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11.刹那主義者と英雄病の男

 レスニカが、試練の間に入ってから半日が経とうとしている。  あの後、しばらく動けずにいた俺を無言で抱き上げたレスニカは、躊躇なく試練の間に入った。  そうして丁寧に俺を床に下ろすと、今度は車から寝袋や食糧などを持ち込んできたようだ。  黙々と働くレスニカを横目に、首を巡らせて周囲を確認する。  試練の間の中は外観通り丸い円上の広間だった。  入り口からちょうど正面に当たる中心に、重厚な扉がただ一つ佇んでいる。建物と同じ石造りのそれは、緻密な彫刻が彫られ芸術的で、支えもなくそびえ立つ様子は実に神秘的だ。  扉の左端には台座があり、その上に透明の球体が浮かんでいる。  レスニカがその球体に触れると、まるで建物全体が息を吹き返したかのように周辺が明るくなった。  全属性にあるとされている試練の間。  アオタークにあるここは、聖属性の保持者が球体に触れれば、試練が起動する。  ゲームで見た光景とおなじだ。 「車は運転できますか」 「うん」 「これはモンスター避けの香水です。外に出る時は使用してください。車には障壁(バリア)があるので、モンスターに襲われることはありません。何かあれば乗って逃げてください」 「うん」 「金が必要ならこのカードで。必要なら使って。トランクに食糧と着替えもあるのでご自由に」 「……助かる」  セックスをしたから優しいのか?  不思議に思ったが、元々面倒見は悪くなかったことを思い出した。  随分と好待遇だけど、レスニカは惜しむどころかそれすらもどうでもいいような雰囲気だ。  そもそもレスニカは既に最強クラスの保持者であり、これまでの道中に遭遇したモンスターから採れる素材を売っていれば、金には困っていないだろう。現に主人公がそうだった。  でも、この厚意はそういうことじゃない。  俺の保釈金が馬鹿みたいに高額でも、あいつが躊躇もなく金を出したのは違う理由がある。 『無価値だと決めつけられて、縋って生きてきただけあって……』 『──もうそんなプライドはなくしたとでも?』  こうなる前に、レスニカはそう怒りを露わに言っていた。  プライド?  生きていくことへの、プライド?  それとも、自分の存在に対してのプライド?  よく分からない。よく分からないけど、これだけは分かる。  レスニカには、そのすべてが意味の無いものだってこと。  〝全〟を倒し次の〝全〟になるためだけに生かされ、生きていく決心をしたレスニカにとったら、俺みたいな奴はどうしようもなく腹立たしい存在に違いない。  たとえこの世界では無力だとしても、あいつからしたら俺はずっと自由だった。  責任もなく、背負うべきものもなければ、決意も力さえもない。  そしてなにより、いつだって終わりにできる。  一方でレスニカは、覚悟を決めていた。  生ききることに、覚悟を決めている。  俺は──、俺は、どうすればいいんだろうな。    レスニカを見る。  いつもの黒服姿で、絵になるような完璧な立ち姿。あの背中は想像以上に広くて、厚みもあって硬い。  いつだって迷いがないその姿は、たしかに威風堂々としているのに昏い悲しみに覆われているようにも見える。    取っ手もなくただの石壁のような扉の前で佇むレスニカ。  その先に試練が待っていると、互いに分かっていた。  レスニカは一度だけ俺を振り返った。  気怠さを隠すことも出来ず、ただその視線を受ける。  ──気を付けて、無事で。  そんな陳腐な言葉などかけることはしない。  レスニカはそれからゆっくりと背を向け長い腕で扉を押して、静かに、中へ入っていった。  最後の魔法を覚えるために。  疲労も眠気も限界で、それからすぐに寝袋に入って少し眠り、今に至る。  起きたときもあたりはしんとして、白い壁に囲まれた荘厳な佇まいの広間のままだった。  腹が減ったので、渡された食料の中からチョコスナックを選んで、少し広間を歩く。  球体の力が魔法なのかは分からない。ただこれにレスニカが触れた途端、灯りが四方に点り、広間はその白さも相まって眩しいくらいに明るかった。  外観はたくさんのモンスターの彫刻が施されていた壁だったが、内部はつるりとなだらかなものになっている。  透明だった球体は今は水中に白の絵の具を落としたような波紋が広がり、ぐるぐると渦巻いている。  手を伸ばして触れてみる。球体はひとの体温のように温かくて、驚いてすぐに手を引っ込めた。灯りは点ったまま、周辺に変化はない。  当然無垢(プレン)である俺が球体に触れても、無意味だ。  菓子をつまみながら隅々の造りを見ていると、不意に扉が開いてレスニカが現れた。  肩で息をし、ここが広間だと気付くと苛立つように前髪をかき上げた。  その様を数メートル離れた場で見ていた俺は、そんな表情をしている男に声はかけずにいた。  だが、レスニカはすぐに俺に気付いた。  目が合ったが、その顔つきは既に何の色もなく、表情が抜け落ちている。  怒っている。  レスニカの背中からこれまでにないほどの大きな黒い靄がゆらゆらと揺れていて、彼の感情を表しているようだった。  無言で見つめ合っていたが、次にレスニカは扉に向き直り、そうしてまた中へ入っていった。  時間にして数秒間。  試練の間は、その名の通り彼に試練を与えているようだ。  プレイヤーとしてやっていた時の記憶では、試練の間ではこれまで倒したボスを含む敵から、プレイヤーが最も苦戦した敵、モンスターが三回、出てくる。  これはリトライ数、戦闘時間、仲間の戦闘不能回数、などから記憶され、所謂苦戦した戦闘に強制的に挑戦させられるのだ。  もちろん、レベルは現状に合わせられ、仲間はいない。  これには俺も苦戦して、コントローラーを何度かぶん投げた記憶があった。  元々パーティーで戦っていたボスやモンスターを、ソロで倒さねばならないのも意味不明だし、敵は無駄に強くなっているし、アイテム使用しようとしている間に瀕死になるし……。  それで、戦闘の選択を間違えたり戦闘不能状態になると試練の扉前に戻されるのだ。  苦々しい記憶が蘇ってきたところで、俺にできることは何もない。  あいつが戻ってきてまた入ったということは、おそらく選択を間違えたのだろう。どんな試練なのかは見当もつかないが、生きて戻ってこれるだけで凄いはずだ。  ここでの戦闘不能状態は死だ。  とはいえいくら命が助かっても、成功するまで何度も挑戦しなければならないのだとしたら肉体的疲労も精神的疲労も半端じゃないはずだ。  そうまでして必死で立ち向かうしかないあいつの使命は、あいつの人生は、あいつの苦しさは、どれだけ理不尽なんだろう。  見学も飽きたので、建物から出て車を走らせた。  自動運転の切り替えも、ゲームでやった通りにできた。  時折姿を見せるモンスターを窓越しに眺めて、荒廃した大地から次第に緑が見えはじめ、森へ入る前の草原で停車した。  川が見えたからだ。  モンスター除けの香水をつけて、トランクから釣り道具を見つけて川に投げ込んだ。  ミニゲームで釣り要素があったのを思い出したから、もしかしたらと思ったけど、現実とゲームは違う。  魚影なんか確認できず、ただ釣り糸を垂らして風の音を聴いていただけで、結局一匹も釣れず早々に川から引き揚げる。  日が暮れる前に、試練の間に戻った。  レスニカは俺にすべてを渡した。金も、車も、トランクに詰め込まれたアイテムも。  それがどういうことなのか、いくら馬鹿な俺でも分かる。  待っていろともどこかへ行けとも言わなかったあいつは、既に俺が自由であることを示していた。  命を賭けて戦っているレスニカ。  ナギも、モンスターを倒すのにものすごく苦労したと言っていた。  現実世界である以上、怪我はできても死ぬことはできないことを当時何も分かっていなかった俺に、事の重大さを悟られぬように明るく話してくれていた。  もしナギじゃなくて俺が主人公だったら。  モンスターや敵と戦い、仲間を思いやり、命を賭けることができただろうか。  もし、俺がレスニカだったら、壊れずに己の使命を受け止め次の──……。  助けられた命も、物語通りに死んでいった命も、そうあるべきだからそうなったわけじゃない。  一つ一つの選択がそういう風に進んで、一人一人の考えが、そういう道へ行き着いただけだ。  レスニカが戻ってこなかったら、どうする?  元の世界に戻れなかったら、どうする?  そこでようやく、俺は気付いた。  俺は俺を、ずっと諦めていたことに。  レスニカは深夜に一度、戻ってきた。  疲労を隠すこともせず、息を切らしながら血に濡れた服を脱ぎ捨てて俺の寝袋の隣に座り込んだ。  寝袋に包まれながらその様子を見ていたけど、殺気立ったレスニカの気配は中々消えない。  極限状態の神経と身体は、既に限界なのだろう。  立ち退く様子もないことを考えれば、おそらく試練はまだ終わっていないはず。  黙って座り込む後ろ姿をしばらく眺めていたけど、いつまでもそのままのレスニカに遂に俺は声をかけた。 「まだ終わってないなら、少し眠れよ」  顔を上げてこちらを見る男に、もう一つの寝袋を指さす。 「わかっています」 「眠れないのか」  血だらけのシャツをバッグに詰め込んでいた。なにかの返り血だ。  試練は、どんなものだったんだろう。  過去の戦闘に出たモンスターか、帝国人か、それともかつて仲間だった男のものか。  忌々しい記憶を再現させられ、見たくもない過去に引き戻されている。  こんな状態で寝ろだなんて、そりゃ無理か。  だから俺も眠ることを諦めて、寝袋から出て立ち上がった。  そのまま座り込むレスニカの腕を取る。 「来い。こんな状態じゃ、眠れないんだろ」 「は? どこへ」 「いいから、来いよ」  試練の間から出て車の運転席に乗り込んだ俺を確認すると、レスニカは何も言わず助手席にもぐりこんだ。    予想通り、さほど走らないうちに小さな小屋がヘッドライトの向こうに照らし出された。  今にも壊れそうな小屋は、それでもプレイした時のままの姿で安心する。 「ここは?」 「風呂」 「──は?」 「だから、風呂」  トランクから着替えとタオルを取り出して先を歩くと、早々に何かに躓いて身体が傾ぐ。  転びそうになった俺の腕を掴んだのは、レスニカだ。 「……ありがと」  夜目が利かない俺と違い、レスニカは獣人族だか獣族だかの血が入ってるんだったか? なら、明かりがなくとも見えるのかも。ていうかそもそも魔法があるか。  礼を言う俺に応えず、今度はレスニカが先を歩く。俺の腕を掴んだまま。  大人しく誘導され辿り着いた小屋の中は、古びた外観とは違い、ちゃんと明かりが点り意外にもしっかりしていた。  どこかで見たような古くさい扇風機が回り、化粧台とトイレがあって、その向こうに磨りガラスの扉がある。  古びた棚には籠がいくつか置かれていた。 「来たことないのか?」  頷くレスニカの横を通り抜け、棚の籠にさっさと服を脱ぎ捨てる。  日本の温泉や銭湯施設のような内部は、レスニカには馴染みがないものなのかもしれない。  他でこのようなものを見たことがなかったし。  ここは所謂隠しイベントが起こる場所だ。  試練の間の近くにあって、車をゆっくり走らせていると初めて気付くような場所。  ゲームでは、ここは物語上の強制力は働かない。ただ、立ち寄ったプレイヤーにだけ起きるイベントがある、おまけの場所だ。  磨りガラスの扉の向こうは露天風呂になっていて、森の中にあるため雰囲気もいい。  風呂はちゃんと男女別になっており、主人公が女ならば女仲間と、男ならば男仲間と一緒に風呂に入る。  女性なら仲間のアフソナ族であるアヴァロナの過去、男性なら元帝国軍のクラベックの過去を少し垣間見れるようなイベントが発生して、仲間との絆を深める。  そんな場所だった。  そしてもちろん、風呂には癒やし効果もあって、体力も状態異常も全快するってやつ。  当然不可侵領域だろうし、現に誰もいなければモンスターの気配もない。  癒やし効果がどこまでのものかわからないけど、風呂自体はいい気分転換にはなるだろう。  まだ状況を呑み込めていないのか、棒立ちのレスニカ。  奴の視線を受けながら一足先に素っ裸になった俺は、さっさと磨りガラスの扉を開けた。

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