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12.未来の試練と明日なき彼
露天風呂の横に併設されているシャワーで汚れを落としていると、静かにレスニカが入ってきた。近くの風呂椅子に腰掛け、同じように身体を洗い始める。
思わず頬が緩む。
互いに何も言わず、身体を綺麗にした。いつからここにあるのか分からないシャンプーもボディソープもありがたく使わせて貰い、まだ座っているレスニカを置いて立ち上がる。
木々に囲まれた石造りの露天風呂だ。橙色の灯りがぼんやりと点り、空には星もよく見える。
そっと湯に身を沈めると、その温かさに意図しない溜め息が漏れた。
腐っても日本人。温かい湯に浸かると安らぎを得る遺伝子が俺にもあるようだ。
ぐっと伸びをしながら星々を見上げる。
来た当初から夜空は腐るほど見てきている。腹が減って途方に暮れていたあの日、ヴァレンに殴られた後、勇者様の存在に気付いたあの時も。
不揃いの大きな星が三つ、間隔を開けて並んでいて、その周りには沢山の星が砂粒のように散っている。
あんなものが浮かんでいて、引力や重力はどうなってるんだと不思議に思い、その度にここがゲーム世界なのだと再認識させられていた。
でも、綺麗なんだよな。
煌びやかなネオンに囲まれたあの街も、大木に囲まれた幻想的なアフソナの里も、雄大にどこまでも続く地平線も。
モンスターがいて、保持者達がいて、属性を持って、魔法を使う。
人間も人間ではない者達もいて、それぞれ役割や仕事があり、子孫を繋ぎ、死んでいく。
「これから、どうする……?」
元の世界に帰れなかったら。
この地で、ただの人間として生きていくには……。
チャプ、と水音がして夜空から目を離す。
レスニカが湯に入ってきたのだ。俺より少し離れた左側にゆっくりと身体を沈めている。
濡れた前髪はかき上げていて、怜悧な目元が晒されている。顔立ちが冗談みたいに整っているだけに、なんだか見てはいけないものを見ている気分だ。
水もしたたるいい男か、なんて胸中で呟いているとおもむろにレスニカが口を開いた。
「ここに来てからずっとあの男の元に?」
「……まあ」
濁すように答えてから、諦めて白状する。
「おまえの言うとおり、俺はずっと男娼だった。こっちだけじゃなく、元の世界でもな。だから身体を売ることに抵抗はないし、慣れてる」
「最初から身売りで生きるつもりだったと」
「……あのな、俺だって最初はアテラの飲食店とか何軒かの店に雇ってくれってもちかけたんだよ。でも個人登録証──、バーゴ、だっけ? とにかくそれがないと駄目って言われて途方に暮れてたわけ。そうこうしてるうちに腹は空くし寝不足で体調も最悪だし、もうとにかく限界だった。結局身体を売ることにしたけど、偶然あいつに目をかけられて──、後は見ての通りだ」
あいつだって最初は優しかった。
俺の衣食住だけじゃなく、自由だってあったし、小遣いだってくれていた。
飼われている自覚もあったけど、結局は俺が短絡的で馬鹿な行動で台無しにした。
「アテラは帝都で、一番政府の目が厳しいんです。とは言え身分証がないと働けないのは建前で、実際は伝手やコネさえあればなんとかなる。──まあ、ここの生まれでもない貴方が困るのも分かります」
レスニカの声は穏やかだった。背中の靄も今はほとんど確認できない。
温泉の効果で自然と身も心もリラックスしているのかもしれない。
糾弾されるかと思ったが肩透かしを食らって、なんと答えたらいいのか分からなくなる。
少しの沈黙が流れた。温泉の水音と、風が木々に当たる音だけが聞こえる。
だから俺も、普段なら絶対に言わないような事を零してしまったのかもしれない。
「俺さ、難しいことは考えない性質でさ。元の世界でも稼いだ金なんか貯めてこなかったし、あったらあったで全部使ってやりたいようにやって生きてた。セックスは好きだし、気持ちいいことして稼げるとか天職かよって思ってたくらいで、あとはなんにもなかった。なくてよかったんだ」
昔の客の一人に、医者がいた。精神が専門とかで、俺の過去を知ると穏やかな目で頷いて『トラウマをわざと再現することや受け入れる行動は実はよくあることなんだ。過去に自分がそれで傷ついたことを否定するためにね』なんて言われたことがある。
その時の俺は馬鹿な顔をして首を傾げて『そうなの? でも俺がセックスを好きになって渡辺サンも嬉しいでしょ?』って口塞いで上に乗っかって腰を振ってやったんだ。
心底ウザかった。
言われなくても分かってる。
俺は可哀想な人間で、ひどい体験をした子どもで、無知で馬鹿でしようもない男だ。
最初から最後までクソみたいな人生で、いつかどこかで野垂れ死んで終わり。
そういう人生でいいし、そういう人生の方が俺には合ってる。
「……セックスが嫌いになったら、俺には何も残らない」
あの日せっかく生き残ったのに、そんなことになったら俺は俺に簡単に殺されてしまう。
「先の事なんて考えなかった。学校へ行けとか、資格を取れとか、色々言う奴はいたけど」
どうでもよかったんだ。
何もかも、どうでもよかった。
「……あのカードには貴方一人くらいなら一生不自由しない程度の金は入っています」
目を瞬く。レスニカの声に我に返った。
馬鹿な事を言ったとすぐに後悔したが、彼はそんな俺を普段と同じような目でそう言った。
同情も侮蔑もなかった。
ただ事実を述べているだけと言わんばかりに。
「──全部くれてやるって?」
「ええ。もう必要ないので」
今度は俺が黙る番だ。
こいつもこいつで相当だと思う。
しばらく互いに黙り込む。湯の温度が熱すぎないのがいい。
「……ナギはなんて言ってんの?」
すると意外なことにレスニカは、何かを思い出すように目を細めて、微笑んだ。
「『絶対に、貴方を助けるから信じて』と」
それを聞いて記憶が蘇る。
そうだ。再会したあの時。
帰れるのかって聞いたら、ナギは俺の両手をぎゅっと掴んで真正面から真剣な眼差しで言ったのだ。
『帰れるよ。だから、一緒に帰ろう』
強烈な一言だった。
彼女のその言葉を聞いただけで、俺はナギなら絶対にそうしてくれるって確信した。だから荷物を取りにアパートに引き返したんだ。
ナギのことだから、きっとレスニカにもそうやって真剣に訴えたんだろう。
この男が、無意識に笑うくらいには。
その表情は皮肉も卑下もない、純粋な笑顔だ。そこには今まで一緒にいた仲間達との絆を部外者である俺でも感じ取れた。
「……おまえ、そうしてれば可愛いのな」
瞬間、案の定綺麗に笑みが消えた。
だから俺も遠慮なくその様に声を上げて笑う。
「ナギと一緒に、帰るんでしょう」
「そのつもり」
「帰るとしても、渡したものは何も返さなくていいので」
静かな声音で、レスニカは言う。
腕をあげて、ちゃぷり、と湯で顔を拭いながら。
今度こそ俺は、何も言えなかった。
レスニカの疲れを癒やせたのかよく分からないまま、風呂を出て試練の間に戻る。
だが、帰路には俺達の間に常にあった気まずい雰囲気が消えていたように思える。
実際俺はあの後、レスニカの運転で寝落ちした。それまではいくら眠くても助手席で眠る事なんてなかったのに。
気付かずに張っていた気が、ようやく抜けたのかも知れない。
レスニカはレスニカで、眠りこけた俺を置いて試練の間に戻ったようだ。
ご丁寧に俺が寝ていた助手席は倒され、薄いブランケットまでかけてくれている。
やさしい奴だと、そう思った。
寝起きの頭でブランケットを握りしめながら、俺はホッと息をついて、窓の向こうの試練の間を見つめた。
◇
レスニカが無事試練を終えたのはそれから二日後のことだった。
広間や車で暇を潰しながらひたすらレスニカを待っていた俺は、「終わりました」と淡々と告げる男をただ見上げた。
琥珀色の瞳は以前より鋭利になり、冥い。
試練の内容は当然、ひどかったんだろう。その上この先のことも、レスニカにとっては決して明るい未来ではない。
レスニカは、これからナギ達と合流し、〝全〟になる。
すべてを破壊し尽くす、最強モンスターになるのだ。
試練を終えたレスニカは、聖魔法の究極魔法である〝真贋〟を使えるようになった。
これにより帝国の真実と己が運命に翻弄された理由も、裏切られた理由も知ったはずだ。
レスニカは今、どんな思いでいるのだろう。
俺にも真贋を使っただろうか?
俺の過去を知り、俺の正体を知ったのだろうか。
別に俺の人生なんて、レスニカに比べたらどうでもいいものに違いないけど。
そう思ったら本当にどうでもよくなって、結局どうしたか訊くことはしなかった。
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