  ヴァレンは肉好きだ。野菜は避けるし、日本食は好きじゃない。  フライパンにオリーブオイルとガーリックを熱して、肉を焼く。味付けは塩コショウのみ。味が足らないなら既製品のソースで。  その間に事前に茹でたジャガイモを潰したものに、ミルクとバターと塩コショウを混ぜ合わせる。  途中、肉が焼けたので火を止めて、皿に盛り付け。  野菜嫌いのヴァレンが唯一口にするマッシュポテトは、正直俺はもううんざりしてるほどだが仕方ない。ゴロゴロしているジャガイモは食べないと言うし、パスタや米はもっといらないと拒絶する。  獣人族だからなのか。ヴァレンだからなのか。  どっちでもいいけど、人が作ったものくらい文句言わずに食え、と毎回思っている。  そんなことよりモンスターがアテラの街中で出た。  普段は結界で覆われていて、どんなモンスターでも決して入ってくることがないアテラに。  この場面を俺は知っている。  そう。  その手引きをしたのは、勇者の友人、獣人族だ。  彼の友人と言うことで絶大な信頼を得ていた獣人族には、主人公や勇者の行動が筒抜けだった。実は最初から悪の手引きだった彼は、わざとモンスターを街中に招き入れ、安全だと安心しきっていた主人公達を襲う。  ゲームで言うと、数あるうちの中ボス戦。  とは言え弱くはない。  確か勇者離脱後のボス戦で、パーティーに勇者ばかり入れてレベル上げしていたプレイヤーは、戦力を削られて後悔する。かくいう俺もその一人だった。  それで慌ててあまり使っていなかったメンバーのレベル上げに回ったっけ。  そうか。これが現実世界となると、街中の|保持者《フィディン》達も駆り出される訳だ。まあ、当然っちゃ当然か。  二日前、勇者が悠長に俺と接触できたのはパーティー離脱後だからだろうとは思っていた。  それはつまり、ストーリーは後半にさしかかり、主人公達が最初の街に戻ってきていることを示している。  ナギが、いる。  この街に、アテラに、ナギが戻ってきている。 「……何考えてる」  気が付けば、ヴァレンが俺の背後に立っていた。  黙々とマッシュポテトを混ぜ合わせていた俺は、慌てて口元を緩める。 「なにが? 今日は牛ステーキだぞ。ヴァレンはレアがいいんだよな。焼きすぎてなきゃいいんだけど」 「別に、食えりゃどれも同じだ」  腰に手を回され引き寄せられた。  当然のように服の下の素肌を大きな掌が這う。 「なんだよ、食べないの?」  笑いを含んで言うと、首筋に唇を当てられる。  このままセックスかなぁ。俺腹減ってんだけどな……ってされるがままでいたら、ヴァレンの指が、左乳首を探った。  ぴたりと、ヴァレンの動きが止まる。  首筋から顔を上げて、一瞬の沈黙。  あ。  やばい。  本能的にそう感じた瞬間、乱暴に身体ごと振り向かせられた。  ヴァレンのエメラルドグリーンの中にある縦縞が細くなり、三角耳の毛が逆立っている。 「……誰に股開いた」 「え、誰にって、誰にも……っ」  言い終える前にバツッと鈍い音がして、マッシュポテトのボウルが床に転がった音が遠くで聞こえた。  古びた木床に身体のあちこち当たって、自分が倒れたのを知る。  頬が尋常じゃない熱を持っていた。 「……ってぇ」  ヌルリとした感触がする。  手をやると、赤いものがついた。  鼻血だ。 「誤魔化すんじゃねえ。舐めた細工しやがって」 「……ほんとうに、誰ともしてな……っ」  グイっと髪を掴まれ、身体が浮いた。  頭皮に走る激痛に呻きながら逃れようとヴァレンの腕を掴む。  だが、抵抗はいつものように軽くいなされ、壁に向かって頭を叩きつけられた。   「ピアスに細工したのは誰だ? これ見よがしに〝癒〟を仕込みやがって、お前が傷だらけだったから同情したのか? また、可哀想な奴を演じたのか?」  ピアス。  ああ、乳首のピアスか。  そうだ、あいつが一瞬触ってた。   「傷が治るなら殴り放題だな。よかったなァ、これで死ななくて済む。その魔法はいつまで続くんだろうな? 試してみるか」  腹を蹴られた。  すでにキッチンの戸棚に背を打ち付けてて、逃げ場なんかない。  容赦ないヴァレンの蹴りに、いちいち息が止まって苦しい。  痛い。  痛い。 「ぐっ……ぅ」  殴られ蹴られ、叩きつけられ。  亀のように縮こまる俺をヴァレンが無理矢理立たせて、また壁に放り投げられる。  その瞬間は痛いのに、蓄積しない痛みはなぜだ。血だって流れてるのに、次にはもう止血してる。  訳が分からないが、ヴァレンの言った〝癒〟という言葉を俺は知っている。  魔法だ。聖属性の治癒魔法。  それを勇者はピアスに付加したのか。  でも、瞬間的な痛みが消えるわけじゃない。  ピアスのせいかヴァレンの力はいつもより容赦がなくて、次第に俺は恐怖した。  すぐに傷が癒えても、激痛を長時間味わうなんて地獄だ。  こんなの死ぬよりきついことじゃないのか。  早々に、涙が溢れ出る。 「ごめんなさいっ、ごめんなさい……っ」 「今までもそうやって謝ってきたな。その度に俺は裏切られた」 「もうしないです、もうしない……っ!」  一体俺が何をしたんだ。 「どうしてイイ子にしてられない? 食わせてやって充分に可愛がってやってるじゃねえか」 「イイ子にする……っ、イイ子にするから……」  胸倉を掴まれながら、正面のヴァレンを涙で濡れた目で見つめる。 「──ぶたないで」   獰猛で野性味溢れる美貌が、呆れたような目線を寄越す。 「逃げるなと言っても逃げた。俺をがっかりさせるなと言っても、同じ事を繰り返した。なあ、教えてくれよ。どうしたらお前は言うことを聞く?」  痛い。怖い。  つらい。  どうしてだ。  言うことを聞くことが、俺のさだめか。  お前の思うとおりに生きることが俺の存在意義か。  なんでもいい。 「……ころさないで」 「……っ」  ヴァレンが憎々しげに俺を見る。  その表情はいつだって、苦しげで悲しくて怒りにまみれている。  一体誰がこんな関係を望んでいる?  俺じゃない。  でも、ヴァレンでもない。  限界だ。  どうすれば、生き残れるか毎日考えていた。  どうすれば痛い思いをせず、自由になれるのか、そんなことばかりを。    俺のピアスに余計なものを仕込んだあいつの顔を思い浮かべる。  ふざけんなよ。  俺が必死で、必死で、這いつくばって靴を舐めてまで生き延びてきたのに、勝手な事をしやがって。  ──ふざけんなよ。 「いっそのこと、奴隷にでもなるか」 「……いやだ」 「……あ?」 「嫌だ。俺はもう、お前と一緒にいたくない」 「てめえ……!」  限界だ。  もう、終わりだ。  振り上げられた腕を前に、ありったけの声で叫ぶ。 「助けろ! 助けろよクソガキ! 責任を取れ!」  瞬間。  何かが爆発したような破壊音がして、ヴァレンは咄嗟に身体を反らし、俺を放った。  バキバキバキ、と左の壁がぶち抜かれて、床と天井が激しく揺れる。  尻餅をついたまま唖然としていると、ゴッと重いブーツ音がした。  埃と屑の間からゆっくりと男が現れる。  隣人の、勇者様。  いつだかと同じように黒ずくめで、そして相変わらず黒い靄を背中に背負っていた。 「全部は救えない、でしたか」  そう言った勇者は、へたり込んだ俺を見て氷のような表情をしている。 「なんだてめえ……」  ヴァレンが、唸り声のような声を出していきなり勇者に飛びかかった。  目に見えぬほどの速さに驚いていると、次には彼は床に倒れ伏せていた。 「弱すぎます」 「……は」  漏れた声は俺のものだ。  ヴァレンは目を見開いたまま、仰向けに倒れ凍りついたように固まっていた。  微かに震える彼の握られた拳を見て、何らかの魔法攻撃を受けていると分かった。  一方の勇者は至極余裕で、尻餅をついた状態の俺に手を差し伸べてくる。  怖かった。  恐ろしかった。  それでも、その手を取らない選択肢はない。  今なら、ここを抜け出せる。  ヴァレンから、離れられる。  勇者は伸ばした俺の手を躊躇せず引いた。  彼の力を借りて立ち上がる。  衝撃と恐怖で膝が震えていたが、もう迷わない。  未だ倒れたままのヴァレンを見下ろすと、何か言いたげな瞳とぶつかった。その視線から目を逸らし、踵を返す。  ガラクタと化した部屋の中から、懐かしいボディバッグを見つけだす。  ここを出る。  ここを、出るんだ。 「殺しますか」 「……いや」  吐息混じりの呻きをこぼすヴァレンを一瞥し、俺は首を横に振った。  これほど圧倒的に勇者が強いとは思わなかったが、そのことには俺よりヴァレンの方が驚いているみたいだ。  エメラルドグリーンの瞳が、俺を見る。  小刻みに震え、大量の汗をかきながら、苦痛の声もあげられず命の危機であるのに、ずっと俺を見ていた。 「……俺は、感謝してる。食わせて貰ったこと、面倒見てくれたこと」  勇者が何か言いたげな瞳で俺を見たが無視をする。 「でも、お前にはもう、会いたくない」  そう言って、返事もできぬヴァレンをそのままに、崩れ落ちそうなボロアパートを勇者と一緒に出た。  あいつがあの後、どうなるのかは考えない。  そして、廊下の先に行けるのか僅かに強張った俺に、勇者は振り返り「ああ」と続けた。 「貴方の状態異常なら初めて会った時に解除してます。……まさかまだ、逃げもせずここにいるとは思いませんでしたが」  そう言う勇者の声は、最後の方は独白のような呟きだった。  解除されていたのか。  俺の呪いを、あの日のうちに。  茫然と自分の脚を見下ろしていると、手を引かれた。  足を踏み出してスラム街を歩く。  自由に、歩く。  勇者は俺の手をずっと握っていて、不思議なことにそれに気付いていないようだった。  そして俺も、今はその手を放そうとは思わなかった。  それから、俺たちは勇者が自動運転で呼び寄せた車に乗り込んで、街を出た。  光り輝く巨大タウン、アテラを出て、荒れ果てた大地の中をどこまでも、走った。

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